2000年06月25日

◎第125回【リバーサイドウォーク②】

梅雨の晴れ間を期待したが、6月25日(日)はやはり無理。それでもそんなに激しいものではなかったが、集合地、東横線多摩川園駅に午前10時 集合したのは20人であった。
早速手続きを済ませて、歩き始めたが傘を片手に泥濘を踏みしめて歩くため、靴は汚れるは、はねは上がるは、からだは濡れるはで散々の目にあったが、それでも厳しい日差しを浴びるよりも助かったのかもしれない。多摩川台公園を横目で眺め、第三京浜新多摩川大橋、二子橋、新二子橋をくぐり、東名高速多摩川橋の下で休憩。立ったままおにぎりなどをいただく。
そのあと、ひたすら歩きつづけ、小田急線和泉多摩川駅に意外に早く到着。12キロの道程であったが、正味2時間足らずで歩いてしまった。

Posted by taichiro at 14:42

2000年06月17日

◎第124回【相模原緑道】

6月17日(土)午前8時30分、新宿駅南口に10人近くが集合、京王新線8時42分発橋本行に乗車、都営から乗り継いだ20人近くと合流。橋本駅からJR相模線に乗り、原当麻駅に到着した。(予定の列車に乗り損ねた人もいて、後発隊も合わせて)総員43名、手続きを済ませ10時15分出発した。 =約15㌔=(JR東日本主催ちーたび第3回)

梅雨の中休みというか、湿気たっぷりで、時折吹く風がうれしい。人の流れをすり抜けて、当麻山公園の紫陽花を横目に眺め、当麻山無量光寺の入口を横切り相模線を跨線橋で渡る。
あざみがや交差点から横浜水道みち緑道へ。県立相模原公園の菖蒲を眺め噴水広場に出る。まっすぐ広がる池と花壇を抜け、花時計から市立相模原麻溝公園に繋がる。また水道みちに戻る。おもちゃの汽車とくねくねレールが面白い。消防署から左に曲がり双葉町へ。「森林の中の遊歩道」に入る頃、ポツリと来た。木もれびの森で休憩、傘を差してお弁当を食べる。
合流する予定だったC班はもう少し先の林の中で休憩していた。相模原中央緑地を通りぬけ、木もれび通りをひたすら歩く。傘を差しての直線コースにちょっとうんざりする。淵野辺公園前を過ぎ、右折。16号線を渡り鹿沼公園に着く。物産展が開かれていて、入口のテントで相模原市のマップと花の種を貰い、ゴールと勘違いしたが、気を取り直して歩き、横浜線淵野辺駅へ到着。販売コーナーあたりで姿が消えた皆を待つが、なかなか来ないし雨も強くなったので先に解散。「お疲れ様でした」と駅の人が迎えてくれた。

Posted by taichiro at 14:41

2000年06月12日

四百字随想その56 

1.傘
(二〇〇〇.五.二二)=自分=
 今、私が愛用している傘はもう十年を越える。作りが頑丈で名前が入っている。ところが、ここについている名前、私の名前ではない。従兄の名前だ。つまり形見分けにいただいた傘だ。今まで安物の傘ばかり使っていて大抵はビニール傘で済ましていたため、傘立にはいやというほど安物の傘が立っている。置き忘れてしまった傘も数知れず、その代わり借りてきて返さなかった傘もあるようで、自分の傘か人の傘か区別がつかない状態だった。それがこの傘を愛用するようになってずーっとなくさないで続いている。もちろん置き忘れたこともあるが、必ず連絡して取り返してきた。ものを大事にする姿勢がこの形見分けの傘でできるようになった。使い捨てのような気持でものを粗末にしてきたことが、この傘一本でずいぶん違ってきた。最近では靴を大事にするようになった。型崩れしないように履き続け、使い尽くしてみたい。そこに自分のブランドを見つけた気分だ。

