2003年10月25日

江戸風俗再現楽しむ

◎第291回【猿わか町よるの景】
(JR駅からハイキングNo.01021)=約12㌔=
 10月25日(土)午前10時、JR上野駅パンダ橋口に集合したのは、38人。上野駅の屋上にある上野公園側と台東区役所側とを跨ぐ幅広い橋が「パンダ橋」。この上で打合せと体操。この日、10月7日に逝去された長村隆一郎さんの遺稿集「新たな友と出会う春」を全員に配布。故人を偲ぶ縁とした。

 昭和通を歩道橋で横断、上野警察署、台東区役所を抜け、突き当りを右折して東上野6丁目で左折、言問通まで街中の道は意外に殺風景。歩くことに専念し、言問通を少し歩き、合羽橋道具街通りに入る。
 この付け根に台東区の生涯学習センターがあり、「鬼平犯科帳」で有名な池波正太郎記念館がこの中に開設されている。合羽橋で右折、国際通りを横断して雷門から浅草寺に入りここで休憩。
 折りしも江戸開府400年記念行事の一環として歌舞伎の平成中村座や屋台店が並ぶ浅草奥山風景など当時の風俗そのままで再現されていたのを冷やかして歩く。ついついつられてお団子やお呪いサイコロを買ってしまうのもご愛嬌。
 とうとう肝心の猿若町は広重の絵葉書だけにして飛ばしてしまい、ひさご通から鷲神社に向かう。ここで売られる「熊手」はもともと農具として売っていたものが「かきこむ」縁起物として商売繁盛の象徴となったものとか。
 昭和通、金杉通を越えて言問通に入り寛永寺を横目に見ながら谷中6丁目を越えてから左折し不忍池に向かう。不忍池には蓮の葉が生い茂りもう鴨がびっしり。いったいどのくらい居るのだろうか。
 よく行った湯島天神には上がらずに春日通を通ってアメヤ横丁に入る。あまりの雑踏に辟易してしまい、横丁を離れ山手線の右側に出て上野駅に向かい駅前の歩道橋を大きく歩き、スタートと同じパンダ橋上のゴール地点に到着。記念のバッチをいただき体操をして解散した。

Posted by taichiro at 14:45

2003年10月19日

秋晴れ楽しコスモス

番外[800万本のコスモスと東洋一の水管橋鑑賞]
 10月19日(日)午前10時、JR吹上駅に参集したGNP有志12人は、雲ひとつない絶好の秋晴れの中=グラビア3=、コスモス祭りとエンジングライダーの飛び方を見て楽しんだ。

Posted by taichiro at 14:40

2003年10月18日

郷愁誘う漁村と川標

◎第290回【行徳野鳥観察と寺町散歩】 =約10㌔=
10月18日(土)午前10時、西友裏水のある広場(地下鉄東西線浦安駅徒歩2分)に集合したのは、47人。

 打合せと体操の後、少々どぶくさい猫実川の沿道を通り、右折して市街地を通り抜け、今度はきれいに整備された境川の沿道を歩く。
 市民祭りで賑う浦安郷土博物館に到着。約30分、見学時間を取った。かつて漁村であった浦安の姿が展示され、当時の家屋=グラビア3=やベカ舟が現物のまま展示され、結構郷愁を誘う。
 再び珍しく直角に曲がった猫実川の沿道を歩き、野鳥の楽園に到着。野鳥観察舎横の広場でお弁当を開く。福栄公園、行徳駅前公園を通り抜け行徳駅前に着き、ここで若干名解散。
旧江戸川まで直進。今度は堤防沿いに歩き、200年前に建造された常夜灯を見る。これは一種の道標ならぬ川標。江戸川が当時の重要な交通機関であったことを示している。
 江戸川水閘門の手前で川を離れ、徳願寺を見学。本堂でお寺のいわれなどの説明を受け、なかなかの名刹であることを知った。閻魔大王像も本堂に安置されていたので舌を抜かれないうちにと早々に引き上げたが、ここには丸山応挙の幽霊の絵や宮本武蔵の書なども保存されている。
 その後、東西線妙典駅で解散した。

Posted by taichiro at 14:37

2003年10月11日

山下公園に各国屋台

◎第289回【和と洋を感じるロマンチック横浜】
 (JR駅からハイキング No.02007)=約12㌔=
 10月11日(土)午前10時、JR根岸線山手駅に集合したのは、36人。駅前の混雑を避け、根岸森林公園にある馬の博物館正門に再集合。約一人、こんな短い道で迷った人が居た。打合せと徳江さんの準備体操を行ったあと出発。

