2001年10月27日

お城みたい競馬場跡

◎第192回【港ヨコハマの今昔を訪ねる】
 (JR東日本横浜支社企画)=約8㌔=
 10月27日(土)9時近く、JR根岸線根岸駅で地図だけ貰って受付の「馬の博物館」に向かって三々五々歩き始める。途中、白滝不動尊に登る道がちょっとした急な階段。それでも万里の長城に比べると月とすっぽん。一汗かいたが、大したこともなく登り切り、馬の博物館に到着。
ここで受付を済ましたのは34人。スタンプを貰い、バッジも貰って芝生に入り、恒例のストレッチ体操を衆人環視の中で全員で実施。一緒にやっている人もいた。最近では人に見られることも気にならなくなった。
折角の博物館だったが中に入らず、ポニーセンターを巡り、モーガン広場に向かうが、元根岸競馬場の跡ということでお城のような佇まいがそのまま残り、しっとりと落ち着いた公園になっている。
住宅地を通り、押しボタン式の信号をしばらく押さないで待っていたため、渋滞を起こしたりしながら山手公園に到着。すぐ横に有名な横浜外人墓地のなだらかな傾斜が見えたが、右折して港の見える丘公園に入る。
ここには神奈川近代文学館や大仏次郎記念館があるが立ち寄らず、公園を縦断して陸橋を渡り、横浜人形の家を横目に見ながら山下公園に入る。氷川丸を見ながらここで休憩。天気に恵まれ、快晴の中で心地よい浜風に身を任せ、汗が静まるのを待った。
県庁や横浜税関など公共の建物を眺めながら橋を渡り、かつての倉庫街、赤レンガパークを横目に見ながら左折して新装なった板張りの汽車道に入る。レールをそのままに板敷きにした遊歩道は歩き易く気持がいい。よこはまコスモワールドやランドマークタワーの景観をここから見ていると何だか外国に来たような雰囲気。
瞬く間にゴールの根岸線桜木町駅に到着したが、人混みがすごく、単に[ご苦労様]の幕だけに迎えられ、何となく締まらない解散となってしまった。

GNP有志しまなみ海道を制覇
 GNP常連のM.Kさん、M.Nさん、T.Hさん、E,Yさんの4人、今週はお休みでしたが、実はお忍びでしまなみ海道に出かけていました。ヒッチハイクまがいでしまなみ海道を制覇し、自転車で40キロも遊覧して宿の人に心配をかけたりしたようです。素朴で親切な人々に囲まれ楽しい3日間、青春されて来られたと聞いています。

Posted by taichiro at 00:29

2001年10月20日

透明な湧き水を口に

◎第191回【お鷹の道すすき見コース】
 (第5回京王沿線ウォーク)
 10月20日(土)9時30分、京王府中駅に集合したのは43人(健康センター応援者を含む)。初めて集合時間の始りから集まってみたが、受付の人だかりはすでに激しく、長い行列ができていた。20分ぐらいかかって出発。

馬場大門の素晴らしいケヤキ並木は、野鳥の絶好の暮らし場所らしく、百舌やヒヨドリの鳴き声もけたたましかった。寿中央公園で打合せと体操。ウォーキングの前後にはよくストレッチ体操をするべきだと物の本には書いてあるが、実際のウォーカーで実施している人は意外に少ない。
北府中公園を通り抜けると府中刑務所の高い塀が続く。中の様子はどうなの? って聞いてみたが、流石に周りには答えてくれる人はいない。
武蔵野線をくぐり国分寺尼寺跡に着く。造成中らしく、いまはただだだっ広い広場という感じで面影も見えない。黒鐘公園もその跡地の一つと見られ、横の土の道は鎌倉古道とか。「いざ鎌倉!」と駆けつける兵どもの足音を夢想してみるが、どうもはっきりしない。
陸橋を渡り、いよいよ本日の目玉、国分寺薬師堂に上から入り、階段を下りて楼門に出た。目の前に国分寺本堂があり、万葉植物園が併設されていた。ここで暫時休憩。珍しくAグループが散策気分で最終到着。今日は婆グループだと自嘲していた。
音に聞こえたお鷹の道は小さなせせらぎに沿っていた。その源泉といわれる真姿の池湧水池を見てきたが、透明な湧き水、思わず手で掬い口にあててみたが、冷たくて味がいい。そのそばにあった採れたて青果の直売店には人がたかり、周りのススキはすでに秋の深さを示していた。
東八道路を少し歩いた後、東京農工大学の正門前を通り、府中公園にたどり着く。何か行事があるらしくテントの準備や屋台が出ていたので、中を通ってみたが、午後から始まるとのこと、特に興味のある話もなかったので、そのままゴールの府中駅に向かい、記念品に靴用乾燥剤「パワフルドライ」を頂き、正午前、解散した=約10㌔=。