2.私の投資
(二〇〇〇.五.二九)=自分=
 もの心がついてもう半世紀を過ぎているが、投資したものは何だろう。若干の株式、若干の預金を持っているが、投資したというにはおこがましい。強いて投資したものといえば子供といえるかもしれない。しかし、その投資も金銭ではない。自分の思いのようなもの。自分ができなかったことを託したといえようか。長男はコンピュータ。次男には情報。そして長女には演劇。これからの人間社会で必要なもの。道具ではなんと言ってもコンピュータであり、ソフトではなかろうか。そして情報の伝達。つまり通信手段の確立である。この二つは常にスピードを競い、大量処理というゆとりのなさを生み出していくため、ゆとりを持つという情緒的な心の産業が必要になってくる。これが演劇に象徴されるエンターテイメントである。これには演出が絶対に必要になってくる。この三つを子供たちは職業としてくれている。私が投資しているもの。そんなに選択は間違っていない。
 
3.世  襲
(二〇〇〇.六.五)=文化=
世襲という言葉を聞くと何となく古臭くて封建的な感じがしたり、権利の上に眠っているように思うことが多いが、本来は営々と続く家業のようなものがあってもいいはずだ。例えば政治家。政治という世界は本来、人のため国のため社会のために尽くす職業であって自分のことを考えていてはできない仕事である。政治家の家に生まれて政治の世界を知っている子供が政治を目指すことは間違いではない。佃煮屋の子供が佃煮屋を継いだり、理髪店の子供が理髪屋になることと同じである。ところが戦後どういうわけか猫も杓子も家業を継ぐことが悪でサラリーマンになることが最善のような雰囲気があり、親が営々と続けていたことを放棄して新しいことをする風潮がある。五百年、千年と続く家業。そういうものを尊重する世界を作り出すこと。それが世襲であり、そこに命の引継ぎと文化の引継ぎを感じ取ること。これができれば人類に光明が見える気がする。
(平成一二.六.五東京新聞夕刊掲載)

4.恥と罪
(二〇〇〇.六.一二)=文化=
恥はしてはいけないことのようにいわれているが、実は生きている人間は本来恥ずかしいことばかりしているような気がする。裸になること、食事をとること、排泄すること、そういうことはみんな人に見せてはいけないことで、恥ずかしいことなのである。お金を稼ぐことだって恥ずかしいことなのだ。つまり、人間にとって生きるすべての行為は本来恥ずかしいことで、人に見せてはいけない気がする。ところがこのタブーがだんだん取り払われ出して、人間はおかしくなってきた。まず料理番組。料理という行為はどんな場合でも生きているものを殺す行為である。これは人に見せるものでない。にもかかわらず切る、削る、煮る、焼く、炒めるなどの野蛮な行為をテレビでさえ見せ始めて、たがが緩んでしまった。裸もそうだ。恥は恥ずかしい事をしないことではなく、恥ずかしいことを人に見せないことである。恥を知らなくなったことが人間の最大の罪である。

Posted by taichiro at 09:49

2000年06月11日

◎第123回B【塩原一泊ウォーク】

予報通り雨模様の6月10日(土)午前8時、木場公園に予定した25人全員集合。バスが途中の混雑のため10分ほど遅れて到着したが、無事乗車。途中から雨が降り始め、前途が思いやられたが、塩原に近づくにつれて止んできた。塩原郷土資料館で下車、10時半からのからくり時計を見学。結構面白い趣向であった。

