1998年04月26日

◎第16回【内藤新宿300年】

 第16回は、甲州街道一番目の宿場「内藤新宿」開設三百年記念事業の一つ、新宿御苑を目指して甲州街道を歩く催し「平成の甲州街道ハートフルウォーク大会]に参加。4月26日午前8時、日比谷公園にれの木広場に約二千人が集合。開会挨拶のあと体操して霧雨の中を出発。公園を新橋方面へ。いなごの大群のような人波で、まともに歩けなかったが、昭和通りからはいつものペースに戻った。永代通りで曲がり、日本橋をちょっと往復して、皇居前へ。二重橋前で休憩して、半蔵門で左折、新宿通りを新宿御苑へ。我がクラブの速い人たちはトップグループで会場に到着した。約14キロの道のりで、「歩けたじゃない!」と自画自賛して喜んでいる人もいた。新宿御苑では、長野県高遠町から「24時間飛脚駅伝」や「子供騎馬行列」が到着し、多彩なイベントが行われ、いろんな物産店が並び紙芝居や植木の配布などもあった。前日の暑さに比べ、肌寒いくらい涼しくて歩くのにはとても楽だった。(参加者37名。約14㎞)

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1998年04月22日

四百字随想その31

1.町内会、自治会
(一九九八.四.一)=社会=
私は現在、マンションというか団地に住んでいる。町に町内会は確かにあるのだが、積極的に参加しようと思ってもきっかけがつかめない。団地だけで約五百世帯、優秀な自治会を持っている。一度総会に出てみたが、出席者は三十人ぐらいであった。役員でない私は少々奇異に見られた。そこで区政モニターに応募していろんな話を聞いてみたところ、町内会組織は網の目のように存在し、民生委員などの委嘱が行われている。ところが一般住民にとってそういう組織がほとんど機能して居らず、その存在を意識しなくても生活できる態勢にある。住民という言葉や国民という言葉が簡単に使われるが、現実の生活の中では、どういうものなのかはっきりしない。今、私はウォーキングという活動を通じて地域に密着した活動を展開しているが、本当の意味の相互扶助になっていない。プライバシーという概念がどうも希薄な人間関係を作っているような気がする。

2.シルバーシート
(一九九八.四.八)=社会=
いつの間にかシルバーシートの資格者になってしまったが、どういう訳か座りにくい。資格者でないときは簡単に立ち上がることが出来たが、今だと立ち上がるためには自分があなたより健康でしっかりしているんだと言い聞かせなくてはその方に失礼ではないかといらぬ心配をしてしまう。そうなるとシルバーシートに座りにくい。一般席に座って席を譲ることには抵抗がない。もっともシルバーシートの前に立っていて席を譲られたことはないので、未だ外見上資格者と見られていないという思い上がりもある。どうも私にとってシルバーシートは鬼門である。はっきり言うと全ての座席がシルバーシートだと考えれば自ずから解決する問題で、体の弱い方、お年寄りの方、赤ん坊連れの方、そういう方に自然に席を譲ることが出来ればいいはずである。一番嫌な現象はシルバーシートの前で俺は資格者だぞという顔をして立っている人を傍らから見ることである。

3.近ごろの新人
(一九九八.四.一五)=社会=
近ごろの新人、本当によく働く。私は職業柄ベンチャービジネスといわれる分野の仕事をしている若い人たちに接する機会が多いが、彼らはよく働く。一見ちゃらんぽらんな風采をしていたり、時間のけじめがはっきりしていなかったりするが、とにかくよくやっている。我が家の息子たちや娘もよく働く。時間に対する感覚がないのかと思うほど、朝は定時に出かけて夜は遅くまで働いてくる。超過勤務手当を当てにもせず、終わるまで働く。ちょうど我々が若いころとそんなに変わってはいない。こうしてみると、働くということは日本人の特性かもしれない。礼儀作法がなっていないという人もいるが、そんなこともない。若い人々と同じ立場に立ち、同じ立場からいろんなことを議論する場合、彼らは私の言うことをよく聞く。権威主義を押しつけたり、自分のことを棚に上げたりすると彼らは必ず切れる。よく考えると私自身と何ら変わらず一緒である。

