2000年03月25日

◎第112回【六義園、尾久巡り】

快晴の3月25日(土)午後1時、田端駅北口ふれあい橋に集合したのは52人。
広大な田端操車場の狭間の道を通り、道端の馬頭観音に挨拶。不似合いにカラフルな尾久構内架道橋という地下道をくぐり尾久駅に到着。駅名ではOKU、道路表示では0GU。どちらが正しいのだろうか。

西尾久8丁目から梶原まで都電通りを歩き、そのあと路地をくねくねと通って贅沢にもエレベーターで昇降するさわやか橋に到着。橋上では操車場の全容が見渡せる。車坂跨線橋を渡り、上中里駅沿いにある飛鳥の小道を通って七社神社に着く。箒目の目立つ境内。歩いて目を乱すことに気兼ねしながら小休止。
小気味のいい名のゲーテの小径を歩きゲーテ記念館に着いたが、残念ながら休館中。滝野川公園で休憩。
平塚神社、無量寺に参り、旧古河庭園の外を回って、本郷通りを越え、休憩地の六義園にC-B-Aの順に到着。団体で入場し見学した。林の小道を歩き、沢を渡り、藤代峠に登り、池を回る。ぽっぽっと咲いている桜に歓声があがる。この庭で昔の人はのどかに和歌を詠んでいたのだろうか。それにしても大層な物を造ったものだと感心する。一部の方はここで解散。休憩後、再度出発。
駒込富士に登山し、駒込名主屋敷を覗きこみ、天祖神社を抜け、むじな坂をくだり、不忍通り、道灌山通りを歩いて、歩道橋を登り、無事、西日暮里公園へ34人が到着、体操して解散した。

Posted by taichiro at 14:24

2000年03月18日

◎第111回【神楽坂・市谷・茗荷谷】

3月18日(土)は、4月中旬の陽気で暖かく、絶好のウォーキング日和になった。
足取りも軽く江戸川公園へ行くと、卒業式を終えた中学生らしい集団で、かなり混み合っていた。桜の花も春の輝きを秘めて、出番を待っているようだ。

今日のコースは坂道の連続とのことで、皆、それぞれに心の準備をしてきた様子で、公園を後にした。地蔵通りの商店街は春の日差しに誘われて歩く人達で、にぎやかだ。人々の傍らを春風のようにすり抜けた我々は、同潤会アパートを横目に相生坂を経て神楽坂へと向かう。肉まんが有名な「五十番」の角を曲がり、細い路地を探検気分で抜け、市ヶ谷方面へ出た。ここからは、近代的なビルや、印刷・出版関係の建物、自衛隊の駐屯地などがしばらく続く。
亀岡八幡宮での休憩の時、B班C班も一緒になった。C班はここで解散したようだが、A,B班はお寺の多い薬王寺町、原町を通り、出発してすぐに通った水道町の交差点を横切って小日向公園での眺望を楽しみ、深光寺にある滝沢馬琴のお墓の前で解散となった。狭い地域の中、伝統の残る町、活気のある生活の場、産業の街、そして防衛施設と、東京の多面性を再認識したウォーキングだった。=参加57人,12キロ=   [Y.N 記]

Posted by taichiro at 14:22

2000年03月13日

四百字随想その53

1.故郷の父母
(二〇〇〇.二.一四)=自分=
父母がいなくなった途端、故郷もなくなった。というより、私には故郷がもともとない。生まれたのは東京だったが、物事の判断がつかない間に外地に行き、そこで終戦。孤児として引揚げ大阪で父に再会。転々と学校を十一も変わっていると故郷らしきものはどこにもない。それでも父が生存している間、大阪は故郷らしき存在であったが、父がいない現在、大阪はもう故郷ではない。よく考えると私の子供たちも故郷を持たない。家庭を持って三十年余り、その間、転居を五回している。典型的な団地住まいで、今でも同じである。こういう中で故郷の父母という関係は生まれてこない。今の地を終焉の地とし、一種の故郷としてみたくて墓も近くに建ててみた。せめて子供たちに故郷の味を作ってみようと思うが、同居している娘以外にはその関係も希薄である。こうなると孫に頼る以外は方法がない。東京のおじいちゃん! そんな存在で故郷の父母を作っておこう。

2.試   験
(二〇〇〇.二.二一)=自分=
 先日、三七年ぶりに試験を受けた。どういうわけか、この年になっても付き添いがいる。
朝から心臓が高なり、何度もトイレに行きたくなる。何度か通った水道橋駅から朝の町を歩く。日曜日なのに人通りが多く、若い人が目立つ。皆が同じ受験生に見え、自分も同化していた。受験場で私の教室を探す。五階だ。机に着いて筆記具をそろえ、周りを観察する。二十代から三十代が多いが、私ぐらいもいる。二人机が五列並び五段づつ、五十人の席に六割くらい座っている。九時過ぎて人の動きが止まり、係の人が巡回して教室のドアが閉まる。簿記の試験が始まった。「冷静に、確実に、きれいに」を心がけてアタック開始。一通り書いて、さーっと見直し、迷った問題を書き直す。「あと十分です」の声に必死で鉛筆を走らせた。「はい、筆記具をおいてください」で、試験終了。ぼぉーっとした頭で階段を降りると、外は小春日、青い空。付き添いはずい分心配したが、見事合格した。
(村田久美子記)

