2000年05月28日

◎第121回B[リバーサイドウォーク①]

5月28日、朝からの雨も8時ごろには上がり、京急空港線天空橋駅で受付を済ませる。昨年の参加者は名前を言うだけでカードが貰えた。駅は地下で出□の周りは道路以外何もな<、広々とした向こうに羽田空港の飛行機が見え、海の香りもした。参加した10名、そろって10時、出発。

海老取川を天空橋で渡り左ヘ。遊歩道を歩き、弁天橋と赤い鳥居を横に見て多摩川に出る。滑走路の導入灯が桟橋のように見えた。堤防に水門があり、その内側は船溜まりだ。強風のため帽子を手に持って多摩川の堤防を歩き大師橋を<ぐる。六郷橋、京急、JR線を越えたら勝鬨橋のような丸い形の橋が見えてきた。あれほ多摩川大橋だ。近いじゃないかと思っていたらこれがえんえんと遠かった。日差しも強<なって皆の顔は真赤だ。
橋の下で10分ほど休んで出発する。多摩川自転車道にそって、ガス橋、新幹線、丸子橋とただひたすら歩<。多摩川園の緑の丘が見えたころ、駅員さんの「もう少しですよ。がんばって<ださい」の励ましにつられて、無事、東横線多摩川園駅に12時30分到着した。リゲインを貰って解散。
中目黒までの土休券を買って、次回の分も合わせて皆で分けた。木陰のない14キロは結構きつかった。

Posted by taichiro at 14:36

◎第121回A[歩け鎌倉2000]

天気予報では台風まがいの荒天、行楽は控えた方がいいという5月28日(日)、午前7時25分の東京駅には予定していた26人のうち11人しか集合しなかった。鎌倉武道館についてから3人の方が駆けつけ、14人になりやっと過半数を超えた。今年の記念品ほ夕オル。染色したばかりなので色落ちに注意とのこと。それにジユース類3本、女性にはシルキーパフが配られた。悪路ということで予定された天園ハイキングコースは省略され体操をした後、出発した。

ことしは方針が変わつたせいか、案内板等は一切なく、旗を持った先導者についてい<という形。先導者は40人もいるということだったが、我がGNPは全員第一班について歩いたので、と<に支障はなかつた。ところが、他の班では肝心のリーダーが道に迷ったり、コースが分からなかつたり、準備不足が目立った。それにペースが遅<、時速4キロ足らず、心拍数はぜんぜん上昇しない歩き。
六国見山、錬倉宮、浄明寺緑地でお弁当。そのあと大町と無事通り抜け、鎌倉体育館にゴールしたのは12時55分。
例年に比べ約1時間遅<なつたが、とうとう雨は一切降らず、適当な風があり、日陰もあり、まずまずのウォーキングであった。=約15キ□=

Posted by taichiro at 14:34

2000年05月20日

◎第120回【広尾・原宿・青山】

5月20日、朝からの雨降りにもめげず、午後1時、有栖川宮記念公園に50名が集合。
細い路地を抜け、外苑西通を渡りしっとりして高級感あふれる広尾ガーデンヒルズの並木を通り左折。六本木通は地下道で渡って骨董通へ。有名デザイナーの店を横目に見て青山通を左へ。こどもの城から右には入り、キャットストリート(旧渋谷川歩道)、青山キラー通と歩く。

この頃には雨足が徐々に強くなり、A,Bグループが回った神宮外苑をCグループはショートカット。外苑前で青山通に出たら、Bの解散した数人と会った。そこからは有志ということで10人ほどで青葉公園まで行ったが、他の班の誰も見あたらないのでCも解散した。後で聞いたら、AもBも青山1丁目あたりで中止したとのこと。
青山一丁目のコーヒー屋には、我がGNPの面々、大勢雨宿りしていた。
歩行距離は結局、7キロ程度だった。青山霊園、根津美術館はまた今度。

Posted by taichiro at 14:33

2000年05月15日

四百字随想その55

1.たしなみ
(二〇〇〇.四.二四)=文化=
 「たしなむ」と動詞になる場合と「たしなみ」と名詞になる場合があるが、これほど語感の違う言葉も珍しい。普通、動詞の場合は好んでいるとか、趣味としているとかという意味をオブラートして言うような感じであるが、名詞になるとどういうものか、慎み深い心がけのような感じになる。もちろん、名詞であっても「好み」や「趣味」をいうことは事実であるが、少し違ってくる。「お酒をたしなむ」とはいうが、「私のたしなみはお酒だ」とは言いにくい。つまり、「たしなみ」には全人的な人格全般をさしているような気がしてしかも好ましいものだ。服装も思想も外見も内面もすべてを判断して「たしなみ」というのではなかろうか。時の首相とか、自分の恩師とか、そういう関係者がたしなみのある人と思えるとき、自分が幸せに思える。ところがそうでない時、やはり悲しい。周りの人がすべて「たしなみ」を持ち、自分にもそういう「たしなみ」があるような環境を望んでいる。
(平成一二.四.二四東京新聞夕刊掲載)