 山元商店街を抜け、瀟洒な洋館が続き日本離れした町並みを進む。元町公園を通り、外人墓地を眺め、港の見える丘公園に到着。再三中に入ったことがあるので、公園を掠め、山下公園に急ぎ、ここで休憩した。
 園内では世界各国が屋台を出して特色のある飲食物を提供していた。大勢の客が訪れ盛況。こういう屋台の食べ物だとアメリカやイギリス、フランスのものには特色があまり見えず、アフリカや南米、アジアの食べ物に食指が沸く。中には50センチを超えるようなホットドッグを買った人も居たようだが、中に挟まっているソーセージ、そのまま一本なのかどうか確かめたかったが、ままならず見送った。
 船員が撮った写真展もあったが、国際色豊かでなかなかよく出来た作品だった。山下公園から赤レンガ倉庫までの道、すっかり様変わりして昔の貨車線が開港の道になって歩きやすい。赤レンガ倉庫も改造され、瀟洒な店舗になっていた。
 いつもは汽車道を通っていたが今回は有名な馬車道を通って関内駅を通り越し伊勢崎町に入る。今は亡き青江美奈の伊勢崎ブルースの歌碑があり、しばしハミングの真似事。ここから右折して野毛山公園に向かうが何と傾斜角度35度と言われる急坂。こんなところに住んでいると殺されてしまうと勝手なことを言いながら喘いで上った。続いて伊勢山皇大神宮の威容が見えたが、中に入る元気もなく外から手を合わせただけで通り過ぎ、下ったところに横浜能楽堂が見え、そこから左折した場所が受付の掃部山公園。
 体調が悪かったせいか足が棒になりくたくただった。ここで解散することになり、しばらく休憩。急坂を下り、JR桜木町駅に到着、帰京した。

Posted by taichiro at 14:33

2003年10月04日

烏の棲家我が物顔に

◎第288回【立会川追跡と戸越銀座】=約10㌔=
  10月4日(土)午前10時、東京工業大学の構内、講堂前の広場に集合したのは41人(健康センター応援者を含む)。遠目に見ると大学生と見まがうほど若々しく元気でさわやかなGNP一行。大学生が見守る中で、打合せと体操を実施して威風堂々正門から出発。

 大岡山駅を通り抜け、北口商店街を北進。途中、清水窪弁財天に立ち寄る。ここには、いろんな神様が7体ほど祀られ、地元の人達が丁寧に世話をしているようで、古びているにもかかわらず埃一つ落ちていない。
 環七通りを越えてすずめのお宿緑地公園で休憩。竹林=グラビア3=がまるですずめのお宿、そこに250年経ったといわれる農家が移築されている。囲炉裏があり、竈がある建物は、黒光りしている大黒柱がよく似合う。湯茶の接待を受け、くつろいだ気持になって、今度は碑文谷八幡宮の境内に入る。
 続いて立会川跡をなぞった立会川緑道を歩く。この緑道、途中から自動車道になり、その名も立会道路と「川」の字がつかなくなる所が面白い。
 西小山駅を越え、旗の台駅を越え、旗ヶ岡八幡神社の境内を通り、荏原町駅の踏切を渡る。渡った後、すぐに左折して西進。ゆたか商店街に突き当たるまでまっすぐ進む。ここでまた左折して商店街を闊歩して戸越公園まで一気に歩く。
 戸越公園は元熊本藩細川家の下屋敷。起伏をうまく利用して築山や池が程よく配置され、湧水が今でも続いているのか水が澄んでいて泳ぐ鯉や鮒が鮮やかに見える。ただ烏の住処になっているらしく我が物顔に屯しているのが気になった。
 ここから少し北進して今度は戸越八幡神社に入る。この界隈、八幡様が鎮守のようで、20日前の下見当日、3箇所とも祭礼。町を挙げて神輿を担ぎ、その賑やかなこと、目を見張ったものだが、一転、今日は静かで、さわやかな天候に恵まれ、相当なスピードで歩いたにもかかわらず、ほとんど汗もかかず、絶好のウォーキング・シーズンの到来を実感した。
 珍しく全員がゴールに集合して境内で整理体操をして解散した。

Posted by taichiro at 14:29