2000年02月29日

粉塵散らす軍団遭遇

◎第107回【北沢川追跡から目黒川】
2月19日(土)12時半ごろ羽根木公園に着く。公園の下では焼きいも屋の車に人が群がり、美味しそうだったので、つい私も買ってしまい、ほほばりながら公園を一周。美味しかった。
ほぼ満開の梅の下、集合場所にはすでに大半の方がお見えになり、梅見で一杯ならぬお弁当を広げ楽しんでおられた。軽く体操をした後、クレソンの自生する代沢せせらぎ公園を経て池尻大橋までC班の先頭で旗を持って歩く。

その後はH.Iさんにバトンタッチして、都会の中にしては美しい目黒川に感心しながら中目黒まで歩き、C班は解散。少々歩き足りない私は独りで目黒を目指そうと考えているとき、後ろからアニメの世界で見る粉塵を撒き散らして同じリズムで突進してくる軍団に遭遇した。
西郷山公園を回遊してきたA班だった。とっさに付いて歩こうとしたが、速いの速くないのって、見る見るうちに離されてしまい、また独りぼっち。そこで後続のB班に合流しようと待っていたが、B班にも振られてしまい、最後まで歩く気力も萎えて恵比寿でリタイヤした。
思えば昨年の半分は膝痛で歩けなく、会長の言によると「痛いから歩かないで直ればいいが、歩かないとますます歩けなくなる」とのこと。ついつい自分を甘やかして庇ってしまう私でしたが、こうして歩ける幸せを噛み締める一日でした。
             [H.M記]
なお、A班B班の大半は、三田用水跡と茶屋坂の清水碑を見た後、田道公園に到着。整理体操をしたあと、目黒方面、恵比寿方面に分かれて解散した=参加70人、約12キロ=。

Posted by taichiro at 14:12

2000年02月28日

四百字随想その22

1.高齢者の生き方
(1997.7.2)=社会=
 今、私は過激なことを考えている。70歳を超えた高齢者にはまず未成年者と同じく、選挙権を与えないことにする。当然のことながら被選挙権はないし、公職についている方は全て引退していただく。会社の重役など責任能力を未成年者と同じく制限してしまう。財産は生前相続、つまり、生活上、最低のものを除いて全て相続人に相続してしまう。そのほうが本人にとっても幸せだと思う。本人に意思能力があるときに相続を終えることが大事である。年金は全て今の物価でいうならば300万円ぐらいにする。高齢者にとって月25万円あれば十分生活していける。働きたい人、働ける人、口を出すこと、それは自由である。ただし全てただである。報酬はない。馬鹿らしければ何もしなくてもいい。十分、それまで働いてこられたわけだから。経済の活性化がたぶん図られる。老害が減る。こうなると私はもう9年しか稼げなくなる。短い人生を大事にしたい。
(平成9.7.2東京新聞朝刊掲載)

2.食 中 毒
(1997.7.9)=社会=
 我が家では、家庭をつくって30年を超えるが、その間、幸せなことに一度も食中毒にかかったことがない。子供も3人いたわけだから一度ぐらい被害に遭ってもいいはずだが、遭っていない。その原因の第一は粗食であったこと。第二は食べ残しを全て妻の胃袋に捨てたことと言えるかも知れない。さすがの妻もここ10年ぐらいは、そうはいかず、生ごみ処理機を購入。胃袋の代わりに愛用し、生ごみは全て土に戻している。それに私が小さい頃、子供の病気という病気には全てかかったとも言えるぐらいであったため、味と匂いに神経質ぐらい敏感であったことも幸いしている。おかげで子供たちも含めて、外食が嫌いで、ほとんど弁当持参であった。生きるためにはどうしても食べなくてはならない。その食事は華美でないこと、それに食べ残さないこと、匂いと味に敏感であること。そのくらいの節度を持った食生活を自分の責任でこれからも営んでいきたい。

3.ああ他人事時代
(1997.7.16)=社会=
戦後の教育、というか風潮の一つに「他人に迷惑をかけないこと」という美徳がある。つまり、この迷惑をかけないことをつきつめていくと、迷惑さえかけなければ何をしてもいいということになる。もう一つ、「お節介をしないこと」。これもいつのまにか美徳の一つになってしまっている。ところが人間が生きていく上に他人に迷惑をかけないで生きることは不可能である。食事をすることだって、歩くことだって、家の中に閉じこもっていても同じである。電気は天から降ってくるわけではない。そういう迷惑をかけた代価としてお金を払っていると言うかも知れないが、お金を払ったからと言って迷惑が減るわけではない。つまり人間の社会は迷惑を掛け合って生きているわけである。この本質に戻らなければ、自分事、他人事という勝手な判断から、自分には関係ないという風潮が生まれる。プライバシーという名の犯罪助長美徳もはびこっているようだ。

4.今夏こう過ごす
(1997.7.23)=自分=
 夏、海に行こうか。山に行こうか。そんなことを考えなくなってもう何年になるだろうか。子供たちが中学生以上になった頃であろうか。そうすると、もう10年以上になる。暑い盛り、仕事がなくても一番しのぎやすいのが家の中、冷房が利いてテレビで高校野球を見て、夜はプロ野球かドラマを見る。それでも時間を持て余すときは、推理小説を読み耽る。そんな怠惰な夏の過ごし方であった。それが急に今年は変わった。父の初盆である。お盆という行事が今まで他人事であった。それが自分事になった。考えてみると戦前に母が亡くなっている。それに姉が、弟が、幼時時代に亡くなっている。当然のことながら先祖の供養もしなければならない。急遽、仏壇を整え、真似事を始めた。そう考えると夏の仕事がいっぱいある。東京での初盆、それに大阪でも同じことをしなければならない。その上、先祖の墓は熊本にある。今年は実に忙しい夏になりそうだ。

Posted by taichiro at 13:33

2000年02月27日

四百字随想その21

1.携帯電話 (1997.6.4)=自分=
 (平成9.6.4東京新聞夕刊掲載)
私にとって携帯電話は、動く事務室みたいなもの。ただし、この電話番号を知っているものは事務所のものだけである。どこに居ても連絡が入ってくる。
こちらがかける場合はそのまま携帯電話でどこにでも話が出来る。その上、事務所が留守の場合には転送で携帯電話に内容が入ってくる。
外を歩いている場合、かけようとするとなかなか公衆電話が見つからない。見つかっても人が入っていてすぐにかけられない場合が多い。本当に便利である。ただし、電車の中やバスの中などでは注意している。
バイブレーター式であるから音はしない。これ見よが式の電話はしないことにしている。第一内容を人に聞かれたくないと考えているため、そんなことはしない。
便利なものを使うとき、そのために人に迷惑をかけてはいけない。そのたしなみだけは忘れたくない。
ただ、最近そんなに急いでどこに行くの、という疑問が若干ある。忙しくなることだけは事実である。

2.銀行・証券の倫理 (1997.6.11)=経済=
倫理は存在するところに存在するのであって、存在しないところには存在しない。しかも倫理は自分で決めるものであって人からとやかく言われるものではない。
人が決めるものは法律である。法律以前のもの、犯罪以前のものが倫理である。
人の財産を預かっているということに対する気概のようなものが、今の銀行家や証券マンに本当にあるのだろうか。国会に出てきた人たちの答弁を聞いてそういうものが一切感じられなかったのだが、それは聞くものの僻みだろうか。
彼らにとって総会屋の存在を知らないことがステータスシンボルのようである。何十億という貸し倒れの事実がありながら今、調査しなければ担当者も貸し付け理由も知らないそうである。そういうことを公開の席上で堂々と言えるわけであるからすごい。
でも、それでも預金者が動かないのだからやむを得ない。金利が10分の1に下がっても平気で預けている。
倫理の存在する余地はない。

3.水不足と水害と (1997.6.18)=社会=
(平成9.6.18東京新聞夕刊掲載)
地球上の資源の中で水ほど確実にしかも目に見える形で、まるで輪廻のように純粋の形で循環している資源はない。どんなに汚染されようともどんなに分解されようともまた水になって戻ってくる。
その水が不足すると水不足になり、多すぎると水害になる。均等な形で供給され、均等に消費する形があれば問題ではないのだが、水の所在は必ずしも均等ではない。ただ人知は自然の供給を支配するところまで及んでいない。
出来ることはただ一つ。大事に使うことだけ。幸いにして、日本は水の供給に関しては行政の力で非常に適切になっている。
問題は使い方である。一人一人の意識が水に向けられればほとんど水不足は解決する。水害もほとんど起こらない国になってきた。
治水という意味では日本の国は世界の国には引けを取らない。ただ貴重なこの資源の使い方が問題である。
一人一人にできること。その易しいことをみんなで守る精神の向上が必要である。

4.ことばの乱れ (1997.6.25)=文化=
通常、言葉の乱れを議論する場合、いろんな仲間内の言葉を捕まえて、ああでもない、こうでもないと言っている場合が多いが、それはナンセンスである。
例えば、女子高生がこんな言葉を使って恐ろしいとかなんとか言っているが、仲間の中で仲間意識の結果、他の人に分からないように言おうとしているのであって、そういうことを取り上げることは無意味である。
それよりも乱れを言うならば一番問題なのはテレビとかラジオで絶叫的に喋ったり、変なイントネーションを使ったりしていることである。自分が一体何様だと思っているのか、不思議な気がする。
新聞というものが、ある面では言葉とか、文字については一つの見識を持ち、またリーダー的な役割を持っているが、テレビやラジオの世界にもう少し、指導的な立場を発揮してほしい。
その場合、仲間内で使う一種の隠語と不特定多数を相手とする言葉を峻別して議論しないと本質が埋もれてしまう。

Posted by taichiro at 13:41

2000年02月26日

梅見のコーヒーは最高

◎第108回【鷹取山と田浦路ウォーク】
2月26日、JR東日本、京浜急行共同企画の「鷹取山と田浦路ウォーク」に参加。快速特急三崎口行にそれぞれの駅から乗車した。日本橋より所要時間53分。ダベリながらの時間は短く、金沢八景まであっという間で、乗り換えにあわてて飛降り、追浜に9時53分に着いた。追浜では大勢の歩け隊でごったがえし。迷子にならないよう注意しながら鷹取山公園に向かう。あいにくどんよりとした曇り日であったが、歩くには絶好の良い気温になった。

 鷹取山公園に到着し休憩。岩山を楔で登ろうとしている人や展望台に行く人など、様々な休憩であったが、じっとしていると肌寒くなりブルッと身震いを感じ、上着を羽織る。11時に出発し田浦梅林を目指す。切り通しのような岩間を通り森林道へ向かう。15分くらい杉林の中を通り過ぎて行くと歩きがだんだん遅くなり、ついには止まってしまった。余り険しくないのに止まるのが不思議と思いながら渋滞をがまんして歩く。2ヶ所の急な下り坂が原因のようだ。普通の道路になって急にスピードが増し、サッサッと歩きながら左前方に1本の梅を見た時は「あら! きれい!」の声がだれともなくもれた。
 その後16号線を過ぎ、田浦梅林の近くの坂はやっとの思いで登り、念願の田浦梅園に着いた。ここで昼食。寒さの中で、香りに包まれ、梅花を見ながらの熱いコーヒーは最高の気分。梅林を1時に出発し、田浦緑地展望台を見学。ぱっと広がった空間、それに芝生、梅、水仙が私の心をなごませてくれた。
 その後は坂を急ピッチで下り、また登りの繰り返しで40分後に塚山公園に辿り着く。ここで休憩。早く着いた人と、ゆっくり楽しみながら歩いた人との時間調整も出来、ほぼ全員が集合。最後の歩きを楽しみながら安針塚駅に到着。ここで解散。なお4名くらいの人はJR田浦駅へ向かったとのこと。
帰途も快速特急に乗り、向い合わせの椅子に団体で座ることが出来、旅行気分のウォーキングになった。  =参加45人=   [K.O 記]

