2009年09月28日

ススキの花

黄金色に輝くススキの穂が目についた=写真下=。よく見ると黄色の小さな花がついて輝いていたもの=写真上= 。真っ白に輝くススキとは違う雰囲気。昭和記念公園上水口から入園してコスモスを眺めながらお弁当。秋を堪能した。KM記
Posted by mobile at 11:44

2009年09月26日

◎第587回[薬用植物園と昭和記念公園]

9月26日(土)午前10時=約13㌔=
西武拝島線東大和市駅受付→東京都薬用植物園集合→小川橋→一宮神社→玉川上水駅→上宿橋→残堀川→昭和記念公園上水口→コスモスの丘(お弁当)→日本庭園→西立川口解散
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見渡す限り全面に咲く素晴らしいコスモスの景観

◎第587回[薬用植物園と昭和記念公園]
9月26日(土)午前10時、西武拝島線東大和市駅で受付を済ませ、東京都薬用植物園入口に集合したのは、42人。打合せを30分遅らせ、その間、薬用植物園の見学に当てた。昭和記念公園の入場料を集めたところ、32人が入場することになり、他の方はそのままリレーウォークに参加したり、玉川上水駅で解散したりすることになった。
小川橋までは自動車道路で面白くもなんともなかったが、ここから玉川上水緑道。水量が多く見えたが、よく見ると底は浅い。こんなところで入水してもなかなかあの世にはいけないね、などの物騒な話をしながら木陰に恵まれた歩きやすい緑道を快適に歩く。橋を見るたびに名前を確認。西中島橋、上水小橋、清願寺橋、先手橋,宮の橋、金比羅橋、見影橋、新家橋と続き、すずかけ橋がやっと見えた。この橋は残堀川に架かる橋で玉川上水の北岸を渡るもの。南岸を渡る橋は、上宿橋となっている。満々とたたえる玉川上水は上を流れ下を流れる残堀川は渇水状態といえるほどちょろちょろとした川の流れ! 何だか引力に反した現象を不思議な思いで眺め、これが江戸時代に造られたと思うと人間の英知、進化しているとは到底思えない。
ここから左折して残堀川沿いに遊歩道を結構歩いて昭和記念公園上水口にたどり着く。しんがりを歩く会計をしばらく待って団体入園券を購入。入園した。ところが高低差のある場内の地図は平面となっているため、目指すコスモスの丘に行くのに迷う。とにかく西に向かえばとこもれびの丘を優雅に歩くがいつの間にか日本庭園の南側に出る。本来は北側を歩く予定がこもれびの里に出てしまい、今度は北上、やっとコスモスの丘にたどり着いた。
見渡す限り全面に咲くコスモスの景観は素晴らしい。未だ7分咲きと見られるが、ピンク、白、 黄色、青と色とりどりのコスモスが我々を迎えてくれた。丘の頂上近くで弁当を開き、全面に広がるコスモスを眺めながらの食事は平和そのもの。こんな贅沢をしていいのかと秋晴れの好天の中で思いを新たにした。
ここで現地解散。それぞれ、公園の雰囲気を満喫しながら西立川駅に向かうが、途中、似た人に会い、怪訝な気持になるが、やはり当人。コスモスに彩られると皆さん10歳は若返るようで別人に見えるから不思議だった。

Posted by taichiro at 19:41

2009年09月19日

◎第586回[多摩川の梨畑と果樹園の田園を歩く]

9月19日(土)午前10時=約12㌔=
聖蹟桜ヶ丘駅(西口)集合→関戸橋→府中多摩川かぜのみち→是政橋→円照寺→東方公園(休憩)→三沢川→京王よみうりランド駅解散
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府中多摩川かぜのみちでは真っ赤な彼岸花が咲き誇っていた。

