2010年04月24日

◎第616回[上野の山・下谷巡り](

4月24日(土)午前10時=約10㌔=
東盛公園(日比谷線・三ノ輪駅3番出口徒歩7分)集合→一葉記念館→飛不動→入谷鬼子母神→小野照崎神社→円光寺→ねぎし三平堂→書道博物館→子規庵→凌雲橋→寛永寺霊園→(篤姫墓)→寛永寺→東京都美術館→上野動物園正門前(休憩)→時の鐘→上野大仏→五條天神社→不忍池弁天堂→境稲荷神社→暗闇坂→弥生美術館→弥生坂→弥生土器発掘ゆかりの地碑→異人坂→お化け階段→根津神社解散
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写真は上野公園の青々とした桜青葉。お日様に映えて初夏を感じさせる。

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コース図は実費でお分けします。メールで請求ください。宛先: taichiro.murata@gmail.com

◎第616回[上野の山・下谷巡り=約10㌔=
4月24日(土)午前10時、東盛公園に集合したのは、53人。2月の気候と5月の気候が変わりばんこにやってくる4月の気候。何しろ、1日違いで15℃も変化する気温にはなかなかついていけない。今日はそのうち快晴で暖かい1日。豊満な八重桜の花の下で打合せの後、しっかり体操をしてスタートした。
新装成った一葉記念館も3年余り経ってすっかり落ち着いた雰囲気。中には入らなかったが、竜泉地区のシンボルになっている。飛不動、鷲神社、弁天院公園と巡り、入谷地区に入る。向うに見える入谷鬼子母神は1659年に創建された安産と子育ての神といわれ、他人の子を奪って食べた夜叉鬼子母神が、お釈迦様の戒めに改心し善神となったもの。毎月8日、18日、28日が祈祷日で、7月6日~8日は朝顔市で賑わう。
つづいて、小野照崎神社、円光寺、ねぎし三平堂、書道博物館と歩き、。「坂の上の雲」で有名になった子規庵に着く。
正岡子規は、明治27年この地に移り、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場として、多くの友人、門弟に支えられながら俳句や短歌の革新に邁進した子規没後も、子規庵には母と妹が住み、句会、歌会の世話をつづけたが老朽化と大正12年の関東大震災の影響により 昭和元年に解体、旧材による重修工事を行った。昭和2年、母八重(83歳)没。同年7月子規の遺品や遺墨等を保管するため土蔵(子規文庫)建設に着工。昭和3年、子規門弟を中心とする子規庵維持保存会が財団法人子規庵保存会として認可され、初代理事長には正岡律が就任した。昭和16年妹律(71歳)没後、同20年4月14日の空襲により子規庵は焼失。幸い土蔵は残り貴重な遺品が後世に残された。現在の子規庵は昭和25年高弟、寒川鼠骨等の努力で再建され、同27年東京都文化史蹟に指定されて現在に至っている。
ケバいホテル街を抜け、言問通りの下をくぐり、鶯谷駅北口前から細い路地へ入り元三島神社を仰ぐ。凌雲橋を渡り、寛永寺霊園、寛永寺、東京都美術館の裏を通り、上野動物園正門前で休憩した。上野公園の桜はわずかに八重桜が残っているだけで、青々とした桜青葉。お日様に映えて初夏を感じさせる。
時の鐘、上野大仏、五條天神社を散策。不忍池に入り、弁天堂を抜け、境稲荷神社から暗闇坂を通る。建物としても素晴らしい弥生美術館を眺め、左折して「弥生土器発掘ゆかりの地碑」を眺め左折。異人坂からお化け階段を下り根津神社に入る。根津神社では恒例のツツジまつり。少し早いせいか5分咲きという感じ。それでも人出が多くごった返す中で解散した。

Posted by taichiro at 2010年04月24日 18:27