2004年11月27日

◎第346回[水郷の町の魅力を探る]

11月27日(土)午前10時 =約12キロ=
北越谷駅(東武伊勢崎線)集合→北越谷第4公園(体操)→元荒川緑道→桜堤通→大沢橋→越谷御殿跡→建長元年板碑→葛西用水中土手→瓦曽根堰→大聖寺→花田苑(弁当)→新方川緑道→逆川緑の道→キャンベルタウン公園(小休止)→北越谷駅解散
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写真は越谷市花田苑の紅葉

◎第346回[水郷の町の魅力を探る] =約12キロ=
11月27日(土)午前10時、北越谷駅に集合したのは36人。雲一つない快晴で小春日和の中、北越谷第4公園で、打合せと体操。まず元荒川緑道を歩く。続いて桜堤通。桜の古木が整然と並木になって続く。花見頃には、さぞかし人出が多く賑いに満ちていると想像されるが、今はほとんど人がいなく、偶にランニングで体を鍛える人に出会う程度で歩きやすい。
大沢橋で左岸から右岸に移り、越谷御殿跡に着く。ここは江戸時代に徳川幕府の御殿があったが、1657年江戸の大火で江戸城が焼失したため、急遽、この御殿を江戸に移築したとのこと。当時の面影は全然分からない。しばらく行くと建長元年(1249)板碑があった。塔婆の一種で板石塔婆とも言われるそうだ。
宮前橋から葛西用水中土手に入る。左に元荒川、右に逆川(葛西用水)が流れ、中洲のようになっているが、整備が行き届き広々とした市民の広場となっているようだ。ここで休憩。いきなり裸足になったメンバー、何をするのか不審に思ったところ「裸足で歩く道」があり、そこを歓声を挙げて歩き始めた。若々しい好奇心! 素晴らしい光景だった。
しらこばと橋は瓦曽根堰にかかっている。この堰、幾多の変遷を経て現在の姿になっているが、水利と災害の歴史とも見られ、その時代、時代の英知と苦難がこめられている。
しばらく右岸を歩き大聖寺に入る。ここには市の天然記念物になっている「タブノキ」がある。幹回り4メートル、樹高8メートルというまるでボテロのようなデブッチョの木。樹齢500年といわれ、幹の中は空洞だけど意気盛ん。「霊の木」から転化したとも言われ、神木にされることが多いそうだ。
不動橋を渡り、一般道を歩き、花田苑に入る。一見、由緒ある庭園のようだが、平成に入って完成した越谷市の回遊式池泉庭園。紅葉に映えた池には鯉が泳ぎ、その鯉にはプラチナ黄金、丹頂紅白、ドイツ紅白、山吹黄金など変わった名前がつけられている。

「小春日の 苑は寂として 鯉泳ぐ」  利

この庭園で弁当を開き、食後は能楽堂に入り、畳の感触とぴかぴかに光った板の間の美しさを堪能した。ここで数人が退散したが、残ったメンバーで新方川緑道に出る。
ここにも桜並木が続くが、冬空の中ではまるで枯れ木の並木。定使野橋から逆川緑の道に出る。キャンベルタウン公園で小休止。この公園も手入が行届き、子供連れの市民が無邪気に遊んでいる。
初めて歩いた越谷市だが、元荒川の水利を巧みに利用し、美しくて市民の役に立つ街づくりに勤しんでいるように感じられる。東大沢橋を渡り、スタートした北越谷駅に到着し解散した。

Posted by taichiro at 23:16

2004年11月26日

新潟中越地震に義捐金を贈呈

先週の会報で新潟中越地震の被災地に対し、ウォーキングクラブGNPとしてささやかな義捐金を募ったところ、直ちに39人の方から40,000円の義捐金が寄せられました。
11月1日、この義捐金を潮見郵便局から新潟県災害対策本部(口座番号00510-8-725)宛に振込み(振込料は免除)を致しました。
浄財を寄せられた方、誠に有難うございます。

Posted by taichiro at 02:08

2004年11月21日

◎第345回[古刹平林寺と野火止用水]