◎第586回[多摩川の梨畑と果樹園の田園を歩く]
9月19日京王線聖蹟桜ヶ丘駅西口を出ると大勢のウォーカーで賑わっていた。受付で地図をもらって皆を探す。皆は駅前の隅っこで屯していた。10月10日東急土休券の申し込みをして、本日の出席者は48人、午前10時、次回はお弁当持参などを打合せ、体操は省略してコースどおり各自出発する。
川崎街道を左折、ピンク色の京王の案内矢印二従って左折、ろくせぶ公園を通り抜け、大河原公園に入って左折。巨大な関戸橋を渡ってその下をくぐり、多摩川対岸の府中多摩川かぜのみちへ出る。
土手には真っ赤な彼岸花や黄色や白い花が咲き、爽快な秋の風が吹き渡っていた。
土手を下りて多摩郵便局信号を渡り、多摩南町公園に入り緑道を進む。左折して福祉センター前を右折、下河原緑道を進む。重そうに垂れ下がった稲穂の波がネットの下で揺らいでいた。府中郷土の森博物館に沿って右折し、いこいの森公園に入る。ここでトイレ休憩。会長は枯れかけた蓮池の鴨達を眺めながら持ち込んだ梨10切れを10人に分配。つかの間の秋を味わったそうだ。
電車が並ぶ交通遊園を見て二ヶ村緑道を進む。
進行方向右前方に大きな青っぽいゲートが見えてきたが、それが是政橋だった。この橋を渡って地図B面に進む。川の中州の浅瀬に白鷺が30羽ほど屯してお食事中。下流側の歩道はまだ工事中で通れない。
府中街道の細い歩道を1列縦隊で歩き、大丸用水を右に曲り、南武線の踏切を渡り、川崎街道の信号を渡って城山公園に入る。会長は九の丸から八の丸まで延々とした上り坂を背中を押されながら歩き、上りきった広場で足を伸ばして休憩。息を整えるのに20分近くかかったそうだ。
この城山公園を省略して城山通りの坂を登って中央図書館へ。延々と登って城山公園信号を左折、向陽台1を左折、くねくね曲って東方公園を過ぎ左に曲って稲城福祉センター入口を左折、市役所の前を渡り、JA東京みなみへ。梨の試食で人だかりになっているのを通り抜け三沢川に沿って進む。馬橋を渡り川の右岸を進む。梨畑、本郷公園を過ぎ西の橋を渡って左岸へ。きれいに整備された花壇のある三沢川親水公園、勢いよく伸びた朝顔に3階のベランダまで覆われた家を眺めて、矢野口橋を渡り、新田橋を右に入るとゴールの京王よみうりランド駅が見えた。
受付でスタンプとメンソールウエット爽快テイオーをいただき解散した。はじめから皆に遅れ休憩もしないで歩いたが、歩数は19,928歩。しっかり歩きは14,106歩だった。そのまま乗車して新宿で食事して帰宅。 [KM記]

Posted by taichiro at 19:40

2009年09月12日

◎第585回【九品仏川・呑川・駒沢支流追跡】

9月12日(土)午前10時=約12㌔=
奥沢1丁目公園・集合(自由が丘駅徒歩5分)→九品仏川緑道→ねこじゃらし公園→等々力5丁目→深沢公園→中の橋→呑川本流緑道→呑川駒沢支流緑道→駒沢オリンピック公園(休憩)→自由通り→駒沢大学駅・解散
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五重塔の宝輪のような「オリンピック記念塔」と屋内競技場

◎第585回【九品仏川・呑川・駒沢支流追跡】
9月12日(土)午前10時(第135回参照)=約7㌔=
自由が丘駅に着くと結構ひどい雨。地図に書いていた集合場所の奥沢1丁目公園という名は間違いで、本当は奥沢2丁目公園だった。
集合場所に着いていたISさんに電話して、皆さん駅南口へ戻ってもらう。駅舎の庇の下に集まって西武土休券の配布、邪魔になるのでガード下で打合せをしてザザ降りの中へ出発する。
雨に煙る九品仏川緑道へ出ると、YIさんから電話が入り北口にいるそう。直接休憩場所の駒沢オリンピック公園へ行くよう話しながら駅へ戻るとKTさんと会って、もう皆には追いつけないので近道の自由通りを歩くことにする。[先発隊も大井町線との交点で豪雨に出会い建物の中で雨宿り! 15分ぐらい待ってコースを端より学園通を北上、呑川本流緑道に突き当たり右折した]
呑川本流緑道へ右折し、すぐ呑川駒沢支流緑道を入る。しっぽり雨に濡れた緑道は物思いに浸るのに似合う。自由通りを渡り、昔の都立大学は駒沢ハウスという落ち着いたアパート群になっていた。
駒沢オリンピック公園の手前「やくも街かど公園」で後から来るであろう皆を待つことにする。会長に電話しようとしたら、今来た道の彼方に傘を差した見慣れた一群が見え、ずんずん近づいてきた。たいした差がなくやってきた皆、さすがはGNP!と感心する。にぎやかに合流して広い公園へぞろぞろと入る。
「ここは深沢公園?」と聞かれて不審に思ったところ、ねこじゃらし公園、等々力5丁目、深沢公園、中の橋は省略したそうな。
屋内競技場の脇から入ると先方に、五重塔の宝輪のような「オリンピック記念塔」が望めた。駒沢通を陸橋で越え、雨が当たらない陸上競技場出入り口で休憩。
階段で地面に下り、秋色の林を抜けて、学生たちが運動している姿を眺めながら、色んな植物が植えられた脇を通り、駒沢1丁目公園から自由通りへ出て、駒沢ガーデンハウスを過ぎ、玉川通を右折すると、田園都市線駒沢大学駅に到着、そのまま解散した。今日は1万歩にならなかった。雨降りだから仕方ないか……。 [KM記]

Posted by taichiro at 17:59

2009年09月09日

水元公園

閘門の堰板を必死で差し込んでいる二人のブロンズ像。江戸時代この辺りは古利根川の氾濫地域で、明治43年、逆流防止と水源確保、岩槻街道の流通路として大場川閘門橋が造られた。
Posted by mobile at 12:34