Posted by taichiro at 14:13

2000年02月23日

四百字随想その20

1.初夏 (1997.5.7)=自分=
三十歳を超えた彼は焦っていた。一体何を待っているのだろう。
仕事はしている。しかも健康だ。社会のためにも役立っている。だが、誰のためにこんなことをしているのだろう。洋服を着て、食べて、たまにはスキーに行ったり、ボーリングをしたり、麻雀で遊んだり、野球を見たり……。だが家に帰ると何もない。蒲団が待っているだけ。もういい。いつまでこんなことをしていても何の変化もない。
一念発起、行動を起こすことにした。身の回りを見渡した。桜の花は散り、すでにつつじが満開。自然は何のためらいもなく、青春を謳歌していた。
しかし彼は何も出来なかった。その彼に久しぶりに見合いの話がきた。乗ることにした。だが、その前に声だけかけよう。一人、二人、三人、だが肝心のことは話せない。
四人目。もう列車に乗る直前だ。「僕でいい」、「うん」。慌てた。三十年前の初夏。
私はうんと言った彼女と所帯を持って現在に至っている。

2.私のキーワード (1997.5.14)=自分=
「ありのまま この人生を 愛しゆかん この心よしと 頷きにけり」
これはある恩師から私の転居にあたって掛け軸にしていただいた言葉である。
私はこの「ありのまま」をキーワードにしてものごとを考えることにしている。人生には悔やむこと、悩むことが余りにも多過ぎるが、悔やみも悩みも実は物事の解決には何の役にも立たない。
「悔やむこと」これは過去の出来事に対してくよくよすることである。「悩むこと」これは未来のことに対してくよくよすることである。ところが、このくよくよは現実のこと、現在のことには何の役にも立たない。
今日一日、精一杯のことが出来れば、過去のことも未来のことに対してもくよくよすることはない。安心して眠りにつくことが出来る。ありのままである。これは私の健康法にも叶っている。
そして過去を考えるならせめて千年前のこと、未来を考えるなら千年先のことを考えたい。

3.近隣外交 (1997.5.21)=政治=
近ければ近いほどいろいろ問題を起こしたり、争いを起こしたりするのは、人間同士のことを考えるとよく分かる。ましてやその話に歴史が加わると、普通ならどうでもいいことまで、問題になってくる。
どうも、この歴史的認識というものがくせものである。世の中に識者といわれる人がいて、たいていの場合、そもそもこの問題は、そんな単純な問題ではなく、これこれしかじかであって、もっと深い問題があるとか何とか言って、わざわざ問題を難しくしたり、こけんのようなものを持ち出したりしてくる。
過去ではなく、現在そのものを見つめることが、問題を解決するためには重要なことである。人間関係にとって新しい関係につくときは容易であるが、親しかったり古い友達や親戚との関係を作るときは、過去のしがらみがじゃまをしてしまう。
国と国との関係も同じだ。常にフレッシュに過去ではなく、現在と未来に目を向けて外交にあたるべきである。

4.家庭料理 (1997.5.28)=文化=
我が家ではほとんど外食をしない。子供たちも大学に行っている頃も我が家から通っているときは弁当持参であった。夜はどんなに遅くなっても家で食事を摂る。
それほど家庭料理に浸っている。それでは家庭料理が豪華であるかというとそうではない。お米だけはなんとかいいものをと考えたが、おかずは一什一菜と言っても差し支えないほど粗末なものである。味噌汁が必ずつく。その他ではコロッケか卵焼き、カレー、それに手作りのギョーザぐらいである。
何かの記念日とか子供たちの誕生日には散らし寿司である。塩分は極端に控え目である。味というものはだしの味が区別できる必要がある。そのためには物の本や調理法に書いてある塩分の半分でいいと思っている。
そういう味が30年間続いている。おかげでお腹を壊したり下痢をした覚えがないし、子供たちもすくすく育ってくれた。肥満体も一人もいない。
米飯中心の家庭料理、礼賛の一席である。

Posted by taichiro at 14:49

四百字随想その19

1.規 制 緩 和 (1997.4.9)=経済=
 (平成9.4.9東京新聞夕刊掲載)
図式的に、規制はなんらかの意味で悪であり、規制のないことが善であるという前提で議論されているようだ。もともと規制など作らなければ良かったという前提である。
規制という言葉を遡っていくとたぶん法律に結びつき、法律はもともと道徳とか、習慣とかに結びつき、それ自体は人間が社会生活を営む上のルールみたいなものだ。単純なことを言えば物を買う、お金を払う。こんな簡単なことでも規制がなければ、強奪してもよくなり、強いものが勝ち、弱いものが負けるという単純なルールにならざるを得ない。
つまり規制は常に弱者救済のはずである。規制は強ければ強いほど弱者が優遇されるはずである。その規制緩和を求めるものは、本来強者から出るはずである。
ところが場合によっては強者救済のような実体になっている規制、これだけを見直すべきである。
規制の実体を冷静に判断して議論しないと、とんでもない結論になりそうな気がしてならない。

2.先輩・後輩 (1997.4.16)=文化=
学生時代に恐いもの、社会人になって役立つもの、ある地位まで来るとじゃまになるもの、年寄りになると困るもの。これは後輩から見た先輩観である。
逆に先輩から見ると、学生時代は可愛くていじめ甲斐のあるもの、社会人になると威張れるもの、ある地位まで来ると利用できるもの、年寄りになると頼れる存在、これが後輩観である。
こうしてみると、先輩と後輩はどうも対立関係にあるようだ。これが日本の年功序列と重なって複雑な人間関係を形作っている。しかも、小学生時代、中学生時代、高校時代、大学時代、それに職場に入っても、趣味の世界でも芸術分野のような世界でも存在するから複雑怪奇になって気を使うことおびただしい。
ところで学生時代はいざ知らず、社会人になってからの「先輩!」という呼びかけには気をつけたほうがいい。
後輩と先輩の地位が逆転した場合の呼びかけになってしまい、結果的には蔑称になっていることが多い。

3.なれあい亡国 (1997.4.23)=政治=
 (平成9.4.23東京新聞夕刊掲載)
平和を維持するためには、もともと馴れ合いが必要である。いちいちギシギシと異議を申し立てたり、箸の上げ下ろしまでけちをつけると争いしか起こらない。
したがって馴れ合いそのものは決して悪いものではない。世の中の潤滑油みたいなものと考えたい。
ところがこの馴れ合いが進むとお互いに傷を舐めあうというか、やってはいけないことをお互いが隠すという現象が起こり、それが進むとわざわざ悪いことを姑息な手段で隠す現象が起き、自分勝手な論理を用いてくる。
ここに住専の問題や動燃の問題、それによく考えるとオウムの問題にも共通点が見えてくる。もしかすると沖縄問題にも言えるような気がしてならない。つまり、本質を離れたところでなれあうのが問題である。
もっと自然そのものになれあうこと、もっと本質になれあうこと、もっと地球になれあうこと。
そういう馴れ合いの結果、国が亡びても一向構わないし何の問題もない。

4.節目の憲法 (1997.4.30)=政治=
 (平成9.4.30東京新聞夕刊掲載)
50年間、日本の憲法は変わらなかった。
その日本はその間、何と言われようと何と批判されようとも憲法そのものを他国から批判されたことはなかった。戦争の定義、軍力の定義、平和の定義、人権の定義、いろんなもので紆余曲折は現在でもある。
しかし、憲法上、その範囲での侵略はやむを得ないとか、憲法上、それは強腰でもなんでもないとかというような批判は受けたことはない。
憲法があるがゆえに弱腰にならざるを得ないとか、敗戦時に与えられた憲法だからとか、今の時代にそぐわないとか、他の国では毎年のように変わるものだとか、そういう言い方である。
どんな時代になろうとも基本的にこの憲法のもとで、これだけの発展を遂げ、これだけの国になったことは、誇りにしていいものである。不変であったことを悔やむ理由はどこにもない。
世界中が、日本と同じ憲法を持てるように大いに啓発し、啓蒙することが出来るすばらしい憲法である。

Posted by taichiro at 14:44

四百字随想その18

1.人生はドラマだ (1997.3.12)=自分=
昭和4年、若干20歳でサンデー毎日の懸賞募集で大衆文芸乙種に入選、華々しく文壇にデビューした男がいた。
彼は作者の言葉で「今にして認知された私の前途は洋々として広く遠い気がする。読者よ期待してほしい」と述べているが、世に出た作品はこれ一作であった。
一方、一緒に入選した作家に海音寺潮五郎さんがいる。海音寺さんはその後、時代小説の大御所になった。
一作で終わった彼は、その後、大陸に雄飛した。小説は書けなかったが、敗戦の日まで息つく暇もないぐらいあらゆることに手を出し、あらゆることを実践したが、敗戦は全てを失わせた。
戦後50年あまり、生き残った子供は4人、孫が8人、それに曽孫が3人。失意の日々の中で、昨年クリスマスの日に、米寿で息を引き取った。
彼の長男が私である。
人生は彼が作った小説よりもドラマチックであった。
しかし、たった一作であったこの小説「山脇京」を私は香典返しに使った。

2.消費税独り歩き (1997.3.19)=経済=
タイトルに反するが、消費税は一人では歩かない。必ず決める人がいる。税制という中で、国会が決める。
問題は直接税だが、法人税のように利益があれば税金は納めるが、利益がないとどんな大きな会社であっても1銭の税金も払わなくて済む。現実的に言ってもすでに法人税の税収は減ってきている。
その代替手段みたいなものが消費税と言える。消費という実体にしたがって税金がかかることを世の中では逆進性というような言葉で表わされるが、実際には逆進することはない。単に比例的に負担するだけであってそれぞれの消費の額にしたがって負担する。
問題は所得のばらつきが現実にあるため、消費したくても使えない人がいることである。税制による所得の平準化という考え方にそろそろ限界がきているのではなかろうか。
所得のばらつきを政治によって制限できるようになると、消費税ほど確かな税制はない。政治にそれだけの力があるかどうかである。

3.便乗値上げ (1997.3.26)=社会=
 (平成9.3.26東京新聞夕刊掲載)
消費税の税率アップに便乗して値上げという意味だが、私はむしろ、このアップを利用した便乗値下げの実体を問題にしたい。
つまり、外注先や仕入先に対して、消費税のアップ分を認めない価額の強制である。そうするとほぼ2%の値下げを強要したことになる。
その値下げ分は、課税仕入税額として確実に戻ってくる。しかもその利益は、消費者に戻ってこない。
消費税は実は業者にとっては転嫁される租税で終局的には純然たる消費者が負担するものである。したがって税率のアップは業者には直結しない税制のはずであるが、正しく転嫁する現象が起こらないと一種の便乗値下げが行なわれ、その値下げが消費者に還元されないということになる。
便乗値上げはもっともらしい理屈をつけても目に見えるから対策も立てやすいが、本当の意味で問題なのは便乗値下げである。この値下げが弱い業者に集中することが問題であり、目に見えないので始末が悪い。

4.私の最大関心事 (1997.4.2)=社会=
エリートの皆様、評論家の皆様、それにオピニオンリーダーを自称なさる皆様。ペルーの人質の身代わりになる気はございませんか。
3か月を超えた人質の方々。今、日本は最大の危機を迎えています。もし、私でもよければ、すぐに身代わりになりたい気持でいっぱいです。
こういうときこそ、理屈でなくエリートの方々は先頭に立つべきではないでしょうか。少なくとも交渉する価値はあるはずです。こういうときこそ、苦しんでいる人の代わりになる。これが本当のエリートです。と同時にオピニオンリーダーだと思います。
相手側にとって、より重要な方が身代わりに立つ。こういう人が今の日本にはいないのでしょうか。そしてこれが危機管理だと信じています。
理不尽に対抗する手段をあらかじめ考える必要はありません。理不尽が起こったとき、どう対処していくか。起こってから考えるべきです。そして命を懸けること。
今ならまだ出来ます。

Posted by taichiro at 14:40

四百字随想その17

1.建前と本音(1997.2.12)=政治=
ペルー大使館占拠事件、石油流出事件、オレンジ共済組合詐欺事件、KKC詐欺事件、薬害エイズ事件、国鉄精算事業団の運営、狛江市長賭博事件、テニス女王対決中止騒動、情報公開制度、官官接待問題など、今日(1997.2.4)の新聞を眺めただけでも、本音と建前が違う問題で、しかも何となく誰にもどちらも理解しながら使い分けているような気がする。
その他、卑近な例でいえば、いじめ問題、進学問題などの教育問題、バブルが弾けた土地問題や銀行金利などの経済問題、それに為替相場の動きや株価の問題、消費税と所得税や法人税などとの直間比率。
一番すごいのが国会の議論であろう。なまじ本音など言おうものなら鬼の首を取ったように議論が沸騰し、本質的なところから遠のいてしまう。どこかで本音は悪いことで建前が正しいことだという価値判断が定着してしまった。
その張本人はもしかするとマスコミかも知れない。
「物言えば唇寒し秋の風」

