2000年07月29日

◎第130回【夕涼み六本木・愛宕山・芝】

7月29日(土)、夕涼み第2弾は六本木・愛宕・芝コース。六本木駅前の日産ビル前に午後6時、集合したのは52人。とりあえず笄(こうがい)公園まで歩き、ここで体操。
坂道が多く、紺屋坂、狐坂、狸坂、大黒坂、七面坂とアップダウンを繰り返しながら歩き、麻布十番に着く。ここで外苑東通りを渡り、鳥居坂、於多福坂、丹波坂、寄席坂、なだれ坂と坂が続く。その間、どこからでも東京タワーがかいま見え、直進したい誘惑に駆られる。現にCグループはあとから出発したはずだが、いつのまにか前方に見え、追い越したはずなのにまた、前方に現れるという不思議な現象が続く。

ホテルオークラ別館を横目に大倉集古館で休憩するつもりであったが、門が閉まり入れない。このへんに来ると暗くなり始め、愛宕神社の階段を見上げて芝公園に向かう。芝公園もぐるりと一周するつもりであったが、芝公園3の交差点から直接、東京タワーに向かった。Bグループは芝公園を抜け、増上寺の手前を右折。客の少ないプリンスホテルのビアガーデンを横目に通行人をすり抜け、最後に東京タワーに到着。タワー前の人ごみの中で一緒に整理体操をして解散。
汗まみれにはなったが、太陽光線に直接照らされることなく、夜風は結構涼しく感じられた。=約8㌔=

Posted by taichiro at 14:49

2000年07月22日

◎第129回【夕涼み丸の内、霞ヶ関、外濠】

7月22日(土)午後6時、今年初めての夕涼みコースとして外濠公園に集合したのは40人(途中から合流した人も含む)。体操をして6時15分出発。
市谷駅までの遊歩道はまだ太陽の余熱も残り、汗いっぱい。真赤な太陽がビルの隙間に次第に落ちていくのを眺めながら歩く。四谷駅から旧真田濠までの遊歩道ではさすがにさわやかな風も吹き始め、それでいてまだ回りの景色は十分に見える雰囲気。弁慶橋遊歩道に入る予定であったが工事中のため閉鎖されていたので、ホテルニューオオタニの庭園に入りこみ、そのまま手入れの行き届いた庭の散策としゃれ、ホテルの裏からロビーに出て正面玄関から外に出るという離れ業で弁慶橋に到着。青山通りに並ぶ広大な衆議院議長、参議院議長公邸を羨ましく眺めながら通りすぎ、永田町駅に出て国会正門に向かう。

サミット開催中のためか、ことのほか警備中の警官が多く、私達を興味深く観察しているようだった。ようやく日も暮れ始め、議事堂のライトアップがかすかに映え始めていた。大蔵省と外務省の間の並木道は木の茂みも豊かで昼でも暗い道。そろそろ闇が近づいた雰囲気。ところが厚生省前に出るとまだ明るさが残り、法務省前に来ても、桜田門を曲がってもまだ明るく、ここで国会を省略したCグループと合流。日比谷公園で休憩。10分ぐらい休んで出発するとタイミングよく清水谷公園で小休止したBグループと合流。そのまま皇居前を歩き、ライトアップされた東京駅の美しさに感嘆しながら和田倉噴水公園に到着。
珍しく全員で整理体操ができ、そのあと三々五々、様々に様子を変える噴水のライトアップに歓声の声をあげたり、水の出方を探求したりしながら無事夕涼みウォーク8キロの初日を終了した。

Posted by taichiro at 14:48

2000年07月20日

◎第128回【夏の江戸川を歩く】

7月20日(土)午前10時、JR市川駅改札前に集合。京葉線の信号機故障とかで5分遅刻した会長を追いたて、総勢18名、そろって歩き始める。
京葉道路を渡り、「万葉の小道」を万葉集の歌を見ながら通り、手児奈聖堂を覗く。弘法寺の石段を上がって境内の木蔭で体操しもう汗びっしょりになる。
懐かしい感じのアパートを抜け、里見公園分園を通って江戸川土手に出る。鬱蒼とした里見公園を過ぎ、江戸川土手の草むらを抜け、市川ポンプ場に出る。アスファルトの照り返しが、時折通り過ぎる雲の陰に入るとほっと一瞬救われる。北総公団線の鉄橋の下で一休み。
あまりの暑さにコースを変更することにし、矢切の渡しで渡しに乗り、柴又公園に直行。11時半、エレベーターや階段で下に降り、寅さん記念館前の無料休憩所で一息入れて解散した。
=約7キロ=

Posted by taichiro at 14:46

2000年07月15日

◎第127回【大横川と横十間川】

7月15日(土)午前10時 、木場公園ミドリアム前に47人が集合。
木場公園を抜け、大横川を北上し、大横川親水公園を歩く。業平橋から北十間川に平行した浅草通りを通り、柳島橋を右折、横十間川に沿ってうるおいの木かげ道路を南下し、猿江恩賜公園に寄る。ここで休憩し、第1次解散とする。
クローバー橋、横十間川親水公園を通って木場公園へ到着した時には、人数が3分の1くらいになっていた。木蔭を選んで歩きたい真夏の暑さだった。=約13キロ=

