2009年02月28日

◎第558回[都電を歩こう3(9系統)]

 2月28日(土)午前10時=約10㌔=
 渋谷公会堂(渋谷駅徒歩10分)集合→国立代々木競技場→神宮橋→東郷神社→熊野神社→外苑前駅→いちょう並木→噴水広場(休憩)→権田原→若葉東公園→弁慶堀→永田町駅→三宅坂→桜田門→日比谷公園解散

日比谷公園では下向きに咲く寒緋桜が鮮やかだった。
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◎第558回[都電を歩こう3(9系統)]=約10㌔=
 2月28日(土)銀座線終点渋谷駅で降りてくるくると階段を下りるとモアイ像の前に出た。自分としてはハチ公前に出る予定だったので一瞬混乱した。渋谷は未だに良く分からない。
ぐるっと回ってハチ公の雑踏を抜け、スクランブル交差点を渡り、一人で西武、丸井、勤労福祉会館前と公園通りを進む。バウムクーヘンの一部のような渋谷区役所を過ぎ左折、広場へ入る。植え込みに日中友好記念の「緑萼梅」という名の緑色の梅の花が満開だった。
 雨の予報が外れ、すっかり晴れ上がったCCレモンホール前の広場にゲストのETさんを含め50人が集合。本日は会長が転んで身体中が痛くて欠席することを皆さんに伝え、Wさんの体操をして出発する。今回は、都電第3弾、9系統路線のうち、Nさん立案の渋谷から日比谷公園までを歩く。
 NHKを横目に代々木公園に入り、サーカスのテントを眺めながら右折、神宮橋を渡る。原宿駅前のものすごい雑踏を歩道橋で抜けて神宮前を左折、東郷神社を横目に明治通を通り、また歩道橋を渡ってキラー通りを行く。外苑西通を越え、熊野神社を過ぎ、秩父宮ラグビー場を右に曲ると外苑前駅。青山通を少し歩いて銀杏並木へ入る。枝だけの4列の並木が整然と並び、所どころ青いツタが巻き付いていた。歩道緑地帯改良工事中で歩道の半分が掘り下げられていた。土壌を改良しイチョウの木を元気にするためだそうな。突き当りの噴水の前に既にA班が休憩していた。B班も休憩。
 権田原交差点を渡り、明治記念館脇の安鎮坂を下る。東宮御所前の洒落た交番、南元町公園、若葉東公園と進み、紀ノ国坂を下る。高速道路越しに弁慶堀を眺めると、真っ白に綿を被ったような木があったが、何だろう。弁慶堀の対岸の遊歩道を覗き、高速道路で蓋をされた隙間から高層ホテル群を仰ぎながら進み、弁慶橋信号を渡る。この辺りはすり鉢の底のような地形なのかも知れない。
 青山通のダラダラ坂を上り、歴史薫る赤坂見附跡を眺め、最高裁判所手前の隼町で信号を渡る。三宅坂のカーブから、地下を走る高速道路の騒音を聞きつつ、普段通らない内堀通の外側を歩く。国会議事堂前のだだっ広い交差点をぐるっと回って、ごっついコンクリートの網籠のような警察総合庁舎に沿い、桜田門信号を渡る。東京名所レンガ造りの法務省建物の植え込みに米沢藩上杉家江戸藩邸跡の説明塔が建っていた。祝田橋信号を渡り、ゴールの日比谷公園に到着。A班は既に解散していた。満開の寒桜を見ながら体操をして解散。日比谷公園では下向きに咲く寒緋桜が鮮やかだった。

Posted by taichiro at 00:30

2009年02月21日

◎第557回[上野周辺七福神めぐり]

 平成21年2月21日(土)午前10時=約10㌔=
 上野駅入谷改札口集合→浅草通→松葉公園(打合せ・体操)→矢崎稲荷神社[福禄寿]→雷門→浅草寺[大黒天]→浅草神社[恵比寿]→馬道通→吉原神社[弁財天](休憩)→飛不動[恵比寿]→吉野通→南千住駅解散
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写真は吉原弁財天