2.ファッション (1997.2.19)=社会=
流行という言葉がある。この流行を作る作用をするのが「ファッション」であろうが、ここで作るということに引っ掛かる。
本来、流行とは、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」というような自然発生的なもので、みんなが何となく好ましく思い真似をしていく現象だと思う。ところがこの現象を人為的に造り出すことが可能になってきた。しかもそれが商業的というのか、経済効果が生まれてくると、この「ファッション」が付加価値を持ってくる。
私は個人的にいうと流行が嫌いだ。つまり猫も杓子も同じ真似をして個性を失うのが恐ろしい。「ファッション」が個性を主張しているようで実は同質化というか同等化して没個性化しているような気がしてならない。その中に浸り込んでしまうと安心できるのである。
ここにファシズムとの同質性がある。語源的に言ってもこの同じ言葉、聞く耳では全然違うもののようであるが、ファッションにはこの危険性がある。

3.日本再構築の道 (1997.2.26)=政治=
今、日本は何が構築されているのか。この考え方によって再構築の道は変わってくる。
私は、戦後、経済という道でがむしゃらに頑張ってきた日本が見える。しかも、その経済は働くことを最高のものとして追い求めていたような気がする。ところが経済は求めても求めても限界がない。その上、その成果はすべて貨幣価値で示される。貨幣価値で示されれば、金額を追い求めることになる。
だんだん手段を選ばなくなってくる。持っている株が上がる。土地が上がる。その話と汗水たらして稼ぐ話が同等化してくると、全ては得か損かという概念でしかものを見なくなる。
生きることの価値とか、自然の恵みとか、文化とか、倫理とか、哲学とか、そんなものは貨幣価値の前に何の足しにもならないような概念が生まれる。今こそ、私は貨幣価値でない価値観を確立すべき時が来ている。
地球上の生命体として、日本は貨幣価値を離れて価値観を再構築すべきである。

4.「教育」を考える (1997.3.5)=文化=
私は、子供3人を今の教育制度の中で育て上げた。
1人はコンピュータの専門家、1人は通信網の専門家、そして最後の1人が演劇の専門家としてまさに世に出ようとしている。塾のお世話には受験直前の三か月間だけはお世話になった経験はあるが、あとは学校の教育だけだった。
学校以外で勉強する暇がなかった。1人はパソコンに熱中し、1人はラグビーに熱中し、1人は劇団に熱中した。そのため大学に入ってからは苦労した。それこそ死物狂いで新しい知識と研究に打ち込んだ。
私自身、戦中に教育を受けた。だがその影響が何かあっただろうか。教育を口にするのは簡単だが、教育が悪いからどうかなるという考えは間違っている。というより教育が良かったからこんなに立派になったという考えが恐ろしい。
いうなれば読み、書き、算盤(いまではパソコン)だけが確かに確実に教育されれば、あとは自分の自覚である。
自覚まで教育されては堪らない。

Posted by taichiro at 13:47

四百字随想その16

1.敬愛する人物像 (1997.1.8)=自分=
 敬い愛する人物。よく考えると難しい。敬うということと愛するということは矛盾するように思える。例えば、孔子を敬愛するというふうに言うと何かそぐわない。お釈迦様をと言ってもおかしい。
 天を敬い人を愛する、つまり敬天愛人と西郷隆盛が言ったそうであるが、これなら分かる。
 そこで娘に聞いてみたところ、ただちに答が出た。大学、大学院と6年間お世話になった担当教授である。まさに妥当な答であった。それこそ日夜を分かたず、学問のため、学生のため、活動されていた。
 父親である私の目から見ても真摯にそして真剣に1日1日を生きておられる。一所懸命、何かに、それはお金のためでもなく生活のためでもなく、人のため世のため、活躍されている姿はすばらしい。
 銀行の頭取、証券会社の社長、国会議員らが本来なら敬愛されていいはずだが、言行不一致の彼らには、ほとんどの場合、敬愛される存在に自らなろうとしていないようだ。 

1.敬愛する人物像 (1997.1.8)=自分=
 敬い愛する人物。よく考えると難しい。敬うということと愛するということは矛盾するように思える。例えば、孔子を敬愛するというふうに言うと何かそぐわない。お釈迦様をと言ってもおかしい。
 天を敬い人を愛する、つまり敬天愛人と西郷隆盛が言ったそうであるが、これなら分かる。
 そこで娘に聞いてみたところ、ただちに答が出た。大学、大学院と6年間お世話になった担当教授である。まさに妥当な答であった。それこそ日夜を分かたず、学問のため、学生のため、活動されていた。
 父親である私の目から見ても真摯にそして真剣に1日1日を生きておられる。一所懸命、何かに、それはお金のためでもなく生活のためでもなく、人のため世のため、活躍されている姿はすばらしい。
 銀行の頭取、証券会社の社長、国会議員らが本来なら敬愛されていいはずだが、言行不一致の彼らには、ほとんどの場合、敬愛される存在に自らなろうとしていないようだ。 

2.ちょっといい話 (1997.1.22)=自分=
           (平成9.1.22東京新聞夕刊掲載)
 最近、パソコン通信で囲碁を楽しんでいる。
 全国どんな人とでも打てる。だいたい200手ぐらいを打つわけだから、毎日お互いが最低1手ずつ打っても3か月ぐらいかかる。実際は1か月から半年ぐらいである。
 その間、軽いコメントをお互いに書きながら打っているわけだが、このコメントがおもしろい。普通の対話とかパソコン通信ではこんなに長い間会話が続かない。ところが碁を打つという必然性があるため、いつまでも続く。
 私の相手は常時10人ぐらいの方だが、その一人とは、1年間で10局打ったわけだから、約2,000回も話している。統計的な話では全部で1年間に7,000回を超えた。平均100字から200字書いたとして、実は、100万字にもなっているわけだ。
 おかげで全国に今まで全然知らなかった方と知り合いになることが出来た。しかも結構本音で話が出来た。その上、囲碁も相当に腕が上がった。
 私にとって、このボード碁対局はちょっといい話なのである。

3.危 機 管 理 (1997.1.29)=政治=
 流行り言葉で、何だかこの言葉を使うと立派に見えるから不思議である。
 ところが「危機管理」がしっかりしていたので助かったというような話は聞いたことがない。こういうことになったのは危機管理がしっかりしていないからだとか、日頃から危機管理の意識を持つべきであるとか、結果論として否定的な意識の中で使われることが多い。ところがそんなことは役に立たない。
 通常の思考では絶対に解決できないもの、予測なんかできっこないことが起こったときに如何にあるべきかであって、テロ対策がどうのとか、地震対策はどうだとか、石油汚染が起こったときはどうとか、そんなことをあらかじめ考えることが危機管理ではない。
 つまり、予測しえない事態が起こったとき、事前ではなく事後にどれだけスピーディーに弾力的にかつ過去にとらわれずに解決できるか、これが危機管理の本質である。
 したがって、危機管理は、抽象的でしかも精神的なものだと、私は信じている。

4.ボランティア (1997.2.5)=社会=
 私は、このボランティアという言葉が嫌いだ。
 日本にない言葉だから、カタカナ用語になったものと考えて差し支えない。言葉がないからと言って、この理念がないかと考えるとそうではない。つまり、当たり前のことであったわけである。
 困っている人を助ける、自然災害にみんなで立ち向かう。そんなことは当然のことであってボランティアなどという概念はなかったはずである。
 ところが、この当たり前のことが当たり前でなくなると、そんなことをお金ももらわずにできるかという発想が生まれ、ただでそういうことをする人が特別視され始めたような気がする。
 人間が自分に出来ることを出来ない人のために行なうこと。これは報酬の有無ではなく、喜びである。政治とか、医者だとか、資格業務とか私に言わせると全てそういうものである。
 本来は普通にできたことを貨幣経済が出来なくさせ、ボランティアという特殊用語を生み落としたような気がする。

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四百字随想その15

1.官僚の功罪 (1996.12.4)=政治=
 「官僚」という言葉があるが、官僚の定義は何なのだろう。公務員のことかも知れないが、どうも全ての公務員を指しているわけではない。すると、今では上級公務員試験に合格した人たちのことを指しているのだろうか。
 いずれにしても官僚という言葉がどういうものか独り歩きしているような気がしてならない。そこではこうあるべきであるというような犯しがたくて、聖人君子のような理想像が抽象的にあって彼らの行動は常に誤りがなく、公平無私であって自分の欲望などはなく常に天下国家のことを考えているはずであるという概念があるようだ。
 その彼らが何か特殊なことをすれば、それが問題になり、経済も行政も場合によっては政治も、その上、景気まで牛耳っており、悪くなるとすべて責任があるような存在に祭り上げている。ということは良くなることも彼らの功績である。
 本当にそうなのだろうか。人間に戻して真剣に定義を明らかにする必要がある。

2.忘れ得ぬ数字 (1996.12.11)
 昭和17年、当時の国民学校に入学する年であった。
 入学式の前日、祖父危篤の報を受け、外地にいた私は、両親に連れられ、内地に戻った。しかし、祖父は案外元気であった。それでも看病の甲斐なく4月24日、ついに帰らぬ人となった。
 それから、24年後、結婚して、祖母に会った。祖母は妻の生年月日を聞いて、いきなり、「あんたは爺ちゃんの生まれ代わりだ」と言い始めた。意味がよく分からなかった。すっかり祖父の命日を忘れていた私は、妻の誕生日、昭和17年4月24日を知っていてもぴーんとこなかった。祖母がぼそぼそと当時の話を繰り返し始めてやっと蘇ってきた。
 祖父のなくなった日、一里も離れていない場所で妻は呱呱の声を上げていたわけである。この日以来、私にとって忘れ得ぬ数字になってしまった。
 「170424」。私に引っ付いてしまった数字である。有馬記念にこの数字を組み合わせてみたい。因にこの年は午年である。

3.日本のしきたり (1996.12.18)=文化=
 歳末、年始、季節の移り変わり、そういう節目節目でいろんな形の仕来りがある。
 仕来りを直訳すると今までやってきたことになる。そういう意味で、日本の仕来りを抽象的に表現すると私はマイナス思考と言いたい。ただし、このマイナス思考は悪い意味ではない。相手に対する思い遣りである。
 例えば物を買うとき、825円の品物を1,000円札で買うとたちどころに175円のお釣りと言うことになる。つまり、1,000-825=175である。ところが欧米では1,000=825+175である。この違いが私は日本の仕来りに共通しているような気がしてならない。
 商売をしていても原価プラス利益が売価ではなく、売価マイナス原価が利益である。売価はお客が決めるもので、その上で原価を如何に切り詰めるかを考える。日本の経済成長に大きく寄与したのは、この仕来りである。
 しかし、今、その限界が来たようだ。この美風を捨てたときに訪れるもの。私は不安である。

4.正月どう過ごす (1996.12.25)=自分=
 正月は忙しい。
 まず、年賀状の整理である。約1,000枚来る年賀状の情報は貴重である。住所、電話、お仕事、ご家族の動き、そんなことを垣間見たり、想像を加えながら住所録を整理し、また音信が跡絶えたことに対して思いを馳せることもある。
 次は家族との団らんである。孫が3人。子供が3人、嫁が2人、妻が1人、自分を入れて10人である。本当に全員が揃うことがこれからそんなにない。できれば正月には揃ってお宮参りにでも行ってみたい。これまでの無事を喜び感謝し、そしてこれからの健康と発展を期待する。というより真剣に努力することを誓ってみたい。
 満年齢で年を数えるようになってから、どういうわけか正月の意義が薄れてきている。年をとる覚悟、私はこれを大事にしたいと思っている。一年の計は元旦にありとよく言われるが、この意味が、未知の年を迎える恐れと期待にあると私は思っている。
 単なる海外旅行などで安易に時を失いたくない。

