2010年05月29日

◎621回[緑あふれる街と寺社、文学の田端を歩く]

5月29日(土)午前10時=約8㌔=
田端駅(受付)集合→田端操車場→平塚神社→地震の科学館(防災センター)→旧古河庭園→六義園→富士神社(休憩)→ギャラリーフェーマス→高源寺→旧安田楠雄邸→田端銀座商店街→大龍寺→東覚寺→田端文士記念館→田端駅解散
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旧古河庭園ではお屋敷をバックに真っ赤なバラの花が満開。

◎621回[緑あふれる街と寺社、文学の田端を歩く]
5月29日(土)午前10時=約8㌔=
メトロで行って西日暮里から歩こうかと思ったけど止めて、JRで行くことにする。田端駅北口を出て、いつもの通りJR東京支社ビルの前で受付、ビルの前でみんなを待つ。雲が空に広がって涼しい風が吹き、ウォーキングには絶好の天気だ。
10時46人が集合。会長が、嬉しそうに持ってきたDVDプレーヤーを鳴らし、体操を始めた。屋外では音が通らず第一体操だけしかできなくて、HWさんが続きの準備体操をやってくれた。
今日は自由歩行ということで、各自出発。新田端大橋を渡り左折して坂を下り、田端操駅(旧田端操車場)をぐるりと周る。尾久操車場への引込線があった。車坂跨線橋を渡って上中里駅を横目に、平塚神社の階段を望み本郷通りへ出る。平塚神社参道、地震の科学館(防災センター)を眺め信号を渡る。
西ヶ原交差点あたりに行列が出来ていたのは、旧古河庭園へ入るためのものだった。バラのシーズンで見物客が押し寄せたようだ。並んで団体割引50円で中に入る。薔薇はなんとなく少なくてちょっと寂しかった。
お茶を飲んで少し休み外に出る。本郷通りを南下。霜降橋、駒込駅を過ぎる。以前雨降りの中で集合したコンクリートの駅前広場は木々が伸び緑の公園になっていた。大国神社は改築工事中だった。六義園は素通りし、富士神社は裏から抜け、鉛筆の積まれたギャラリーフェーマスはガラス越しに眺め、吉祥寺で大仏様を見上げる。向丘2を左折し、初代松本幸四郎の墓がある栄松院、金ピカの観音様がおられる光源寺と巡る。入口に「水族館劇場」と書かれた看板が立ち鉄パイプと廃材が組み立てられた廃墟のようなのがあったが、野外テント公演をやっているそうな。「前売券あります」と手書きの案内が入口に貼ってあった。
駒込学園を過ぎて路地に入り込む。くにゃくにゃと裏道を進み、団子坂上からの明るい色のきれいな道に出た。この辺りは昭和40年頃まで駒込林町といったそうだ。雑木林の千駄木山の内で千駄木御林と称し上野寛永寺創建後は将軍家霊廟の材木を供給したそうだ。文京千駄木の郷の隣に旧安田楠雄邸があった。GNPの始めの頃の下見で、高村光太郎旧居跡を探しても見つからなかった路地が近くにあった。
ちょっと疲れを感じたので、田端銀座商店街、大龍寺、東覚寺、田端文士記念館は省略。田端駅に戻らず千駄木駅から帰宅することにした。
旧安田楠雄邸は玄関だけ見て前の道に入る。住宅の塀に溢れる薔薇を見て、須藤公園に入る。滝の上から下の池が見下ろせ、鬱蒼とした木々の隙間から小橋と赤いお宮が覗く。トイレと遊具があり、駅からすぐだし集合場所に使えそうだ。
千代田線千駄木駅2番出口から下りて帰宅。家に帰って食事にありつく。

Posted by taichiro at 15:55

2010年05月22日

◎620回[目白台・早稲田・落合]

