30年5月26日(土)午前10時 =約8㌔=
鳩ノ巣駅(集合)→白丸ダム→白丸湖畔遊歩道→数馬峡遊歩道→奥多摩駅(解散)
[交通] JR東京7:37=<中央特快「高尾行」>=→新宿7:51→8:16(6番線)立川(1番線)8:25=<青梅線「奥多摩行」>=→8:56青梅8:57=<「奥多摩行」>=→9:40鳩ノ巣
鳩ノ巣駅を出て、絶景喫茶店ポッポの横から鳩ノ巣小橋を渡った12人。鳩ノ巣渓谷=写真=の道筋は川の縁をアップダウン。急な階段を一気に上がって東屋で一息。なだらかな白丸湖畔の遊歩道では、カヌー教室(?)らしき声が聞こえた。
発電所手前で通行止めの為、海沢大橋を渡り411号線を歩き、もえぎ橋をわたる。どの橋も渡るには急な階段を降り、また上る。どこでも水が綺麗! おかげで初夏の新緑と清冽な水の色を堪能した。 [M.K記]
30年5月26日(土)午前10時 =約6㌔=
東京メトロ虎ノ門駅2番出口→虎ノ門金刀比羅宮(集合)→特許庁前→日枝神社入口 →菊池寛実記念智美術館→神谷町駅→愛宕神社(休憩)→新橋2丁目→千代田区立内幸町ホール→内幸町駅(解散)
四周が高層ビルに囲まれた虎ノ門金刀比羅宮=写真=に29人が集合。ここで御朱印をもらったりスタンプをもらったりしてスタート。特許庁前、日枝神社入口、菊池寛実記念智美術館、神谷町駅と歩きエレベーターで愛宕山に上り、愛宕神社に到達。ここでもスタンプと御朱印を頂き、正面の階段を恐々と下り、千代田区立内幸町ホールで三つ目のスタンプを獲得。新橋駅から帰途についた。 [T.M.記]
30年5月19日(土)午前10時 =約11㌔=
JR池袋駅→東京芸術劇場 (受付・集合)→池袋の森→池袋富士塚→大正大学すがも鴨台観音堂(休憩)→都電大塚駅前停留所→都電向原停留所→鈴木信太郎記念館(旧鈴木家住宅)→雑司ヶ谷宣教師館(旧マッケーレブ邸)→雑司ヶ谷鬼子母神堂→学習院大学→切手の博物館→目白駅(解散)
広い東京芸術劇場の入り口でJR受付を済ませてフロアの一角に31人が集合。5/26のAをメトロのコースに変更したことを伝え、会報とチラシとスタンプ帳を配る。Bの鳩ノ巣駅到着は以前のままの9時40分着とする。
池袋の森のログハウス展で「数字パズルSeek10」の著者からペンギンのペーパークラフトを購入、裏手の小さな池で大勢のオタマジャクシが泳いでいるのを眺め、ユリノキの大木などの鬱蒼とした森を堪能。日差しの中を歩いて氷川神社で池袋富士塚を仰ぐ。通り抜けて東武東上線下板橋駅にたどり着き、帰宅。[K.M.記]
一方、会長は、いきなり山手線の内側に入り、明治通りを南下、雑司ヶ谷鬼子母神堂に向かい、札所で御朱印を頂く。都電に向かって歩く途中、大鳥神社に突き当たり、中に入るとえびす様が踊っておられた=写真=ので、ついでに御朱印を頂き、そのまま都電に乗り新庚申塚から三田線に乗り替え帰宅した。[T.M.記]
30年5月12日(土)午前10時 =約8㌔=
御茶ノ水駅→湯島聖堂大成殿前(集合)→神田明神→本郷3丁目→菊坂→こんにゃくえんま→小石川3→小石川植物園(休憩)→占春園→教育の森公園→護国寺駅(解散)
30分前に到着した会長は、下から入り、まず社務所に行く。ここで御朱印を頂き、孔子像を眺めながらだんだん上がっていくが、あがり切った先の新緑がまぶしい湯島聖堂大成殿前にはすでに44人の会員が集合。会長の話の後、モタモタと出発する。旗持ちの先導がないからだろうか……。
神田明神から小石川植物園へ直行すると、入口に団体が溜まっていた。なんと元気なGNPメンバー18人が団体入園の相談中。結局通過した皆さんを見送り、一人で入園。破れた羽のアゲハチョウがピラピラとつつじの花を渡っていて=写真=、何か身につまされ目が離せなかった。
白っぽく整備された御殿坂を登り、白山神社で開き始めたアジサイを眺めて帰宅。[K.M.記]
30年5月5日(土)午前10時 =約7㌔=
東武伊勢崎線西新井駅*構内大師線改札前*(集合)→ギュラクシティ→井堀北公園→徳寿院→西新井大師(休憩)→高道東公園→諏訪木西公園→舎人公園・東エリア→舎人公園・西エリア(解散)→舎人公園駅 *集合場所変更*
西新井駅構内に37人が集合、会長の欠席反省話を聞く。会長はそのまま2,3人と大師線に乗車、西新井大師で御朱印を頂く。他の方は改札を出て、駅東口からキラキラ輝く太陽の下へと歩き始める。
東武線は地域を分断している感じで、線路を渡れる道が少ない。環七は高い歩道橋、その北は線路下をくぐるくねくねの細い地下道、その次が今日のコースの栗原立体交差で、かまぼこ兵舎のような入口の長い地下道を通り、線路の向こう側へ出た。その先の跨線歩道橋を渡ったグループも居たそう。
いろいろのコースで西新井大師に到着、芍薬の花、青空を泳ぐ鯉のぼり=写真=、睡蓮池など広い境内を散策。のんびり見学して、ここから帰宅した人もいた。 [K.M.記]