3.産 休
(二〇〇〇.二.二一)=社会=
 子供を産むこと。これは人間の、というより生き物のすべての根源であり、生きている意味の基本ともいえる。しかもその可能性は何億個の中のたったひとつである。選ばれた生命の誕生である。それをごく単純な理由で疎かにする人間の愚かさが悲しい。子供の誕生を素直に喜び歓喜に浸る気持。それが自分の子供だけでなく、周りに居る人、他人のことであってもそうなる現象。それが徹底されれば、「産休」など議論しなくても当たり前のことになる。仕事など子供を産むという行事に比べれば月とすっぽんぐらいの差があるという認識。みんなで助け合うということぐらい当然であるという認識。「命の誕生」に対する価値観を人間なるがゆえに絶対とする考え方が必要である。同時にそうして子供が誕生するという現実に感謝する産む側の謙虚さが必要である。命を育むために必要な時と場所、それを制度的に持つ行為。他の動物でもできることを人間は疎かにしすぎている。

4.地方の反乱
(二〇〇〇.三.一三)=政治=
 東京に住んでいると、地方という言葉が東京以外を指すような錯覚にとらわれるが、実は東京も地方だということが今回の騒動で分かった。ところがそうなると中央とは何なのか。反乱という言葉は何かに対する言葉であろうが、多分、中央ないしは国という概念であろう。これは、都と市区町村の間でも同じような問題がある。区としてはその考えは分かるが都が認めていないとか、そういう発言が出てくる。こういう場合も都の存在が抽象的になる。もともと一人一人の国民があって地域的に市区町村があり、それを取りまとめるものが都道府県であり、そして国が存在する。そのはずのものが、逆に国があって都道府県があって市区町村になり、そして国民になる逆転現象が生まれている。沖縄の問題、高知、そして東京。新しい問題意識は地方から起こるべきであって、その問題を真摯にそして真剣に考えることが中央の役割である。そうならないと中央は砂上の楼閣である。
(平成一二.三.一三東京新聞夕刊掲載)

Posted by taichiro at 09:46

2000年03月12日

◎第111回【レインボーブリッジとお台場】

3月11日、今日は早出だ。肌寒いし、空模様もちょっと心配。品川バスターミナルに9時20分に着く。まだ人は少ない。40分になると混み合ってきた。GNPは47人。
10時7分、人ごみに交じって出発。右側の歩道は人波でいっぱいなので左側の歩道に移る。札の辻橋を越えモノレールをくぐり、高速の下を渡って左折。職安の前を右折すると、目の前でレインボーブリッジのループ橋が海の上を回っていた。車から見るのと大違い、デッカイ。遊歩道の手前で並び、団体で入場する。北と南のエレベーターで展望室に上がる。順番待ちでずいぶんとかかった(A班は階段を登ったそうな)。橋の上は風が冷たく、車の排気ガスと轟音がすごかった。眼下にみえる第六台場に桜が咲いているのかと思ってよく見ると、木々が白骨のようになっていたのだ。以前、浜離宮の木が鵜の糞のため白く枯れた話と同じだろう。
砂浜の向こうに派手なビルが立ち並ぶ。第三台場史跡公園を見下ろすとまもなく出口。白い砂浜が広がる。トイレで休んでまた歩きはじめる。初めて通るテレポートブリッジへの階段には、四角い鳥居のようなモニュメントが並んでいた。あとは定番コースで、出合い橋、ウェストプロムナード、テレコムセンター、青海埠頭公園、船の科学館と歩いた。ゆりかもめにそって台場駅へ回り、歩道を渡って階段を上り、ホテル前に12時10分到着。すでにC班は着いていた。完歩賞はペンシルと缶コーヒー。コーヒーで一息ついていると、ちゃんと潮風公園を回ってきたA班がさっそうと到着。
皆で体操して解散した。ホテルの優待券もあったが、高いので止め、フジテレビの下で軽食にありつく。=約14キロ=     [K.M 記]

◎番外【歩け歩け大会とパルシティまつり】
3月12日(日)の「歩け歩け大会」、残念ながら雨天のため中止。代わりに東陽小学校体育館で「カローリング大会」が開かれた。出席者は全体で20人。
そのあと、「パルシティーまつり」に参加。我がGNPメンバーも大いに頑張っていて、いろんな役割を分担していた。抽選会では2等賞を取ったものが2人もいたとか。それにスタンプラリーに参加したり、パル計量クイズで1ミリ違いに当たったりして、賞品をいただいた人が多かった。

Posted by taichiro at 14:21

2000年03月04日

大粒の雨で完歩七人

◎第109回【本郷、小石川】
3月4日(土)は、薄日の差す朝にもかかわらず午後から本格的な雨模様との天気予報。12キロの予定コースが終了するまで雨が降らないようにと願いながら元町公園に到着した。本日のコースは、坂、階段が多いため準備運動は入念に。本郷、湯島、小石川は幼いころからの馴染みの地域なので、暖かい空を眺め心軽く出発した。

  

壱岐坂を降りると正面には後楽園遊園地。絶叫マシンの垂直降下にびっくりしながら春日町の交差点を渡り、くねくね曲がった路地を抜け、本郷3丁目、妻恋坂を下り、実盛坂の段々を登るとC班とばったり。一緒にA班の待つ湯島天神に向かった。梅が満開、人出も多く賑わっていた。その時、空から大粒の雨がポツリポツリ。あと1時間待ってほしかったのだが、ついに傘を差すことに。
上野公園に到着する頃には、もう本振りの雨。3分の2の方々が上野から帰る。急に見失ったA班を探すように足早に歩き、東大、白山通りまで進んだが、降り止まぬ雨にB班も春日駅で解散。有志だけで小石川を歩き、最終地、竹早公園に到着。A班は見当たらず、たった7人の淋しいゴールとなった。後で聞くとA班は上野公園、東大を省略して本郷3丁目で解散したとのこと。道理で見失ったはずだ。 
あいにくの天候であったが、週毎に春の訪れも感じられ、ますます楽しみな土曜日となっている。
=参加57人=      [M.N記]

Posted by taichiro at 14:16