5月22日(土)午前10時=約10㌔=
戸山公園スポーツセンター横集合→箱根山→穴八幡神社→早大正門→江戸川公園→新江戸川公園(休憩)→神田川→おとめ山公園→氷川神社→高田馬場公園解散→高田馬場駅徒歩3分
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神田川遊歩道を悠然と靴を履いて散歩する亀様。

◎620回[目白台・早稲田・落合](119回実施分利用)
=約10㌔=
5月22日(土)午前10時、戸山公園スポーツセンター横に集合したのは42人。意外に人が少なかったのは、いい季節を反映して海外旅行や宿泊旅行を楽しんでいるせいか。
初夏の爽やかさをそのまま表現したような今日の日和。空は雲ひとつなく紺碧の色合い。木々は若緑が徐々に深まっていくような雰囲気で眺めているだけで生気が漲ってくる。微風まで私たちを祝福するようにそよそよとまるで音がするようだ。
今日のコースは起伏に富み、坂が多い。まず箱根山。ここは都区内の最高地で標高48m.ただ頂上に立っても周りのビルから睥睨されて高さの実感が湧かない。
箱根山を下り、箱根山通に出て諏訪通を右折、穴八幡神社を見上げて早稲田通を渡り早大正門へ着く。大隈庭園を見学しようと思ったが、11時から開放と書いてあり、断念してコースに戻る。ガーデンハウス入口に阿吽の獅子が門を守っていた。
神田川に出て大滝橋を渡り、みんな元気に江戸川公園の階段を登っていった。ちょっと弱気の人は、上らずに後姿を見上げ、新江戸川公園へ川沿いに直行する人もいた。川沿いの道では台車(?)を曳いた人が歩いていた。「茶色の砂袋を乗せてるのかな」と思いながら近づいていくと、なんと一匹の亀!
台車のタイヤに見えたのは亀が履いていた(多分お手製らしい)赤いベルトで足首を締めた黒革の靴だった。体長70センチほどもある茶色の陸がめがゆったりとマイペースで歩いていた。噛み付いたりはしないんだろうな・・・。抱えたら重たそう・・・。
新江戸川公園に着くと、既にA班が休憩していた。入口が松聲閣側の木戸から大きい門に変っていた。大泉水へ流れ落ちるせせらぎですずめが水浴びし、花はキショウブ、ニホゼキショウ、カルミヤなどが咲き、深い木立から涼しい風が吹き、相変わらずステキな和風庭園だ。間もなくB班も到着、一緒に休憩する。
A班が出発し、B班も11時25分出発。
神田川に戻って豊橋、中之橋、みしま橋、面影橋を過ぎ、曙橋を渡り薄暗い緑道を進む。道が鋭角に曲ったら高戸橋を渡る都電の線路が見え、新目白通に出る。明治通を渡り高田橋を渡る。高田橋の下は高田馬場分水路があり、神田川が3本に見えた。
新目白通を進んでいくと、対岸に行列。始まりを探すと「ラーメン二郎」だった。
歩道に、ブラシの木が真っ赤に咲き、夏が近いのを知る。赤い花を眺め、ジョナサンの角から右折しておとめ山公園に入る。泉があり、池があり、小川があるこの公園では、今ザリガニ釣りが真っ盛り。しばらく眺めて頂上の見晴台で休憩。
この後、氷川神社横から新目白通を渡り、神田川を越え、早稲田通を横断。「この先行き止まり」の看板の先が高田馬場公園だった。静かな公園はGNP一同によって瞬く間に賑わい、珍しく一緒に整理体操をして解散し、揃って高田馬場駅へ向かった。

Posted by taichiro at 20:05

2010年05月15日

◎619回[玉川上水と蘆花恒春園の新緑を楽しむ]

5月15日(土)午前10時=約12㌔=
高井戸駅→高井戸地域区民センター広場(受付・集合)→玉川上水→中川遊歩道→粕谷村地蔵尊→蘆花恒春園→桜上水駅北口解散
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杉並区「花咲かせ隊」の手入れできれいな花が花壇いっぱいに咲いていた。