Posted by taichiro at 13:39

四百字随想その14

1.これはおかしい (1996.11.6)=社会=
 近頃おかしきもの、1人区で落選しても平気で国会議員。おかげで比例区だけで立候補した人は落選するわけだが、喧嘩したという話は聞かない。
 小さいお金を借りると抵当権、火災保険、生命保険、保証人、その上ローン保障までさせられて、まず貸倒れしようにも貸倒れができないが、どういうわけか大きなお金を借りると簡単に貸倒れができるようだ。大きな話で自己破産したという個人の話を聞かないが、主婦とかサラリーマンの話は聞く。
 1ドル100円が110円になったことをわざわざ円安と言ってドル高とは言わない。どうせ翻訳するなら、1,000円が10ドルだったものを9ドル9セントで買えると言えば分かり易いがそうは言わない。
猫も杓子も大学大学と言っているが、高卒程度の初級公務員試験に一年浪人して受けるそうだ。合格者の半分以上が大卒になってきたそうだ。
 書き出せばきりがないほどおかしいものがあるが、だんだん当り前になるのが恐ろしい。

2.行政改革 (1996.11.13)=政治=
          (平成8.11.13東京新聞夕刊掲載)
 「行政改革」、言葉だけで聞くとこれほど響きのいい言葉はない。誰が言っても似合う言葉である。とくに政治家が言うと真実味がある。
 ところが、具体的な話は聞こえてこない。むしろ、予算請求というかいろんな面でこれをしろあれをしろ、とか、これからはこうしたいとか、こういうことはやるべきだと言う声だけ聞こえる。
 そしてこういう話は具体的だ。窓口の親切、施設の拡充、保護の見直し、それにスピード化、効率化、そんなことが、どういうものか毎年うたわれる。
 矛盾を感じないのだろうか。
 私たちは本気になって行政改革を進めると言うならば、積極的に不必要であるものを唱える必要がある。サービスの低下を望まなければならない。予算の削減を当事者が望まなければならない筈である。理想を追い求めている限り、行政改革は不可能である。
 理想を捨てること。安定を捨てること。保護を求めないこと。果たして、それができるのだろうか。

3.年 賀 状 (1996.11.20)=季節=
 「年賀状」は楽しい。私は今、自分の作った年賀状を眺めている。
 18の年から出し始めているが、今目の前に残っているのは、昭和38年の分からで、暑中見舞いの分と合わせていつのまにか相当の数になっている。暑中見舞いが、何となく転勤の挨拶を兼ねることが多かったため、ありきたりのものであったが、それに比べ年賀状はバラエティに富んでいる。
 印刷方法だけみても、ガリ版刷りのもの、版画で作ったもの、ワープロで作ったもの、写真を使ったもの、プリント何とかで作ったもの、ドットプリンターを使ったもの、レーザープリンターを使ったもの等々、器具や道具の歴史さえ示している。
 と同時に自分の心の動きや経済状態、その上家族の状況まで見えてくる。今見るとこんなものよく出せたなと思えるものさえあるが、それがその年の精一杯の努力であったことを知ると、自分のことではあるが微笑ましくなってくる。
 今年も出そう。

4.残り一月活用法 (1996.11.27)=自分=
 年の終わり、師走である。昔であれば数え年で年齢を数えるので、年を越すことは大変であった。ところが最近は満年齢で年を取るため、年を越す意義が薄れたように思う。
 第一、年末行事というものが少なくなった。ただ約1週間から10間ぐらいの休暇が取れる時期だというぐらいの実感しかない。普通の月ととくに異なるところがない。
 今年してしまうという感覚は、年度のことのような感覚があって、お役所も会社もほとんどが3月末が末日である。
 その中で唯一に近い締め切りが個人所得の決算である。私の仕事としては、この話と、給料をもらっている方の年末調整が中心になる。この1月、翌年ではできないことのためのアドバイザーに徹して仕事をしたいと思っている。
 その日1日、精一杯自分のできることをやり遂げさえすれば、それ以上のことは逆立ちしてもできないものである。普通の月と変わらずに仕事をすること、これが私の活用法である。

Posted by taichiro at 13:36

四百字随想その13

1.体 育 の 日 (1996.10.9)=自分=
           (平成8.10.9東京新聞夕刊掲載)
 体育の日は昭和39年の東京オリンピック開幕の日を記念して設けられたものである。
 ところが東京オリンピックはなぜ10月10日に開かれたか、ご存じだろうか。いろんな説があるが、私の独断では私の誕生日だからである。私は昭和10年10月10日に生まれている。おめでたい日だと思うが、とうとう祭日になってくれた。
 毎年来るこの日、国民がこぞってスポーツを通じて祝ってくれる。こんな有難いことはない。
 私はスポーツが健康のもとだとは思っていないが、スポーツができることは健康の証拠だと思っている。この日、何等かの形でスポーツができること、それを祝いたい。もちろん日頃からスポーツができることは素晴らしい。
 ただ健康でなくスポーツのできない方もおられる。そういう方がスポーツの限界に挑戦する姿を見て励みになるとすればそれも素晴らしいことだ。
 そういう意味で体育の日が存在すること。私の誕生日が役に立っている。

2.投  票 (1996.10.16)=政治=
 当たり前のことだが、投票することによって選挙は成り立つ。
投票をしないことを世の識者はなぜ政治不信というのだろう。またインタビューにそれに近いことをいう普通の人がいる。では、彼らは何を信頼しているのだろう。
 たいていそんな方はすごく立派なのかも知れない。それなら自分が政治をされればいいはずである。今立候補している中で選ぶ人がいないなら自分が立つか、自分が選べる人に立ってもらうことを運動すべきである。それをしないで政治不信だから選挙はしないという了見が分からない。
 またよくいう話で誰も彼も同じように選挙受けを狙って同じような公約をいうのでおかしいという人がいるが、なぜ同じ公約をしてはいけないのか。
 公約は平気で破られるというが、もしそれが事実なら分かり易いはずである。だまされて入れた候補者に今度は入れなければいい。
 私は必ず投票している。それはそんなに政治を信頼していないからである。

3.公約実行を迫る (1996.10.23)=政治=
          (平成8.10.23東京新聞夕刊掲載)
 公約は必ず実行されるものだろうか。私は悲観的ではあるが、ほとんど実行できないものが公約ではなかろうかとさえ思っている。
 少なくとも政権をとらない党の公約は実現不可能である。政権を取って始めて少なくとも実現可能となる。したがって実現不可能な公約を述べている場合、まず政権を取ろうとする意欲に欠けているとも言える。
 それよりも不思議なのは、反対党が与党に対して公約実現を迫っている場面が国会などでは多い。時の政権党が公約を実現しない場合は、とりもなおさず反対党の公約が正しかったと言える筈である。
 つまり、公約が対立関係にあるというのが常道であればそういう関係になり、国民にとって分かり易いのだが、日本の場合、そういうふうになっていないようだ。
 むしろ公約が実行された場合の逆波及についてもう少し議論すべきであって、場合によっては公約が実行されないほうがむしろ国民にとって幸せなのかも知れない。

4.恩  人 (1996.10.30)=自分=
 「一期一会」という私の好きな言葉があるが、最近、私は自分がお会いした全ての人が恩人であるような気がしてならない。
 小さい頃、銃剣を突き付けられたこともあるが、その兵士はそのまま刺しても構わなかったはずだが、なぜか助けてくれた。殴られたこともあった。だがその先生はなぜか手心を加えてくれた。侮辱されたこともあった。しかし、その侮辱を糧に必死に頑張ることができた。
 こうして考えると全ての方が恩人である。今この世にあるという事実がそれを証明している。
 その中で一人だけにしぼると私と家内を取り持ってくれた叔父である。今こうして子供を三人持ち、孫を三人持ち、そして今でも明るくたくましく生きることができているのは家内がいるおかげである。その家内を紹介してくれたのが叔父である。
 家内にも聞いてみた。君の恩人は誰だろう。家内は即座に答えた。「強いて言えば叔父さんね」。
 思いが一致した私は幸せである。

Posted by taichiro at 13:33

四百字随想その12

1.私の情報選択術 (1996.9.11)=自分= 
           (平成8.9.11東京新聞夕刊掲載)
私は情報というものを選択するという目であまり眺めたことがない。つまり、情報というものの性格を幅広くあらゆるものを自分のものにしようとしているのかも知れない。
情報を受入れる場合、自分を空っぽにすることを第一義としている。過去の知識や情報が場合によっては新しい情報の価値を不当に弱める可能性がある。したがって情報を客観的にかつ弾力的に受入れようと努力している。と同時に盲目的には受入れないことにしている。判断するのは自分だという気持である。確認をすることである。正面から見るだけでなく裏からも横からも見ることである。そしてフレッシュに自分のものにしてしまうということである。
つまり私の情報のアウトプットは常に自分の力でやっているつもりで、受売りをしたくないと思っている。もちろん事実関係などは確認するが、少なくとも考え方などは自分のものだと信じている。
強いて言えばこれが私の選択術である。


2.主   婦 (1996.9.18)=社会=
経済的にみた場合、平和時の産業はいかにして主婦の仕事を取り上げるかにある、と言われている。
日本の経済成長の大半は主婦の仕事を産業化したことにあるといっても過言ではない。つまり、電気洗濯機、電気掃除機、冷蔵庫のような大型のものから、冷凍食品、衣料品、それにタクワンのようなものまで、考えてみると昔は全部主婦が無料で汗水たらして仕事としてやっていたものだ。
それによってできた余暇を潰すためにテレビが普及し、エアロビクスやプールなどの余暇産業が生まれ、文化的な施設も増えてきた。
「主婦」。
今や最高に元気で溌溂とした存在である。有権者として考えても同じ権利を持ち、しかも男性のように右顧左眄することなく、清く正しくたくましく自分の信念で投票することができ、発言ができる。
優雅で熟慮することができ、文化的な享受を最大限に行ない、そして経済的な観念を必要とせずに行動できるもっとも幸せな存在である。

3.総選挙と民意 (1996.925)=政治=
待望の総選挙が間近に迫ってきたようだ。
首相が4度変わった。選挙制度も変わった。政党も変わった。これだけの変革がありながら総選挙は1度もなかった。不思議な国である。
政治家によっぽど自浄作用があるということであろうか。自らの力で民意に基づいて変革を遂げたと言えるのであろうか。
通常なら、どうだろう。これほどの変革をしたのだ。首相も変わった。みんな、その意味はわかってくれ。といって大々的に選挙に打って出て、その勝利を確信するはずである。
ところが日本ではそれがなかった。選挙で負けたわけでもないのに首相が辞職し、新たな首相がまた民意を問うたわけでもない。不思議である。
今また新しい党ができつつある。国民が望んでできた党ではないらしい。どこかの党に所属していたものが分裂してできたに過ぎない。
本当に新しいものはできないのであろうか。フレッシュで手垢のついていない人材は日本にはいないのだろうか。

4.新 聞 と 私 (1996.10.2)=自分=
「新聞」と私は深い関わりがある。
まず少年時代、私の生計と学費はすべて新聞配達で賄った。中学三年から高校を卒業するまでずーっと新聞配達をしていた。その間、共販時代から専売制度に切り変わったが、一種の戦国時代を味わった。
 仕事に就いてからは広報の仕事を八年間、続けたが、その間記者クラブとのお付き合い、それと部内報であるが、週刊で出しており、発行部数50,000部という新聞の編集に携わった。 もともと学生時代からできれば新聞記者になりたいと思っていた。現に1度、当時は小さい新聞ではあったが、採用試験に受かり、入るつもりであったが、公務員試験にも受かり、公務員になってしまった。
 私の常識の全ては新聞から受けているといっても差し支えない。
今またささやかではあるが、この投稿を通じて新聞に対して能動的に関わりを持っているような気持になっている。

Posted by taichiro at 13:30

四百字随想その11

1.こども受難時代 (1996.8.14)=社会=
     (平成8.8.14東京新聞夕刊掲載)
こどもは本来、いつの時代でも弱者である。人間の中で子供ほど弱いものはない。
その子供を保護することは親の本能的義務である。これは無知蒙昧であればあるほど、それに動物的本能に近ければ近いほどそうなる。ただし、この保護は独立したとき、どんな孤独にもどんな迫害にも耐えられる力をつけるための保護である。
そして強靱な体力と怜悧な頭脳と協業に耐える協調心を養っていくためである。この能力があるものだけが生き残っていく。
そういう教育を、今、家庭で本当に子供にしているだろうか。子供が労働力の一端を担っているだろうか。茶碗を洗うことも知らない、洗濯もできない、掃除もできない。ましてや便所掃除などとんでもない。ただ勉強さえしていればいい。それが教育だろうか。何の能力も持たないまま、数学ができたり、英語ができたりして一体何の役に立つのだろうか。
私の考える受難の最たるものは保護概念のはきちがえである。

