1998年12月26日

◎第50回【冬の区内公園巡りと納会】

 とうとう今年最後の例会は50回目、12月26日(土)午後1時、健康センターに集合、定番の「区内公園巡り」を実施。久しぶりに見えたU先生のストレッチ準備体操。体も十分温まり、おおむね3班に分かれて出発。洲崎神社を通って舟木橋をくぐり、木場親水公園へ。亀久橋をくぐり福富川公園を通り、三つ目通りを渡り、木場公園に入り、ここで休憩。そのあと豊住公園、仙台堀川公園、横十間川親水公園と勝手知ったる公園をすいすい通り抜け、出発地点健康センターに到着したのは14時30分。予定より30分も早く、この1年の成果が如実に発揮された。15時30分から健康センター4階会議室で「納会」を開き、25回以上出席した35名の方に記念品を贈呈、絶大な拍手で祝福した。そのあと出席した会員61名の方全員がそれぞれの感想や今後の決意を表明、賑やかで和やかな納会もS.Yさんの見事な中締めの音頭で締め、無事終了した。一年間、皆様、ご苦労様でした。(参加者61名。約9㎞)

Posted by taichiro at 12:00

1998年12月21日

四百字随想その39

1.お 歳 暮
(一九九八.一二.一四)=社会=
 歳末行事の一つにお歳暮のやりとりがある。私にとっては楽しい行事の一つである。とくに毎年同じものを贈ってくれる方の気持が嬉しい。私自身も毎年いろんなことを考えて贈っていたが、最近ではオリジナルカレンダーにしぼっている。私から来るものはカレンダーということで、とうとう五年目になる。こうなると少しは皆様に当てにされることになっているのではなかろうか。お互いに余り高価なものであると何か利害に結びついたものではないかと勘ぐられるし、気が重くなってしまうが、気持だけを表すものは、やはり形があった方がいいと思う。もちろん歳暮のやりとりを煩わしいと思う方はしなければいいわけだし、人が出すから自分も出すという考えはさもしい。
大らかな気持で人間関係の融和を図る一つの手段だと考えている。ただし、これも経済的なゆとりがものをいう現象であることは確かである。 

四百字随想その39
1.お 歳 暮
(一九九八.一二.一四)=社会=
 歳末行事の一つにお歳暮のやりとりがある。私にとっては楽しい行事の一つである。とくに毎年同じものを贈ってくれる方の気持が嬉しい。私自身も毎年いろんなことを考えて贈っていたが、最近ではオリジナルカレンダーにしぼっている。私から来るものはカレンダーということで、とうとう五年目になる。こうなると少しは皆様に当てにされることになっているのではなかろうか。お互いに余り高価なものであると何か利害に結びついたものではないかと勘ぐられるし、気が重くなってしまうが、気持だけを表すものは、やはり形があった方がいいと思う。もちろん歳暮のやりとりを煩わしいと思う方はしなければいいわけだし、人が出すから自分も出すという考えはさもしい。
大らかな気持で人間関係の融和を図る一つの手段だと考えている。ただし、これも経済的なゆとりがものをいう現象であることは確かである。 

2.向う三軒両隣
(一九九八.一一.一六)=社会=
 現代の長屋、マンション住まいをしていると、「向こう三軒両隣」は死語に近い。辛うじて片隣の人と挨拶を交わす程度、家族状況もどんな仕事をしているのかすら知らない。そういうことを知ろうとするとプライバシーの侵害になるらしい。喜びも悲しみも分け合う間柄ではなくなっている。現代の情報化時代というものは、近くであればあるほど分からず、遠くの世界のことだけはよく分かる。砒素事件などになると被疑者の生まれ育ち、環境、仕事、性格、交友関係まで知ったつもりになれるほど情報は氾濫する。顔も知らないはずなのに毎日顔を合わせている気になる。つまり、自分の情報を一番知らないのが自分で、自分の知らない人が一番自分のことを知っているような状況が生まれているようだ。身近な人間関係を作り出すことが、これからの課題であり、そのためにも「向こう三軒両隣」の概念をもう一度、死語から活語にする時代に戻す必要がある。  

