2009年09月05日

◎第584回【水元公園巡り】

9月5日(土)午前10時(第84回参照)
公団金町駅前団地広場(JR金町駅北口徒歩2分)集合→葛西神社→江戸川堤防→東金町5丁目→水産試験場跡(オニバス見学)→花菖蒲園→水元大橋→伝五郎の松(昼食、第1次解散)→メタセコイアの森→水生植物園→水元かわせみの里→大場川閘門橋→自由広場→冒険広場→香取神社→南蔵院(しばられ地蔵)→東水元公園→金町駅解散=約13㌔=
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花壇で彩られた水元公園のメーンロード。

◎第584回【水元公園巡り】
9月5日(土)午前10時、金町駅北口を出ると、東急の先に100円ショップなど出来て随分きれいになっており、前回集合した”みだりにたむろしてはいけない「公団金町駅前団地広場」”は緑にあふれ、秋ぐちの蚊もいっぱい集まってきた。集合した45人、早々に打合せを済ませ、体操もしないで葛西神社へ向かう。
葛西神社境内に露店が出ていたのでそのまま通り抜け、日当たりのよい江戸川堤防の上を歩く。都立水元公園釣仙郷入口から桜並木に下り、東金町5丁目から水元公園に入る。ごんぱち池のアサザ、オニバスは見損なったが、今日は行楽日和の真っ只中。小合溜対岸のみさと公園(埼玉県)も人がいっぱいだった。ゆったりした小合溜に沿って水元大橋を渡り、反り返る裸婦像を眺め「涼亭」の前で若干が留まり、大半は水元公園一周へ向かう。
メタセコイアの森、芝生広場から続く石畳の記念広場を過ぎ、草刈作業中の人と話した後、けもの道を抜けてバードサンクチュアリを覗く。水は相当濁っていた。アシ、マコモ、ハスなどが茂る水生植物園を眺め、小合溜に沿って延々と歩く。
かわせみの里が見えたと思ったら、そのそばに黄色の旗を先頭にした一群が見えた。わがGNPの元気組は一気に近づき、口々に「食事中のかわせみを見た!」と大喜びで自慢する。私も急いだが、残念ながら既に遅く、三脚を構えた二人の人間と、彫刻のようなアオサギがゆったり周りを見回していただけだった。
裏に回り、明治43年建造、レンガ造りアーチ橋の大場川閘門橋に着く。歩行者と自転車専用となっている橋を脇から覗くと、閘門の堰板を必死で差し込んでいる二人のブロンズ像があった。ひなびた閘門橋と平行する葛三橋は車がひっきりなしに通る。
江戸時代、この辺りは古利根川(現在の中川)、小合川(現在の大場川、小合溜)が入り込んだ複雑な地形で古利根川の氾濫地域であり、古利根川と小合川の逆流を防ぎ、水田の水源確保のため、さらに岩槻街道の流通路として閘門と橋が造られたとのこと。
水元公園に戻り、大場川から落ちる滝を眺め、かわせみの里に降りて揚水工事完成の碑を眺め、さっきのアオサギを確認すると同じ場所にいた。繋がれているのかなと考えながら通り抜け、ポプラ並木に沿って戻る。広場でバーベキューを楽しむ大勢の人の中を通り、広大な芝生広場を流れるせせらぎを見て、そのきれいな流れが水路にいくと水面がレンガ色に変っているのを覗く。小合溜に沿っていくと再び涼亭。既に皆は持参したお弁当で食事中だった。
帰途は伝五郎の松をもう一度見学し、外溜に沿ってさくら堤下の細道を進み、途中放し飼いの可愛い雄鶏を眺め、白い板橋を渡って堤に上り、下って南蔵院へ。荒縄で縛られたしばられ地蔵尊を拝み、解き縄入れを覗き込んで、時折吹く涼風に癒されながら、日差しの中を集合場所の公団金町駅前団地へ戻り、金町駅で解散した。歩数は2万歩を越えていた。[KM記]

[伝五郎秘話]
よく氾濫を繰り返していた小合川のほとりに堰作りの名人伝五郎が居たが、小合川の自然を愛し、頑として堰を作ることに反対していた。地元の庄屋は説得に当たり完成の暁には自分の娘を嫁に出すと約束した。ところがその娘は伝五郎の兄太一郎と恋仲にあり、その挟間に立って完成した小合溜に身を投じてしまった。嘆き悲しんだ伝五郎はその場所の松の畔でたたずんだまま、朽ち果てた。兄太一郎は不憫な弟の気持を思いやり、その松を「伝五郎の松」と名付けたという。
(インターネットで調べても水元公園管理事務所に尋ねても由来が判明しないため、勝手にGNPで創作した秘話です)

Posted by taichiro at 2009年09月05日 23:35