◎第619回[玉川上水と蘆花恒春園の新緑を楽しむ]
5月15日(土)午前10時=約12㌔=
澄み切った青空に清々しい風、一年で一番快適な季節だ。高井戸駅に降り立ちウォーカーの流れに乗って歩道橋を渡り、階段を登って高井戸地域区民センター前の広場に到着。黄色のウィンドブレーカーの案内で京王の受付を済ませ、地図とカードを受取り、建物の日陰に陣取って仲間を待つ。既に4,5人が来ていた。
会報を配り、出席をとり、明日の下見グループへ地図を渡し、1回目下見の残りチームSK組へ下見・実施日程を延ばす相談をして了解を得る。
7月3日までの予定ができていること、夕涼みウォーク、今年1回も下見していない人は便乗して下見して、などを話し、HWさんに体操をお願いする。遅刻した会長が到着し、本日の出席者50人、自由歩行で出発する。私は高井戸から桜上水へ最短コースで行く予定で、グーグルの地図を用意した。
高井戸地域区民センターをぐるりと回って井の頭線を越え、神田川中の橋に突き当たって、コースでは右折するところを左折、魚の頭の車止めから左岸を下る。左手にこども発達センターという名の施設があったが、何をするところだろう。
流れに沿った石畳の遊歩道は気持ちよい。脇の畑にジャガイモの花が咲いていた。
神田川は井の頭池を水源とし、善福寺川、妙正寺川と合流し、約25キロ流れて隅田川へ注ぐ。杉並区「花咲かせ隊」の人たちがせっせと手入れしてきれいな花が花壇いっぱいに咲いていた。木陰も涼しく車も通らず、コースに使いたい道だ。
乙女橋緑地、堂ノ下橋と下り、塚山橋を渡って塚山公園に上る。高木、低木が新緑に光り、池の縁には黄と紫のショウブが満開、カメも甲羅干しをして静かな平和を感じる。案内図によると、古墳時代の復元住居があるそうだ。
また神田川に戻り、八幡橋、睦橋と進み、藤和緑地には竹林の道があった。川沿いに水の無い石畳の水路があり、張り紙によると、濾過装置が故障して今年は水を出せないのだそうだ。これから水遊びの季節になるのに、残念だな。
向陽中学を過ぎ、神田橋から右に曲って車道を歩く。細い道に通行量も多いのでウォーキングには向かない道。端に置いた段差石に躓いて転びそうになった。たった700メートルほどの距離で桜上水駅に着いたが、歩くのに苦労した。
駅北口の受付で完歩賞の液体部屋干しトップ2包入りとスタンプを貰い、解散。コーヒーを飲んで涼んでいると、間もなくA班が到着、「早いねー! 今日のはいいコースだったよ!」と自慢しきり。 [KM 記]
本来のコースは、中の橋から玉川上水緑道に入り、牟礼橋で緑道を離れ、水無川(中川・三鷹用水)遊歩道を歩く。粕谷村地蔵尊を眺め、蘆花恒春園で休憩。その後、松沢公園、桜上水公園を経て桜上水駅北口で解散するというもの。

Posted by taichiro at 18:34

2010年05月08日

◎618回[下町商店街とバラの街「あらかわ」めぐり]

5月8日(土)午前10時=約10㌔=
日暮里駅駅前広場(受付、集合)→尾久八幡神社→隅田川スーパー堤防→都立尾久の原公園→都電荒川線沿線のバラ→泊船軒→荒川自然公園(休憩)→日暮里繊維街→日暮里駅解散
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都電荒川線の沿線では地元の人たちが丹念にバラを育てていた。

