2008年07月26日

◎第529回[健康センターから区内公園めぐりウォーク①]

 7月26日(土)午後5時=約8㌔=(415回参照)
 健康センター集合→南開橋→しおかぜ橋→潮見運動公園→辰巳の森海浜公園→辰巳の森緑道公園(休憩)→夢の島公園→新砂1丁目→江東運転免許試験場→南砂緑道公園解散

◎第529回[夕涼み健康センターから区内公園めぐり①]
7月26日(土)午後5時、江東区健康センターに集合したのは48名。ここは、何時もお世話になっている施設で、全員が冷房の効いた1Fフロアで和やかに談笑している。本日よりGNPウォーキングは夏時間となり、夕方5時集合の夕涼みウォーキングに変わる。西の空の雲行きが怪しい雰囲気。夕立だけならまだしも、雷が来るかも。今日のコースでは雷を避ける場所のないところもある。急遽相談し、コースの危ないところを短縮する(辰巳の森、湾岸道路、夢の島を省略して、コース距離は約半分)。外に出て集合し、連絡事項及び今日のコースの短縮の説明を受ける。MNさんのリードでラジオ体操とストレッチを実施。各班ごとにスタートする。スタートする頃は、上空まで黒い雲が流れてきて、怪しい空模様。
汐浜運河沿いのしおかぜの散歩道を通り、南開橋から大門通りに出る。メトロの地下鉄検車区の横を通りしおかぜ橋を渡る(平成10年3月の完成で、GNPと同じ年齢だ)。三ツ目通りに出て、潮見運動公園前で左折、江東区清掃事務所前、潮見消防訓練所前を通り、潮見駅方面に向かう。
日陰の少ない道路だが、夕涼みタイムに入っていることでもあり、頭上からの暑さはさほど気にならない。涼しい風が吹いてきて、汗も殆どかかない。潮見駅を過ぎ、曙北運河を渡ると明治通りだ。
新砂1丁目信号で左折し、江東区運転免許試験場方面に向かう。第九機動隊前、運転免許試験場前を通り永代橋通りに出る。機動隊前・運転免許試験場前の一帯は、戦前プロ野球の洲崎球場があり、巨人軍のホームグラウンドであった。後楽園球場が出来る前の公式戦のメイン球場の一つとして利用され、大勢の観客を集めていた。現在はオルガノ(株)、日本デジタル研究所、他の会社の建物が建っている。日本デジタル研究所の建物は非常に鮮やかで目立つ。
永代橋通りを渡ると直ぐに南砂緑道公園の入口だ。今日のコース予定ではここがゴールであったが、コースを短縮したため、緑道の終点の明治通りまで歩く事に変更していた。夕方で薄暗くなっている緑道を歩き、明治通り際でゴールとなった。この緑道には元都電(城東電車)が走っていて、昭和47年に廃止されるまではちんちん電車の愛称で親しまれていた。現在は、春に見事な桜並木のトンネルとなり、江東区の桜名所の一つとなっている。
幸いにも雨に遭うことなく、本日のウォーキングは終了。各自、帰途についた。=約6㌔=

Posted by taichiro at 17:18

2008年07月19日

◎第528回B[大賀ハス発掘の地と海浜幕張を巡る]

 7月19日(土)午前8時=約11㌔=
 JR新検見川駅(総武線)集合→大賀ハス発掘の地→東大緑地植物実験所→しらさぎ公園→花見川千本桜緑地→真蔵院→三代王川神社→青木昆陽甘藷試作地(休憩)→旬菜厨房菜のは→幕張海浜公園→見浜園→幕張の浜→海浜幕張駅解散

