1998年03月28日

◎第11回【木場親水公園】

 3月28日(土)は初夏のような暖かさで、汗びっしょりになって歩いた。Uさん指導で体操し、健康センターを出発。三つ目通りを歩道橋で渡り、舟木橋から降りて木場親水公園を通り、仙台堀川水辺の散歩道、亀久橋、福富川公園、木場公園で休憩。あと豊住公園、仙台堀川公園、横十間川親水公園とまさに公園ずくし。福富川公園、水道局ぞいの横十間川など、河川改良計画の初期に作られた公園は、樹木も大きく、歳月を経て区民に愛されている趣があり、落ちつきを見せていた。桜はまだまだという感じ。江東区役所で解散。[2班企画](参加者39名。約7㎞)

Posted by taichiro at 11:07

1998年03月21日

◎第10回【葛西海浜公園】

 ウォーキングの例会も、春分の日の3月21日(土)で10回目になった。午前11時、健康センター集合。Uさんの「でんでん太鼓]体操をして、弁当持参で葛西海浜公園へ。コースを一部変更し、3月15日に開通したばかりの「しおかぜ橋」を渡り、東西線深川工場と汐浜運河を跨ぐ。暁橋からウッディランドの前を抜け、砂潮橋、明治通り、そして夢の島緑道公園で休憩。長い荒川河口橋で江戸川区に入り、ぐるぐる歩道を降りて車道(船堀街道)を横断し、荒川の土手に出た。荒川沿いの遊歩道を通り葛西臨海公園へ到着。曇り空のこの日、汐風の広場は風も冷たく寒く、とても戸外では食事がとれず、海上バス待合所に変更。手作りの「おはぎ」やおかず、漬物、あめ、果物などが回ってきて、にぎやかにお昼をいただいた。食後、水上バス、二階バス、JR京葉線、水族館見学、と三々五々思い思いに解散。(参加者37名。約9㎞)

Posted by taichiro at 10:53

1998年03月14日

◎第9回【佃大橋・永代橋】

 3月14日(土)はホワイトデー。Uさんの新バージョン「ヘンシーン体操」を楽しんで、春一番の強い南風が吹く晴天の下、健康センターを出発。古石場親水公園を通り、越中島プール横で休憩。相生橋を渡り月島駅前で右に折れて佃大橋を渡り、川岸のテラスを歩く。南高橋から中央大橋際までは一般道だったが、隅田川の岸辺の道は信号も雑踏もなく、隅田川を眺めながらマイペースで歩けて快適なコースであった。真中のグループが新川のダイヤビルあたりのとき、先頭グループはもう対岸の永代を歩いており、手を挙げてエールの交換をした。越中島公園で解散。昼間は太陽の光が痛いほどだったが、夜はまたまた冷え込んだ。[5班企画](参加者35名。約8㎞)

Posted by taichiro at 10:50

1998年03月11日

四百字随想その30

1.いま言論の役割
(一九九八.三.四)=社会=
 「言論の自由」という響きのいい言葉がある。ところがここにいう自由という意味が一人歩きして何でもかんでもいい放しで、その言葉に責任も持たず、人がその言葉に反論しようが、賛成しようがそんなことは関係ないという態度が見える。何か反論しようものなら、それは言論の自由を束縛するのかという態度である。しかも言葉が人の尊厳を傷つけようが軽蔑しようが関係ないというようなことになっていることがある。こういう言論は不毛のものであってかえって言論の無力さを証明しているような気がしてならない。事件が起きてからこれでもかこれでもかという決め付け方、そのくらい分かっているなら何故事件が起こらない前に言わないのか。もうそんなことはとっくに常識だというような評論家と称する方々。そういう方は共犯者だと言っても差し支えない。今、真剣に言論の役割を考えないと無力さがますます増えてくるような気がしてならない。

2.自転車の盗難
(一九九八.三.一一)=自分=
かつて娘が中学生のころ、習字の稽古に行って自転車を盗まれたことがある。私が帰宅したのは夜の十一時過ぎ。その話を知って家族総動員、近くの駅を探し、商店街を探し、ゴミ捨て場を探し、あらゆる探索を行い、午前三時頃までかかって見つからず、交番に届けた。徒労に近い話ではあったが、鍵をかけ忘れ盗まれた責任を娘だけでなく家族一同が認識するため、努力を費やした。ところが三日後、交番から連絡があり、見つかったとのこと。もういい加減使い古した自転車が戻ってきたのである。家族の努力が無駄ではなかった。ものを大事にする心、このとき、家族は古ぼけた自転車一台に愛着を覚えた。このあと何一つ盗まれることなく、ものを大事に徹底的に使うことを、そしてものにも話しかけることが出来るようになった。飽食の時代、我が家ではこの盗難事件をきっかけに子供たちも考え方が変わった。私には見も知らぬ盗人が教育の恩人となった。
(平成一〇.三.一一東京新聞夕刊掲載)

3.定期テストの廃止
(一九九八.三.一八)=社会=
定期テストの廃止には反対である。もともと定期テストは何のためにするのか。どうも世の中では生徒のためにするとの認識があるようだが、私は教師のために行っているものと見ている。自分が教えたことがどれだけ生徒に伝わったか、どれだけ理解されたか、それを知るためである。その結果、生徒の点数が悪いとき、反省するのは教師であるはずである。自分の教え方に間違いはなかったか、教えたことを生徒は理解したか、それを知るよすがである。かつて私は九五点をとっても教師から呼び出されたことがある。その五点の間違え方についてうっかりミスなのか本質的な理解が行き届いていないせいか確かめられたものだ。その結果、うっかりミスであったことを徹底して鍛えられた。日頃の成果を定期テストで確かめるということ、この成果は教師のものである。その成果を確認しないということは単に生徒に迎合した教師の怠慢以外のなにものでもない。

4.お花見の楽しみ
(一九九八.三.二五)=季節=
桜の花は私にとってどういうものか、入学式に結びつく。子供三人。幼稚園、小学校、中学、高校、大学、そして下二人は大学院。二十回近く、入学式に参加した。華やかで明るく希望に満ちた雰囲気である。桜の花がよく似合う。この楽しみがなくなった今、ウォーキングのコースづくりに花見の名所を調べてみた。驚くほどたくさんの名所がある。とくに東京は素晴らしい。職場にいたころ、花見の場所取りをさせられたり、どんちゃん騒ぎをするのが嫌で嫌でたまらなかった記憶があるが、よく考えると花を見てはいなかった。最近やっと花の命の短さ、それでいて毎年また盛りがやってくる美しさの意味が分かってきたような気がする。生きているということ、人生よりも長く木が生きているということ、そういう木が環境の変化にも負けず、年々歳々花を咲かせる気概、そこに人間が学ばなくてはならない生き様がある。今年はじっくり花見を楽しんでみよう。
(平成一〇.三.二五東京新聞夕刊掲載)

Posted by taichiro at 16:12

1998年03月07日

◎第8回【亀戸天神】

 3月7日(土)は「亀戸天神」へ。参加者47名。健康センターを出て新砂橋から明治通り、仙台堀川、横十間川親水公園を通り、スポーツ会館前で休憩。クローバー橋を渡って水辺を通り、堅川から普通の道へ出て北上。天神橋から右折して亀戸天神へ到着した。時折巻き上げる春の嵐で、体ごと飛ばされそうになったが、亀戸天神の梅は真っ青な空に白やピンクや真紅に鮮やかに映えて[春]を謳歌していた。Oさん指導で体操して解散。また「さざんか」の皆さんと一緒になったが、コースは両国だったようだ。(参加者47名。約7㎞)

Posted by taichiro at 10:48