2009年09月05日

◎第584回【水元公園巡り】

9月5日(土)午前10時(第84回参照)
公団金町駅前団地広場(JR金町駅北口徒歩2分)集合→葛西神社→江戸川堤防→東金町5丁目→水産試験場跡(オニバス見学)→花菖蒲園→水元大橋→伝五郎の松(昼食、第1次解散)→メタセコイアの森→水生植物園→水元かわせみの里→大場川閘門橋→自由広場→冒険広場→香取神社→南蔵院(しばられ地蔵)→東水元公園→金町駅解散=約13㌔=
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花壇で彩られた水元公園のメーンロード。

◎第584回【水元公園巡り】
9月5日(土)午前10時、金町駅北口を出ると、東急の先に100円ショップなど出来て随分きれいになっており、前回集合した”みだりにたむろしてはいけない「公団金町駅前団地広場」”は緑にあふれ、秋ぐちの蚊もいっぱい集まってきた。集合した45人、早々に打合せを済ませ、体操もしないで葛西神社へ向かう。
葛西神社境内に露店が出ていたのでそのまま通り抜け、日当たりのよい江戸川堤防の上を歩く。都立水元公園釣仙郷入口から桜並木に下り、東金町5丁目から水元公園に入る。ごんぱち池のアサザ、オニバスは見損なったが、今日は行楽日和の真っ只中。小合溜対岸のみさと公園(埼玉県)も人がいっぱいだった。ゆったりした小合溜に沿って水元大橋を渡り、反り返る裸婦像を眺め「涼亭」の前で若干が留まり、大半は水元公園一周へ向かう。
メタセコイアの森、芝生広場から続く石畳の記念広場を過ぎ、草刈作業中の人と話した後、けもの道を抜けてバードサンクチュアリを覗く。水は相当濁っていた。アシ、マコモ、ハスなどが茂る水生植物園を眺め、小合溜に沿って延々と歩く。
かわせみの里が見えたと思ったら、そのそばに黄色の旗を先頭にした一群が見えた。わがGNPの元気組は一気に近づき、口々に「食事中のかわせみを見た!」と大喜びで自慢する。私も急いだが、残念ながら既に遅く、三脚を構えた二人の人間と、彫刻のようなアオサギがゆったり周りを見回していただけだった。
裏に回り、明治43年建造、レンガ造りアーチ橋の大場川閘門橋に着く。歩行者と自転車専用となっている橋を脇から覗くと、閘門の堰板を必死で差し込んでいる二人のブロンズ像があった。ひなびた閘門橋と平行する葛三橋は車がひっきりなしに通る。
江戸時代、この辺りは古利根川(現在の中川)、小合川(現在の大場川、小合溜)が入り込んだ複雑な地形で古利根川の氾濫地域であり、古利根川と小合川の逆流を防ぎ、水田の水源確保のため、さらに岩槻街道の流通路として閘門と橋が造られたとのこと。
水元公園に戻り、大場川から落ちる滝を眺め、かわせみの里に降りて揚水工事完成の碑を眺め、さっきのアオサギを確認すると同じ場所にいた。繋がれているのかなと考えながら通り抜け、ポプラ並木に沿って戻る。広場でバーベキューを楽しむ大勢の人の中を通り、広大な芝生広場を流れるせせらぎを見て、そのきれいな流れが水路にいくと水面がレンガ色に変っているのを覗く。小合溜に沿っていくと再び涼亭。既に皆は持参したお弁当で食事中だった。
帰途は伝五郎の松をもう一度見学し、外溜に沿ってさくら堤下の細道を進み、途中放し飼いの可愛い雄鶏を眺め、白い板橋を渡って堤に上り、下って南蔵院へ。荒縄で縛られたしばられ地蔵尊を拝み、解き縄入れを覗き込んで、時折吹く涼風に癒されながら、日差しの中を集合場所の公団金町駅前団地へ戻り、金町駅で解散した。歩数は2万歩を越えていた。[KM記]

[伝五郎秘話]
よく氾濫を繰り返していた小合川のほとりに堰作りの名人伝五郎が居たが、小合川の自然を愛し、頑として堰を作ることに反対していた。地元の庄屋は説得に当たり完成の暁には自分の娘を嫁に出すと約束した。ところがその娘は伝五郎の兄太一郎と恋仲にあり、その挟間に立って完成した小合溜に身を投じてしまった。嘆き悲しんだ伝五郎はその場所の松の畔でたたずんだまま、朽ち果てた。兄太一郎は不憫な弟の気持を思いやり、その松を「伝五郎の松」と名付けたという。
(インターネットで調べても水元公園管理事務所に尋ねても由来が判明しないため、勝手にGNPで創作した秘話です)

Posted by taichiro at 23:35