2004年10月23日

◎第341回[東京百景 目黒・品川] =約10キロ=

10月23日(土)午前10時 (JR01020)
目黒駅中央改札口集合→大圓寺→目黒不動尊龍泉寺→むさし小山パルム→サンモールえばら・なかのぶスキップロード→戸越銀座→ゲートシティー大崎→御殿山ヒルズ→品川駅解散 

◎第341回[東京百景 目黒・品川] =約10キロ=
10月23日(土)午前10時、目黒駅中央改札口に集合したのは、41人(W12協力者2人を含む)。受付を済ませた後、大圓寺で打合せ。折りしもお寺では葬儀が行われている模様で、人が多いので体操を省略。
目黒川を渡り目黒不動尊龍泉寺に向う。ここは再々行っているので、中には入らず、そのまま歩く。武蔵小山駅の手前で東急目蒲線の踏切を渡り、むさし小山パルムに入る。ここは全長747メートルのアーケードに覆われた商店街。独自の割賦販売やポイントサービスで活性化を図っているせいか、活気に満ちている。
続いてサンモールえばら・なかのぶスキップロードに入る。都内ではここだけといわれる「ねぶたパレード」は有名。
荏原中延駅、中延駅、戸越公園駅と縦横に走る東急線沿線の踏切を渡り、戸越銀座に入る。全国で銀座を名乗る商店街は300もあるといわれるが、ここが最初とのこと。関東大震災で被災した銀座のレンガを商店街に移設して名付けたそうだから伝統が違う。
JR山手線を大崎陸橋で渡り、ゲートシティー大崎の公園で休憩。7つの副都心の一つとして建設された複合都市。この中にオフィス、住宅、ショップ、レストラン、それにエンターテインメントを持つといわれるが、どうも馴染めない雰囲気だ。
居木橋を渡り今度は御殿山ヒルズ。敷地内には日本庭園があって、この地には江戸時代以前の室町時代、大田道灌の館があったことから御殿山と言われている。東海道線を陸橋で越え、八つ山通を少し歩き、途中、屋形船や釣り舟が屯する掘割を眺め、品川セントラルガーデンに入る。ほとんど完成しているガーデンは旧国鉄の貨物ヤードがあった場所。ホテルや超高層マンションもある新オフィス街に変貌している。全く別世界に入ったような錯覚にとらわれながら階段を上がり品川駅に到着。記念バッジをいただき解散した。

Posted by taichiro at 18:03

2004年10月16日

◎第340回[目黒世田谷公園巡り]

=約10キロ=
10月16日(土)午前10時 恵比寿公園(日比谷線恵比寿駅4番出口徒歩1分)集合→鍋島松涛公園→駒場公園(小休止)→駒場野公園→世田谷公園(休憩)→中目黒ゲートタウン→田道公園→恵比寿ガーデンプレイス解散 

◎第340回[目黒世田谷公園巡り] =約10キロ=
10月16日(土)午前10時、恵比寿公園に集合したのは、47人(W12協力者を含む)。いつの間にか半袖では寒さを感じる絶好のウォーキング季節になっている。
打合せと体操の後、スタート。旧山手通を歩く。途中「JA」というマークのついた瀟洒な建物があり、農協が何をするのだろうと興味を持ったが、何と「Jun Ashida」の略。もっともこっちの方が先についたマークのようだ。
鍋島藩の藩邸があった鍋島松涛公園に着く。左回りに池を巡る。水が溜まってゆっくり動く水車は水が溜まるまでは動かない。時が止まったような雰囲気に速足で歩く自分の姿がそぐわない感じを受けた。
今度は駒場公園に入り、小休止。旧前田公爵邸の佇まいは何時見てもどっしり落ち着いている。芝生広場では幼稚園の運動会が開催中。園内の南側はうっそうとした林に囲まれ、都会とは思えない雰囲気を歩く。続いて駒場野公園に入る。小さな田圃ではもう稲刈りが済んだのか整地を始めていた。園内では竹箒を持った中学生が公園の掃除。当り前のような行為が新鮮に見える。
世田谷の道路は一寸脇に入ると道が真っ直ぐではなく微妙にゆがんでいる。油断をしていると方向感覚が分からなくなる。気をつけながら玉川通に出て何とか世田谷公園に到着。ここで休憩した。大きな公園である。噴水が面白い。上に上がるだけでなく、真横にも水が噴出している。まるで手が何本もあるように見える。それに機関車が走る交通公園や冒険の出来そうな小屋があって子供たちには面白そうだ。
ここで正午を過ぎていたので、ゴールまで歩くと1時を越えそうに思える。そこで急遽、ゴールを中目黒ゲートタウンに変更。蛇崩下橋を渡り、東横線のガードをくぐり中目黒商店街を通り中目黒ゲートタウンに到着。
ここで整理体操をして解散した。

Posted by taichiro at 14:42

2004年10月11日

◎第339回[東浦和見沼田んぼ巡り]

10月11日(月)午前10時=約10キロ=
見沼通船堀公園(武蔵野線東浦和駅徒歩3分)集合→見沼通船堀→見沼用水路→見沼氷川公園(休憩)→氷川女体神社→総持院→見沼自然公園→見沼くらしっく館解散
DSC00929.JPG
写真は見沼くらしっく館で行われた旧坂東家の茅葺屋根差し替え作業

