2016年05月28日

◎第921回[両国相撲部屋めぐりⅡ]

28年5月28日(土)午前10時=約8㌔=
錦糸公園(集合)→浅香山部屋→宮城野部屋→九重部屋→高砂部屋→片男波部屋→錦戸部屋→旧安田庭園(休憩)→陸奥部屋→時津風部屋→春日野部屋→井筒部屋→出羽海部屋→高田川部屋→尾車部屋→錣山部屋→大嶽部屋→山響部屋(元北の湖)→清澄公園(解散)
額アジサイIMG_2281.jpg

本日は相撲部屋巡りということで、錦糸公園に集合したのは、47人。折から日台食文化交流ということで、ライチの種飛ばし大会が開かれる準備で公園は賑わっていた。
相撲部屋は全部で44あるということだが、本日はその内約3分の1の16部屋を訪ねることになった。
現在の力士数は、横綱3人、大関4人、関脇2人、小結2人、前頭31人、十両28人。ここまでの70人が関取と言われている。その下に幕下、三段目、序二段、序ノ口がそれぞれ50人ずつで200人、合計270人が力士だ。
その他、各部屋には部屋付年寄り、行司、呼出、床山がおり、他に力士の卵、新弟子も抱えている。
本日巡る各部屋の師匠と幕内力士の名前をカッコ書で記してみた。
浅香山部屋(元大関魁皇)、宮城野部屋(元前頭竹葉山・横綱白鳳)、九重部屋(元横綱千代の山・千代鳳、千代大龍)、高砂部屋(元大関朝潮)、片男波部屋(元関脇玉春日・玉鷲)、八角部屋(元横綱北勝海・小結隠岐の海)、錦戸部屋(元関脇水戸泉)、陸奥部屋(元大関霧島)、時津風部屋(元前頭時津海・正代、豊ノ島)、春日野部屋(元関脇栃乃和歌・碧山、栃ノ心、栃煌山)、井筒部屋(元関脇逆鉾・横綱鶴竜)、出羽海部屋(元前頭小城乃花・御嶽海)、高田川部屋(元関脇安芸乃海)、尾車部屋(元大関琴風・嘉風、豪風)、錣山部屋(元関脇寺尾・青狼)、大嶽部屋(元十両大竜・大砂嵐)、山響部屋(元前頭巌雄)。
こうして巡ってみると、すべての部屋が鉄筋コンクリート造でだいたい4階以上の建物。一見、相撲の世界と合わないような気もするが、これも外国人力士が幅を利かせている一つの要因かもしれない。
旧安田庭園で休憩する予定であったが、横網公園に変更して休憩、園内の池ではアオサギが小魚を狙っていた。解散場所(清澄公園)までの途中の民家ではガクアジサイが満開=写真=。いよいよ初夏だ。

Posted by taichiro at 15:32

2016年05月21日

◎第920回[鋳物で栄えたまち川口~歴史とモダンたてものをめぐる~]

28年5月21日(土)午前10時=約6㌔=
川口駅(集合)→キュポ・ラ広場→川口神社→川口市母子父子福祉センター(旧鋳物問屋鍋平別邸)→増幸産業(大砲)→川口市立文化財センター→錫杖寺→旧田中家住宅→昌國利器工匠具博物館(休憩)→川口市立アートギャラリー・アトリア→川口駅(解散)
錫杖寺IMG_1951.jpg

川口駅改札正面券売機横で受付を済ませ駅前に集合したのは44人。前週の会長欠席の経緯を説明したのちキュポ・ラ広場を見下ろして川口神社に向かう。この神社の創建は古く西暦940年ごろと伝わり、江戸時代には氷川大明神と尊称されていたが、明治6年、天神社、稲荷社、金山社を合祀して川口神社と改め、川口の総鎮守となった。
続いて旧鋳物問屋鍋平別邸であった川口市母子父子福祉センターに入り、当時の庭園の素晴らしさを垣間見た。今度は250年前に活躍したという大砲見学。1863年フランスが、敗北した長州藩からの戦利品として持ち帰った大砲を、増田家の現在の当主が確認したとのこと。歴史の凄さを感じた。
川口市立文化財センターは省略して錫杖寺に入った。境内には仏様の群像が、整然と飾られ=写真=、なかなかのもの。旧田中家住宅は木造煉瓦造3階建の洋館と和漢のほか、茶室、文庫蔵,煉瓦塀、池泉回遊式庭園から構成され、学術的、文化財的価値について専門家から高い評価を受けているようだ。
川口は盆栽でも有名だが、この盆栽に欠かせないものは専用の盆栽鋏。この鋏や理容鋏を開発しているのが(株)昌國で、ここが管理している利器工匠具博物館と川口市立アートギャラリー・アトリアを見学して川口駅で解散した。

Posted by taichiro at 20:21

2016年05月14日

◎第919回B[旧東海道から大森貝塚遺跡庭園へ]