11月20日(土)午前10時=約13キロ= 
柳瀬川駅西口(東武東上線)集合→柳瀬川堤防→普光明寺→野火止公園→睡足軒の森(弁当)→平林寺(見学休憩)→史跡公園→黒目川→東久留米駅東口解散 

◎第345回[古刹平林寺と野火止用水] =約13キロ=
11月20日(土)午前10時、柳瀬川駅西口に集合したのは40人。昨日まで降り続いた雨が嘘のように雲一つなく晴れ渡っている。駅前広場で打合せと体操。近所の人が何事かと我が会報を1部欲しいと言ってきたので差し上げた。柳瀬川の堤防はところどころに水溜りがあって歩きにくいが、ほこりは立たず、水量の多い川の流れは澄み切って水鳥が我物顔に餌を漁っている。途中、自動車道を2箇所、無事横断した後、畑道に入り、普光明寺に到着。西暦806年に創建された真言宗の古刹。紺碧の青空の下、境内は冴え渡っていた=写真左下=。川越街道を少し通り、野火止公園で小休止。10分ほどの間に全員到着。昼食場所に予定していた睡足軒の森に入るが、ここは案外狭く、弁当を開く場所がない。そこで急遽、平林寺に入って紅葉の下で弁当を開くことにした。時は正に小春日和! 最盛期に入った紅葉=写真=は太陽に映えて絶妙の冴えを見せている。ここは南北朝時代に岩槻市に建立されたもので、江戸時代に入り、松平家が現在の野火止に移したとのこと。広大な境内は武蔵野の面影を今に残している。

「智恵伊豆の 墓に寄りそふ 櫨紅葉」 利

野火止用水本多緑道を辿り、史跡公園、西堀公園を通り、何の加工も加えず、自然のままに保護している金山森の広場に入る。住宅地の中に忽然と広がるベンチもなくトイレもない広場を見ていると、返ってそこに作為が感じられるから不思議だ。黒目川縁をしばらく歩き、東久留米市東部図書館前で久し振りにUさんに逢う。今住んでいるところが直ぐ近くとのこと。贅沢にも太極拳のオーソリティーに体操の指揮をしていただき、身も心も快くほぐれて気持よくなって、東久留米駅東口で解散した。 

Posted by taichiro at 13:10

2004年11月16日

◎第344回[東京百景 信濃町・四谷] =約10キロ=

11月13日(土)午前10時(JR01023)
JR信濃町駅集合→聖徳記念絵画館→いちょう並木→乃木神社→一つ木通→迎賓館前(若葉東公園休憩)→弁慶堀→策の池→新宿歴史博物館→四谷駅解散 

◎第344回[東京百景 信濃町・四谷] =約10キロ=
11月13日(土)午前10時、JR信濃町駅に集合したのは、46人。受付を済ませた後、聖徳記念絵画館前の木陰で、打合せと体操。本日、来年の例会計画案のコース図を各担当者に配布。担当場所の確認と下見予定日などの日取りなど各自早速、検討していた。
神宮外苑前のいちょう並木は未だ青々としていて黄金色に輝くのは半月ぐらい先と見込まれる。続いて外苑東通を歩き、乃木神社に到着。殉死した乃木希典夫妻が祭られているが、人が神になる日本特有の宗教心がある。
赤坂小学校前でクランク状に左右に曲がり、三分坂で左折、日本コロンビア前で右折、しばらく直進して一つ木通に入る。今ではTBSが有名だが、江戸時代から商店が集まり、赤坂の中心的な商店街になっている。弁慶堀を渡り、清水谷公園で休憩。すっかり色付いてきた公園で汗を冷やし、水を飲み、トイレを済ますと活気が再び漲り、歩き始めは快調だ。
迎賓館前の若葉東公園横から四ッ谷駅に向う眺めは結構美しい。この公園は別名「三角公園」と呼ばれ、迎賓館と調和した形でデザインされ、広場の中央にはギリシア風の列柱が立ち、味のある風景だ。
ここから一寸した階段を上がり須賀神社を参拝し、於岩稲荷を眺め、策の池、新宿歴史博物館を通り、三栄通を通ってゴールに到着するのがコースだが、この階段に辟易して直接、新宿通に出た不心得者もいた。
いずれにしても全員無事にゴールの四谷駅に到着。記念バッジをいただき解散。三々五々、それぞれ食事場所に向った。