硫黄の匂いが立ち込める塩原新湯温泉に12時前に到着。すぐに塩原自然研究路に入った。富士山は避けてヨシ沼を通る平坦な道を選んだため、ほとんど下りばかり。大沼公園で昼食。霧が出始め視界が悪くなり、気温も下がっている。軽装の身で万一のことも考えられるため、本道ばかり通り、一路、小太郎ヶ淵を目指した。途中の標識も完備され、迷うことなく目的地に到着。
草団子を口にしてしばし休憩。後は妙雲寺を見学し、箒川遊歩道を遡り、逆杉まで歩く。1,000年にもなるといわれる杉の大木、さすがに貫禄があり一見の価値があった。源三窟も見学してホテル深山荘に5時前に到着した。
翌11日は8時半、小雨の降る中、バスで日本一長いといわれるもみじ谷大吊橋に行き、渡る。ついでに回顧のつり橋も渡り、回顧滝見学。その後、大網温泉までバスで戻り、そこから塩原渓谷遊歩道を歩く。
箒川ダムの上を歩いていたとき、カモシカ1頭に出会う。ちょうどこちらが金網の中にいたため、カモシカの方が珍しがって眺めていたような錯覚にとらわれる。露天風呂、不動の湯には雨なのに人がいた。それに岩の湯にある赤いつり橋は結構ゆれてスリル満点。天皇の間記念公園はタイミングよく無料で見学できた。
ここからビジターセンターまでの遊歩道は短いがよく整備され快適。雄大な天狗岩の景観を眺めながらビジターセンターに予定より早く11時半に到着。約1時間ここで休憩。バスで塩原ターミナルまで戻り、くいものや花水木で昼食。ビフテキに舌鼓を打った。
14時30分JRバスで東京に向かい、17時30分、東京駅に到着。コーヒーを飲んで解散した=約20キロ=。

Posted by taichiro at 14:39 | Comments (0)

2000年06月10日

◎第123回A【桃園川追跡】

 6月10日(土)午後1時、今にも降り出しそうな空の下、蚕糸の森公園に31人が集合しました。Tさん先導の体操とS.Yさんの旗持ちで出発しました。
 桃園川って、川はどこにあるの? っていうくらい川は見えないのです。なんと、歩いている下に流れているとのこと。幅3メートルくらいの緑道には左右に人家が密集し、その家の人が植えたものかどうかわかりませんが、花、草木が、特にいろんな種類、色の紫陽花が梅雨空の下でとてもきれいでした。
途中、宮前公園で10分休憩しまして、もう終点なの? というくらい体力に余裕を残して雨にも降られず、せせらぎの里に到着しました。空とはうらはらの気持のいい紫陽花見物でした。
=約7㌔=        [Y.T 記]

Posted by taichiro at 14:38

2000年06月03日

◎第122回【蛇崩川追跡・世田谷緑陰】

 6月3日(土)午後1時、目黒川の歴史や役割を展示した川の資料館を三々五々見学した後、広場に集合。体操をした後、目黒川に注ぎ込む蛇崩川の水を眺められたのは最初だけ。あとはすべて蓋をされ緑道となっている。延々と続く緑道は、よく整備され、いろんな花が植栽され、手入れが行き届いている。

駒繋神社にほんのちょっと寄り、また緑道に戻る。丸山公園、小泉公園を経て、親和橋で緑道を離れ、駒沢緑泉公園で休憩した。
玉川通りを越えて駒沢公園に入る。この公園は雄大で樹木も大きくうっそうとした佇まい。歩いていて気持がいい。サイクリングロードを、四人乗り二人こぎ自転車を借りて親子で乗っている人もいた。
うっそうとした大木の林の中に、豪農であった三田家が開放されていたので、見学。間取りの多さに掃除の大変さを想像、羨ましさはあっても、ここに嫁に来る気は皆さんなさそうだった。
駒八通をまっすぐ歩いて九品仏浄真寺に来たが、例の事件のためか自由に境内に入る雰囲気がなく、殺伐とした感じだった。九品仏駅をチラッと見て、等々力通を歩く。東急大井町線と東横線の踏切を越え、樹木でうす暗い奥沢神社へ到着。AB一緒に体操して解散し、東急東横線自由が丘駅に向かった=約13㌔=。
今日のコースは結構長かったが、風もありうす陽で快適なウォークだった。参加53名。

Posted by taichiro at 14:37