◎第528回B[大賀ハス発掘の地と海浜幕張を巡る]=約11㌔=
 7月19日早朝8時。新検見川駅に集まったのは21名プラス1。久しぶりに参加された会長が近況と連絡事項、打合せを行い、明日の下見の参加者を募った。集合場所が狭かったこともあり、体操を省き全員揃って歩き始めた。東京大学検見川総合運動場沿いを進み、大賀ハス発掘碑のあるハス池にたどり着いた。大輪の四つのピンクの花が咲いていて私達を迎えてくれたが、以前行った行田の大賀ハスの方が綺麗だったと愚痴を言いながら東大緑地植物実験所に立ち寄った。
 実験所のハスは大輪でピンク、白、黄色の、一重、八重があり、見事で、本当に目の前で目の高さで手に取って見る事ができ、思わず香りを嗅いでしまった。石鹸を花にしてちょっとだけ甘い香をたしたらこんな感じかなと思われるさっぱりとした香りだった。出口でハスの香水を付けて貰い(こちらはもう少し甘い香)満足して実験所を後にした。
 実験所には園芸品種を中心に樹木約400種600品目と、大賀ハスを中心とした草木100品目が栽培、保存されているとのことだった。
 ちょっとだけ短縮して花見川千本桜緑地に着くとよく冷えた500㍉㍑のアクエリアスのサービスがあった。一気に飲み干し喉の渇きを潤した。瑞穂橋を渡り炎天下11㌔㍍も歩けないと又々短縮コースを行く。幕張駅を右に見ながらJRの線路上の歩道橋を越え、京成千葉線の踏切りを渡り、国道14号線に出る。右折してイトーヨーカドーから左折、本ルートに合流した。そのまま真っ直ぐに進み「旬菜厨房奈のは」に着く。ここで紙パックの十六茶を貰いくじを引く。GNPのメンバーは誰も何も当たらなかったようだ。
 ここで実質の解散。コーヒーショップで休みそれぞれ帰路に着いたようだ。
 海が見たかったのでまた本ルートに戻る。幕張海浜公園でとてもウィットに飛んだ休憩所があったので思わず立ち寄ってしまった。幕張の浜の手前は椰子の木が植えられ南国に来たようだった。海に出て真夏を謳歌し、この日明けた梅雨を喜んだ。      [Y.Y.記]

Posted by taichiro at 17:15

◎第528回A[街を抜け緑濃い都会の道をめぐる]

 7月19日(土)午前10時=約8㌔=
 練馬駅(西武線・都営線)集合→北江古田公園→東福寺→水の塔公園→哲学堂公園(休憩)→沼袋氷川神社→新井薬師→落合公園→中井駅解散

◎第528回A[街を抜け緑濃い都会の道をめぐる]=約8㌔=
 7月12日(土)午前10時、西武池袋線練馬駅中央口に集合したのは29名。受付を済ませ、久々にK.M.さんより連絡事項説明を受ける。西武主催のウォーキングなので、一般参加のメンバーに混じってGNPメンバーも適宜グループを作ってスタートする。
 じりじり照りつける太陽の下、目白通りを歩き、環七を横切り、豊中通りを脇目もふらず町中を歩く。全く日陰がない。ようやく江古田公園に入る。大きな木々、木陰、涼しい風が我々を迎えてくれる。ウォーカー達が一息ついている。ペースを大幅に緩め、涼みながら樹木のトンネルを進む。それほど大きくない公園だったので、汗も引き切らない内に公園を後にする。
 再び炎天下を歩き、東福寺に到着。将軍吉宗の鷹狩りの御膳所となったお寺ということで寄ってみる。お参りをし、綺麗に並んでいる石物六地蔵に見送られ、哲学堂に向かう。
流れる汗をぬぐいながら歩く。前方にポツンとそびえる大きな円柱状の塔が見える。野方配水塔だ。江古田のシンボルにもなっている30m余りの給水塔だが、今は災害用給水槽になっている。水の塔公園を横切り、蓮華寺に入る。蓮華寺には哲学堂を造った井上円了博士の墓所がある。境内を抜けて、中野通より哲学堂公園に入る。
 哲学堂公園は緑の木々が多く、入口から通路が日陰になっている。炎天下を歩き続けてきたのでホット一息つく。蝉の鳴き声が聞こえる。今年初めて聞く蝉の声『ミ~ン、ミ~ン』。姿を捜すが見つけられず。ここはコースの中間点、内部を散策しながら休憩することにする。涼しい風の中を、哲学的名前の付けられた施設・場所、庭などを見て歩く。
 哲学堂公園を出て、熱気に包まれたような中野通を歩き、沼袋氷川神社に入る。南北朝時代より続く、歴史のある神社で須佐之男命を御祭神としている。“幸せを呼ぶ『三本願い松』”があり、松に幸せを願うと必ず叶うという謂れがあるとのこと。松に手や頬を寄せてつぶやいている人も見受けられる。
 氷川神社を出、西武新宿線沿いに歩き、新井薬師公園に入る。新井薬師でお参りし、駅前商店街歩いてゴールを目指す。さすがに炎天下のウォーキングはきつく、このあたりまで来ると、日陰をたどって歩く人、日陰で一息つく人等々いる。落合公園に入る。ここの地下には、大雨時の暴れ川、妙正寺川の水を一時的に呼び込む地下貯水槽が設けられている。地上は子供達の大型複合遊具がたくさんあった。
 落合公園を出て、妙正寺川沿いに歩くと直にゴールの中井駅に着いた。汗をぬぐい、参加賞を受け取り、帰宅の途につく。帰宅後の夕刊に関東も今日梅雨明けのニュースが掲載されていた。         [T.C.記]