◎第557回[上野周辺七福神めぐり]
=約10㌔=
 2月21日(土)午前10時、上野駅入谷改札口で受付を済ませ、松葉公園に集合したのは52人。打合せと体操を実施して、スタート。雨という予報だったが、天気は回復し、快晴。気温は上がらなかったが、快適なウォーキング。
 まず矢先稲荷神社で福禄寿を拝み、右折して国際通まで直進。左折して少し歩き右折して伝法院通を通り、仲見世通から浅草寺に入り、大黒天を拝む。すぐ隣の浅草神社で今度は恵比寿様を拝む。言問通を横断して馬道通の一筋左側の通りを直進。左折して吉原弁財天を探すが、なかなか見つからない。右往左往してやっと見つけ久しぶりに弁天様に出会うが、かつて福福しく感じた吉原弁天、少々顔が細くなって目がきつくなっている。こちらが年をとったせいか、それとも何か加工されたのか、印象が違ってきた。前の小公園で休憩。日陰と日向では全然違う冷え込みで、日向にほとんどのものが屯した。続いて鷲神社で、寿老人を拝む。この界隈も前は朽ち果てて今にも倒れそうな家屋があったが、きれいに整理され、跡地は駐車場になっていた。このあとは半分以上がシャッターに閉ざされているいろは商店会を通り、吉野通で左折、直進して南千住駅の陸橋を渡り、延命寺に入る。ここはかつて小塚原の処刑場だったところで、江戸時代には酸鼻を極めたとのこと。安政の大獄といわれた処刑者や二二六事件の処刑者も埋葬されている。延命地蔵、俗に首切り地蔵といわれる地蔵は花崗岩の坐像で高さ3.6メートル、1741年に建立されたもの。今ではその横に愛犬、愛猫の卒塔婆が掲げられているが、違和感を持った。
 ここで解散。それぞれ昼食に向かった。

Posted by taichiro at 18:54

2009年02月14日

◎第556回[都電を歩こう2(15系統)]

 平成21年2月14日(土)午前10時=約11㌔=
 ビッグボックス前広場(高田馬場駅徒歩1分)集合→諏訪公園(打合せ・体操)→西早稲田→グランド坂下→大隈講堂→天祖神社→鶴巻南公園→榎町公園→赤城神社→白銀公園(休憩)→筑土八幡神社→神楽坂→若宮公園→白百合学園→北の丸公園→皇居東御苑→大手門解散
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皇居東御苑梅林坂から眺めた満開の白梅

◎第556回[都電を歩こう2(15系統)]=約11㌔=
 2月14日(土)午前10時、ビッグボックス前広場に集合したのは、何と58人。2月にもかかわらず初夏の陽気。後で聞くと都心の温度は25度とか。打合せを広場前で実施した後、諏訪公園に向かう。途中、人一人しか通れない路地や階段を下りたり、階段を上ったりしながら捨て猫が屯する公園に到着。4ヶ月に亘る世界旅行ですっかり垢抜けたN女史の久しぶりの気合のかかった体操で体をほぐす。あまり一所懸命に取り組んで歩く前から一歩きしたような気持になってダウンコートをお腹に巻いて出発した。
 明治通を渡り、目に障害のある人のために路上にあるぶつぶつの目印をたどりながら歩く。突き当りを左折して、早稲田通を渡り裏道を通り、西早稲田で一瞬再び早稲田通をかすめ、グランド坂通を下る。新目白通の手前で右折、今度は大隈通を歩き、大隈講堂を眺め、早大正門を通り、天祖神社、鶴巻南公園を眺めながら外苑東通に出る。正面に見える済松寺は徳川家光が建立したもの。臨済宗のお寺で風格がある。人間一人しか通れなくて金網で囲まれた路地を抜けて小さな殺風景な榎町公園に入る。
 ここから赤城神社までの道はほとんど直線。ところが緩やかに上っている。こういう道、意外に苦しい。黙々と歩いて届いた先が階段。大した段数はないが、上り坂を歩いた身には息切れがしてしまう。そこにある赤城神社は見る影もなく工事中で仮設の塀に囲まれていた。またまた狭い道をくねくね歩いて白銀公園に入り、休憩。この公園、国際色豊かで混血の幼児たちが大勢遊んでいた。初夏の陽気になっているせいか、元気よく遊んでいる子供たちは公園の佇まいに程よくマッチして休んでいても楽しい。
 つづいて筑土八幡神社参拝。急な階段を手すりにつかまりながら下って今度は神楽坂に向かう。神楽坂はもともと料亭街として発展していたが、その料亭もほとんどレストランになっている。そんな路地を通り抜け、若宮公園を横目に眺めながら牛込橋を渡る。瀟洒な白百合学園、靖国神社の大鳥居を見ながら田安門から北の丸公園に入る。吉田茂像の手前で一休み。寒緋桜と寒桜が満開。その違いを間近に観察。寒緋桜のほうが紅いことが分かった。
 北拮橋門から皇居東御苑に入る。この橋の「拮」という字、「はねる」という意味で、よく見ると城側に綱を通す穴があり橋をはね上げたことが分かる。入ってすぐ左に折れて梅林坂に向かった。ちょうど太田道灌が植えたといわれる梅林は真っ盛り。貫禄のある黒ずんで曲がりくねった樹木と紅梅、白梅とのコントラストは見事。
 二の丸庭園を散策して大手門で解散した。