2.メーデー
(二〇〇〇.五.一)=経済=
 労働者の祭典、メーデーといわれているが、日本の場合、本当に労働者はいるのだろうか。労働に従事しているという意味では労働者は存在している。しかし搾取されている労働者という意味になると少し違うような気がする。搾取されるためには搾取するものがいなくてはならない。労使協議などを見ていると、使用者側とされているものも決して搾取者ではなく、同じ使用人のような気がしてならない。現に労働者の給料が上がると使用者側も上がる。利益の配当と称するものはほとんど変化はなく、企業そのものが大きくなっているだけだ。もしかすると、企業そのものが搾取者だといいたいのかもしれないが、企業が小さければもともと経営者も労働者もいっしょくたになって働いているのが現状だ。というより労働者そのものが経営者になっているようなものだ。こういうところがもう一つメーデーが盛り上がらず定着しない原因で、そのことは必ずしも不幸なことではない。
 
3.ごみを考える
(二〇〇〇.五.八)=文化=
 ごみは美しい。それに理性に満ちている。我が家はごみの中で暮らしている。まず新聞。紙くずにしかならないが情報が詰まっている。切抜きだけて書棚一つを独占している。それにビデオとテープ。見る積り、聞く積りで貯めているが、十年前のもの、二十年前のもの、見たこと、聞いたことがないのにいつ聞くのだろうか。本がある。服がある。カバンがある。パソコンがある。理性的で美しいが、やはりごみだ。次から次へ新しいものが出る。そういうごみが百年も千年も、いや一万年も残っているとやれ遺跡だ、やれ文化だと姦しいことを言い、折角眠ってしまったごみを掘り出してごみを飾る。捨てがらの貝ですら貝塚として奉るわけだからごみは美しい。死骸ですら一万年も経てば美しく文化的なものになる。化石として残ればなお美しくなる。タイムカプセルとかいうものでごみを残そうとする。こんな美しいものを作り、美しいと感じる人間は奇妙な動物だとつくづく思う。

4.母への手紙
(二〇〇〇.五.一五)=自分=
 お母上、初めてお手紙差し上げます。私も還暦を過ぎ、まもなく名実ともに老人に達します。子供が三人。孫も四人います。永久の別れをした私の歳より長孫は大きくなり十歳になります。もう五十六年前になりますね。私はまだ八歳でした。終戦があり、戦後があり、家出があり、学校があり、就職があり、結婚があり、その都度、どんなにか母上にいろんな相談をしたかったのですが、見果てぬ夢でございました。しかし、いつも私は母上なら何と答えてくれるか、と問いかけ、その答えを想定してその方向に進んだつもりです。母上の答えはいつも明快でした。恥ずかしくないか。自分の考えか。判断基準はこの二つだけでした。人真似を嫌がった母、そして恥を知ること。八歳であった私が母上から引き継いだ資質はこの二つだけでした。でもこの二つ。この五十六年間を曲がりなりにも誤りなく判断に迷うこともなく過ごせた一因です。お母上、ありがとうございます。

Posted by taichiro at 09:48

2000年05月13日

◎第119回【目白台、早稲田、落合】

今にも雨が降りそうな5月13日(土)午後1時、戸山公園に集合した頃には小雨が降り始めた。そそくさと体操をして、傘を差して歩き始める。
ところが箱根山に到着した頃、雨は上がり、傘はしまった。早大正門を眺め、神田川に突き当たり、江戸川公園で階段を登り、椿山荘の正面に出てから胸突坂を下りて再び神田川を通り、新江戸川公園に入って休憩した。

そのあと、面影橋から新目白通をしばらく通って右折。学習院下からおとめ山公園に出た。不思議な金網があったが、これは蛍の飼育室とのこと。水辺のしっとりした公園だった。
坂道を下り、落合野鳥の公園を横目に薬王院に入り、牡丹を楽しむつもりだったが、もうすっかり刈り取られてしまい、面影も見当たらなかったのは残念だった。
一の坂、二の坂、三の坂、四の坂と上ったり下ったりしながらやっと林芙美子記念館に到着。解散した=約11㌔=。

Posted by taichiro at 14:32

2000年05月06日

◎第118回【皇居一周、東御苑】

ゴールデンウィークもそろそろ終わりに近づいた5月6日、天候は曇り。久しぶりに区内の深川公園に午後1時、集合したのは61人。体操をした後、まず佐賀町の食糧ビルに向かう。ここはかつて正米取引所として栄えた場所、今でも中庭を持つ瀟洒な佇まいは美しい。
永代橋を渡り、ひたすら大手町まで永代通を歩く。平日は日本一交通量が多いといわれているが、連休の土曜日、ほとんど排気ガスも感じられない。皇居前広場で小休止。

新緑に映える松は瑞々しい。二重橋談義に花を咲かせながら桜田門をくぐり、国会前庭の日本庭園で休憩。つい一月前まで華やかさを誇っていた桜木はすっかりさわやかな緑一色。
三宅坂から千鳥ヶ淵公園に入り、靖国神社は省略してと考えていたところ、何と北の丸公園も省略してしまい、目の前に北桔橋門。ここからもう一度、北の丸公園に戻る気力も失せて皇居東御苑に入場。本丸址や松の廊下址を散策して大手門で解散した。
B班は千鳥が淵のボートを眺めながら田安門から北の丸公園に入る。武道館前で並んでいる大勢の厚底、ガングロ系の中高生の間をすり抜け、颯爽と北桔橋門へ向かった=約11㌔=。

Posted by taichiro at 14:31