Posted by taichiro at 15:42

2008年07月12日

◎527回[蒲田から大森の公園めぐりウォーク]

 7月12日(土)午前10時=約8㌔=
 アロマスクエア(蒲田駅東口徒歩4分)集合→稗田神社→梅屋敷公園→弁天神社→貴船堀公園→大森ふるさとの浜辺公園→海苔のふるさと館→平和の森公園→平和島競艇場→しながわ区民公園→天祖神社(立合川駅徒歩2分)解散
【大森ふるさと浜辺公園:海で戯れる子供達】
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◎第527回[蒲田から大森の公園めぐりウォーク]
 7月12日(土)午前10時、蒲田駅前のアロマスクエアに集合したのは39名。連絡事項・打ち合わせを済ませ、MNさんのリードで体操を実施。各班ごとに出発する。
多摩堤通りに出て、呑川の菖蒲橋(あやめばし)を渡り左折する。かつての蒲田の地は梅と共に菖蒲(あやめの)群生地として知られ、広大な敷地の菖蒲園もあったようである。東邦医大通りを進み左折し、稗田神社前を通り、京急踏切を渡って、梅屋敷公園(正式名称は聖跡蒲田梅屋敷公園)に入る。 ここは江戸時代に富豪の薬屋(山本家)が造り、将軍家の鷹狩りの休憩所にも使われた由緒ある純和風庭園。明治天皇が大変気に入り、9度も通った記録も残されている。
公園を抜け、貴船神社前を通り貴船堀公園に入る。今日の初めての涼しい木陰のある公園だ。僅かな風ではあったが、額の汗も引いていく感じがする。公園の中を進むうちに、磯の香りがしてきた。貴船水門を左折すると、突然目の前に浜辺が一面に広がり、大森ふるさと浜辺公園に着く。全体的にはこじんまりした場所だが、砂浜は広く海水浴が出来る。子供達が海に入り遊んでいる。ここはもう真夏だ。じりじりと照りつける太陽の下、ひたすら歩く。
浜辺を過ぎ、芝生にはいると「大森海苔のふるさと館」がある。内部の見学を兼ねて休憩。今年の4月にオープンの真新しい館内には、海苔の育成から船による採集、加工等の写真・道具類の展示があり、ビデオによる説明もされている。冷房の効いた館内でゆっくり涼み、再びスタートする。
隣接する、平和の森公園に入る。アーチェリー、フィールドアスレチックを楽しむ人を横目に、緑の木陰の間を縫って歩く。所々にウッドチップが敷き詰められ、歩き心地が良い。童心に返ってリズミカルに歩く。
公園を抜けてレジャーランド平和島のBIG FUNの前を通り、平和島競艇所に出る。勝平橋を渡り、しながわ水族館に到着。水族館に繋がるしながわ区民公園歩き、鈴ヶ森橋下のトンネルを抜けると急に緑の大きな樹木の森に入る。入口のトリムの森で小休止。ここは東側に大井競馬場が位置し、南側に有名な鈴ヶ森刑場跡がある場所だ。
引き続き緑のトンネルがずうっと続く小道を気持ちよく歩く。涼しい風も時折吹き、猛暑を忘れさせてくれる。公園を抜け、天祖神社に向かう。天祖神社前の通りは広くもないが、昔のメイン通りの旧東海道だ。左側の奥まった所に天祖神社があった。ゴールだ! 真昼の炎天下にゴールしたのは二十数名。軽いストレッチ体操をして、解散する。三々五々立会川駅に向かって歩き出す。直ぐ帰る人、お昼を食べに行く人等思い思いに行動する。

