1999年12月25日

100.都電跡地・貨物線=納会=

12月25日午後1時、サザンカの咲きそろう亀戸中央公園に集合。体操をしたのち、直ちに出発、丸八通りから京葉通りに入り、歩道橋を渡り、亀戸緑道公園、大島緑道公園を歩く。ここは元都電が通っていた跡地だ。進開橋を渡った後、小名木川駅前に到着、かつては貨物列車の最大基地として活躍していたが、トラック運送に押されて今はさびれているが、なかなかの規模。天井が低くて背の高い人はかがまないと通れないような貨物線のガード下を通り抜け、南砂緑道公園に入る。歩道橋で永代通りを渡り、東陽町から洲崎川緑道公園を歩き、終点東陽区民館に到着。

100回目を記念し、区民館で納会。直接納会にだけ出席した人も含めて、本日の出席者は76人。用意していたケーキの数も足らなく、大慌てで再調達。久しぶりに出席したTさんに大変お世話になった。
納会では、まず、10月から12月までの例会13回に皆勤されたH.Iさん、S.Kさん、M.Kさん、M.Sさん、Y.Tさん、T.Hさんに記念品を贈呈。続いて年間50回すべてを皆勤されたT.Hさんに甲子園に初出場した城東高校の記念テレカを贈呈した。その後、年間半数(25回)以上出席した会員58人(昨年35人)の方に「白の手袋」を差し上げた。
引き続き、これまでの運営状況を説明し、来年度の例会実施計画、レベル別を加味した班別の再編成、班長の推薦、会費の改定などを協議した。
会費 年額 5,000円(中途入会 月額500円)

Posted by taichiro at 15:33

1999年12月20日

四百字随想その51

1.木枯らし
(一九九九.一二.七)=季節=
 先日、木枯らし一番が吹いたが、最近の様子は総じて温暖でどうも冬の実感がない。町中をよく歩くようになってから季節感や気温に敏感になっているはずだが、もう一つ厳しさが感じられない。
 一方、経済状態の方は木枯らしが吹きっぱなしといわれているが、どうも実感としてはその雰囲気がない。ものに不足はないし、服装もしっかりしている。
 私が一番感じる木枯らしは人心である。特に人の上に立つといわれている人たちの無責任さである。「知らなかったこと」、「部下がやったこと」、「そういう責任はない」、「今から調べてみる」、「これからそういうことのないよう努力する」等々。言い訳にもならなくてだれにも言えることを堂々と言い、そういう方々が上に立っている現実。
私には鳥肌の立つほど寒々とした光景である。
     

2.公 と 私
(一九九九.一二.一三)=社会=
 公私のけじめ、公私混同などなど、元々公事と私事を区別するために使われることが多い。ところが最近では公事は本音を言わない、私事はプライバシーとか何とか言って隠すことになっている。真実は事故が起こったり、事件が発生しない限り、分からない。事故や事件が発生しても犯罪として確定しない限り真実は見えてこない。一体全体、公事とは何だろう。国のこと? 市町村のこと? 会社のこと? 団体のこと? 仕事のこと? 最近のように警察そのものが事件を起こしたとき、私事で事件を起こすことと職権を利用して起こすこととの区別。そういうことも何だかよく分からない。破廉恥罪的な事を起こすと、やれ教師のくせにとか、警官のくせにとか、政治家のくせにとかというが、会社員のくせにとは余り言わない。いや、大手の会社だとああだこうだと言われる。どうも公私の区別というものは必要なく悪いものは悪い、いいものはいいという評価が本来必要だ。

3.師走の色
(一九九九.一二.二〇)=季節=
 師走の東京は黄金色である。まるで黄金の絨毯の上を歩く王侯の気分だ。ことに青山の絵画館前の大通り。今年の銀杏は素晴らしい。落ち葉を踏みしめてサクサクと鳴る軽やかな足音は、「気分はどう! 滑らないでね」とささやいてくれる。寸金も帯びず、寸金も稼がず、ただ歩いているだけの私に豊満に黄金の雨を浴びせかけてくる。自然の恵み、そういう恵みをこの東京で味わえる。そういえば東京の木は銀杏だ。よく気をつけていると道路という道路に銀杏並木が多い。木場公園を始め大抵の都立公園には銀杏が植栽されている。色づいた銀杏に囲まれた東京の師走。正に黄金色だ。この色がまもなく茶色に変わり土色になり灰色になっていく。だが銀杏が生きている限りやがて新緑のころがやってきてギンナンを育て、そしてまた、黄金色の絨毯を敷いてくれる。こういう自然の輪廻。豊満で美しく鮮やかな東京の師走の色。私はこういう東京を愛している。 

4.私の一九九九年
(一九九九.一二.二〇)=自分=
 一九九九年。私にとっては画期的な一年であった。私自身の一年間の総歩数は三八〇万歩に達した。ウォーキングの例会は、年間で五〇回、参加人員は延べで二五〇〇人に達し、例会の総距離六六六㌔であった。昨年から始めたものであるが、回数だけは同じであったが、歩行距離、参加人員ともに五割増であった。「元気で長生きしてポックリと」を旗印にGNPと称している。副次目的、地球温暖化の防止、医療費負担の軽減にいささかなりとも役立っていると自負している。自家用車のガソリン消費量が五分の一になり、医者には歯医者以外にはとうとうかからなかった。残念ながら会員約八〇名、だれ一人最終目的、ポックリととはならなかった。世紀末といわれる一九九九年。六〇年余の人生の中で初めて大地に足の着いた歩みを着実に行い、実現した思いである。歩くことをこれからの二〇〇〇年代の目標に出来たこと。これが私にとっての一九九九年である。 

