2000年02月28日

四百字随想その22

1.高齢者の生き方
(1997.7.2)=社会=
 今、私は過激なことを考えている。70歳を超えた高齢者にはまず未成年者と同じく、選挙権を与えないことにする。当然のことながら被選挙権はないし、公職についている方は全て引退していただく。会社の重役など責任能力を未成年者と同じく制限してしまう。財産は生前相続、つまり、生活上、最低のものを除いて全て相続人に相続してしまう。そのほうが本人にとっても幸せだと思う。本人に意思能力があるときに相続を終えることが大事である。年金は全て今の物価でいうならば300万円ぐらいにする。高齢者にとって月25万円あれば十分生活していける。働きたい人、働ける人、口を出すこと、それは自由である。ただし全てただである。報酬はない。馬鹿らしければ何もしなくてもいい。十分、それまで働いてこられたわけだから。経済の活性化がたぶん図られる。老害が減る。こうなると私はもう9年しか稼げなくなる。短い人生を大事にしたい。
(平成9.7.2東京新聞朝刊掲載)

2.食 中 毒
(1997.7.9)=社会=
 我が家では、家庭をつくって30年を超えるが、その間、幸せなことに一度も食中毒にかかったことがない。子供も3人いたわけだから一度ぐらい被害に遭ってもいいはずだが、遭っていない。その原因の第一は粗食であったこと。第二は食べ残しを全て妻の胃袋に捨てたことと言えるかも知れない。さすがの妻もここ10年ぐらいは、そうはいかず、生ごみ処理機を購入。胃袋の代わりに愛用し、生ごみは全て土に戻している。それに私が小さい頃、子供の病気という病気には全てかかったとも言えるぐらいであったため、味と匂いに神経質ぐらい敏感であったことも幸いしている。おかげで子供たちも含めて、外食が嫌いで、ほとんど弁当持参であった。生きるためにはどうしても食べなくてはならない。その食事は華美でないこと、それに食べ残さないこと、匂いと味に敏感であること。そのくらいの節度を持った食生活を自分の責任でこれからも営んでいきたい。

3.ああ他人事時代
(1997.7.16)=社会=
戦後の教育、というか風潮の一つに「他人に迷惑をかけないこと」という美徳がある。つまり、この迷惑をかけないことをつきつめていくと、迷惑さえかけなければ何をしてもいいということになる。もう一つ、「お節介をしないこと」。これもいつのまにか美徳の一つになってしまっている。ところが人間が生きていく上に他人に迷惑をかけないで生きることは不可能である。食事をすることだって、歩くことだって、家の中に閉じこもっていても同じである。電気は天から降ってくるわけではない。そういう迷惑をかけた代価としてお金を払っていると言うかも知れないが、お金を払ったからと言って迷惑が減るわけではない。つまり人間の社会は迷惑を掛け合って生きているわけである。この本質に戻らなければ、自分事、他人事という勝手な判断から、自分には関係ないという風潮が生まれる。プライバシーという名の犯罪助長美徳もはびこっているようだ。

4.今夏こう過ごす
(1997.7.23)=自分=
 夏、海に行こうか。山に行こうか。そんなことを考えなくなってもう何年になるだろうか。子供たちが中学生以上になった頃であろうか。そうすると、もう10年以上になる。暑い盛り、仕事がなくても一番しのぎやすいのが家の中、冷房が利いてテレビで高校野球を見て、夜はプロ野球かドラマを見る。それでも時間を持て余すときは、推理小説を読み耽る。そんな怠惰な夏の過ごし方であった。それが急に今年は変わった。父の初盆である。お盆という行事が今まで他人事であった。それが自分事になった。考えてみると戦前に母が亡くなっている。それに姉が、弟が、幼時時代に亡くなっている。当然のことながら先祖の供養もしなければならない。急遽、仏壇を整え、真似事を始めた。そう考えると夏の仕事がいっぱいある。東京での初盆、それに大阪でも同じことをしなければならない。その上、先祖の墓は熊本にある。今年は実に忙しい夏になりそうだ。

Posted by taichiro at 2000年02月28日 13:33