2008年02月23日

◎第507回[隅田川梅まつりと亀戸巡り]

409回(逆コース)再挑戦 約10㌔
平成20年2月23日(土)午前10時
JR上野駅入谷改札受付→不忍池水上音楽堂横集合→根津1丁目→寛永寺陸橋→入谷鬼子母神→言問橋→隅田公園(梅まつり会場・休憩)→吾妻橋→四ツ目通→亀戸天神→亀戸駅前公園解散

◎第507回[隅田川梅まつりと亀戸巡り]
 409回(逆コース)再挑戦 約10㌔
 平成20年2月23日(土)午前10時、JR上野駅入谷改札で受付後、パンダ橋から上野公園に入る。東京文化会館・擂鉢山を眺め、花園稲荷・五條天神社を抜け、集合場所の不忍池水上音楽堂に向かう。水鳥の群れを眺めながら池を廻ると突然、茶屋風の建物が通路を塞いでいた。集合場所と考えていた広場はフェンスで囲まれ、不忍池の周囲あちこちが工事中。積み木のようなホテルは四角の建物に変わっていた。
 10時、60人が集まり、少し広がった通路で打ち合わせ、勝浦行きの青春18切符の配布、体操をして出発。会長は切符の使い方の説明に手間取り遅れる。
 A班はほぼコース通りに歩いて楽しんだ模様。B班はお店覗きもせず、表通りをせっせと歩いた。JR組と交差したり同行したりしながら、寛永寺陸橋、入谷鬼子母神とひたすら言問通りを歩く。「5656会館」「あんです」を過ぎ、言問橋手前から隅田公園に入る。と、ふぅといい香りがしてA班ではない先行組数人が休んでいた。梅を楽しみながら一緒に休憩。JR組が通っていった。
 埃っぽいリサイクル店を覗きながら吾妻橋を渡り浅草通りを直進。押上駅前を右折し四つ目通りを南下、業平3を左折して神明橋を渡る。栗原橋から二つ目の角を曲がり天神湯を右折すると、何と亀戸天神の神輿蔵に出た。裏口から入って参拝し、ここで急遽、自由行動とする。梅の花を楽しみ、各自、ゴールの亀戸駅前公園に到着、解散した。会長はまたまた青春18切符の説明をした。

   「春一番 吾が身の軽き 嘆きけり」  利

Posted by taichiro at 15:43

2008年02月16日

◎第506回[神田から清澄庭園までの散策]

平成20年2月16日(土)午前10時、約10km 
JR神田駅南口受付→日本橋橋詰集合→銀座通→築地本願寺→月島西仲通(もんじゃ通)→佃公園(休憩)→富岡八幡宮→深川不動→清澄庭園解散
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昔ながらの佃の風情と高層マンションが建ち並ぶリバーシティー21の姿

◎第506回[神田から清澄庭園までの散策]
456回分再挑戦=約10km=
 平成20年2月16日(土)午前10時、JR神田駅南口で受付を済ませ、日本橋橋詰に集合したのは、54人(早稲田検診者を含む)。打合せと新入会者の紹介を行った後、体操は省略してスタート。
 中央通を銀座4丁目まで直進。いつの間にかブランド店舗に様変りしてきた銀座通りの変化に目を見張り、4丁目で左折。今度は晴海通を直進。勝鬨橋を渡る。渡った後、左折して月島西仲通、通称もんじゃ通を縦断、佃大橋をくぐり佃公園で休憩。
 昔ながらの佃の風情と高層マンションが建ち並ぶリバーシティー21の姿が奇妙にマッチングしている。

   「春寒や 始動整備の 屋形船」  利

 住吉神社で手を合わせ、佃島の沿岸遊歩道を回遊、ゆりかもめの一群に遭遇。隅田川をどの辺まで遡っているのか、議論してみたが、結論は出なかった。相生橋を渡り、一路、清澄通を北進。清澄公園の手前で、一休みしているH氏そっくりの松尾芭蕉翁に出会い、歓談。記念撮影をして楽しんだ。清澄公園で体操をして解散した。
 コース通り、富岡八幡宮、深川不動に赴いた班で、清澄公園に辿り着いたものは数人。解散場所を勝手知った江東区内にした場合、ゴールがそれぞれの我が家になってしまうのはほほえましい現象だ。

Posted by taichiro at 15:59

2008年02月09日

◎第505回[”文京都市”の史跡と文化と遊びを訪ねて]

