2008年12月27日

◎第550回[歳末の区内めぐり]

 12月27日(土)午前10時=約10㌔=
 深川公園集合→富岡八幡→永代通→木場駅→汐浜橋→汐浜運河→しおかぜ橋→八枝橋→えこっくる江東→さざなみ公園→漣橋→辰巳の森海浜公園→辰巳の森緑道公園→夢の島公園(休憩)→夢の島大橋→明治通→新砂1→新砂橋→しおかぜの散歩道→南開橋→洲崎緑道公園→洲崎神社解散
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しおかぜの散歩道から東陽橋を臨む。

◎第550回[歳末の区内巡り]
 12月27日午前10時、深川公園に集合したのは57人。今年最後の打合せと体操と記念撮影をしてスタート。
 まず、富岡八幡で参拝。そのまま永代通を歩き、木場駅前で右折。イトーヨーカドー前から汐浜橋を渡り、汐浜運河に入る。続いてしおかぜ橋を渡り、八枝橋を渡り、えこっくる江東に入る。
 ここは「環境学習情報館」といわれ、清掃事務所が併設したもの。ごみ問題を中心としたあらゆる問題に対して展示がされ、ことに大量生産、大量消費に対する警告が発せられ、生活改善などの有意義な提言が行われている。
 新装成ったさざなみ公園を通り、漣橋を渡り、貯木場を眺めながら辰巳の森海浜公園を歩き、辰巳国際水泳場の威容を仰ぎ見ながら夢の島公園に入る。
 夢の島公園では第五福竜丸展示館を見学。昭和29年に水爆実験で被爆、廃船になったものを展示したもの。平和の願いを改めて誓った。夢の大橋を渡り、新砂1丁目からしおかぜの散歩道を歩き、南開橋で地上に上がり、洲崎緑道公園を通り、ゴールの洲崎神社に到着。
 無事今年も50回の例会を達成した喜びを皆で分かち合い、三三七拍子で、1年を締め解散した。

Posted by taichiro at 17:53

2008年12月20日

◎第549回[師走の多摩丘陵と歴史薫る古民家を訪ねて]

 12月20日(土)午前10 時=約12㌔=
 若葉台駅集合→馬引沢南公園→聖ヶ丘遊歩道→都立桜ヶ丘公園→瓜生せせらぎ遊歩道→貝取南公園→一本杉公園(旧有山家・加藤家住宅・休憩)→多摩中央公園(旧富澤家住宅)→京王多摩センター駅解散
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しゃれたレンガ造りの校舎。とても小学校には見えない。