Posted by taichiro at 09:42

1999年12月18日

99.ゲートシティーからガーデンプレイス

12月18日(土)午後1時 =約13㌔=
初めての大崎駅に降りて先ず目を見張ったのは、都心から同じような距離でもこうも違うかとも思われる瀟洒な建物と雰囲気に、江東区の下町の砂町の住人としては、お上りさんの気分である。ニューシティ広場でいつものようにH.Wさんを煩わして体操の後、出発。

今日はBグループで完歩をと意気込んで歩き始めたが、ゲートシティを抜け出す回転ドアというのか回転する出口で手間取っているうちに、待ってくれてると思ったBグループがもう見えず、仕方なく残された数人でCグループを待ち合流する。[居木橋]から目黒川沿いに五反田方面に向う。途中「ややこしい名前だな」と言いながら[ややま橋]を横切り亀の甲の飾りのある[亀の甲橋]を渡り右岸へ、目黒雅叙園を横目で見ながら進み、まだ若い桜の並木が続く道を春の季節にはさぞや美しいことと想像しながら歩く。[目黒新橋]からまた左岸へ出、目黒区民センターで小休止。
元気の出たところで遥か前方に旗の見えるBグループを懸命に追い続けるが、[南部橋]を右に曲がった所で見失う。H.Wさん、M.Sさんと三人で西郷山公園を目指すが到着してみると全員出発した後で休まず急ぎCグループに追いつく。その後の経路は定かではないが、恵比寿駅沿いに歩いてようやくガーデンプレスにたどり着き解散となる。近くのホテルのイルミネーションやクリスマスの飾りつけを見て楽しみ、帰途に着く。 
=出席人員56人=     [K.S 記] 

Posted by taichiro at 15:25

1999年12月11日

98.逆走赤穂浪士帰還の道

12月11日午後1時、泉岳寺にこれ以上出来ない若造りで参加。
銅像前の集合写真は顔だけ収まりスタート。
聖坂から義塾までは下りだけに軽やかに進み、東京タワー下の通称もみじ谷に踏み入り感激あり。大木の下に隠れていた紅葉の老木が、大木の葉が落ちたあとの冬日の中で、この師走に真紅に燃え盛っており、小滝の水しぶきもあり、落葉のクッションも心地よく、素敵なかくれ小道である。

愛宕神社の急な石段をのぼると、古式ゆかしい神前結婚式が挙式中で、耳目の保養も出来た。
あとの銀座通りのジグザグ行進は距離以上に疲れる。
築地に出ると姿変らぬ聖ロカ病院の教会塔が目に入る。23年前、私が九死に一生を得て感謝の祈りをし、その後、父と姉二人の回復の奇蹟を祈ったが、通じなかった頃が思い出され、センチになるスポットである。
ここからはワンマンウォークで隅田川沿いを歩き、永代橋でメンバー30名余りを見たのもつかの間、前年に比べ極端に少ない12~3名を追って両国まで完歩。待っていていただいた5名と、森下でようやくコーヒーブレイクして解散。久しぶりの始末記となる。    [T.H 記]
=参加者51名=

Posted by taichiro at 15:24

1999年12月04日

97.神宮外苑・新宿御苑・甲州街道

12月4日(土)午後1時=約13㌔=                                     
 家を出たら財布を忘れていたことに気付き、これじゃー電車にも乗れないとあわてて取りに走り、ダッシュで駅へ。大汗をかいてしまう。
 青山一丁目駅で外に出たら、なんと涼しい風が……。集合場所では、見事な銀杏並木のあざやかな黄色が目を奪う。
 Y.Yさんのリードで体操をする。銀杏並木の落ち葉を踏みしめながら出発。
 

日本青年館、鳩森神社の富士塚に登り、国立能楽堂を経て新宿御苑へ。御苑内は景色を見ながらすこしゆっくり歩く。ところがいたるところ、工事中のロープが張り廻らされてあり、「なんだ、これは!」という感じだ。
 バラ花壇を見に行ったり、芝生広場のユリノキを見に行ったりとそれぞれ分かれて歩く。素晴らしくきれいに色づいた銀杏の大木を見上げたり、ギンナンが落ちていないかと、下を見て歩いたりする。赤ちゃんの手より小さい真紅なもみじ葉がいくえにも重なり合い、太陽の光で透き通って、見えたのには、感動した。変わった屋根の形をした台湾閣もおもしろいと思った。
 日本庭園で休憩。
 再び歩き始め、花園神社の銀杏の木のか細さにビルの谷間の宿命を見た感じがした。花園公園を過ぎ、四谷大木戸跡を右に見て四谷駅に向かう。四谷駅でここから帰る人たちと手を振って別れ、さらに歩き進み、清水谷公園に到着。
 会長の音頭でストレッチをして解散。
ウォーキング日和の初冬の半日、お疲れさまでした。=出席58人=   「Y.C 記」

Posted by taichiro at 15:22