4.パソコン受難
(一九九八.四.二二)=自分=
パソコンとつきあいを始めていつの間にか二十年近くなる。十五年ほど前、職場でパソコンは必ず筆記具代わりになると提案したことがある。そういうパソコンをいち早く自家薬籠中のものにしたのは当時中学生であった長男。おかげでこちらは苦労をせずに何でも息子に作ってもらい、もっぱら利用する側であった。これが今でも尾を引き、自分で何かを作るとなると何にも出来ず、何とかの一つ覚えのような使い方をしている。それでも文章を書くことも計算も通信もパソコンに頼り、毎日パソコンの前に座らないと落ち着かない状況である。ことにインターネットでの情報確認、囲碁対局など私にとっては明らかに生活の一部になってきている。この便利さ、重宝さ、そして敏速さがもしかすると粘りとか勤勉とか重厚さなどを失っているのかもしれない。しかし、私はパソコンによって受難しているとは思えず、二十世紀最大の発明を享受していると言える。
(平成一〇.四.二二東京新聞夕刊掲載)

Posted by taichiro at 09:22

1998年04月18日

◎第15回【隅田川名橋回遊】

 第15回、4月18日(土)は、天気予報に反して薄曇りの絶好のコンディション。1班のTさんの企画による「隅田川遊歩道回遊と名橋見学」。当日は、読売新聞社の方が同行して取材。午後1時、永代橋のたもとに集合して、Uさん指導で体操し、まず日本橋川の川口にかかる豊海橋を渡って中央区側のテラスを歩き、隅田川大橋、清洲橋、新大橋まで。両国橋で橋の上を歩き、今度は墨田区側のテラスを通り北上。蔵前橋、厩橋、駒形橋、吾妻橋、言問橋、そして桜橋で休憩。日頃は何気なく眺めていた橋が、それぞれ個性を持ち、ずいぶん違っていることを目の当りに確認した。休憩後、白髭橋に向かい、橋の上を渡って信号を左折、一般道から隅田公園に入って、吾妻橋の手前で解散。出席者は39プラス1(新聞記者)名。ハンサムな若い記者の最後までの参加があって、皆さん、殊のほか楽しそうであった。(参加者39名。約10㎞)

Posted by taichiro at 11:23

1998年04月11日

◎第14回【荒川右岸コース】

 第14回ウォーキングは、4月11日、U夫妻が担当され、4班が企画し実施した。午後1時、7月上旬に匹敵する暑さの中、南砂3丁目公園に集合。東大のOさん指導の体操のあと、荒川右岸を上流に向かって歩く。河川敷に入ると間もなく花文字が目に入り、水辺では、釣りをしている方々もちらほら。しかし残念ながら獲物を釣り上げている姿は見かけない。大島・小松川公園で日陰をさがして休憩。荒川土手では、まだ桜が残り、花見やバーベキューをしている人々がのどかに点在。日差しの強いこの日、橋の下の日陰がほっとする一瞬だった。平井大橋からは、蔵前通り、江東新橋を渡って亀戸中央公園の桜の花びらの舞う中、解散場所の亀戸スポーツセンター脇に無事到着。真夏に近い陽気の中で日陰も少なく、汗びっしょりのウォークであった。参加者41名。(参加者47名。約10㎞)

Posted by taichiro at 11:20

1998年04月08日

◎第13回【岩崎元郎講演会】

 第13回、4月8日は、岩崎元郎先生の講演会に参加。ウォーキング、山登り、ハイキングはそれぞれ違うもので、特に、山登りは、歩幅は狭く、ゆっくりだそうだ。(参加者8名。0㎞)

Posted by taichiro at 11:17

1998年04月04日

◎第12回【花見散策】

 4月4日(土)は12回目、ワンクール終了を記念して、ウォーキングの後、懇談会を開いた。桜の花も真っ盛り、花見客の溢れる南砂緑道公園を通り抜け、仙台堀川公園、横十間川親水公園と散策。スポーツ会館で休憩してUターン。先頭グループは予定通りのコースで戻ったが、他は遅れないようにと、仙台堀川公園から、健康センターに直行した。センターの会議室は、葛西海浜公園の昼食時よりもすし詰めで、みな譲り合って何とか座り、ジュースで乾杯。初回から毎回出席したH.Iさん、R.Oさん、Y.Tさんの3人が会長から紹介されると、いっせいに拍手。欠席が1回の人は11人だった。お菓子を食べながらわいわい、にぎやかに歓談。夏に向かって、ウォーキングの時間帯を変えて、午前中や、早朝にしようという意見も出た。Uさんから「骨密度検査」についての話があり、前回(昨年9月実施)検査を受けていない人もぜひ受けてほしいということだった。早速、予約する人も。解散後、ゆっくり、のんびり、花見を楽しまれた人もおられたようだ。(参加者46名。約7㎞)

Posted by taichiro at 11:12