Posted by taichiro at 15:29

2008年07月05日

◎第526回[東京駅周辺を巡り貨幣博物館見学]

 7月5日(土)午前10時=約8㌔=
 和田倉噴水公園(メトロ大手町駅C13A出口徒歩2分)集合→日比谷公園→電通ビル→銀座東武ホテル→三原橋→三越→松屋→メルサ→鍛冶橋通→八重洲通→永代通→三越→貨幣博物館(見学)解散

◎第526回[日比谷公園、銀座、日本橋をたどる]=約8㌔
 7月5日(土)午前10時、和田倉噴水公園に集合したのは58人。打合せを済ませ、吹上げる噴水をバックにNさんのリードで気持ちよく体操を実施。A班より皇居外苑に向かって順次出発する。
 内堀通りを歩く。皇居外苑前広場は明るい初夏の光を浴びて、芝生の緑、松の緑が眩しいくらいに目に入ってくる。いつ見ても綺麗に手入れがされ、清々しい感じがする。ところが、その光景の中に警察官の姿が、大変多く目に入って来る。車や自転車でフラフラ走っている人を止めて、尋問している感じ。どうやら、北海道洞爺湖サミットが始まる2日前なので、チェック体制を強化しているようだ。祝田橋で皇居外苑を抜けて、日比谷公園に入る。
 直ぐに公園内の小さな山・三笠山を一気に踏破(?)。公園造成時に池を掘った残土で作られた標高10mの小山で、三笠山というかわいい名の山に感激する。自由の鐘、草地広場、雲形池、日比谷公会堂前を通り、第二花壇のソーラー時計の前を通って日比谷門より出る。緑の樹木の多い日比谷公園を半周したことになる。
 日比谷通りを突っ切り帝国ホテル前を通ると、山手線のガードが見えてきた。ガード下を抜けるともうそこは銀座だった。銀座に入ってからは銀座一丁目から七丁目の碁盤の目のように交叉した道路のアチコチを右に左にと闊歩。
 松坂屋、三越、松屋、ブランタン等々有名店を眺めながら銀座を歩く。三越前の和光本館の大時計塔が幕で覆われ見えない。耐震工事中で11月に完了するようだ。ショーウィンドウのディスプレイがとても綺麗で気になった。数人がカメラを構えている。私も割り込んでカメラを構えてパチリ。
 銀座を抜け、中央通り高島屋の前を通り、永代通りに当たる。右折し、証券会社の林立している日本橋兜町をぐるり一周し、中央通りに戻る。日本橋川で童謡にも謡われたお江戸 ”日本橋”を渡る。三越本店の角を左折するともうゴールの貨幣博物館だった。貨幣博物館は豪壮な歴史を感じさせる日銀の側に位置している。ここで本日の解散とし、後は各自の自由見学とする。
 団体見学の入場受付を済ませ、2階に上がる。ゆったりした応接風のロビーで休憩をし、各々見学する。館内には日本の貨幣だけでなく、世界各国の貨幣が集められており、日本との違い等興味深く見て回った。一億円相当の偽札束があり、持ち上げてみる。かさといい、重さ(10kg)といい、容易に持って逃げるとか、さらに走れるものではなかった。また、時代小説で豆板銀、丁銀という言葉が出てくるが、初めて本物を見た。とてもお金には見えない形状の物で、江戸時代にはこんなお金もあったのだなと感心する。

Posted by taichiro at 21:12