◎618回[下町商店街とバラの街「あらかわ」めぐり]
=約10㌔=
5月8日(土)午前10時、日暮里駅前広場のJR受付を済ませ、集合したのは51人。簡単な打合せを済ませ、体操は省略してスタート。まず、尾久八幡神社に向かう。約1人、日暮里・舎人ライナーに乗車、熊野前で都電荒川線に乗り、宮ノ前で下車。八幡神社の創建ははっきりしないが、14世紀、上尾久、下尾久、船方三村の鎮守とされていた。
続いて隅田川スーパー堤防を眺めながら都立尾久の原公園に到着。旭電化尾久工場跡地に出来た湿地を保護し、多様な生物が生育できる環境づくりを目的に、平成5年に造成された都立公園。中央の池はトンボの生息地になっていた。
今度は南下して都電荒川線に沿って西進。沿線には、地元の人が丹精込めてバラを育て、140種13.000株のバラが色とりどりに咲いていた。
泊船軒というと何となく旅籠のようなものかと思ってしまうが、実はこれが、臨済宗妙心寺派の寺院。本堂の天井には小室翠雲作の「雲龍図」が描かれ、境内には太田道灌の故事による「山吹の塚」がある。
荒川自然公園に入り、やっと休憩。初夏の陽気で日陰が恋しい時期になり、小さな池では亀が首を伸ばして日向ぼっこ。交通公園や野草公園、昆虫観察園など施設が充実、数多くの来園者で賑わっていた。
荒川区役所と荒川公園が同居している中を通り抜け、荒川仲通商店街を縦断、尾竹橋通を南下。日暮里中央通で右折、日暮里繊維街に入る。ここは服地、附属品、繊維製品関係の店舗が約90軒並ぶ問屋街。国内有数の生地集積地として、アパレルメーカーから趣味で裁縫をする個人まで全国各地から多くの人が集まってくる。毎年11月には国際的なファッションショーも開かれ、アジア、欧米各国からも多くの観光客が訪れるエリアに成長している。ここでゴールの日暮里駅に到着。人ごみの中で解散した。

Posted by taichiro at 22:38

2010年05月03日

四百字随想目次

その1 - 1.私の防災対策 2.今一番大事な事 3.私の読書 4.米軍基地
その2 -1.政治家と官僚 2.挨拶 3.年賀状 4.当世、国語談義
その3 -1.為替相場と生活 2.十二月八日の教訓 3.いじめ防止策 4.年の瀬今昔
その4 -1.新年私の誓い 2.政界再編 3.懸案解決の妙手 4.政官界の責任感
その5 -1.税金の使い方 2.こんな明るい話 3.“住専”責任問題 4.選挙でお返し
その6 -1.確定申告 2.情報公開 3.地方分権 4.新学期
その7 -1.スポーツ 2.乱れる日本語 3.国民総背番号制 4.初夏
その8 -1.ダイエット 2.公的介護保険 3.嫁としゅうとめ 4.極東有事
その9 -1.消費税 2.賞味期限 3.アトランタ五輪 4.忘れ得ぬ出会い
その10 -1.私の情報源 2.社会的弱者救済 3.心に刻んだ数字 4.家族
その11 -1.こども受難時代 2.O157と日本 3.政治混迷に直言 4.天災・人災
その12 -1.私の情報選択術 2.主婦 3.総選挙と民意 4.新聞と私
その13 -1.体育の日 2.投票 3.公約実行を迫る 4.恩人
その14 -1.これはおかしい 2.行政改革 3.年賀状 4.残り一月活用法
その15 -1.官僚の功罪 2.忘れ得ぬ数字 3.日本のしきたり 4.正月どう過ごす
その16 -1.敬愛する人物像 2.ちょっといい話 3.危機管理 4.ボランティア
その17 -1.建前と本音 2.ファッション 3.日本再構築の道 4.「教育」を考える
その18 -1.人生はドラマだ 2.消費税独り歩き 3.便乗値上げ 4.私の最大関心事
その19 -1.規制緩和 2.先輩・後輩 3.なれあい亡国 4.節目の憲法
その20 -1.初夏 2.私のキーワード 3.近隣外交 4.家庭料理
その21 -1.携帯電話 2.銀行・証券の倫理 3.水不足と水害と 4.ことばの乱れ
その22 -1.高齢者の生き方 2.食中毒 3.ああ他人事時代 4.今夏こう過ごす
その23 1.犯罪の低年齢化 2.自分史 3.五十二年目の反省 4.若者と伝統
その24 1.総論と各論と 2.今、逆転の発想を 3.景気の体感度 4.親子の絆と躾
その25 1.味覚の秋 2.私の一冊 3.世論の重さ 4.投書

