1998年05月30日

◎第21回【レインボーブリッジ】

 5月30日(土)は、レインボーブリッジを歩こうと、午前9時、有明スポーツセンター前に集合。遅刻した人もいて30分ほど遅れて出発した。総勢35名でレインボーブリッジを往復。第三台場史跡公園を「号令の訓練」を見ながら一周して、お台場海浜公園の遊歩道を歩き、「自由の女神」のそばで小休止。そのまま都立潮風公園へ入り潮風橋を渡り、船の科学館の広~いテラスでは、軍艦のような船を眺めた。宗谷の方へ曲がり、羊蹄丸の横を通って、客船ターミナルを通り抜け、青海埠頭北公園へ。青海埠頭南公園の和風庭園では菖蒲や紫陽花に、また、ウェストプロムナードでは一面に咲き乱れたお花畑に見とれて、フジテレビ脇に到着。ちょっと小雨に降られたが、雑踏と信号がなく快適に歩けた。解散後それぞれ昼食。(参加者35名。約9㎞)

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1998年05月27日

四百字随想その32

1.団体ツアー
(一九九八.五.六)=社会=
先日、ロンドン、パリ、ローマとヨーロッパを駆け足で旅行したが、ごたぶんに漏れず、団体ツアーであった。団体ツアーのいいところ、まず安価なことである。普通なら片道航空運賃ぐらいで八日間ぐらい滞在費食費が付いて旅が出来る。それに大変親切でよく物事を知っている優しい添乗員が付いている。その上、見所というか、必要な名所や旧跡をくまなく見せてくれ、治安状況などの情報を教えてくれる。それでは本当の言葉など聴けないという人がいるが、それは寸暇を惜しんでいろんなお店に入ったり、街の中で普通の人と会話することによって解決できる。ただ旅の恥は掻き捨てのようなどんちゃん騒ぎをしたり、みんなで渡れば恐くないというような傍弱無人な態度をとったりする人がいるが、これは団体ツアーの責任ではなく、参加した人の品性の問題である。これからもいろんな形で団体ツアーに参加して見聞を広め、自分の目で外国を確認したい。

2.五 月 病
(一九九八.五.一三)=社会=
大学に入ったり、就職したりして二ヶ月目ぐらいに何となくけだるくなったり、無気力になったりすることを五月病というらしいが、誰でも彼でもなるものではないようだ。現にうちの子供たちはだれ一人五月病らしきものには大学に入ったときも職に就いたときもかからなかった。それは彼らにとってわき目を振っている暇もないほど自分の目的感を持っていたからだ。大学には入ることが目的ではなかった。その大学で研究すること、それに遊ぶことであった。ところがほとんど遊ぶ暇もなかったようである。職に就いたときもそうであった。自分の存在感をどう表現するか。自分が追求した成果を役立てるには何をやればいいか。誰かが喜んでくれるものをどう作りだしていくか。そういう実践を頭で考えるのではなく行動に移しているとき、五月病は逃げていく。頭で考えるのは私のようにいい年になってからでも間に合うし、私でさえ行動が先である。
(平成一〇.五.一三東京新聞夕刊掲載)

3.老 人 介 護
(一九九八.五.二〇)=社会=
自分自身、まだ老人だとは認めたくないが、やはり六十を超えると老人の範疇に入ってくる。今年から本格的なウォーキングを始めた。その目的は「元気で(G)長生きして(N)ポックリと(P)」である。歩くこと、つまり脚を鍛えること、これは動物の生きている証である。脚が萎えても生きていることがどうも老人介護を必要とするような感じがする。そこで私はウォーキングの趣旨を「地球温暖化の防止と医療費負担の軽減」と大それたことを唱えている。たった四ヶ月の間に体重が変わらずにウェストが五センチほどしまり、太股とふくらはぎが膨らんだ。つまり、この年になって体格が成長した。健康で生涯を送り、脚がいうことを利かなくなったとき、ポックリと安らかに消え去ることが出来れば、老人介護の問題は解決する。ウォーキングクラブGNPは会員八十人ほどのささやかな集いであるが、毎週歩き続け、老人介護問題の一助になると信じている。

4.サッカーくじ
(一九九八.五.二七)=社会=
こういうことには余り目くじらを立てるものではないのかもしれない。賭博であることには間違いはない。それに一攫千金を求めて人が働かなくなるかもしれない。法律が出なければやれないということは、つまり禁じられていることを特別に実施しようということである。ところがこのくじに群がるようにたくさんの人が参加するということになると相当な集金能力が出てくる。強制的に参加させられるわけではないから参加しない人にとっては間接的に利益を受けることになる。面白い現象である。賛成する人がお金を出し、反対する人が利益を受けることになる。超逆進的な税制とも言えるが、喜んで合法的にお金を出す人がいる間、出させればいいのかもしれない。それがいかにつまらないことかが分かれば、自然に消滅することになるはずだ。そういう意味で、私は参加する気はないが、この制度には反対しない。
(平成一〇.五.二七東京新聞夕刊掲載)