Posted by taichiro at 18:59

2004年11月07日

◎第343回B[龍王峡と川治温泉] =約10キロ=

11月6日(土)午前7時10分東武浅草発乗車→9:49龍王峡到着→ウォーキング→川治温泉(入湯)→15:24川治温泉発→18:04浅草駅到着解散

◎第343回B[龍王峡と川治温泉] =約10キロ=
11月6日(土)午前7時10分東武浅草発に乗車したのは21人。全員座席を確保。曇った空を心配しながら定刻9時49分龍王峡に到着。10時スタート。
駅前の入口から入った途端、満開(?)の紅葉に囲まれ、歓声を上げる。虹見の滝の水量は豪勢! はるか遠くからでも飛沫を浴びるような錯覚に囚われる。若干のアップダウンを繰り返しながら鬼怒川の右側を歩き、途中、黒ずんだ気持の悪い底なし沼を眺め、むささび橋を渡りむささび茶屋でトイレ休憩。ここからの眺めは上流側も下流側も息を飲むほどの景観。紅葉の鮮やかさと白い岩場、それにコバルト色の水流が見事にマッチしている。
今度は鬼怒川の右側を歩く。こちらは絶壁にわずかな遊歩道。下を見ても上を見ても絶壁! 出来たばかりの手すりがあって安心して歩けるが、若し無いと相当なスリルを味わうことになる。大観、五光岩、兎はね、かめ穴と谷に創られた自然の造形美には心を打たれる。急激に曲がりくねった白岩半島を辿り、河原で弁当を開く。
今度は川治第二発電所を見下ろしながら浜子橋を渡り、本当は下の河原の遊歩道を歩くところを上に上がり第1トンネル、第2トンネル、第3トンネルとくぐってしまった。幸い車の通行はなく声の反響と暗さを楽しみながら歩けた。目の前に川治温泉駅が見え、ゴールに近づいたと喜んでいたが、ここからが案外遠い。直線的な道を辿りアジサイ公園を抜け、黄金橋を渡ったところが「薬師の湯」。川治温泉岩風呂だ。
女湯と男湯があって男湯に飛び込むが何と対岸からは丸見え。ゆったりゆっくり入っていると対岸にいつの間にか女湯を終えたGNP一行がこちらに手を振っているではないか。すっかり目を楽しませてしまった。
2時40分川治湯元駅に到着、3時24分発の電車に乗るにはずいぶん早いと思ったが、その後、続々と帰京客がやってきて、早く着いたのが正解。全員無事座席を確保して睡眠自由、談話自由の中で、無事帰京できた。

Posted by taichiro at 09:38

◎第343回A[手賀沼の野鳥と親しむ] =約8キロ=

11月6日(土)午前10時 (JR01022)
JR我孫子駅集合→旧我孫子宿脇本陣跡→白樺文学館→手賀沼公園→手賀沼親水広場→鳥の博物館→水生植物園→天王台駅解散 

◎第343回A[手賀沼の野鳥と親しむ] =約8キロ=
11月6日、JR我孫子駅に集合したのは21人(W12協力者等を含む)。曇り空の中、駅前を出発。イトーヨーカドーを過ぎ、我孫子宿本陣跡を眺め、左折して高台に上がり、大河のような手賀沼を望む。志賀直哉邸跡、白樺文学館と進み、信号を渡るとそこは手賀沼公園。テントが並び、あったかい甘酒をご馳走になる。広場でちょっと体操。丁度ジャパンバードフェスティバル開催中で、スタンプラリーもあり、各ブースは大賑わいだった。

