2000年02月23日

四百字随想その9

1.消 費 税 (1996.5.29)=経済=
「消費税」は間接税である。つまり租税を実質的に負担するものと納税義務者が異なっていることを示している。
今、消費税は税率の引上げやいわゆる租税負担の逆進性などが問題になっているが、一番問題なのは、せっかく負担した消費税が滞納によって納税されないことがある。こういう問題は給与所得などに対する源泉所得税にも言えることである。
租税制度がどれほど精緻にできようと、公平であっても肝心の納税が行なわれない場合は絵に書いた餅である。ましてや、消費者が最終的に負担し、消費税そのものは、貴重な自分のお金から支出しているにもかかわらず、租税として収納されず、滞納者の自己資金に流用されていることはゆゆしい問題である。
今後負担率も高まるおりから、滞納者の一掃を図ることが必要であり、場合によっては消費税の滞納者は公表することにより、貴重な負担者の租税を流用している事実を明らかにする必要がある。

2.賞味期限 (8.6.12)=文化=
     (平成8.6.12東京新聞夕刊掲載)
「旬」という言葉があった。もちろん今でもある。ただそういうものを感じなくなったような気がする。
イチゴはいつでもある。それにシュンギクもほうれん草も。もともとお米だって新米という旬があった。それがいつのまにか、いつでも食べられるようになった。つまり、旬がなくなったのである。
代わりにできたのが、賞味期限。味気ない話だ。つまり味を見る力がなくなったわけである。ラベルを見なくては食べられるかどうか分からなくなっている。
もう少し経つとおいしいか、不味いかまでラベルに頼ってしまうのかも知れない。一種のブランド思考みたいなものである。もともと食べ物は新鮮なもののはずである。人工的に新鮮さを保ち始めたとき、賞味期限が必要になってきた。そして、味音痴になってきた。自分の力で賞味期限が分からなくなるのは実に寂しい。
私はできる限り賞味期限を見ないで、自分の舌で感覚的に味を確かめ旬を知りたい。

3.アトランタ五輪 (1996.6.19)=社会=
オリンピック。世紀の祭典。血沸き肉踊るスポーツの最高の戦い。そんな言葉があふれ出しそうな雰囲気であるが、最近、いつのまにかそういう感激が薄れてきたように思う。
もし、それを強く感じたのは東京オリンピックであろうか。あれから約四半世紀が経っている。その間日本は変わった。発展途上国から成熟した国になってきた。バブルが弾け妙にとり済ました国になってきた。それが熱狂を呼ばなくなったのだろうか。
自分が年を取ったせいかと考えるが、子供たちもそんなに気にしていない。しかし、世界にはまだまだ小さい国もある。それに経済的にも恵まれない国もある。そういういろんな世界というか国を知る機会が、このオリンピックにはある。
そういう意味でやはりお祭りである。もうそんなにナショナリズムに駆られた興奮はしたくないが、いろんな人々を知り、いろんな生活を教えてくれるという意味で、アトランタ五輪に期待をしている。

4.忘れ得ぬ出会い (1996.6.26)=自分=
 「ありのままこの人生を愛し行かむこの心よしと頷きにけり」。
これは私の中学生時代の恩師が、四十何年ぶりに転居祝いとして掛け軸にして送っていただいた言葉である。
私は中学時代、家出をした。しかし、家出をした先で中学にだけはなんとか通っていた。そこで出会った先生である。先生は英語を教えていた。子供心にへたくそな英語だと思っていた。とにかく日本語英語といってよかった。発音などなっていない、単なる逐語訳しかしない。
ところがその先生が書道も教えていた。この書道はすごかった。家出少年のどこがよかったのか、書道の特訓を受けた。手は叩かれる、姿勢は直される。それは激しいものだった。反発も感じたが、それでも何とかついていき、とうとう県の揮毫大会にも出させていただき入賞した。一年余りの出来事。
それ以来一度も会っていない。だが私の人生にこれほど影響を与えた方はほかにいない。

Posted by taichiro at 2000年02月23日 13:12