2002年07月13日

工夫届く白亜の建物

◎第227回【高田馬場、早稲田、雑司ヶ谷】=約6キロ
7月13日(土)午前10時、戸山公園ジョギング広場に集合したのは41人。地元、国立健康栄養研究所の樋口満先生も駆けつけてくれた。打合せと体操の後、箱根山に向って歩き始める。
久しぶりの箱根山。これで3回目になる。頂上でしゃべる声は麓では丸聞こえとのこと。人の悪口などしゃべっていないので一安心。

続いて箱根山通りから馬場下町を通り、早稲田大学構内に入り演劇博物館を見学。エリザベス王朝のフォーチュン座を模して昭和3年に開館されたという新宿区の文化財。当時、坪内逍遥さんも現存され、先生の古希の祝も兼ねて建造された建物とか。廊下の板がピカピカに磨かれ、歩くと快い軋みの音がして貫禄十分。展示物の中に戦後間もない頃のストリッブ劇場まで触れられ親しみを感じた。
西門から外に出て水稲荷神社に向う。階段を下りて面影橋から宿坂通りに入り、途中、目白の由来となった目白不動を眺め、鬼子母神に到着。
境内にある大イチョウは高さ32.5メートル、樹齢600年といわれ、霊気を感じる大樹。木陰に佇むと強烈な太陽をさえぎってくれ、その涼しさは格別だった。
お盆参りで賑わう雑司ヶ谷霊園の中を縦断して雑司ヶ谷旧宣教師館に入る。明治40年に建築され、取り壊してマンション敷地になるところを地元民が反対して区役所が買い取り、旧資材をなるべくそのまま使って再建築されたもの。
職員の日頃の管理がいいせいか、佇まいはそのまま残り、19世紀後半のアメリカの郊外住宅の特色が見られ、質素な中にも合理的な工夫が随所に感じられる。暖炉の配置、ギロチン窓の仕組、回廊も部屋にした感覚、地下保存庫の冷気、ブルーベリーも実る庭の配置などよく出来ている。
ここから護国寺まで歩くが、日中の日差しは益々強烈になり、熱中症の心配をしなくてはならない状況。護国寺の本堂まで石段が続くがこれを登らない人も多数出てきたので、本日のウォーキング、ここで中断することに決定。解散した。

Posted by taichiro at 2002年07月13日 19:19