2000年02月23日

四百字随想その20

1.初夏 (1997.5.7)=自分=
三十歳を超えた彼は焦っていた。一体何を待っているのだろう。
仕事はしている。しかも健康だ。社会のためにも役立っている。だが、誰のためにこんなことをしているのだろう。洋服を着て、食べて、たまにはスキーに行ったり、ボーリングをしたり、麻雀で遊んだり、野球を見たり……。だが家に帰ると何もない。蒲団が待っているだけ。もういい。いつまでこんなことをしていても何の変化もない。
一念発起、行動を起こすことにした。身の回りを見渡した。桜の花は散り、すでにつつじが満開。自然は何のためらいもなく、青春を謳歌していた。
しかし彼は何も出来なかった。その彼に久しぶりに見合いの話がきた。乗ることにした。だが、その前に声だけかけよう。一人、二人、三人、だが肝心のことは話せない。
四人目。もう列車に乗る直前だ。「僕でいい」、「うん」。慌てた。三十年前の初夏。
私はうんと言った彼女と所帯を持って現在に至っている。

2.私のキーワード (1997.5.14)=自分=
「ありのまま この人生を 愛しゆかん この心よしと 頷きにけり」
これはある恩師から私の転居にあたって掛け軸にしていただいた言葉である。
私はこの「ありのまま」をキーワードにしてものごとを考えることにしている。人生には悔やむこと、悩むことが余りにも多過ぎるが、悔やみも悩みも実は物事の解決には何の役にも立たない。
「悔やむこと」これは過去の出来事に対してくよくよすることである。「悩むこと」これは未来のことに対してくよくよすることである。ところが、このくよくよは現実のこと、現在のことには何の役にも立たない。
今日一日、精一杯のことが出来れば、過去のことも未来のことに対してもくよくよすることはない。安心して眠りにつくことが出来る。ありのままである。これは私の健康法にも叶っている。
そして過去を考えるならせめて千年前のこと、未来を考えるなら千年先のことを考えたい。

3.近隣外交 (1997.5.21)=政治=
近ければ近いほどいろいろ問題を起こしたり、争いを起こしたりするのは、人間同士のことを考えるとよく分かる。ましてやその話に歴史が加わると、普通ならどうでもいいことまで、問題になってくる。
どうも、この歴史的認識というものがくせものである。世の中に識者といわれる人がいて、たいていの場合、そもそもこの問題は、そんな単純な問題ではなく、これこれしかじかであって、もっと深い問題があるとか何とか言って、わざわざ問題を難しくしたり、こけんのようなものを持ち出したりしてくる。
過去ではなく、現在そのものを見つめることが、問題を解決するためには重要なことである。人間関係にとって新しい関係につくときは容易であるが、親しかったり古い友達や親戚との関係を作るときは、過去のしがらみがじゃまをしてしまう。
国と国との関係も同じだ。常にフレッシュに過去ではなく、現在と未来に目を向けて外交にあたるべきである。

4.家庭料理 (1997.5.28)=文化=
我が家ではほとんど外食をしない。子供たちも大学に行っている頃も我が家から通っているときは弁当持参であった。夜はどんなに遅くなっても家で食事を摂る。
それほど家庭料理に浸っている。それでは家庭料理が豪華であるかというとそうではない。お米だけはなんとかいいものをと考えたが、おかずは一什一菜と言っても差し支えないほど粗末なものである。味噌汁が必ずつく。その他ではコロッケか卵焼き、カレー、それに手作りのギョーザぐらいである。
何かの記念日とか子供たちの誕生日には散らし寿司である。塩分は極端に控え目である。味というものはだしの味が区別できる必要がある。そのためには物の本や調理法に書いてある塩分の半分でいいと思っている。
そういう味が30年間続いている。おかげでお腹を壊したり下痢をした覚えがないし、子供たちもすくすく育ってくれた。肥満体も一人もいない。
米飯中心の家庭料理、礼賛の一席である。

Posted by taichiro at 2000年02月23日 14:49