「小春空 肩に鸚鵡の 湖畔かな」   利

大正デモクラシーの文士達の紹介をした文学の広場を過ぎ、湖畔に沿って舗装された遊歩道と土の土手道が続く。手賀沼大橋をくぐると沼の中に噴水が上がり、岸辺には大小たくさんの鳥達がのんびり遊んでいた。
親水広場のテントでは鳥に関する展示が軒並みに並ぶ。水の館、鳥の博物館、水生植物園、長い藤棚、区画割した家庭菜園と過ぎて、岸辺から離れる。後はひたすら天王台駅への坂道を登る。途中、単線の成田線を越えた。
あまり寄り道しなかったグループは、12時にゴール。そのまま帰路についた。終わり頃になって、太陽が顔を出した。

Posted by taichiro at 09:37

◎第342回[近藤勇の故郷に出陣] =約10キロ=

10月30日(土)午前10時
調布市郷土博物館(京王多摩川駅徒歩5分)集合→若宮八幡神社→西光寺→近藤勇生家跡→龍源寺→国立天文台→深大寺→神代植物公園解散 

◎第342回[近藤勇の故郷に出陣] =約10キロ=
10月30日(土)午前10時、調布市郷土博物館に集合したのは、42人。生憎の雨天で室内で打合せ。新潟中越地震の義捐金を募ったところ、他ですでに寄付をされた方を除いてほとんどの方が応募=別稿参照=。雨のため体操を省略して出発した。
若宮八幡神社に向う。この神社は近藤勇の氏神様。戦勝祈願したといわれている。続いて西調布駅を越え、西光寺に入る。山門の左側に勇の坐像が置かれ、境内には十一面観世音菩薩像が柔和なお顔で立っていらっしゃったが、よく見ると頭髪の部分に十面のお顔。不思議な雰囲気だ。

『秋雨に 濡れる「勇」の 貌険し』 利

旧甲州街道をしばらく歩き、右折して歩幅が十分ある歩きやすい歩道橋を渡ると、そこは味の素スタジアム。調布飛行場の南端に建設されたサッカー場だ。この下で休憩。スタートで出来なかった体操もここでする。
巨大な飛行場跡にこの公式サッカー場や少年サッカー場、同野球場など運動設備が西側に出来、東側は養護学校や福祉施設が出来、その真中に直線的な広い道路が出来ている。その北端は武蔵野の森公園。未だ建設途上だが広々としている。
高台に上ると現在の調布飛行場が見える。セスナ機やヘリコプターの基地になっているようだ。各都道府県の石が展示されていたが、東京の石は何とこの地で採取された石だった。
人見街道と野川公園の入口が交差するところに近藤勇生家跡があり、その少し先が菩提寺になっている龍源寺だった。ここにも勇の胸像があったが、この顔は神経質そうで頬骨が出っ張り怖い顔をしている。
野川を越え細くて木段になった道を辿り畦道を歩き、国立天文台の裏門に入る。大木が古色蒼然と林立し、一見別世界に入り、時間が止まったような敷地内。受付を済ませて東大の学生から案内を受ける。第一赤道儀室、アインシュタイン塔、大赤道儀室と案内されたが、いずれも現役から引退した80年から70年ぐらい前に建造されたものだ。木造の屋根だったり、錘の原理を利用して動かすものであったり、今では想像のつかないカラクリの原理が働いている。林内の注意事項に「蚊、蜂、蛇などに注意」とあり、いかに世間離れしているか、よく分かる。
雨が激しくなり、正門からわき道に入り、造園栽培をしている生産緑地の中を抜けて神代植物公園正門前に出て、ここで解散した。 

Posted by taichiro at 09:36

2004年11月05日

出世不動尊のノボタン

深川資料館通り別名ピカソ通り、霊巌寺の前の出世不動尊に鮮やかに咲くノボタンの花。KM
Posted by mobile at 20:00

2004年11月01日

武蔵野の森のツツジ

冷たい雨が降る10月30日、葉っぱが紅葉しているのにツツジの花が、可憐に咲いていた。何だか今年の10月は変! KM
Posted by mobile at 09:41