その26 1.私はメモ魔 2.景気回復の秘策 3.愛用の文具 4.投票二時間延長
その27 1.今を支える格言 2.今、不用なもの 3.戦争風化の中で 4.責任追及の時代
その28 1.カレンダー 2.正月、どう過ごす 3.禍を転じて福に 4.出よ、救世主
その29 1.バリアフリー 2.親離れ子離れ 3.バベルの塔日本 4.経済の活性化
その30 1.いま言論の役割 2.自転車の盗難 3.定期テストの廃止 4.お花見の楽しみ
その31 1.町内会、自治会 2.シルバーシート 3.近ごろの新人 4.パソコン受難
その32 1.団体ツアー 2.五月病 3.老人介護 4.サッカーくじ
その33 1.日本の食糧自給 2.若者言葉の乱れ 3.たんす預金 4.参院選の投票率向上策
その34 1.後継者問題 2.水の恵み 3.遺伝子組み替え食品 4.世代間の断絶
その35 1.言葉の魔術 2.「私」の居場所 3.おもちゃ 4.事件、事故の風化
その36 1.思いやりの心 2.子どもの宿題 3.マンガ 4.商店街
その37 1.星空 2.食品関係の包装 3.専業主婦論 4.生涯学習
その38 1.私の辞書、事典 2.今時の男言葉、女言葉 3.韓国の日本大衆文化開放 4.大学は変わるか
その39 1.お歳暮 2.向う三軒両隣 3.リストラ・倒産 4.日記帳
その40 1.ベビーカー 2.カタカナ語 3.競争社会 4.お年玉
その41 1.若者の就職難 2.携帯電話 3.サマータイム 4.チャイルドシート
その42 1.思い出の花 2.国会議員の定数 3.無党派 4.国歌と国旗
その43 1.私の挑戦 2.PTA 3.米軍基地 4.新首長に望む
その44 1.旅先での食事 2.金融機関 3.結婚と生活 4.カジュアル・デー
その45 1.プライバシー 2.国際化と外国人 3.介護と家族 4.お父さんの財布
その46 1.贈り物もらい物 2.高校野球 3.私の避暑法 4.花火
その47 1.地域社会 2.日本の民族大移動 3.厚底サンダル 4.企業献金
その48 1.わが家の防災 2.里山の風景 3.私の介護体験 4.食品の表示問題
その49 1.大学生の学力 2.ミニボトル 3.二十一世紀の新聞 4.小さい秋
その50 1.ミステリー 2.企業の政治献金禁止と政党助成金 3.働く 4.銭湯今昔
その51 1.木枯らし 2.公と私 3.師走の色 4.私の一九九九年
その52 1.ハッピーマンデー 2.サークル自慢 3.雪 4.国の誕生
その53 1.故郷の父母 2.試験 3.産休 4.地方の反乱
その54 1.雪の宿 2.教育改革 3.ピンク 4.ランドセル
その55 1.たしなみ 2.メーデー 3.ごみを考える 4.母への手紙
その56 1.傘 2.私の投資 3.世襲 4.恥と罪
その57 1.一票に託す 2.あじさい 3.書けなかったテーマ