2.O157と日本 (8.8.21)=社会=
     (平成8.8.21東京新聞夕刊掲載)
「O157」という表現、単なる記号で言葉として成熟していない。
流行り病がこういう表現で世間に流布されているところに今の日本の特徴があるような気がしてならない。何か不可思議なもの、そして冷たく感じてくる。
ただただ責任の追及みたいなものが行なわれ、何か発表されると大騒ぎをするだけである。どんなに一所懸命取り組んでいてもそのことをはっきりさせればさせるほど追求は厳しくなる。それなら分からなかったとか知らなかったとかそういう無責任な態度がたとえ何と言われようと正しくなるし、そうしたくなるような現象が日本にはある。
スケープゴードが見つかるとそれこそこれでもかこれでもかといじめ倒している。もう少し冷静にもう少しゆっくりともう少し暖かく事態を見守ることはできないものであろうか。
一種の思い込みのようなもので、未知のものに対する追求が激しすぎる。分からないことは分からないのである。

3.政治混迷に直言 (8.8.28)=政治=
     (平成八・八・二八東京新聞夕刊掲載)
今、政治が混迷していると言えるのだろうか。
混迷していない政治とはどんな政治を指すのだろう。どこかよその国で理想的な適切な政治をしている国があるのだろうか。そこには犯罪もない。貧乏もない。病気もない。戦争もない。そんなユートピアのような政治があるのだろうか。
何か事があるとすぐに混迷というが、本当だろうか。
確かに住専問題がある。沖縄問題がある。エイズ問題がある。O157問題がある。それに最大の問題は選挙。選挙も行なわれないで時の総理大臣が四人も代わった。それが混迷というのだろうか。
政党も分裂したり、併合したり、連立政権も何がなんだか分からないまま野党になったり、与党になったり、そのことが混迷と言えば混迷ではあるが、ではどうなれば混迷でなくなるのか。これほどたくさんの材料を提供してくれる政治は希有のことである。
こんな有難いことはない。国民は豊富な材料から確かな選択ができるはずである。

4.天災・人災 (1996.9.4)=社会=
「天災は忘れた頃にやってくる」という使い古された常套句があるが、これを人災に当てはめると、「人災は気が緩んだ頃やってくる」とでも言えるのだろうか。
よく天災と人災を対比したもののように言われるが、私はそうは思っていない。大きく言えば人災も天災の中の一部分であり、人為的な部分が大きいものを人災といっているのではなかろうか。
例えば鉄筋コンクリートの建物の中に住んでいるとほとんどの台風に対して災害を被らないが、木造家屋に住んでいると災害にあってしまう。ただ、鉄筋コンクリートでも薙ぎ倒すようなものが来れば、話が大きくなり、その堅牢性が災害を大きくしたように見せる。そうするとそれを人災と言い始める。薬の開発でコレラやチフスが少なくなって天災は少なくなったが、その薬による副作用を人災という。
この矛盾をわきまえないと人災と称するものを針小棒大に悪者にしてしまう気がしてならない。

Posted by taichiro at 13:23

四百字随想その10

1.私の情報源 (1996.7.3)=自分=
私は自分の情報源を子供においている。
今大学院に通っている娘を除いて2人の息子は、すでに独立しているが、彼らが小学生時代から彼らが欲しがるもの、彼らが興味をもつもの、彼らが学んできたもの、それらが私にとって情報源であった。結果的に長男はコンピュータの世界に入り、次男はバイオの世界から情報の開発に取り組んでいる。長女は演劇の世界を極めようとしている。
私にとってそれは現代そのものである。最先端の知識と常識と限りない好奇心を満足させてくれた。門前の小僧、経を読むという言葉があるが、私の場合、「門前の親父、情報を知る」というところだろうか。
私にとって情報とは、過去の知識ではない。現代というより未来に対する好奇心である。未知で不安定なものに対する予知能力といってもよい。弾力的で柔軟な考え方といってもよい。
既成概念にとらわれない楽しい情報源は子供の世界にあると信じ、それを活かしたい。

2.社会的弱者救済 (1996.7.10)=政治=
生き物の中で、本来弱者と言われるものが存在しているとした場合、生きることができないはずのように思われるが、そうでもない。
ライオンのとなりでウサギは嬉々として遊んでいる。だがウサギは決して救済を受けているわけではない。
ところが人間はそうは行かない。もともとここでも社会的という言葉がついているとおり、いつのまにか、どんな人間でも社会的存在になっているからである。つまり、自給自足のできない存在になってしまい、ごく一部の仕事を請け負うことによって貨幣に変え、その貨幣を使って 自分のほしいものを充足させている。
これが社会的弱者と強者を作る原因になっている。租税という存在が社会共通の経費を賄うためのものと言われているが、その中に社会的弱者を救済するためのもののウエイトが高まってきている。
しかし、本来の目的から言えば、救済を考えるよりも社会的弱者を作らないことが、本来の政治施策である。

3.心に刻んだ数字 (1996.7.17)=自分=
 「体育の日はいつか知っているかい」
 「10月10日じゃないか」
 「どうして10月10日なんだい」
 「知らなきゃー、教えてやろう。それは東京オリンピックの開会式の日なんだよ」
 「じゃー、どうして東京オリンピックはその日に開かれたんだろう」
 「?」
 たいてい、このへんで会話が途切れてしまう。そこで私はおもむろに発言する。
 「それはね、私の誕生日が10月10日だからだよ」と、分かったような分からないような落ちをつける。
 「私の場合、祭日に生まれたのではなく、私の誕生日が祭日になって、みんなで祝ってもらえるんだよ。それに珍しいことに昭和10年10月10日生まれだからね」
「1010」。実はこの数字、二進法でも「10」のことであって、私には縁が深く大事な数字である。

4.家   族 (1996.8.7)=自分=
 天涯孤独だと信じた男が一人いる。だが、どういう訳か、30を過ぎて妻を得た。
 子供が3人できた。そのうち2人は結婚した。子供が2人と1人できた。
 いま、その男には10人の家族がいる。男4人、女6人。全部、同じ姓を名乗っている。この間、たった30年足らずの出来事だ。
 波風もあった。生活苦もあった。しかし、この家族のあること、それは、この男を孤独から開放した。
 いま、この男にとって家族は宝である。そして生き甲斐である。
 人間にとって家族は必要ないと思っていた。生きるために邪魔にこそなれ、役に立つとは思っていなかった。ところが張り合いが違うのである。喜びがある。感激がある。そういうことで泣けることを知ったのだ。
 もう、いつ命を失っても悔いはない。引き継ぐ命の脈絡が明らかになっているからだ。
この男、それは私である。

Posted by taichiro at 13:17

四百字随想その9

1.消 費 税 (1996.5.29)=経済=
「消費税」は間接税である。つまり租税を実質的に負担するものと納税義務者が異なっていることを示している。
今、消費税は税率の引上げやいわゆる租税負担の逆進性などが問題になっているが、一番問題なのは、せっかく負担した消費税が滞納によって納税されないことがある。こういう問題は給与所得などに対する源泉所得税にも言えることである。
租税制度がどれほど精緻にできようと、公平であっても肝心の納税が行なわれない場合は絵に書いた餅である。ましてや、消費者が最終的に負担し、消費税そのものは、貴重な自分のお金から支出しているにもかかわらず、租税として収納されず、滞納者の自己資金に流用されていることはゆゆしい問題である。
今後負担率も高まるおりから、滞納者の一掃を図ることが必要であり、場合によっては消費税の滞納者は公表することにより、貴重な負担者の租税を流用している事実を明らかにする必要がある。

2.賞味期限 (8.6.12)=文化=
     (平成8.6.12東京新聞夕刊掲載)
「旬」という言葉があった。もちろん今でもある。ただそういうものを感じなくなったような気がする。
イチゴはいつでもある。それにシュンギクもほうれん草も。もともとお米だって新米という旬があった。それがいつのまにか、いつでも食べられるようになった。つまり、旬がなくなったのである。
代わりにできたのが、賞味期限。味気ない話だ。つまり味を見る力がなくなったわけである。ラベルを見なくては食べられるかどうか分からなくなっている。
もう少し経つとおいしいか、不味いかまでラベルに頼ってしまうのかも知れない。一種のブランド思考みたいなものである。もともと食べ物は新鮮なもののはずである。人工的に新鮮さを保ち始めたとき、賞味期限が必要になってきた。そして、味音痴になってきた。自分の力で賞味期限が分からなくなるのは実に寂しい。
私はできる限り賞味期限を見ないで、自分の舌で感覚的に味を確かめ旬を知りたい。

3.アトランタ五輪 (1996.6.19)=社会=
オリンピック。世紀の祭典。血沸き肉踊るスポーツの最高の戦い。そんな言葉があふれ出しそうな雰囲気であるが、最近、いつのまにかそういう感激が薄れてきたように思う。
もし、それを強く感じたのは東京オリンピックであろうか。あれから約四半世紀が経っている。その間日本は変わった。発展途上国から成熟した国になってきた。バブルが弾け妙にとり済ました国になってきた。それが熱狂を呼ばなくなったのだろうか。
自分が年を取ったせいかと考えるが、子供たちもそんなに気にしていない。しかし、世界にはまだまだ小さい国もある。それに経済的にも恵まれない国もある。そういういろんな世界というか国を知る機会が、このオリンピックにはある。
そういう意味でやはりお祭りである。もうそんなにナショナリズムに駆られた興奮はしたくないが、いろんな人々を知り、いろんな生活を教えてくれるという意味で、アトランタ五輪に期待をしている。

4.忘れ得ぬ出会い (1996.6.26)=自分=
 「ありのままこの人生を愛し行かむこの心よしと頷きにけり」。
これは私の中学生時代の恩師が、四十何年ぶりに転居祝いとして掛け軸にして送っていただいた言葉である。
私は中学時代、家出をした。しかし、家出をした先で中学にだけはなんとか通っていた。そこで出会った先生である。先生は英語を教えていた。子供心にへたくそな英語だと思っていた。とにかく日本語英語といってよかった。発音などなっていない、単なる逐語訳しかしない。
ところがその先生が書道も教えていた。この書道はすごかった。家出少年のどこがよかったのか、書道の特訓を受けた。手は叩かれる、姿勢は直される。それは激しいものだった。反発も感じたが、それでも何とかついていき、とうとう県の揮毫大会にも出させていただき入賞した。一年余りの出来事。
それ以来一度も会っていない。だが私の人生にこれほど影響を与えた方はほかにいない。

Posted by taichiro at 13:12

四百字随想その8

1.ダイエット (1996.5.8)=文化=
自然界の中で、肥満体と称するものがいるのだろうか。仮にいたとしてもダイエットというものに取り組むだろうか。
そんな無駄で贅沢なことをするのは人間だけである。何故そうなったのであろうか。つまり、必要なものを必要なだけ食べるというごく当たり前のことができないからである。生きて行くためにはエネルギーが必要である。エネルギーのために食べなくてはならない。
だが肥満のために食べる必要はない。美味であるとか、珍味であるとか、そんな理由でほしくもないはずのものを食べる。甘いものというだけで食べる。カロリーがどうのとか、蛋白質がどうとか、脂肪がどうとか、そんなことを考えている動物がいるのだろうか。おそらく考えてはいないはずだ。
私も実は一度も考えたことはない。ご飯に一汁一菜を原則としている。筋肉労働をしていないので、塩分は少なめである。その結果、生まれてからこの方標準体重をはみだしたことはない。

