1.官僚の功罪 (1996.12.4)=政治=
「官僚」という言葉があるが、官僚の定義は何なのだろう。公務員のことかも知れないが、どうも全ての公務員を指しているわけではない。すると、今では上級公務員試験に合格した人たちのことを指しているのだろうか。
いずれにしても官僚という言葉がどういうものか独り歩きしているような気がしてならない。そこではこうあるべきであるというような犯しがたくて、聖人君子のような理想像が抽象的にあって彼らの行動は常に誤りがなく、公平無私であって自分の欲望などはなく常に天下国家のことを考えているはずであるという概念があるようだ。
その彼らが何か特殊なことをすれば、それが問題になり、経済も行政も場合によっては政治も、その上、景気まで牛耳っており、悪くなるとすべて責任があるような存在に祭り上げている。ということは良くなることも彼らの功績である。
本当にそうなのだろうか。人間に戻して真剣に定義を明らかにする必要がある。
2.忘れ得ぬ数字 (1996.12.11)
昭和17年、当時の国民学校に入学する年であった。
入学式の前日、祖父危篤の報を受け、外地にいた私は、両親に連れられ、内地に戻った。しかし、祖父は案外元気であった。それでも看病の甲斐なく4月24日、ついに帰らぬ人となった。
それから、24年後、結婚して、祖母に会った。祖母は妻の生年月日を聞いて、いきなり、「あんたは爺ちゃんの生まれ代わりだ」と言い始めた。意味がよく分からなかった。すっかり祖父の命日を忘れていた私は、妻の誕生日、昭和17年4月24日を知っていてもぴーんとこなかった。祖母がぼそぼそと当時の話を繰り返し始めてやっと蘇ってきた。
祖父のなくなった日、一里も離れていない場所で妻は呱呱の声を上げていたわけである。この日以来、私にとって忘れ得ぬ数字になってしまった。
「170424」。私に引っ付いてしまった数字である。有馬記念にこの数字を組み合わせてみたい。因にこの年は午年である。
3.日本のしきたり (1996.12.18)=文化=
歳末、年始、季節の移り変わり、そういう節目節目でいろんな形の仕来りがある。
仕来りを直訳すると今までやってきたことになる。そういう意味で、日本の仕来りを抽象的に表現すると私はマイナス思考と言いたい。ただし、このマイナス思考は悪い意味ではない。相手に対する思い遣りである。
例えば物を買うとき、825円の品物を1,000円札で買うとたちどころに175円のお釣りと言うことになる。つまり、1,000-825=175である。ところが欧米では1,000=825+175である。この違いが私は日本の仕来りに共通しているような気がしてならない。
商売をしていても原価プラス利益が売価ではなく、売価マイナス原価が利益である。売価はお客が決めるもので、その上で原価を如何に切り詰めるかを考える。日本の経済成長に大きく寄与したのは、この仕来りである。
しかし、今、その限界が来たようだ。この美風を捨てたときに訪れるもの。私は不安である。
4.正月どう過ごす (1996.12.25)=自分=
正月は忙しい。
まず、年賀状の整理である。約1,000枚来る年賀状の情報は貴重である。住所、電話、お仕事、ご家族の動き、そんなことを垣間見たり、想像を加えながら住所録を整理し、また音信が跡絶えたことに対して思いを馳せることもある。
次は家族との団らんである。孫が3人。子供が3人、嫁が2人、妻が1人、自分を入れて10人である。本当に全員が揃うことがこれからそんなにない。できれば正月には揃ってお宮参りにでも行ってみたい。これまでの無事を喜び感謝し、そしてこれからの健康と発展を期待する。というより真剣に努力することを誓ってみたい。
満年齢で年を数えるようになってから、どういうわけか正月の意義が薄れてきている。年をとる覚悟、私はこれを大事にしたいと思っている。一年の計は元旦にありとよく言われるが、この意味が、未知の年を迎える恐れと期待にあると私は思っている。
単なる海外旅行などで安易に時を失いたくない。