◎第549回[師走の多摩丘陵と歴史薫る古民家を訪ねて]
 12月20日9時半、京王若葉台駅に到着。家を出るとき曇っていた空がいつの間にか真っ青に変わってのどかな小春日和。電車が着くたびにワァーッと人々が出てきて込み合い、受付で地図をもらって人々が歩き始め、人影がスーッとまばらになる。
 午前10 時、若葉台駅南側の広場に集合。定時総会の件、健康ウォーキングの講座が終了したこと、1月17日の京王土休券申込、今日の休憩場所は瓜生公園とすること等を打合せ、体操をして出発する。地図は裏表に続いていて、方向が分かりにくかったが、昨日グーグルで調べたので、ある程度は理解できた。
 駅北側のエスカレーターを昇り、商業施設や駐車場の中の広々とした通路を通り、若葉台公園に入る。西橋を渡ってかわいい保育園、しゃれたレンガ造りの校舎。とても小学校には見えない。階段を下りて広い道に出る。多摩東公園信号を渡って右に行くとの馬引沢南公園へ入る。落ち葉の中をカサカサ歩き、階段を下る。
 聖ヶ丘遊歩道を進み坂を下って緑色の橋をくぐると都立桜ヶ丘公園に入った。記憶のある運動場とキャンプ施設があり、大谷戸公園に出る。陸橋を渡り右折、左折して乞田川遊歩道を歩く。鴨やハクセキレイを眺め、永山橋を潜って左に上がり、瓜生せせらぎ遊歩道を歩く。瓜生公園で休憩している仲間。お菓子や栗をいただき、元気になってまた歩き始める。
 瓜生一里塚跡を見て、瓜生緑地の流れに沿って初冬の木々を眺め、陸橋を渡っているとき、会長から電話が入る。まもなくゴールとか。仲間の姿は見えない。
 遊歩道を進んでトンネルをくぐり、貝取南公園に入る。恵泉女学園大学前の信号を渡り、一本杉公園通りを進む。「よこやまの道」標識を左折、大きな石の門を入ると一本杉公園だった。すのこの床のある旧有山家住宅、日当たりのいい旧加藤家住宅を見学し、トンネルをくぐって枯れた川に沿って上り、長い一本杉橋を渡る。下を見ると車が通っている車道と資材が並べられた広い中央分離帯が広がっていた。落合東遊歩道を進み落合第2歩道橋を渡ると、突如アパート群が建ち並ぶ住宅街。コースは商店街には行かず、左に曲って橋を渡り、赤い山茶花の絨毯を横目に落合南公園を抜ける。階段を下ったところで、数人が小さいみかんを枝からもいでいたが、いいのかな? 一言確かめるべきだった。 
 信号を渡り青木葉公園先を左折、130段ばかりの階段を上って一息つくと、目の前にどっしりした門があった。くぐってみると池の向こうに旧富澤家住宅が見下ろせた。旧富澤家は、江戸時代初期から連光寺村の名主を務め、明治天皇始め皇族方の御小休所として利用されていたという。裏門から出て竹林を覗き、多摩中央公園の広い芝生でカイトを揚げている子供たちを望み、駅に向かう。
 吹奏楽が聞こえてきて、幅の広い通りに出ると、ギリシァ風の石柱の向こうからだった。見下ろすと階段下のハローキティー広場に半円形の人だかりがあり、中心に金管楽器を吹いている5人の男女の姿、しばらくリズムと音色に浸って楽しむ。
 クリスマスイルミネーションを眺めながら広い通りを下る。老若男女、結構人出が多い。
多摩モノレール、小田急、京王が繋がる多摩センター駅にようやく到着したが、ゴールでカードを忘れたことに気がつき、慌てる。新カードにスタンプを押してもらい、「次に一緒にしますので大丈夫ですよ」と慰められ、がっかり。「すっぽりケータイケース」をいただく。
 12キロとのことだったが、歩数は22000歩を越えていた。ハイキング程ではないが、上り下りが多く大いに疲れた。でも、気持ちのいい道だった。[KM記]

Posted by taichiro at 15:17

2008年12月13日

◎第548回[逆走赤穂浪士帰還の道]

 12月13日(土)午前10時=約10㌔=
 泉岳寺(都営浅草線泉岳寺駅徒歩2分)集合→聖坂→東京タワー→愛宕神社(休憩)→浅野内匠頭終焉の地→同邸跡→永代橋→深川公園解散=約12㌔=
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義士祭の最中、泉岳寺境内で体操をするGNP一行。