28年5月14日(土)午前10時=約7㌔=
品川駅中央改札外びゅうプラザ前(集合)→八ッ山橋→聖蹟公園→品川宿交流館本宿お休み処→荏原神社・鎮守橋→品川寺→しながわ花海道(勝島運河の土手)→浜川砲台の大砲(新浜川公園内)→浜川橋(なみだ橋)→坂本龍馬像(北浜川児童遊園内)→品川区立品川歴史館→大森貝塚遺跡庭園→大森駅(解散)
砲台IMG_1800.jpg

品川駅中央改札外のびゆうプラザ前に31人が集合。長く屯しては迷惑だからとそそくさと出発。
旧東海道を辿り、八ツ山橋、聖蹟公園、品川宿交流館本宿お休み処、荏原神社・鎮守橋、品川寺、勝島運河のしながわ花海道を廻り、浜川砲台の大砲レプリカ=写真=、なみだ橋、坂本龍馬像、脇に咲く真っ赤なマツバボタンの花に一息。立会川駅前、区立品川歴史館、大森貝塚遺跡庭園を巡り大森駅で解散した。
程よく浮かぶ雲と爽やかな風がまさに初夏。また、今年も心地よい季節がやってきた。暑さ対策も始めなくちゃ!

Posted by taichiro at 18:57

◎第919回A[鋸山ハイキング]

28年5月14日(土)午前10時30分=約8㌔=
浜金谷駅(集合)→浜金谷→鋸山ロープウェイ乗り場---鋸山(日本寺参拝 )→百尺観音→展望台(地獄のぞき)→奥の院→無字門→明鐘岬→鋸山ロープウェイ乗り場→「漁師料理かなや」昼食・足湯→浜金谷または竹岡
鋸山A番IMG_20160514_114759.jpg

今回の鋸山参加者は、会長が所定の電車に乗り遅れ欠席、総勢8名。鋸山の階段は2639段とか、誰が数えたのかインターネットに出ていたが、それを登ったり下ったり。鋸山の名所地獄のぞき=写真=まで登りに登って、見晴らしを満喫したが、あとはすっかり「登りはもう嫌だ」との大合唱。「百尺観音を見逃したから戻る?」と聞くと、「もう良い」と。そこで、今度はひたすら下る下る下ると。
下り階段の脇に千五百羅漢。そして広場に日本一大きな大仏とお願い地蔵。さらに下って表参道、無字門を出て保田駅へ向かった。
保田駅から電車で一駅戻ってランチと思っていたのに、駅に着くと午後1時半。もうここでランチ!と決めて、駅の近所で1軒だけのお寿司屋さんで食事し、そのまま内房線で帰途についた。
会長の脱落で当初の予定通りには、いかなかったけれど、お寿司は美味しかったし、山の中では森林浴が出来たし、保田駅までの田舎道はのどかで楽しかったし、素敵なハイキングだった。

Posted by taichiro at 18:55

2016年05月07日

◎第918回[板橋散策]

28年5月7日(土)午前10時=約8㌔=
三田線板橋本町駅→YUMEパーク・大和町(集合)→縁切榎→(旧中山道)→板橋→石神井川→加賀第二公園→東板橋公園→板谷公園→加賀公園(休憩)→板橋1→埼京線板橋駅→近藤勇・土方歳三墓碑→北谷端公園→南谷端公園(休憩)→明治通り→堀之内橋→六ツ又陸橋→豊島区役所新庁舎(解散)→東池袋駅
板橋こいのぼりIMG_1753.jpg

三田線板橋本町駅を出てすぐYUMEパーク・大和町に集合したのは48人。来週の遠出コースと都心コースの二手に分かれるなどの打合せの後、スタート。旧中山道を歩くとき、昔はわざわざ避けて通るといわれる縁切り榎。今はひっそりとした佇まいになっているが、それでも置かれている絵馬の呪いの言葉はあまり気持ちのいいものではない。板橋の欄干から見渡せる鯉のぼり=写真=は地元の小学生が描いた作品。なかなかの勢いを見せていた。本来の、石神井川沿いに御成橋、東板橋公園、板谷公園、加賀公園と巡ってきたA班と新板橋で合流。埼京線板橋駅際にある近藤勇・土方歳三墓碑で休憩した。
最近、明治維新に対する異説が出てきて、薩長だけで新しい国家づくりをしただけでは、英仏の属国に成り下がっていたかもしれず、それに逆らった幕臣の存在が云々されてきている。そうなると罪人になっている近藤勇の評価も変わってくるかもしれない
北谷端公園、南谷端公園と巡り、明治通りを直進し、堀之内橋、六ツ又陸橋を渡り、サンシャイン前を通り、豊島区役所新庁舎前で解散。池袋の雑踏の中で、お昼を求めて散っていった。

Posted by taichiro at 12:17