2000年02月23日

四百字随想その6

1.確定申告 (1996.3.6)=社会=
今、所得税の確定申告真っ盛りの時期である。税務署に行くとこんなにもと思うほどたくさんの人が来ている。
税務署の肩を持つわけではないが、この時期の職員の忙しさは並大抵のものではない。しかも検算や内容まで検討しなければならないのだから、納税者がいなくなった後も大変なようである。
そういう中で、住専問題が持ち上がり、ごく少数の人であろうが、税法にない控除としてその問題の1人当たりいくらというようなことを対象として確定申告をする人がいるらしい。
自分の主張の表明の一つとしての戦術かも知れないが、賛成できない。結局は法律にないことで税金は徴収されることもないはずだし、また返してくれることもない。
その結果、明らかに過重な仕事を税務職員にさせることになり、本来の脱税者の摘発などの仕事に齟齬を来すとすれば、その損失は莫大ではなかろうか。賢明に考えるならそういうことはできないはずである。

2.情報公開 (1996.3.13)=社会=
「情報」って一体なんだろう。
人がすべて知っていることでも知っていない人には貴重な情報である。逆にほとんどの人が知らないことでも知っている人には大した情報ではないのかも知れない。
こういうふうに考えると、「情報」とは知らないことを知ることとも言える。しかし、どんなに情報を知っていても、その使い道を知らない人には、猫に小判とも言える。そういう場合、つまらない情報を知っていることは必ずしも幸せなことではない。例えば芸能人のゴシップなど知っていることが何の役に立つのだろうか。
ただ、人間はあんまり役に立つ情報よりも自分に役に立たない情報を知りたがる厄介な性質がある。つまり人の不幸を喜ぶというようなことである。
これがプライバシーの保護に繋がる。情報の公開というテーマには必ずこの問題が立ちはだかるのではなかろうか。
つまり自分の情報は知られたくないが、人の情報は知りたがるという矛盾である。

3.地方分権 (1996.3.27)=政治=
日本は地方分権を敷いていることになっているが、本当の意味で地方分権と言えるのであろうか。
都道府県があり、市町村があり、それぞれ知事を持ち、市町村長も存在し、財政も独立しており、選挙も行なわれている。この限りにおいて、整然と組織的にも地方分権の見本のような制度になっているが、その内容というか、実体は違っている。
まず財政的に見ると、地方交付税という国が負担する収入が圧倒的に多い。そのため、この収入の分取り合戦が激しく、国に対するご機嫌伺いのような慣習が生まれる。次に人的な意味で、副知事や助役など事務方のトップは国の官僚に依存する場合が多い。こうなると地方自治体は、国の下請け機関のような存在になってしまう。
このように形式と実体が遊離してしまっていることが問題ではなかろうか。この狭い日本で本当に地方分権が必要なのだろうか。実体に制度を合わせるほうが合理的だと私は思っている。

4.新 学 期 (1996.4.3)=自分=
4月。私たちはいつのまにかこの月を新しい年のスタートと考えている。
これは国の会計年度や会社の事業年度がほとんど四月から始まり、3月に終わるという現象からというより、学校の新学期が4月から始まるということに影響されている。同期生とか、先輩とか後輩の関係もそうである。
 ことほどさように新学期というのは心が浮き浮きする時期なのだが、その時期が桜の開花の時期であるということもいい。
 子供を3人育ててきたが、入学式に何回出たであろう。幼、小、中、高、大、大学院と私は皆勤したつもりだが、その度に感激を新たにした。その度に私自身が何かを学びとってきた。
桜の下で今年一年の誓いを立てること。そのスタートが新学期だ。よその国では9月に始まるところがあり、留学ではかみあわないところがあるが、この4月に始まる新学期は大事にしたいと思う。

Posted by taichiro at 2000年02月23日 12:25