Posted by taichiro at 15:09 | TrackBack

2010年05月01日

◎617回[初夏の多摩川散策と歴史めぐり]

5月1日(土)午前10時=約9㌔=
蒲田駅西口広場集合→蓮沼駅→多摩堤通り→むさしにった商店街→新田神社→武蔵新田駅→大田区民プラザ(休憩)→六郷用水→さくら坂→丸子橋→多摩川浅間神社解散→東急多摩川駅
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破魔矢の始まりといわれる新田神社。
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コース図は実費でお分けします。メールで請求ください。宛先: taichiro.murata@gmail.com

第617回[初夏の多摩川散策と歴史めぐり]
=約9 ㌔=
5月1日(土)、5連休の初日の今日はカラッと晴れた五月晴れ。集合地の蒲田駅西口の大きな木の周りには多くの人が たむろしていて、GNPのメンバーを探してしまう。集合したのは57人。会長から来週の例会の説明を受けて、すぐ出発。
多摩堤通を東へ1km位ぐらい直進。矢口南を右に折れて、むさしにった商店街に入る。八百屋 雑貨屋 飲食店が雑然と並ぶなかに新田神社がある。南北朝時代に新田義興(新田義貞の次男)が味方を装った敵方に騙されて多摩川の矢口の渡しから舟に乗り、その舟が浸水し 矢を射かけられて、非業の死をとげる。その後 義興公の怨霊が騙した敵将の前に現れ、無念を晴らした、という。義興公の霊を慰めるために、村人達が新田大明神として、義興公が亡くなった1358年に新田神社を創建し崇め奉った、といわれている。江戸時代に入ると、平賀源内が歌舞伎や浄瑠璃の「神霊矢口渡」の題材とした。また破魔矢は新田神社から始まった、といわれている。江戸時代の末頃には神社社地の茶店で新田家家宝の『水破・兵破』の2本の矢にならい、「義興の矢」、矢守りとして2本セットで売られていたらしい。1本は奉納し1本を持ち帰り、厄除け開運、邪鬼退治を祈願した。それを平賀源内が新田神社の円墳(義興公の墓)にしか生えないという篠竹で矢守りを作り、新田家の旗印、白地に黒1本線の短冊をつけたのが、破魔矢の元祖と伝えられている=写真=。他にも大きな災害を乗り越えた樹齢700年の御神木の欅がある。木に触れると病気平癒や若返りなどのご利益がある。
さて、新田神社を後にして15分程歩くと下丸子駅そばの太田区民プラザに着く。小休止。続いて環八、多摩川堤通、鵜の木駅から線路沿いを歩き、ユキモーターズを直角に右折して西嶺浄苑に着く。続いて観蔵院裏手の六郷用水の遊歩道に入る。ここはせせらぎがあり、湧水も湧き清らかな水が流れている。湧水に鯉が泳ぎ、かわいいオタマジャクシも見た。五分咲きのツツジを見、密蔵院の高い塀の新緑の向こうからウグイスの高い声が私達をおどろかせ、また喜ばせてくれた。5月の爽やかな風も吹いて来る。六郷用水は1597年から14年かけて、多摩川を水源とし世田谷領と六郷領(現、狛江市から大田区)に至る用水路を作った。主に農業用水として供給され、全長30km灌漑面積1500ha、50ヶ村の村々が以後300年余の間恩恵を受けたといわれている。現在は暗渠となり、鵜の木駅付近から多摩川駅まで2.14kmが遊歩道になっている。わたしたちは沼部駅近くの東光院まで歩き、東光院門前を右折してゆるやかなさくら坂を登る。
さくら坂信号で左折し、まっすぐ田園調布せせらぎ公園を目指し ひたすら歩く。公園の入口では少年達が野球の練習をしている。樹木に覆われ、ひんやりとした急坂の道を下り、整備された緑のある静かな公園の一角で解散した。 [YC 記]

Posted by taichiro at 16:48