3.リストラ・倒産
(一九九八.一二.七)=社会=
「リストラ」という場合、本来、企業の再構築のことで、不採算部門の売却、M&A、自社株の買い戻しなどを指すのだが、今では何となく人員整理の代名詞のようになっている。
そのため、失業率が徐々に上がり、まもなく五パーセントに達しそうな勢いである。就業者も不安で何となくものを買うのをセーブし無駄遣いをしないようにするという防御策を採っている。結果的に見ると消費性向がますます下がりものが売れないため、少々のリストラでは間に合わず、倒産に結びつく。経済的に見れば景気がよくなる見通しは、落ちるところまで落ちないと見えてこない。無駄を省き、必要なものを最小限に使い、そして使い尽くすという本来の経済的な観念の芽生えとも言えるが、そのための痛みも大きい。
今こそ、本当の価値観を醸成する好機で、政治がものをいう時期だが、肝心の政治家にその勇気がないのが歯痒い。
(平成一〇.一二.七東京新聞夕刊掲載)

4.日 記 帳
(一九九八.一二.二一)=自分=
 現在、普通にいわれる日記帳はつけていない。ところが書いていないかと言われると毎日書いている。それはパソコン通信で碁を打っているからである。約十人を相手にほとんど毎日打っている。月にすると約三百回ぐらいレスをしている。一回当たり百字から二百字ぐらい書いているので平均すると百五十字ぐらい。何と年間にすると五十万字以上になる。その中身は囲碁についても少し書くが、ほとんどは毎日の出来事や社会問題、それに文化論などである。ということはいつの間にか私にとっての日記帳はこのパソコン通信による会話そのものといってもいい。現在まる三年になるので何と百五十万字以上の文章がパソコンに保管されていることになる。もう一つ日記帳ではないが、週記帳が二百回分ぐらい溜まっている。つまり、この「発言スペシャル」に三年半前から連続応募している原稿である。これはいつの間にか私のアイデンティティーになっている。

Posted by taichiro at 09:31

1998年12月19日

◎第49回【砂町、古川、一之江】

 12月19日(土)は「砂町、古川、一之江」ということで、南砂3丁目公園から一之江名主屋敷まで約12㎞を歩くことにした。当日参加したのは43人。もっとも、いつもと違って正午集合であったため、時間を間違えた方も居られ、途中から来られた方もあった。富賀岡八幡宮で簡単にお参り、葛西橋を渡る頃には、先頭グループと少し離れ始め、江戸川平成庭園を省略したグループもあり、休憩を宇喜田東公園で実施したグループ、古川親水公園で実施したグループなどがあり、今回はコースが複雑であったためか、途中の行程は一致しなかった。しかし、明和橋を渡って目的の一之江名主屋敷には全員無事到着。屋敷の中に上げてもらい、畳の上で、案内の方から由来を聞く。220年ぐらいの歴史を持つ屋敷は江戸時代初期の建築様式とのこと。質素な中でも当時の名主の役割と権限にしばしの思いを馳せ、意義ある見学であった。 (参加者43名。約12㎞)

Posted by taichiro at 11:57

1998年12月12日

◎第48回【赤穂浪士帰還の足跡】

 12月12日(土)は「赤穂浪士帰還の足跡」ということで、両国から高輪泉岳寺まで歩くことにした。当日参集したのは47士ならぬ41士、もっとも江東テレビが取材で3名、やみで参加された方が3名。奇しくも47人になったのは何かの因縁であろうか。勝海舟の生誕地両国公園から吉良上野介上屋敷跡、回向院、芭蕉庵跡、赤穂義士休息の地を辿り永代橋を渡る。鉄砲洲公園で一休み。続いて浅野内匠頭屋敷跡を通り、新橋4丁目の同終焉の地を確かめ、増上寺で中休み。ここから芝にある水野監物邸跡を通り、最終目的地、泉岳寺に着いたのは午後4時前、何と休憩も入れて2時間半で走破ならぬ歩破した。(参加者41名。約14㎞)

Posted by taichiro at 11:54

1998年12月05日

◎第47回【旧中山道板橋まで】

 12月5日(土)は、あいにくの雨。それでも染井吉野桜記念公園には13人の方が集合。早速、雨具を用意して歩き始める。まず染井霊園を通り抜け、17号線を歩道橋で渡り、いよいよ、旧中山道。すぐ「とげ抜き地蔵」に到着。諸々のとげを抜き取ってから、今度は近藤勇の墓に向かう。維新の凄まじさを偲びながら次の目的地「板橋」へ。石神井川にかかる橋、今はコンクリート造りだが、もともと板の橋だったようだ。橋を渡ってしばらく行くと「縁きり榎」。思ったよりこじんまりした榎で、これではなかなか宿縁は切れそうにはなさそうだ。板橋本町に着き、目の前にある喫茶店に飛び込んで本日のウォーキング終了。石神井川はまたの機会とした。(参加者13名。約7㎞)

Posted by taichiro at 11:52