2..公的介護保険 (1996.5.15)=経済=
     (平成8.5.15東京新聞夕刊掲載)
介護という意味がいつのまにか老人問題にすり変わっているような気がしてならない。介護は、身障者の問題でも通常の病人の問題にも繋がる話だが、今議論されたり、制度化しようとしている問題は、老人介護に限定されているようだ。
老人問題であるなら本来高齢化社会に対応するための話で、公的とはどういう意味であろう。消費税が導入された趣旨は確か高齢化社会に対応するための税制であったはずだが、高齢化社会に対応する施策の中には老人介護の問題は大きな要素になっている。
今、保険という名がついている。なんでも保険という名称がついてしまうと生命保険、傷害保険や火災保険などの任意のものと、強制されている国民健康保険、自賠責などとの区別が曖昧になってくるが、それと同じような現象がまた起こることを意味する。強制的なものは租税とすべきではなかろうか。
言葉の曖昧さが問題点を曖昧にさせているような気がしてならない。

3.嫁としゅうとめ (1996.5.22)=社会=
本来の嫁としゅうとめの関係は家の存在に大きく関係している。
ところが現代では家の存在が本質的には希薄になっている。名目的には苗字があり、如何にも家の存在があるようだが、特に都会では親の家族と子供の家族が一緒に暮らすことが少なくなっている。
 そうすると親にとっては息子の家族が一種のお客に近い関係になっており、ましてや息子の妻は嫁と言われる存在でありながら親の家の仕来りや家事の方法など知らなくてもいいし、また親も教えようとしない。
 現在、私にはいわゆる「嫁」と言われる長男の妻と次男の妻、二人がいる。それに私の妻は「しゅうとめ」である。しゅうとめにあたる妻は、長男である私の妻でありながらしゅうとめに仕えたことはない。こういう中では新しい「嫁としゅうとめ」の関係が出来上がる。一見冷淡な関係である。
あなたはあなた、私は私という新しいユニークな関係である。

4.極東有事 (1996.5.29)=政治=
「極東」という言葉、いつごろから使われているのだろうか。
私の記憶では終戦直後の「極東軍事裁判」というものをすぐ想像する。いずれにしても日本が極東に位置していることは間違いないであろう。
ところが今や日本だけが極東というのではなく、中国、東南アジア、オーストラリア、韓国、北朝鮮、ロシアを含み、もしかすると、インド、中近東まで含む広い範囲になってきているのかも知れない。つまり、アメリカ、ヨーロッパを除く範囲だとも言われかねない。
抽象的な言葉で安全保障の問題が議論されているが、私は、純粋に日本の立場から考えるなら、アメリカからの安全保障と考えたほうがいいのではないかと思っている。この保障条約によってアメリカからの脅威が防がれているという意味である。
極東有事の議論の中に日米の紛争が想定されていないが、これこそ最大でしかも最重要な問題である。アメリカから見れば極東の意義は正に日本である。

Posted by taichiro at 13:08

四百字随想その7

1.スポーツ (1996.4.10)=社会=

一般的にスポーツは健康のために必要なことだと言われている。健康という定義にもよるが、もし、長生きすることを健康というなら、スポーツは余りしないほうがいい。まずスポーツ選手で長生きをする人はいない。長生きをしている人にスポーツをやっている人はまずいない。現に金さん銀さんがスポーツをしたという話は聞いたことがない。
私は決してスポーツが嫌いではない。しかし、私はスポーツができることは健康である証拠であって、健康を維持するためではないと思っている。変な言い方かも知れないが、煙草を喫むことは健康に悪いというが、煙草を喫めるということが健康な証拠であって、煙草も喫めないようなら不健康な証拠だと思っている。
ただ人がやっているスポーツを見て人間の限界のようなものを見せられるとき、一つの感動を覚える。しかしそれは限界に挑戦する姿が素晴らしいのであって、健康の素晴らしさでも何でもない。

2.乱れる日本語 (1996.4.17)=文化=
 「ら抜き言葉」や漢字の勝手読み、それに語尾の曖昧さなどを挙げて言葉の乱れを問題にするのが普通だが、これはいつの世にも起こることではなかろうか。
試みに50年前の新聞を見るといい。当時のものと今の新聞とは相当に違う。戦前の辞書を見るといい。今では読み難いことおびただしい。まさか当時の新聞や辞書が乱れているわけではないから当時から見れば今の日本語はずいぶん乱れたものとも言えるであろう。それに外来語の日本語化、専門用語の一般化などでカタカナ用語の氾濫など識者と称する人から見れば、ついていけないほど言葉は増え、複雑になってきている。
TPOなどの省略用語は言葉でないとか、ボールペンはボールポイントペンというのだとかいう人がいるが、それは過去の亡霊にすがっている人に過ぎない。
乱れても乱れても生き残る言葉が美しい言葉であって、目くじらを立てることがおかしい。

3.国民総背番号制 (1996.4.24)=社会=
     (平成8.4.24東京新聞夕刊掲載)
人間が他と区別する方法に姓名がある。ところが姓名だけでは同姓同名もあり、他と区別ができなくなる。そこで住所、年齢、職業を書く。
そして自分が自分であることの証明に印鑑証明や自動車の免許証等を見せる。その自動車の免許証や納税者番号、預金通帳や保険証書、自動車、電話などの登録、パソコン通信のコードナンバーなどにそれぞれ、結果的には番号を付けている。これらを一つに統一するのが国民総背番号制である。
私は賛成である。反対意見の中に必ずといっていいほどプライバシーの侵害ということが言われているが、それは何を隠すためであろう。名前だからとか番号がそれぞれ違うからプライバシーが守られているという論理にはならない。
本質の違うところで議論されているような気がしてならない。利便制を大いに享受し、プライバシー問題は別の観点から保護すべきものであって国民総背番号制がその責めを負うべきものではない。

4.初  夏 (1996.5.1)=自分=
5月、雪が消えて白の世界から黄土色の世界に変わり、微かな萌黄色の草っぱが目を楽しませてくれた。太陽は限りなく目映く生きとし生けるものを暖かく包んでくれた。
まだ僕は生きているんだ。手足にはかさぶたができ、凍傷に痛んだ小指はほとんど動かない。風呂に入ったのはいつごろだろう。着のみ着のままの綿入れはほとんどおんぼろだ。でも僕は生きている。
戦いがあった。目の前で炸裂していった友達がいた。白兵戦で刺し殺されていく兵隊がいた。飢えと寒さで道端には死体が転がっていた。だが雪は全てを覆い隠していく。白の世界、きれいだが残酷な世界だ。食べ物はない。そして冷たい。
そのひと冬をどうやって乗り切ったのか記憶は定かでない。ちょうど50年前、昭和21年のことだ。私は10歳。かつての満州、今の中国東北地方。母に死なれ、父と生き別れ、一人で味わった初夏の感激。
いまだに忘れ切れない強烈な印象である。

Posted by taichiro at 12:29

四百字随想その6

1.確定申告 (1996.3.6)=社会=
今、所得税の確定申告真っ盛りの時期である。税務署に行くとこんなにもと思うほどたくさんの人が来ている。
税務署の肩を持つわけではないが、この時期の職員の忙しさは並大抵のものではない。しかも検算や内容まで検討しなければならないのだから、納税者がいなくなった後も大変なようである。
そういう中で、住専問題が持ち上がり、ごく少数の人であろうが、税法にない控除としてその問題の1人当たりいくらというようなことを対象として確定申告をする人がいるらしい。
自分の主張の表明の一つとしての戦術かも知れないが、賛成できない。結局は法律にないことで税金は徴収されることもないはずだし、また返してくれることもない。
その結果、明らかに過重な仕事を税務職員にさせることになり、本来の脱税者の摘発などの仕事に齟齬を来すとすれば、その損失は莫大ではなかろうか。賢明に考えるならそういうことはできないはずである。

2.情報公開 (1996.3.13)=社会=
「情報」って一体なんだろう。
人がすべて知っていることでも知っていない人には貴重な情報である。逆にほとんどの人が知らないことでも知っている人には大した情報ではないのかも知れない。
こういうふうに考えると、「情報」とは知らないことを知ることとも言える。しかし、どんなに情報を知っていても、その使い道を知らない人には、猫に小判とも言える。そういう場合、つまらない情報を知っていることは必ずしも幸せなことではない。例えば芸能人のゴシップなど知っていることが何の役に立つのだろうか。
ただ、人間はあんまり役に立つ情報よりも自分に役に立たない情報を知りたがる厄介な性質がある。つまり人の不幸を喜ぶというようなことである。
これがプライバシーの保護に繋がる。情報の公開というテーマには必ずこの問題が立ちはだかるのではなかろうか。
つまり自分の情報は知られたくないが、人の情報は知りたがるという矛盾である。

3.地方分権 (1996.3.27)=政治=
日本は地方分権を敷いていることになっているが、本当の意味で地方分権と言えるのであろうか。
都道府県があり、市町村があり、それぞれ知事を持ち、市町村長も存在し、財政も独立しており、選挙も行なわれている。この限りにおいて、整然と組織的にも地方分権の見本のような制度になっているが、その内容というか、実体は違っている。
まず財政的に見ると、地方交付税という国が負担する収入が圧倒的に多い。そのため、この収入の分取り合戦が激しく、国に対するご機嫌伺いのような慣習が生まれる。次に人的な意味で、副知事や助役など事務方のトップは国の官僚に依存する場合が多い。こうなると地方自治体は、国の下請け機関のような存在になってしまう。
このように形式と実体が遊離してしまっていることが問題ではなかろうか。この狭い日本で本当に地方分権が必要なのだろうか。実体に制度を合わせるほうが合理的だと私は思っている。

4.新 学 期 (1996.4.3)=自分=
4月。私たちはいつのまにかこの月を新しい年のスタートと考えている。
これは国の会計年度や会社の事業年度がほとんど四月から始まり、3月に終わるという現象からというより、学校の新学期が4月から始まるということに影響されている。同期生とか、先輩とか後輩の関係もそうである。
 ことほどさように新学期というのは心が浮き浮きする時期なのだが、その時期が桜の開花の時期であるということもいい。
 子供を3人育ててきたが、入学式に何回出たであろう。幼、小、中、高、大、大学院と私は皆勤したつもりだが、その度に感激を新たにした。その度に私自身が何かを学びとってきた。
桜の下で今年一年の誓いを立てること。そのスタートが新学期だ。よその国では9月に始まるところがあり、留学ではかみあわないところがあるが、この4月に始まる新学期は大事にしたいと思う。

Posted by taichiro at 12:25

四百字随想その5

1.税金の使い方 (1995.2.7)=経済=
(平成8.2.7東京新聞夕刊掲載)
一人一人ではできないことのために使うお金。大胆に言い切ってしまうと「税金」とはこういうものであろうか。道路、公園、教育、防衛、外交、福祉、環境等々。そういうものが予算という形で、立法機関で審議され、国民のために使われる。大義名分である。
ところが、今回の「住専」のような問題が起こると果たしてそれは一人一人ではできないことのために使うと言えるかどうかである。損失が大きくなると、国が面倒を見、小さければそんなことは知らないではおかしいというのが素朴なみんなの気持ではなかろうか。
「住専」の資金で本来ならそんなに高くはならなかった土地を不当に高く売った人たちがいるはずである。現在地価が下がっているなら、その土地のかっての売却者である。
確かに儲けには税金を払っているだろう。しかし、不当に儲けたものに対しては返還を要求するぐらいの施策を講じた上で税金に頼らないと国民は納得できない。

2.こんな明るい話 (1996.2.14)=自分=
3か月前から僕は庭付3階建ての1軒家に独りで住んでいる。しかも東京駅から2キロもない便利な場所だ。
冷暖房付で食事は食べたいときに必ず出てくれるし、好きなものしか食べない。栄養満点のものを少しだけ食べて、柔らかいものや油っこいもの、甘いものは絶対に食べない。飲物は水しか飲まないし、第一、コーヒーやお茶やそれにお酒やビールを飲む奴の気が知れない。食べた後は必ず歯も磨くし、体もきれいにする。一寸でも汚いものがついていると神経に触る。
だからと言って運動をしないわけではないんだ。運動をするときは精一杯庭中飛び回るし、土の中だって潜るし、天井だって捕まって歩くんだからすごいだろう。眠るときは一所懸命寝る。夜更かしなんて絶対にしない。
本を読んだり、テレビを見たりしてやりもしないことをやった気になって喜んでいる奴の気が知れない。特にあのパソコン、何がおもしろいのだろうね。
(我が家のリスの独言)