Posted by taichiro at 18:04

2009年02月07日

◎第555回[田端・尾久下町情緒溢れるレトロな街並を訪ねて]

 平成21年2月7日(土)午前10時=約9㌔=
 田端駅北口集合→東潅森稲荷神社→尾久銀座→熊野前→首都大学東京→尾久の原公園(休憩)→尾竹橋公園→荒川自然公園→荒川公園→三ノ輪駅解散
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尾久の原公園の湿地に架かる木道。

◎第555回[田端・尾久下町のレトロな街並を訪ねて]
 2月7日(土)午前10時、JR田端駅北口を出て新田端大橋を渡り、JR東京支社ビル前で受付、広場に集合したのは56人。快晴ながら冷たい風が吹く中、広場で2月19日下町舞台ツアーの申込、今日の別コースの説明等打合せ、体操をして出発する。
 新田端大橋から下の道へはそのまま真っ直ぐ進めず、スロープを下りてガードをくぐり、橋の下の道へ戻る。滝野川4小を過ぎ、東潅森稲荷神社で鉄パイプの赤鳥居をチラッと覗いて東北本線をくぐり、田端新町2で明治通を渡る。二又を右に進み、尾久銀座へ入ると、老若男女結構人出が多く活気がある商店街だ。JRコースが左折する分岐で、右手は川の手もとまち、GNPは、「はっぴいもーる熊野前」へ直進する。東尾久8で都電荒川線へぶつかり右折、日暮里・舎人線が上を通る尾久橋通を熊野前交差点で渡って、首都大学東京の前を過ぎ、尾久の原公園へ入る。
 この辺り一帯は、かつて旭電化の工場と隅田火力発電所があり、太平洋戦争が始まって4ヶ月、昭和17年4月18日、本土初の空襲を受けアメリカ軍B25爆撃機の標的にされた。戦後、工場の転出後跡地利用をめぐって紛糾し、何年かの月日が経つうちに雨水が溜まりヨシなどの湿生植物が生い茂り数多くの動植物が回帰。特にトンボは希少品種を含む30種、野鳥も60種以上が確認された。自然保護団体などの努力により、平成5年、自然を活かした「尾久の原公園」としてオープンした比較的新しい都立公園である。水深が分からない広い湿地では、鳥たちが歩いているのか泳いでいるのか、のどかに遊んでいた。湿地に架かる木道でじーっと水面を眺めるお年寄り、広々とした芝生で走る幼児、若者ものんびり歩いていた。近くの学校や幼稚園の子供たちが自然観察に良く来るそうだ。
 公園をぐるりと回って隅田川の土手に出て、カミソリ堤防の内側を歩く。まだ整備されておらず、ボロボロの建物や設備がそのままになっていた。尾竹橋で前に進めなくなって上がり、細道をぞろぞろ、くねくねと歩く。集団迷子にもならず、第七峡田小を過ぎ、突き当たって右折、町屋ひろば館北を左折、荒川第五中を右折、予定コースにある町屋ひろば館を過ぎ、京成本線をくぐって、ようやく荒川自然公園へのスロープに辿り着き、ほっとして上る。三河島水再生センターを眺めながら公園に入り、交通園前の広場で休憩する。
 園内の名残のばら、梅を楽しみ、池では人懐っこい白鳥に噛み付かれ、オオムラサキの飼育舎を眺め、「万両・千両・百両・十両・一両」の説明板を読み、自然公園を出て坂を下る。都電を渡って区役所東を左折、荒川区役所に隣接する荒川公園に入って解散した。それぞれ明治通へ出て日比谷線三ノ輪駅へ向う。
 予定した川沿いの道が通れず、おろおろしたせいか、三ノ輪駅までの道が随分長く感じた。迷ったけれど、渋滞の追越禁止よりもずっと快適だった。お昼を食べて元気になって帰宅。

Posted by taichiro at 21:44