2000年02月23日

四百字随想その5

1.税金の使い方 (1995.2.7)=経済=
(平成8.2.7東京新聞夕刊掲載)
一人一人ではできないことのために使うお金。大胆に言い切ってしまうと「税金」とはこういうものであろうか。道路、公園、教育、防衛、外交、福祉、環境等々。そういうものが予算という形で、立法機関で審議され、国民のために使われる。大義名分である。
ところが、今回の「住専」のような問題が起こると果たしてそれは一人一人ではできないことのために使うと言えるかどうかである。損失が大きくなると、国が面倒を見、小さければそんなことは知らないではおかしいというのが素朴なみんなの気持ではなかろうか。
「住専」の資金で本来ならそんなに高くはならなかった土地を不当に高く売った人たちがいるはずである。現在地価が下がっているなら、その土地のかっての売却者である。
確かに儲けには税金を払っているだろう。しかし、不当に儲けたものに対しては返還を要求するぐらいの施策を講じた上で税金に頼らないと国民は納得できない。

2.こんな明るい話 (1996.2.14)=自分=
3か月前から僕は庭付3階建ての1軒家に独りで住んでいる。しかも東京駅から2キロもない便利な場所だ。
冷暖房付で食事は食べたいときに必ず出てくれるし、好きなものしか食べない。栄養満点のものを少しだけ食べて、柔らかいものや油っこいもの、甘いものは絶対に食べない。飲物は水しか飲まないし、第一、コーヒーやお茶やそれにお酒やビールを飲む奴の気が知れない。食べた後は必ず歯も磨くし、体もきれいにする。一寸でも汚いものがついていると神経に触る。
だからと言って運動をしないわけではないんだ。運動をするときは精一杯庭中飛び回るし、土の中だって潜るし、天井だって捕まって歩くんだからすごいだろう。眠るときは一所懸命寝る。夜更かしなんて絶対にしない。
本を読んだり、テレビを見たりしてやりもしないことをやった気になって喜んでいる奴の気が知れない。特にあのパソコン、何がおもしろいのだろうね。
(我が家のリスの独言)

3.“住専”責任問題 (1996.2.21)=社会=
「責任」という言葉の意味がはっきりしないまま「住専」の問題では議論されているような気がしてならない。
昔は「責任をとる」という意味は、日本の場合、切腹であった。まさか、この現代に切腹しろとの責任ではないのであろう。では、辞めろという意味であろうか。責任をとって大臣を辞めるとか、社長を辞任するという意味の「責任」を追求しているのだろうか。
貸し借りの場合、借主は返す義務がある。この義務を責任という。貸した責任というが、返す当てのないものに貸すという行為は、寄付行為の一つとして税務では解釈されている。
大蔵省や農林省の責任が追求されているが、仮にその責任が明らかになった場合、どういう形で責任を果たせというのだろうか。
責任をとるという意味をはっきりさせて責任を追及しないと、借主でさえ、俺が借りたのは誰彼のせいで俺には何の責任もないという不思議な現象が出てくるような気がしてならない。

4.選挙でお返し (1996.2.28)=政治=
選挙でできること。それは1票を特定の候補者に入れることだけである。
幸いにして、私が支持した候補者に裏切られたという思いはない。ただし残念ながら落選したことはある。落選した候補者に投票したということを死票というが、私はそんなことはないと思う。その票の数が、当選した候補者の行動を束縛する。
よく、政治不信が投票率の低下を招き、明らかに一つの意思表示だと偉い評論家の方が述べているが、私は賛成しない。
本当に政治不安定で、政治不信であったら、棄権なんてできっこない。唯一、それしか意思表示ができないのだから、投票率が上がるのは自然の理であり、他国の例を見ればわかる。
日本の場合、誰がなっても大した変わりはないという逆説的に見れば政治信頼の表れが、投票率の低下に結びついている。
支持する人に投票をする。その信頼した人に裏切られたとき、相手候補を支持する。
たったこれだけが選挙でのお返しである。

Posted by taichiro at 2000年02月23日 12:20