3.“住専”責任問題 (1996.2.21)=社会=
「責任」という言葉の意味がはっきりしないまま「住専」の問題では議論されているような気がしてならない。
昔は「責任をとる」という意味は、日本の場合、切腹であった。まさか、この現代に切腹しろとの責任ではないのであろう。では、辞めろという意味であろうか。責任をとって大臣を辞めるとか、社長を辞任するという意味の「責任」を追求しているのだろうか。
貸し借りの場合、借主は返す義務がある。この義務を責任という。貸した責任というが、返す当てのないものに貸すという行為は、寄付行為の一つとして税務では解釈されている。
大蔵省や農林省の責任が追求されているが、仮にその責任が明らかになった場合、どういう形で責任を果たせというのだろうか。
責任をとるという意味をはっきりさせて責任を追及しないと、借主でさえ、俺が借りたのは誰彼のせいで俺には何の責任もないという不思議な現象が出てくるような気がしてならない。

4.選挙でお返し (1996.2.28)=政治=
選挙でできること。それは1票を特定の候補者に入れることだけである。
幸いにして、私が支持した候補者に裏切られたという思いはない。ただし残念ながら落選したことはある。落選した候補者に投票したということを死票というが、私はそんなことはないと思う。その票の数が、当選した候補者の行動を束縛する。
よく、政治不信が投票率の低下を招き、明らかに一つの意思表示だと偉い評論家の方が述べているが、私は賛成しない。
本当に政治不安定で、政治不信であったら、棄権なんてできっこない。唯一、それしか意思表示ができないのだから、投票率が上がるのは自然の理であり、他国の例を見ればわかる。
日本の場合、誰がなっても大した変わりはないという逆説的に見れば政治信頼の表れが、投票率の低下に結びついている。
支持する人に投票をする。その信頼した人に裏切られたとき、相手候補を支持する。
たったこれだけが選挙でのお返しである。

Posted by taichiro at 12:20

四百字随想その4

1.新年 私の誓い (1996.1.10)=自分=
60年間、私は何を誓い続けていたのだろうか。
あるときは、学業の向上を、あるときは、出世のようなことを、あるときは、世界の平和を、あるときは、健康を、そんな誓いをいつも抱いて、そして小さな達成感と空しい挫折感を得ていた。
 今、私が誓えること。それはその日その日を大切にすること。そしてその日1日、悔いがないとき、私は安らかに眠ることができる。これは、私の健康法にも通じている。
 悔いと悩み。悔いは、過去のことをくよくよすること、そして、悩みは将来のことをくよくよすること。この二つ、現在にとって何の役にも立たない。2度と取り戻せない過去は早く忘却の彼方に捨て去ること。そして明日1日のことだって予測してもその100分の1も当たらない未来のためにあたら現在を疎かにしたくない。
この易しそうで難しい命題に、今年も挑戦し、私の誓いとしたい。

2.政界再編 (1996.1.17)=政治=
     (平成8.1.17東京新聞夕刊掲載)
 今、国民に見える意味では、新進党と自民党に大きく再編されている。そして、自民党にくっついているのが、社会党とさきがけ。新進党は、かっての公明党と民社党と日本新党と自民党脱党者。
 よく分からないというのが、正直なところ、私の感想になる。最近、党首になるために党内選挙があって如何にも民主的に選ばれているように見えるが、そういうものだろうか。
 私が考える政党は、非常に優れた政治家がいて、その政治家の考え方、行動、思想に共鳴して参集するという図式である。つまり、私の考えについてくる人、この指止まれ方式である。したがって、党首と党員には対立はないという考え方である。
賛同できない党首の元には、集まる必要はない。たった一人でも党首になるという気概である。もちろん、そのためには妥協も必要である。
この原点に立った政界再編が政治を分かり易くさせる。

3.懸案解決の妙手 (1996.1.24)=政治=
もともと簡単に解決の方法があるものは、「懸案」とは言わないのであろう。したがって、すでにある解決方法や過去の分析による妙手と言われるものはあるはずがないという前提でものを考えるべきである。
囲碁や将棋では妙手というものが存在しているように見えるが、これも実は打ってみて成立したときに妙手と言われているだけで、その妙手が生まれるまでに数限りない駄手が生まれて失敗を繰り返した結果ではなかろうか。
ただ、これが政治の問題や生活の問題になると失敗というものは致命的なことになる。こういう場合、妙手と言われるものが実験的に行われることは非常に危険なことである。
一か八かということが言われることが多いが、これは単なる勝負事か、遊び事の場合では許されるが、生活に密着した政治の世界や外交問題でそんな妙手を考えることはたいへん問題があると私は考えている。
地道に一つ一つ解決していくこと以外に妙手は存在しない。

4.政官界の責任感 (1996.1.31)=政治=
(平成 8.1.31東京新聞夕刊掲載)
政界というかたまりはあっても本当に官界という世界はあるのだろうか。
現在、官吏という職業はない。あるのは公務員という国民の奉仕者がいるだけである。奉仕者が何かを牛耳っているという錯覚が官界という言葉に繋がっているのではなかろうか。
責任感という言葉はきれいだ。しかし、責任感の裏返しは場合によっては権威主義になる。責任感に基づいた施策は絶対的なものになりかねない。この施策は最善で最良のものである。これ以上のものは有り得ないという考え方である。
従って批判はすべて間違ったものになる。間違っていなくともそれは狭量な判断によるものであるということになる。
私はこういう責任感は捨ててもらいたい。国民に対して謙虚であってもらいたい。そして忠実な国民の僕に徹することが公務員の責任である。
そういう意味で政治家はイニシャティブを公務員に対して発揮すること。それが本当の意味での政治家の責任感である。

Posted by taichiro at 12:13

四百字随想その3

1.為替相場と生活 (0995.10.25)=経済=
    (平成7.10.25東京新聞夕刊掲載)
1ドル360円の固定レート時代を知っている私にとって、最高79円になった円高は、本質的には、相当な裕福感でなければならないはずだが、そういうふうに感じていない。
それはバブル時代が象徴する土地と証券に反映された結果だと信じている。国民所得論における日本の土地の価額が、アメリカの国土の4倍にもなっているという常識的には考えられない現実を理屈の上では容認している事実からも言える。
つまり、為替相場というものが、実は円そのものの仕組の中に存在していることになる。例えば、3,000万円の退職金の値打ちが、地方都市では一寸した土地と建物を取得できるが、東京では1DKのマンションですら取得できないかも知れない。
1人当りの国民所得が世界一になったとか何とか言われているが、物価の仕組が為替レートと直接的に反映していない以上、本当の意味で生活感の向上は期待できない。バブルが弾けた今、真剣に考えたい。   
    

2.十二月八日の教訓 (1992.12.6)=自分=
 「12月8日って何の日?」と子供に聞いても「さー、何の日だっけ?」としか返ってこないほど、何となく風化している。もっとも私でさえ、6歳頃の話、54年前の出来事である。私には「大東亜戦争」、歴史的には「太平洋戦争」勃発の日である。
 今年の初め、ハワイに行く機会があった。着いてすぐパールハーバーを訪ねた。日本人が殆ど、それにアメリカ人が交じっている。どういうものか私には直視できない感慨を覚えた。しかしほかの人は無邪気に記念写真を撮ったり、語らいを続けていた。
ところが、歴史というものを紐解くと必ずといっていいほど戦争というものの連続である。しかもたいていの場合は平和を求めて止むに止まれず戦いをしたことになっている。平和は戦いをしないという単純なことなのにそうなっている。
この矛盾を教訓に、不戦の誓いを立てたい。もっとも「矛」も「盾」も戦いの道具である。

3.いじめ防止策 (1995.12.13)=社会=
 「いじめ」の中に大きく分けて二種類がある。精神的なものと肉体的なものである。
 私は、この二つを峻別して対策を講じるべきだと思う。なぜなら、精神的ないじめは本当は個人を高めていくもので、決して悪いものではない。精神的ないじめに対して自分を反省するか、それとも孤高を守っていくか。それは正に個人の選択である。無視されたぐらいで参ってしまうかどうか。口で言われたぐらいでしょげてしまうか。ここにそんなことでは負けてしまわない強靭な神経を養うのが、教育といっても過言ではない。と同時に他人に対する思い遣りの必要性を教えるべきである。
ただし肉体的ないじめは犯罪である。どんなに子供であっても人を傷つけたり、脅迫したりして、人間を奴隷的に扱うことは明らかな犯罪である。
犯罪は告発すべきである。学校とか、まだ未成年であるとかの理由で犯罪を容認すべきではない。

4.年の瀬今昔 (1995.12.27)=季節=
「大掃除」「餅つき」「正月の飾り付け」「借金の清算」等々……。思いつくような年の瀬の行事が都会生活の雑踏の中でだんだん薄れてきているような気がする。
戦後の記憶から考えてもジングルベルの狂騒、大売り出しに釣られての人込みなど、そういうものにも何となく浮かれなくなってきている。つまり、年の瀬と新春のけじめがつかなくなっているのだろうか。
わたしはこういうふうになってきた原因の大きな一つとして、年齢を「満」で数え出したことにあると考えている。昔は、正月には一つ年をとった。年の瀬にやり残すことは大変なことであった。次の年齢まで持ち越すことになるのだ。それが全員いっせいに年をとるのだから目立つことこのうえもない。
今は誕生日を知っている人にだけわかることだ。 変な言い方かも知れないが、これが「けじめ」をつけない風潮を煽り、年の瀬の行事が廃れてきた要素だと思う。

Posted by taichiro at 12:04

四百字随想その2

1.政治家と官僚 (1995.11.8)=政治=   
官僚という言葉というか響の中に、どういうものか、専制、秘密、煩瑣(ハンサ)、形式、画一(広辞苑による)というイメージがあるようだ。
ところが現在の官僚は、本来国民全体の奉仕者であるべき公務員しか存在しないはずである。にもかかわらず、イメージが悪いのはなぜだろうか。それは、政治家が選挙で選ばれ、それぞれの主義主張によって、当選し、また落選することがあっても、行政を司る公務員は、身分が保障され、行政を牛耳っているからである。
アメリカでは、政権が入れ代わる場合、相当数の行政の長が入れ代わっている。日本でも閣議了承ポストと言われる官僚ポストは入れ代えることができるようになっているはずだが、ほとんど入れ代わっていないのが現状である。
イニシアティブを本当に政治家が発揮すれば意味が相当変わってくる。そうなると選挙民はおちおち棄権などはできなくなってしまい、緊張感に満ちた行政になるが、混乱は避けられない。

2.挨  拶 (1995.11.15)=文化=
「過去形は現在の否定である」という話を、聞いたことがあるが、最近の挨拶の中で、というよりテレビのアナウンサーや司会者の言葉の中で、過去形の挨拶が多く、私には耳障りに聞こえて仕方がない。
「ありがとうございました」「おめでとうございました」。まさか「お早ようございました」とか「こんにちはでした」とは言っていないようだが、どうも気になる。
 今はありがたくはないけれど、その時はありがたかった、と言うつもりなのだろうか。また、現在は何にもおめでたいことはないけれど、あのときはおめでたかった、とでも言いたいのであろうか。
挨拶は、通常、定型的なものである。しかし、その定型的なものの中に、暖かさとか、思い遣りとか、感謝とか、そういう言外の言葉を含んでいるはずだ。
過去形の挨拶の中にそういうものが感じられない私の感性は、どこかおかしいのであろうか。

3.年 賀 状 (1995.11.22)=季節= 
 ここ、二、三年、年賀状を出す数は、だんだん増えて1,200枚ぐらいだろうか。私は、年賀状礼賛者である。よく虚礼廃止論者が槍玉に上げる第一に年賀状を取り上げるが、年賀状を虚礼だと思ったことはない。虚礼だと思う人は出さなければよいのである。
 平凡で何も書いていないものであっても、そこから見えてくるその人に対する思いは、格別のものがある。第一、その方が亡くなられた場合には、絶対に賀状は来ない。
 一期一会というが、賀状がその一会を解いてくれる。私の遣り取りの中には小学生時代の友人もいる。しかもその友人とは五十年間会ってはいない。それでも続く賀状の遣り取りで、私は無二の親友と思っている。
私自身は、自分の情報をできる限りちりばめた年賀状を作っている。そのことが自分をあらゆる意味で制御してくれることになる。私にとって年賀状は年中行事の中で最大のものであり、楽しみである。

