2000年02月23日

四百字随想その12

1.私の情報選択術 (1996.9.11)=自分= 
           (平成8.9.11東京新聞夕刊掲載)
私は情報というものを選択するという目であまり眺めたことがない。つまり、情報というものの性格を幅広くあらゆるものを自分のものにしようとしているのかも知れない。
情報を受入れる場合、自分を空っぽにすることを第一義としている。過去の知識や情報が場合によっては新しい情報の価値を不当に弱める可能性がある。したがって情報を客観的にかつ弾力的に受入れようと努力している。と同時に盲目的には受入れないことにしている。判断するのは自分だという気持である。確認をすることである。正面から見るだけでなく裏からも横からも見ることである。そしてフレッシュに自分のものにしてしまうということである。
つまり私の情報のアウトプットは常に自分の力でやっているつもりで、受売りをしたくないと思っている。もちろん事実関係などは確認するが、少なくとも考え方などは自分のものだと信じている。
強いて言えばこれが私の選択術である。


2.主   婦 (1996.9.18)=社会=
経済的にみた場合、平和時の産業はいかにして主婦の仕事を取り上げるかにある、と言われている。
日本の経済成長の大半は主婦の仕事を産業化したことにあるといっても過言ではない。つまり、電気洗濯機、電気掃除機、冷蔵庫のような大型のものから、冷凍食品、衣料品、それにタクワンのようなものまで、考えてみると昔は全部主婦が無料で汗水たらして仕事としてやっていたものだ。
それによってできた余暇を潰すためにテレビが普及し、エアロビクスやプールなどの余暇産業が生まれ、文化的な施設も増えてきた。
「主婦」。
今や最高に元気で溌溂とした存在である。有権者として考えても同じ権利を持ち、しかも男性のように右顧左眄することなく、清く正しくたくましく自分の信念で投票することができ、発言ができる。
優雅で熟慮することができ、文化的な享受を最大限に行ない、そして経済的な観念を必要とせずに行動できるもっとも幸せな存在である。

3.総選挙と民意 (1996.925)=政治=
待望の総選挙が間近に迫ってきたようだ。
首相が4度変わった。選挙制度も変わった。政党も変わった。これだけの変革がありながら総選挙は1度もなかった。不思議な国である。
政治家によっぽど自浄作用があるということであろうか。自らの力で民意に基づいて変革を遂げたと言えるのであろうか。
通常なら、どうだろう。これほどの変革をしたのだ。首相も変わった。みんな、その意味はわかってくれ。といって大々的に選挙に打って出て、その勝利を確信するはずである。
ところが日本ではそれがなかった。選挙で負けたわけでもないのに首相が辞職し、新たな首相がまた民意を問うたわけでもない。不思議である。
今また新しい党ができつつある。国民が望んでできた党ではないらしい。どこかの党に所属していたものが分裂してできたに過ぎない。
本当に新しいものはできないのであろうか。フレッシュで手垢のついていない人材は日本にはいないのだろうか。

4.新 聞 と 私 (1996.10.2)=自分=
「新聞」と私は深い関わりがある。
まず少年時代、私の生計と学費はすべて新聞配達で賄った。中学三年から高校を卒業するまでずーっと新聞配達をしていた。その間、共販時代から専売制度に切り変わったが、一種の戦国時代を味わった。
 仕事に就いてからは広報の仕事を八年間、続けたが、その間記者クラブとのお付き合い、それと部内報であるが、週刊で出しており、発行部数50,000部という新聞の編集に携わった。 もともと学生時代からできれば新聞記者になりたいと思っていた。現に1度、当時は小さい新聞ではあったが、採用試験に受かり、入るつもりであったが、公務員試験にも受かり、公務員になってしまった。
 私の常識の全ては新聞から受けているといっても差し支えない。
今またささやかではあるが、この投稿を通じて新聞に対して能動的に関わりを持っているような気持になっている。

Posted by taichiro at 2000年02月23日 13:30