◎第548回【逆走赤穂浪士帰還の道】
(第98回コース再挑戦) =約11㌔=
12月13日(土)午前10時、泉岳寺に集合したのは48人。どういうものか、この「赤穂浪士帰還の道」を歩くときは47人ないし48人が集まる。赤穂義士は、47人か48人か定かでないようだが、引き寄せられるようにGNPメンバーもその数になる。大石内蔵助像の下で打合せと体操=写真右上=。明日が義士祭ということだが、すでに大勢の人が集まっている。
泉岳寺の細い裏道を歩き、伊皿子から聖坂を下り桜田通に出る。ここから見える東京タワーは見通しがよく東京のシンボルとして馴染んでいる。エスカレーターで愛宕神社参拝。ここで休憩した。羽織袴スタイルと日本髪スタイルとの新郎新婦が記念撮影中で思わず盗み撮りをしてしまった。
裏道を下って浅野内匠頭終焉の地碑を探したが、工事中のため避難させられていた。新橋駅のガード下を潜り抜け、銀座四丁目で左折。築地本願寺裏で左折。築地川公園を縦断して浅野内匠頭江戸屋敷跡に来た。当時の屋敷は約9千坪あったといわれ、現在の聖路加病院もすっぽり収まることになる。
ここから佃大橋のガード下を潜り抜け、鉄砲洲通を直進。鉄砲洲稲荷神社に入った。この神社、841年に建立されたといわれ、小さな神社ではあるが由緒ある神社で氏子は湊、明石、入船、銀座と広範な地域に亘っている。
南高橋を渡り右折、中央大橋ガード下を潜り抜け、しばらく隅田川テラスを歩き、永代橋を渡って永代通を直進。門前仲町交差点から深川公園に向い、ここで解散した。

Posted by taichiro at 21:08

2008年12月06日

◎第547回[江戸から東京へ幕末と明治維新を歩く]

 12月6日(土)午前10時=約12㌔=
 神田駅南口(受付)集合→平川門[篤姫]→皇居東御苑(江戸城大奥跡休憩)→桜田門[井伊直弼]→練兵館跡[高杉晋作、桂小五郎]→蕃所調所跡[勝海舟]→小栗上野介邸跡→玄武館跡[千葉周作]→伝馬町処刑場跡[吉田松陰]→神田駅西口商店街解散
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写真は皇居東御苑の色鮮やかな紅葉の群像

◎第547回[江戸から東京へ幕末と明治維新を歩く]=約12㌔=
 12 月6 日(土)昨日と比べてぐっと寒くなった師走の神田駅北口で地上に出ると、JRの受付は南口とのことでぐるっと回る。GNPの集合場所を平川門を入った皇居東御苑として、お二方に伝達のため残ってもらって、先発隊は出発する。
 錦町河岸を過ぎ、篤姫がしばらく滞在した一橋徳川家屋敷跡を眺め、平川門から皇居東御苑に入る。別名不浄門、お局御門は今回初めて通ったような気がする。
 10 時を過ぎ44人が集合。先週の続きの都電系統図配り、下見担当に地図渡し、次回13日は泉岳寺集合、20日京王土休券の注文とり、27日深川公園からの区内コースは多少変更あり、新年10日の総会会場予約を頼んで、体操は省略して各々出発する。
 天守閣跡、江戸城大奥跡、松の廊下跡、石室、富士見櫓、百人番所を見学。広々とした御苑は紅黄緑茶紫と初冬の色に染まって、ビジネスマン、外国人、観光客、ウォーカーと色んな人達で溢れている中を、のんびりとそぞろ歩いていた。大手門から出て、富士見櫓を外から仰ぎ、お壕に沿って井伊直弼で有名な桜田門をくぐる。
 桜田濠、半蔵濠に沿って千鳥ヶ淵へ、千鳥ヶ淵四季の道は工事中だった。練兵館跡の靖国神社は遠く望み、靖国通りを東へ進む。昭和館のそばに蕃書調所跡を確かめ、神保町の古書街を覗きながら進む。学生たちや親たちが歩道にあふれ、気がつくと御茶ノ水駅の前にいた。うっかり曲がり損なったようだ。急に疲れが来て、仕方なく線路沿いに歩き、須田町に抜けて神田駅のゴールへ向かう。
 本来のコースは小栗上野介邸跡から千葉周作の玄武館跡、伝馬町処刑場跡の十思公園を回って、神田駅西口商店街へゴールする。
 神田駅北口に着いたがゴールが分からない。線路沿いに行くと駅員の制服の人が誘導してくれ、神田西口商店街のまん中に「ゴール」のプラカードを発見、バッジとボールペンを頂き12時15分やっと解散。今度は地下鉄銀座線の入口を探し回ってしまった。  [KM 記]

Posted by taichiro at 17:31