Posted by taichiro at 09:23

1998年05月24日

◎第20回【鎌倉を歩こう】

 5月24日(土)は鎌倉市主催の「歩け!鎌倉」に25名+1名(健康センターAさん)が参加。総武快速に乗り込み、大船駅から集合場所の鎌倉武道館へ向かった。開会式、体操、そして9時30分曇り空の中を出発。GNPは健脚コースAグループで、先導の地元A隊長に続く。崖を切り抜いたような切り通し。苔むした石段。由緒あるお寺や神社。落葉を踏みしめ、這うように登ったり、滑り落ちないように恐々と下ったりした古道。さすがに鎌倉は起伏に富んでいて、いつもと違い結構苦戦した面々もいたようす。ゴールの鎌倉体育館へは、先導者が12時3分到着。我がGNPは、T.Hさんが同5分、続いてH.Yさんがゴール。13時37分には全員が到着。その後、雨も本降りになった。(参加者26名。約15㎞)

Posted by taichiro at 11:39 | Comments (0)

1998年05月17日

◎第19回【銀座・中央通り】

 5月17日(土)は、歩行者天国を歩こうと、午後1時、銀座8丁目博品館前に集合。朝までの雨も上り、涼しい曇り空の下、1丁目まで銀座通りの真中を歩き、「まだ休まなくていいよ」という声は無視して、予定通り日本橋で休憩。周りの人の中に「あれが新聞に出ていたウォーキングクラブGNPだ」と話している人がいたとの報告もあった。読売新聞の読者かな??引続き中央通りを歩き、また、秋葉原の歩行者天国を一塊りで颯爽と歩き、上野の西郷さんの前へ到着。大勢人がいる中で、軽く体操して解散。あと、各自、浅草廻り、上野公園などへ分かれていった。(参加者38名。約6㎞)

Posted by taichiro at 11:37

1998年05月10日

◎第18回【伊能忠敬測量の道】

 第18回、5月10日(土)は、没後180年ということで開催された「伊能忠敬測量練習の道」ウォーク&歩測大会に参加した。他の参加者達が出発したあと、10時10分、GNPの面々は、旗手のM.Kさん、道に詳しいS.Yさんを頭に、江戸東京博物館を出て清澄通りを南下。蔵前橋通りを渡るときにはもう参加者の先頭を歩いていた。深川2丁目の歩道で「歩測」し、忠敬隠居跡の石碑を見て富岡八幡で休憩。他の参加者の速い人たちが一緒に行動した。芭蕉庵跡から隅田川のテラスを通り、両国橋を「歩測」しながら渡り、江戸通を吾妻橋へ。空腹を我慢して「歩測」し、12時25分、江戸東京博物館へ到着。完歩賞もなく、みんなで両国駅前のビヤガーデンで昼食して解散。(参加者20名。約11㎞)

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1998年05月04日

番外 大多喜へれんげ見学

 5月4日(月・休日)は、R.Tさん、H.Iさん発案による「大多喜へれんげを見に行く」会に10名が参加。大多喜城を見学してから、小さな豆のついたレンゲの花の中で昼食。大多喜から養老渓谷まで20キロあまり、藤や桐の花、筍やゼンマイを見つけ、鶯や蛙の声を聞きながら、透明な肌寒い空気の中を闊歩した。「私、自信がついた」と喜ぶ人も。(参加者10名。約20㎞)

Posted by taichiro at 11:32

1998年05月02日

◎第17回【亀戸天神藤見】

 第17回、5月2日(土)は久しぶりに健康センターに集合。午後1時、風雨ともに荒れるという天気予報のなかを「亀戸天神・藤の花見」へ出発。4月15日開通の「東陽橋」をぐるっと回って渡り、北上して横十間川親水公園を通って猿江恩賜公園で休憩。新大橋通りを通って菊川橋から未完成のテラスを歩き大横川親水河川公園へ。横川橋の手前から上がって栗原橋のテラスを通り、北十間川沿いの浅草通りを通り、明治通りを南下。香取神社で体操して解散し、各々亀戸天神へ向かった。今年は天候のせいか、藤の花は盛りを過ぎていたが、ウォーキング中は雨に遭わず、気持ちよく歩けた。当日は、骨密度検査の最終申込み、5月24日(日)鎌倉ウォークの申込みと、4月30日読売新聞に掲載された名橋回遊のスナップ写真や、4月26日ハートフルウォークの集合写真の申込みなど、てんやわんやの忙しさ。それに新しく3人の方が入会された。(参加者49名。約10㎞)

Posted by taichiro at 11:29 | Comments (0)