◎第339回[東浦和見沼田んぼ巡り] =約10キロ=
10月11日(月)午前10時、見沼通船堀公園に集合したのは32人。本来の実施日は9日だったが、当日、台風21号が関東地方に来襲したため、本日に順延したもの。雨模様だったが、集合時間には何とか雨は落ちていない。打合せの後、体操のつもりが突発的に会長とS.Kさんの誕生祝。花火が打ち上げられ、皆で「ハッピーバースデー」を合唱。会長とS.Kさん、感激して打ち震えていた。
公園を通り見沼通船堀を歩く。

「そこかしこ 枯れ葉はく音 通船堀」 利

この堀は国指定の史跡。今から270年前に出来たわが国最古の閘門式運河で、東西の代用水路と芝川を結び3メートルの水位差を調節して船を通したという。その船が当時の差配、鈴木家に2分の1に縮尺されて展示されていた。舟偏に帯と書いて「ひらた」と読む「ひらた船」。この船で江戸との間で交易が行われたという。
続いて見沼代用水西縁を歩く。見沼は、昔、自然の沼だったが、17世紀初め、灌漑用溜井になり、その溜井が干拓され田圃になったそうである。この水田を潤すために利根川から水を引いたものが見沼代用水で西縁と東縁があり、総延長62キロという広大なもの。当時の人知の素晴らしさを垣間見ることができる。
案山子のモニュメントと「案山子の歌」が飾られている見沼氷川公園に入り、思わず、「案山子の歌」の合唱。美声に周りの人が驚いていた。しばらく休憩して氷川女体神社を見学。「女体」を探したが、見当たらなかった。
芝川を越える見沼大橋を渡り、トラスト竹林を眺め、総持院に入る。ウォーキング姿(?)の遍照法師の銅像が祀られ、近親感を持つ。
今度は東縁を歩く。自動車道でない右側を無理して通ってみるが、あまり人が通らないせいか、草木が身体に障る。ほうほうの体で見沼自然公園に到着。弁当を開く。水溜りでわざわざ靴を濡らしはしゃぐ幼児を微笑ましく眺め、蚊と蜂の襲来を避けながらお握りをほお張り空腹を癒す。締切橋を渡り見沼くらしっく館に到着。
ちょうどこの日、10年に1度の旧坂東家住宅の屋根替えの公開日。茅葺の屋根の全面取替えは50年に一度といわれているが、その間に傷んだ部分の差し替えが行われる。この伝統技術を持った職人は少なくなっており、後継者問題は深刻になっているとのこと。約1ヶ月かかるといわれる差し替え作業=写真=の一端をしばらく眺めていたが、根気を必要とし、替えるものと替えないものをその場その場で判断する手作業は一種の芸術といっても差し支えないようだ。
こんな素晴らしいものを見学した後、庭で整理体操を行い、1時38分のバスに乗り込み、大宮駅に出て解散した。

Posted by taichiro at 12:38

2004年10月06日

◎第338回[武蔵野の湧水池めぐり]

10月2日(土)午前10時=約12キロ=
和田堀公園(西武池袋線石神井公園駅南口徒歩5分)集合→石神井公園→石神井川→西武新宿線武蔵関駅→武蔵関公園(小休止)→吉祥寺橋→善福寺公園(休憩・弁当)→善福寺川→JR西荻窪駅解散

◎第338回[武蔵野の湧水池めぐり] =約12キロ=
10月2日(土)午前10時前、石神井公園駅の構内で土休券の受け渡し。何となくヤミ切符売りをしているみたいで、ダフ屋になった心境。他の乗降客から見ると不思議な光景だろう。
和田堀公園に集合したのは41人。妙なことに公園前の交差点標識は「南田中団地公園前」とあり、余所者にはわかり難い。打合せと体操をした後、石神井公園に向う。
この公園は石神井池と三宝寺池を囲む細長い公園だが、板道などの遊歩道が完備され、しっとりと落ち着いた公園だ。いたるところにキャンバスを広げ画筆を振るう画家が秋の風情を我が物にしようと頑張っている。水際にはモップのような形をしている大柄なススキが秋を深めている。

「武蔵野の 面影偲ばす 大尾花 」   利

一周した後、石神井城跡、氷川神社(境内では赤米の稲穂が稔っていた)を眺め、石神井川縁を歩き、西武新宿線武蔵関駅横を踏切で渡り、武蔵関公園に到着。
この公園も細長いひょうたん型の富士見池を囲んでいる。ここで小休止。水鳥が我物顔で池面を泳ぎ回り、紅葉直前の樹木は最後の緑を惜しんでいる。
今度は千川上水を辿り、吉祥寺橋から畑道に入り、若干、道に迷いながら善福寺公園に到着。休憩を兼ねて弁当を開いた。天気晴朗。10月に入った途端、稔りを一気に噴出したような季節になってきた。
善福寺川を辿り、関根橋で右折。JR西荻窪駅北口で解散。三々五々、帰途についた。

Posted by taichiro at 01:18