2000年02月23日

四百字随想その13

1.体 育 の 日 (1996.10.9)=自分=
           (平成8.10.9東京新聞夕刊掲載)
 体育の日は昭和39年の東京オリンピック開幕の日を記念して設けられたものである。
 ところが東京オリンピックはなぜ10月10日に開かれたか、ご存じだろうか。いろんな説があるが、私の独断では私の誕生日だからである。私は昭和10年10月10日に生まれている。おめでたい日だと思うが、とうとう祭日になってくれた。
 毎年来るこの日、国民がこぞってスポーツを通じて祝ってくれる。こんな有難いことはない。
 私はスポーツが健康のもとだとは思っていないが、スポーツができることは健康の証拠だと思っている。この日、何等かの形でスポーツができること、それを祝いたい。もちろん日頃からスポーツができることは素晴らしい。
 ただ健康でなくスポーツのできない方もおられる。そういう方がスポーツの限界に挑戦する姿を見て励みになるとすればそれも素晴らしいことだ。
 そういう意味で体育の日が存在すること。私の誕生日が役に立っている。

2.投  票 (1996.10.16)=政治=
 当たり前のことだが、投票することによって選挙は成り立つ。
投票をしないことを世の識者はなぜ政治不信というのだろう。またインタビューにそれに近いことをいう普通の人がいる。では、彼らは何を信頼しているのだろう。
 たいていそんな方はすごく立派なのかも知れない。それなら自分が政治をされればいいはずである。今立候補している中で選ぶ人がいないなら自分が立つか、自分が選べる人に立ってもらうことを運動すべきである。それをしないで政治不信だから選挙はしないという了見が分からない。
 またよくいう話で誰も彼も同じように選挙受けを狙って同じような公約をいうのでおかしいという人がいるが、なぜ同じ公約をしてはいけないのか。
 公約は平気で破られるというが、もしそれが事実なら分かり易いはずである。だまされて入れた候補者に今度は入れなければいい。
 私は必ず投票している。それはそんなに政治を信頼していないからである。

3.公約実行を迫る (1996.10.23)=政治=
          (平成8.10.23東京新聞夕刊掲載)
 公約は必ず実行されるものだろうか。私は悲観的ではあるが、ほとんど実行できないものが公約ではなかろうかとさえ思っている。
 少なくとも政権をとらない党の公約は実現不可能である。政権を取って始めて少なくとも実現可能となる。したがって実現不可能な公約を述べている場合、まず政権を取ろうとする意欲に欠けているとも言える。
 それよりも不思議なのは、反対党が与党に対して公約実現を迫っている場面が国会などでは多い。時の政権党が公約を実現しない場合は、とりもなおさず反対党の公約が正しかったと言える筈である。
 つまり、公約が対立関係にあるというのが常道であればそういう関係になり、国民にとって分かり易いのだが、日本の場合、そういうふうになっていないようだ。
 むしろ公約が実行された場合の逆波及についてもう少し議論すべきであって、場合によっては公約が実行されないほうがむしろ国民にとって幸せなのかも知れない。

4.恩  人 (1996.10.30)=自分=
 「一期一会」という私の好きな言葉があるが、最近、私は自分がお会いした全ての人が恩人であるような気がしてならない。
 小さい頃、銃剣を突き付けられたこともあるが、その兵士はそのまま刺しても構わなかったはずだが、なぜか助けてくれた。殴られたこともあった。だがその先生はなぜか手心を加えてくれた。侮辱されたこともあった。しかし、その侮辱を糧に必死に頑張ることができた。
 こうして考えると全ての方が恩人である。今この世にあるという事実がそれを証明している。
 その中で一人だけにしぼると私と家内を取り持ってくれた叔父である。今こうして子供を三人持ち、孫を三人持ち、そして今でも明るくたくましく生きることができているのは家内がいるおかげである。その家内を紹介してくれたのが叔父である。
 家内にも聞いてみた。君の恩人は誰だろう。家内は即座に答えた。「強いて言えば叔父さんね」。
 思いが一致した私は幸せである。

Posted by taichiro at 2000年02月23日 13:33