Posted by taichiro at 00:27

2001年10月13日

貫禄ある戦前の建物

◎第190回【上野・日本橋下町の近代建築を訪ねて】
 (JR東日本・西武共同企画)=約10㌔=
 10月13日(土)10時、すっかり雰囲気が変わってなんと3階にある上野駅浅草口に集合したのは48人(京急ウォーク参加者も含む)。受付を済まし、公園口にも通じている路上で恒例のストレッチ体操を衆人環視の中で行ってから出発。

旧下谷小学校を横目に関東大震災直後に出来た同潤会アパートは稲荷町にあるが、地下鉄稲荷町の駅舎も貫禄がある。対面にある永寿病院は今でも患者がいつも大勢詰め掛けている下町一の人気病院。
しばらく歩いていると、いわゆる看板建築の家並み。不燃建築にするため、木造建築に銅板を貼ったといわれており、今では銅板から緑青が噴き出し貫禄十分。
蔵前橋を渡り、横網公園、安田庭園を巡り、国技館を横目に両国に出る。芥川龍之介文学碑と吉良邸跡との関りを考えているうちにもう新大橋。橋を渡ったところがすっかりきれいになった浜町公園。ここで休憩。
続いて浜町緑道、甘酒横丁を通り、東京穀物商品取引所を横目に鎧橋を渡り、日本経済を牛耳る東京証券取引所の玄関に出る。今度は日本橋を渡り三越本店、三井本館、そして日本銀行本館と古色蒼然たる明治大正時代の建物が立ち並ぶ中を見上げて歩く。
古いほうのうらぶれた常盤橋を渡り、大手町に出て新築の高層ビルにとんがり屋根の英国風の外壁を貼り付けて当時を偲んでいる東京銀行協会、コリント式の列柱や軒下の飾りなど古典主義の外観は日本建築の最高傑作といわれている明治生命館をわざわざ遠回りして眺める。重厚な金属の飾り細工物も鈍く光っていた。
ゴールの東京駅丸の内に到着したが、この丸の内駅舎が赤煉瓦建築の代表的名建築物である。不思議なことに何時見てもどこから見ても「あ、東京駅だ」と感じる。ところが八重洲口側だと、東京駅という文字を見てはじめて分かる。
記念品を貰って後続隊をしばらく待って解散した。

Posted by taichiro at 00:26

2001年10月07日

華麗なコスモス群生

◎第189回【国営昭和記念公園】=約10㌔=
 10月7日(日)10時、昭和記念公園南口ゲート入口前に集合したのは49人(ウォーキング12週間応援者を含む)。第3四半期の皆勤者9名に対する記念品(ハイテクたわし)を贈呈したあと、衆人環視の中、体操を行い、無料の園内に入った。

「水鳥の池」を少し眺めて園内を縦断している残堀川を渡るメイン橋「ふれあい橋」を渡り「ふれあい広場」を縦断、立川口を見てUターン。カナールに沿って銀杏並木が整然と立ち並ぶ「かたらいの道」はまだ青々としたイチョウにたわわに実った銀杏がついたまま。色づく季節の美しさを髣髴させてくれる。もとへ戻り、今度は「水鳥の池」の中の「木橋」を渡って香り豊かな「ハーブ園」に入る。
つづいて「うのはな橋」を渡り、「みんなの原っぱ」に着く。大勢の人たちがいろんなイベントをいろんな形で賑やかにやっていたが、肝心のコスモス畑、手前側はほとんど花がついていない。広場の北側に着いてやっとコスモスにお目にかかるが、まだ満開とは言えない感じ。
今度は「日本庭園」に入ってみる。戦後になって作られたものらしいが、落ち着きのある風情は、池と庭と建物がうまく調和しているせいだろうか。ことに何も置かない芝生の美しさが清楚で気持ちがいい。庭園を出て裏側の水なし渓谷のちょっとした岩登りをすると簡単に展望台に着く。
展望台から眺めた園内の広さは広大だ。北側のコスモス畑は満開。赤、黄、ピンク、紫、白と色とりどりのコスモスの迷路。花弁が意外に大きい。展望台横の芝生で弁当を開く。このあと、「こもれびの丘」を歩き、玉川上水口ゲートから残堀川に出る。
工事中とのことで川の水はほとんどなく正に残堀風景。緑道という名のレンガ道。桜並木がつづき、約1キロ、上宿橋で玉川上水と交差する。玉川上水は満々と水をたたえているにもかかわらず、残堀川はチョロチョロ流れているだけ。不思議な光景だが、別名、上水橋となっている上宿橋にからくりがあるようだ。
ここからは玉川上水緑道。土の道で適当に腐葉土に覆われ歩きやすい。金毘羅橋、千手小橋を越え、急に開けると頭上にモノレールの高架橋。ここがモノレールと西武線が合体した玉川上水駅だ。駅前広場で整理体操をした後、エスカレーターで駅に向かい解散した。

Posted by taichiro at 00:25