2000年02月23日

四百字随想その17

1.建前と本音(1997.2.12)=政治=
ペルー大使館占拠事件、石油流出事件、オレンジ共済組合詐欺事件、KKC詐欺事件、薬害エイズ事件、国鉄精算事業団の運営、狛江市長賭博事件、テニス女王対決中止騒動、情報公開制度、官官接待問題など、今日(1997.2.4)の新聞を眺めただけでも、本音と建前が違う問題で、しかも何となく誰にもどちらも理解しながら使い分けているような気がする。
その他、卑近な例でいえば、いじめ問題、進学問題などの教育問題、バブルが弾けた土地問題や銀行金利などの経済問題、それに為替相場の動きや株価の問題、消費税と所得税や法人税などとの直間比率。
一番すごいのが国会の議論であろう。なまじ本音など言おうものなら鬼の首を取ったように議論が沸騰し、本質的なところから遠のいてしまう。どこかで本音は悪いことで建前が正しいことだという価値判断が定着してしまった。
その張本人はもしかするとマスコミかも知れない。
「物言えば唇寒し秋の風」

2.ファッション (1997.2.19)=社会=
流行という言葉がある。この流行を作る作用をするのが「ファッション」であろうが、ここで作るということに引っ掛かる。
本来、流行とは、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」というような自然発生的なもので、みんなが何となく好ましく思い真似をしていく現象だと思う。ところがこの現象を人為的に造り出すことが可能になってきた。しかもそれが商業的というのか、経済効果が生まれてくると、この「ファッション」が付加価値を持ってくる。
私は個人的にいうと流行が嫌いだ。つまり猫も杓子も同じ真似をして個性を失うのが恐ろしい。「ファッション」が個性を主張しているようで実は同質化というか同等化して没個性化しているような気がしてならない。その中に浸り込んでしまうと安心できるのである。
ここにファシズムとの同質性がある。語源的に言ってもこの同じ言葉、聞く耳では全然違うもののようであるが、ファッションにはこの危険性がある。

3.日本再構築の道 (1997.2.26)=政治=
今、日本は何が構築されているのか。この考え方によって再構築の道は変わってくる。
私は、戦後、経済という道でがむしゃらに頑張ってきた日本が見える。しかも、その経済は働くことを最高のものとして追い求めていたような気がする。ところが経済は求めても求めても限界がない。その上、その成果はすべて貨幣価値で示される。貨幣価値で示されれば、金額を追い求めることになる。
だんだん手段を選ばなくなってくる。持っている株が上がる。土地が上がる。その話と汗水たらして稼ぐ話が同等化してくると、全ては得か損かという概念でしかものを見なくなる。
生きることの価値とか、自然の恵みとか、文化とか、倫理とか、哲学とか、そんなものは貨幣価値の前に何の足しにもならないような概念が生まれる。今こそ、私は貨幣価値でない価値観を確立すべき時が来ている。
地球上の生命体として、日本は貨幣価値を離れて価値観を再構築すべきである。

4.「教育」を考える (1997.3.5)=文化=
私は、子供3人を今の教育制度の中で育て上げた。
1人はコンピュータの専門家、1人は通信網の専門家、そして最後の1人が演劇の専門家としてまさに世に出ようとしている。塾のお世話には受験直前の三か月間だけはお世話になった経験はあるが、あとは学校の教育だけだった。
学校以外で勉強する暇がなかった。1人はパソコンに熱中し、1人はラグビーに熱中し、1人は劇団に熱中した。そのため大学に入ってからは苦労した。それこそ死物狂いで新しい知識と研究に打ち込んだ。
私自身、戦中に教育を受けた。だがその影響が何かあっただろうか。教育を口にするのは簡単だが、教育が悪いからどうかなるという考えは間違っている。というより教育が良かったからこんなに立派になったという考えが恐ろしい。
いうなれば読み、書き、算盤(いまではパソコン)だけが確かに確実に教育されれば、あとは自分の自覚である。
自覚まで教育されては堪らない。

Posted by taichiro at 2000年02月23日 13:47