Posted by taichiro at 14:45

2000年07月01日

◎第126回【半年記念、有明コース】

 梅雨の真っ只中で予報も雨模様だったが、快晴の7月1日(土)午前10時 、Cグループの皆さんによって準備万端整った東陽区民館4階ホールに71名が集合。(内2名は直接有明に集合)。
 まず第2四半期13回分の皆勤者6名に記念品を贈呈。健康センターのWさんから励ましの言葉とこれからの発展を期待した挨拶があり、続いて久しぶりに顔を見せたU先生から国際的にもこれからの活躍が期待され、手始めに中国を歩くことの提案があり、具体的に検討することとした。そのほか若干の懇談を行った後、洲崎緑道公園で記念写真。有明に向かってウォーキング。

 南海橋、しおかぜ橋、暁橋、漣橋とお馴染みの橋を渡るが、日差しが暑く汗がだらだら、辰巳の森海浜公園で小休止した。続いて辰巳の森緑道公園を通り、辰巳桜橋を渡り、晴海通りを東雲1丁目で横断し、有明貯木場を眺める。有明コロシアムまでの直線コースは木蔭が少なく、ゴールのホテルが目に見えているだけに遠く感じてしまう。やっとコロシアムに到着、時間調整のため、ここの日陰で休憩。13時10分前、コロシアムブリッジを渡り、東京ベイ有明ワシントンホテルに到着。
 全員でランチバイキングをいただく。なかなかバラエティーのある料理とデザート、それに飲み物も豊富で、しっかり歩いてきた一同にとって十分堪能した食事。満腹感に満足して三々五々解散した。

Posted by taichiro at 14:43

四百字随想その57

1.一票に託す
(二〇〇〇.六.一九)=政治=
投票は普通の人が出来るたった一つの政治活動といわれているが、本当にそれでいいのだろうか。一票は一票の価値しかなく、その票が多数を占めて初めて本来の価値を持つ。そのためには自分が支持するもの、自分が信じられることを旗幟鮮明にしてアッピールすべきであり、その力が正しい政治を生むはずである。ところが日本ではどうも自分の信じるもの、支持するものを明らかにしない。その典型的な人々が評論家といわれる方々であろう。選挙結果やその分析には長けているように思えるが、では彼らは誰を選んだのか、鮮明ではない。鮮明にすると職業に差し障りがあるとすれば、それ事態が低次元の政治体制であることを示している。政治に本来客観性は有り得ない。しかも支持は必ずしも持続的である必要はない。いつも豹変しうる一票。こういう一票が政治を変えるはずだ。旗幟を鮮明にしても差別されない安定した国の風土と環境を、日本に求めたい。

四百字随想その57
1.一票に託す
(二〇〇〇.六.一九)=政治=
投票は普通の人が出来るたった一つの政治活動といわれているが、本当にそれでいいのだろうか。一票は一票の価値しかなく、その票が多数を占めて初めて本来の価値を持つ。そのためには自分が支持するもの、自分が信じられることを旗幟鮮明にしてアッピールすべきであり、その力が正しい政治を生むはずである。ところが日本ではどうも自分の信じるもの、支持するものを明らかにしない。その典型的な人々が評論家といわれる方々であろう。選挙結果やその分析には長けているように思えるが、では彼らは誰を選んだのか、鮮明ではない。鮮明にすると職業に差し障りがあるとすれば、それ事態が低次元の政治体制であることを示している。政治に本来客観性は有り得ない。しかも支持は必ずしも持続的である必要はない。いつも豹変しうる一票。こういう一票が政治を変えるはずだ。旗幟を鮮明にしても差別されない安定した国の風土と環境を、日本に求めたい。

2.あじさい
(二〇〇〇.六.二六)=自分=
 もう何年前だろうか。高校生時代、同級生が心中事件を起こした。幸いなことにどちらも助かったが、学校は中退した。それから何ヶ月か経ったある日、私は新聞配達をした後、銭湯に入って、そこで倒れて気がついたときは座敷で寝かされていた。何も着ていなかったはずだが、よく見ると女物の寝巻きを着ていた。なぜ? 何故? そーっと、目を開けて周りを見ると女の子一人、うつらうつらとしている。誰だ! だれだ! うっかり怒鳴ろうとしたが、あの同級生だった。風呂屋の娘だった。急に恥ずかしくなり、急いで目を閉じたが、からだはすっかり目覚めてしまった。しばらくして医者が入ってきて睡眠不足で心配はないとのこと。彼女はいつのまにか消えていた。礼を言って着替えて目を庭に向けた。外は雨。雨に盛り上がった紫が強烈だった。梅雨を迎えると不思議にこの光景がよみがえる。その後、一度も会ったことがないが、おかげで彼女は紫陽花のままである。

3.書けなかったテーマ
=あとがきに代えて=
今回、書けなかったテーマが二つある。一つは「差別と区別」。はじめは簡単に考えた。これほど易しいテーマはないぐらいの気持だった。ところが書いているうちに差別肯定論なのか、否定論なのか、自分で分からなくなってきた。単純に考えれば否定論でいいのだろうが、どこかで本音の中に肯定論がある。何故だ。理屈にならない。そこが割り切れなくなって書けなくなってしまった。もう一つは「介護保険料の徴収凍結」。これも易しいテーマと思った。選挙目的の目先だけを考えた安易な政策。そういう小手先だけの方法論でいいのか。ところが介護保険そのものの本質に疑問を持ち、元気で長生きしてポックリと、との調和点が見出せなくなっていた。こうしてみると、大した考えもなしにいろんなテーマを書き続け、何でも書けるものと思っていたが、実はそうも行かないことがある。逆にいうと書きつづけているがゆえに書けなくなるジレンマが現実に出てくるところが面白い。       平成一二年七月一日

Posted by taichiro at 09:51