4.当世、国語談義 (1995.11.29)=文化=
 「じゅうふく」「そうさつ」「そうきゅうに」など、思いつくままに上げても読み方がおかしいものが、相当にある。
しかも人の上に立つような教養のありそうな人たちが、平気で昔流でいうなら「××読み」を堂々とされると、こちらがおかしくなってくる。
 「重複」「相殺」「早急に」は、それぞれ「ちょうふく」「そうさい」そして「さっきゅうに」という。「貴重品」を「きじゅうひん」「丁重」を「ていじゅう」、「早速」を「そうそく」とは読んでいないようだから、漢字どおり読めばいいという理屈はない。
 「重」という字には、重いという意味と重ねるという意味があり、原則的には重ねる意は「ちょう」と読んだというようなことを、どうも国語の時間には説明しないようだ。せめて新聞にルビがあれば、ずいぶん違う。
もっとも、「しょうこうする」と言っても「消耗する」の本来の読みだとはほとんどの人が知らないのが現状だ。

Posted by taichiro at 11:57

2000年02月14日

四百字随想その1

今から15年も前に書いた「四百字随想」の内、今でも耐える考え方を皆様の参考に供します。ご意見、ご叱正をいただければ幸甚に存じます。

1.私の防災対策 (1995.8.30)=社会=
私の防災対策は「何にもしないこと」である。
いろんな対策がいろんな形でいろんな人達から提唱されているが、いざというときに何の役にも立ちそうにない。それほど自然災害というものは人知を超えたものである。
一番大事なことは、自然に逆らわないことである。なるようになる。動かないことである。逃げ出したり、なんとかしようという気持がほとんどの場合、災害を大きくしているようである。
我が家で用意していることはポリタンクに20リットルの水を用意していることだけである。これは毎日風呂の水にしている。したがって新鮮な水である。水が20リットルあれば、1週間は家族3人生きられる。1週間経って助からなければ、大体終わりと考えていい。
自分が動ければその間、一所懸命人を助けることに従事しようと思っている。臨機応変、沈着に対応するという気持だけで十分だ。したがって防災対策のためにいっさいお金はかけていない。

2.今一番大事な事 (1995.9.13)=文化=
 今一番大事な事、それは「文化を見直すこと」である。
人間が文化(CULTURE)を考えたのは、野蛮(SAVAGE)に対比したものとして真剣に取り組んだものと信じている。消費するものを作り出すという本質である。
現代文明は、それをどこかで取り違えている。作り出すことのできないものを勝手にあらゆるところから取り出し、元へ返すことなく捨て去っている。最も典型的なものが、石油である。現代の生活の中で石油製品ほど出回っているものはないといえるが、石油そのものはだれも作っていない。
これが文化といえるだろうか。しかもその石油製品をとことん使い切るならいざ知らず、ほとんど使い切っていない。これは、せっかく丹精込めて作った草花を踏み荒らすだけとどこが違うのだろうか。
取り尽くし主義を野蛮だとし、耕作することを文化とした人間の英知はどこにいったのだろう。消費するものを作り出すという「文化」の本質を忘れてはならない。

3.私の読書 (1995.9.27)
 私は本が好きだ。だからといって全部買って読むわけにはいかない。
そこで考え出したのが、速読である。本屋を見つけると一寸でも入る。1冊の本を2分間で読むのだ。目次、はしがき、あとがき、そして触りの部分。たったそれだけのことでその本を読んだ気になるのだ。小説もある。経済書、実用書、法律書、それにベストセラー。乱読といっていい。
そんな私が、和久峻三さんの本は、悉皆的に集めたことがある。それは丁度裁判の仕事に携わっていた時代であった。いろんな法律書も読んだが、それよりも和久さんの小説を読んでいたほうが、おもしろいということが大きな要素である。そのおかげで、たった2年間であったが、10年間ぐらいの法廷経験を持ったような気にさせられた。
今、2,000冊ぐらい自分で持っているようだが、速読のおかげで、たぶん20,000冊ぐらいは読んだことになるのだろうか。
本のおかげで自分の知識があるといっても過言ではない。

4.米 軍 基 地 (1995.11.1)=社会=
アメリカは日本以外に他国に対してどのくらい「基地」を持っているのだろう。不幸にしてその内容をよく知らないが、少なくとも日本は他国に対して軍事基地は持っていないようだ。
ほかの国はどうだろう。仮にほかの国だって自国以外に軍事基地を持っている場合、その国とどんな関係にあると言えるのだろうか。少なくとも対等の関係とは言えないのではなかろうか。
つまり、その「基地」の存在は、占領状態と言っていいはずだ。今、日本にアメリカの軍事基地があるということは、その軍事基地の範囲でその場所は占領されたままの状態であり、治外法権の世界である。それに近い状態では大使館の存在があるが、この場合、相互に存在するのであって一方的なものではない。日本が本当に独立国と言える状態でないことを示している。
と同時に戦争を放棄して日本軍はいないが、米軍は存在しているという日本の状態が、他国に与える影響は強大である。

Posted by taichiro at 18:40

2000年02月12日

浮き立つような賑い

◎第106回【明治神宮から駒場まで】
 2月12日、快晴に恵まれて明治神宮北門前に午後1時、58人が集合。会長より鷹取山参加に関する説明の後、軽い準備体操。
 A班より順次出発。C班はM.Nさんの先導のもと西参道を通り明治神宮本殿に参拝。原宿口より代々木公園に入り渋谷口まで直進(他班は恋人達の森など回遊)。春めいた陽光に誘われて多くの人々が集いフリーマーケットや楽器を演奏する若者……、本当に浮き立つような賑わいの中を歩く。

 NHKスタジオパーク前を通過、公園通り、スペイン通り、東急文化村側を歩くが、あまりの混雑に仲間を見失いそうな不安を感じた。
 途中、松濤美術館を見学。2時25分出発、山手通りを駒場公園に向かう。2時55分公園に到着。紅梅、白梅が満開に咲き誇り、芝生では子供たちが遊びに興じるのどかな風景の中で軽い体操の後、解散。
 各自、旧加賀藩前田家屋敷に上がり大名の華麗な生活を偲び、また本邸であった洋館の建物の豪華さに感嘆。今は近代文学館として使用され、展示されている明治、大正、昭和の著名な文学者の生原稿、初版本、消息を伝える新聞雑誌の記事等、興味深く拝見。見学後、代々木上原まで歩き、いつもとは一味違う満足した気分で家路についた。
=約12キロ=      [M.G 記]

Posted by taichiro at 14:11

2000年02月07日

四百字随想その52

1.ハッピーマンデー
(二〇〇〇.一.一七)=社会=
 どうも三連休になることをハッピーマンデーというらしい。成人の日と体育の日が月曜日になったためらしい。ところが、日にちが動くのがどうも気にかかる。私のように十月十日生まれで、自分の誕生日が体育の日になったと喜んでいたのに、もうそんな僥倖は七年に一度しかなさそうだ。それに成人の日の前日までに成人になった人を祝うはずだったのが変わってしまう。年によって日付が変わるのはどうもなじめない。いっそのこと、暦の考え方を変えてしまったらどうだろうか。元旦の考え方、いろんな国で違うことを日曜版で知ったが、その中で興味があり合理的であったのが、三十一,三十,三十と三か月単位で日数を決め、年に一日だけ(閏年は二日)ナショナルデーとする暦。これだと曜日と月日が常に一致する。こうなると正にハッピーマンデーになり、万々歳だ。そうしないと今後、私の誕生日は十月十日ではなく、第二木曜日だと言わざるを得ない。

2.サークル自慢
(二〇〇〇.一.二四)=自分=
 私が主宰するサークルは「ウォーキングクラブGNP」という。まだ満二歳に達したばかりのひよこのようなサークルであるが、会員数は八十人あまり。二年間に丁度一〇〇回の例会を持った。ちなみに昨年は年間で五〇回、参加人員は延べで二五〇〇人に達し、例会の総距離六四八キロであった。一昨年から始めたもので、一昨年に比べ回数だけは同じであったが、歩行距離、参加人員ともに五割増であった。「元気で長生きしてポックリと」を旗印にGNPと称している。副次目的、地球温暖化の防止、医療費負担の軽減にいささかなりとも役立っていると自負している。私の場合でいうと自家用車のガソリン消費量が五分の一になり、医者には歯医者以外にはとうとうかからなかった。ただし残念ながらだれ一人最終目的、ポックリととはならなかった。毎週土曜日、東京と近郊を縦横に今年も五〇回、楽しく美しく豊かに平均時速約六キロで歩き続ける予定である。

3.雪
(二〇〇〇.一.三一)=季節=
ウォーキングは大抵の気象条件の中で、どんなときでも出来るが、雪だけは大敵だ。それでも雪が降っている状態なら歩けるが、雪が積もり、雪が凍り付いた状態ではウォーキングは出来ない。歩くという行為が単に足を使うということではなく、大股に広げ、まずかかとをつけ、体重を移動してからつま先で蹴る、と格好いいことをいうが、そのためには足が滑らないことが前提である。道が砂利道であっても泥濘であっても無理である。山道や坂道、階段でも無理である。いろんな条件に合わせて歩く行為は変わってくる。つまり、TPOを心得、状況に合わせて歩き方を瞬時に変える必要がある。そういうことが仮に出来たとしても雪道ではウォーキングは出来ない。東京に住んでいると雪道にほとんどならないので、ウォーキングには快適である。したがって雪がちょっとでも降ると中止しなくてはならない。最近では雪にならないことだけをひたすら願っている。

4.国の誕生
(二〇〇〇.二.七)=文化=
 国の誕生には夢がほしい。誇れるものがあればなおいい。必ずしも真実である必要はない。事実である必要もない。古ければ古いほど国の誕生の真実は見えてこない。たどればたどるほど分からなくなる。私はそれでいいと思っている。日本国の誕生は何時か。幸いにして日本には神話があった。神話はいいかげんなものという議論があるが、いいかげんであろうがそうでなかろうが存在している事実に意味がある。その神話に基づいて国の紀元を決め、その日を誕生とすること。夢がある。二千六百年を悠に超える紀元を持つという考えは突飛なのかもしれないが、そう思えるところがいい。私はそういう思いがひとつの国のアイデンティティーと考えている。革命でできた国もそれはそれで立派なアイデンティティーである。誇れるもの、夢の有る国の誕生を持てること。そこを大事にして現実の国家を理想的に運営することが国の誕生を祝う意味である。  
(平成一二.二.七東京新聞夕刊掲載)

Posted by taichiro at 09:44

2000年02月05日

充実した整備の一端

◎第105回【幡ヶ谷玉川上水追跡神田川】
 2月5日、心配していた空模様も快晴に恵まれ、時間に余裕を持って家を出る。営団地下鉄で新宿駅下車。歩きながら眺めると、新宿西口近辺および浄水場跡の高層近代建築に時代の流れを感じる。笹塚駅まで歩き、集合時間午後1時より早目に着いたが、すでに5人ほど到着、同僚の話に溶け込み仲間に入る。

 昨年第99回目に初参加して以来6回目を迎えて感無量な気持でいっぱい。1時15分、駅を後に十号通り商店街を通る。この道路は砂町銀座通りと錯覚を起こすような店並び。まもなく幡ヶ谷第二公園に到着。
 会長から108回目の具体的な参加方法の説明、Y.Yさんのリードで準備体操があった後、出発。六号坂通りから不動通商店街を通る。この商店街は十号通りと違う落ち着いた町並み。目の前に急に明るく総ガラス張りの高層ビルが見える。山手通りで右折。ロッテ本社、オペラシティー、対岸にはNTT本社ビルと高層ビルが立ち並ぶ。甲州街道を横断、玉川上水緑道に入る。約350年前の飲料水の源とは! 歴史の流れに感傷する。代田橋駅までの静寂な環境に武蔵野村を思い出す。代田橋駅前で第1次解散。
 続いて第2目標に進む途中、玉川上水路公園で休憩。その後、神田川に沿って進む。山の手特有の高台を流れる神田川は沿道より水面が5メートルほど下にあり、当時の工事の苦労が偲ばれる。近辺の住宅は静かな佇まい。充実した環境整備の一端と思われる。目的地、中野富士見町駅で無事解散=参加67人=。私の足幅71センチで16,900歩、約12キロを2時間25分で歩き、充実した1日であった。         [S.K 記]

Posted by taichiro at 14:09