平成20年2月9日(土)午前10時、約12km 
JR御茶ノ水駅臨時口改札受付→湯島聖堂大成殿前集合→山の上ホテル→日大経済学部→靖国神社→塙保己一→東郷公園→帯坂→外堀公園(休憩)→須賀公園→お岩稲荷→笹寺→成覚寺→花園公園→花園神社→アイランドタワー→京王プラザホテル→東京都庁解散
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新宿御苑では、もう梅が花開いている。

◎第505回[”文京都市”の史跡と文化と遊びを訪ねて]
 337回分再挑戦=約12km=
 2月9日(土)午前10時、御茶ノ水駅臨時改札口の中でJRの受付を済ませ聖橋を渡り、湯島聖堂大成殿の前に51人が集合。打合せと初参加者2人と再入会者お1人を紹介。体操をしてから出発。
 すぐ階段を下る予定が工事中で通れない。仕方なくJRのコースをちょこっと通って相生坂への階段を下りる。お茶の水橋を渡りスクランブル交差点を渡り、明治大学博物館を曲がり山の上ホテルを見上げて錦華公園を下る。猿楽通りの向こうから来るウォーカーはJRコースの人らしい。明大附属中高前を左折し、ひたすら直進。
 白山通り、西神田、九段北と進み、中坂をふうふう上がり、靖国神社へ参拝。神門前を左折して靖国通りを渡り塙保己一和学講談所跡を確かめ右折。またまた直進、東京家政学園、東郷公園、宮崎県ビル、東京中華学校と進み、外濠公園に上がる。すぐ四ッ谷駅に着くと先行グループが休憩していた。
 新宿通りを横断し、土手に上がる。この土手の土は何だか白っぽくて、海岸のそばのような感じがする。
 紀尾井坂を右折し、紀ノ国坂を上り、四谷見附に戻り左折。新宿通りを進むと、四谷3丁目あたりでにわかにパラッと白いものが落ちてきた。それではと、花園神社へ回る予定を、急遽変更し、新宿サザンテラスへ直行することにして、足を速める。
 ここで一人皆から外れて別の道をとったが、四谷4丁目の複雑な信号を通らず、直接新宿御苑の大木戸門に出る道を見つけた。クランクのように曲がり、不思議な空間があった。次回はこの道を皆で通りたいと思う。
 御苑に沿った散歩道の木に白やピンクのつぼみが付いていたけど、梅かな、桜かな?(梅に違いない)
 小粒のあられが地面に落ちて転がり、すっと消えていく。空気は冷たいが、歩いているとぽかぽかするし、汗はかかないし、心地良いウォーキングだ。
 新宿駅サザンテラス口を過ぎ、広島館の前に到着。牡蠣フライを食べるとかで、もう列に並んでいる人もいた。「おつかれさん」と挨拶して三々五々解散した。

Posted by taichiro at 19:53

2008年02月07日

つばきとメジロ

皇居東御苑のつばきの花にメジロがとまって食事中。おいしそうに蜜を吸っていた。KM --
Posted by mobile at 23:36

2008年02月04日

◎第504回B[秩父路長瀞宝登山蝋梅ハイキング]

(JRNo.05724)
平成20年2月2日(土)午前10時、約10㌔ 
秩父鉄道長瀞駅集合→表参道→あずまや→宝登山神社奥宮への階段→宝登山神社奥宮→宝登山山頂→蝋梅園→あずまや→表参道→秩父鉄道長瀞駅解散
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蝋梅園では、蝋梅が八分咲き、見渡す限り2,000本の蝋梅で埋まった景観はまるで黄金の霞がかかっているような素晴らしさ。

◎第504回B[秩父路長瀞宝登山蝋梅ハイキング]
約10㌔
 2月2日(土)午前10時、それぞれ自宅から、メトロ、東上線、秩父鉄道と乗り継いで2時間半を費やして長瀞駅に集合したのは7人。受付を済ませて、表参道を歩く。
 1900年の歴史を誇る宝登山神社の境内にある池には澄み切った氷が表面を覆い、その下に微動だにしない鯉が群れている。まるでそのまま凍り付いているのかと思い、整理の人に聞いたところ、「心配しないでもいい、ただ眠っているだけで、昼頃、氷が融けると活動を始める」とのこと。
 横にロープウェイがあったので、約2人はそれで山頂まで上り、残り5人は曲がりくねった登山道を延々と登った。宝登山神社奥宮への階段をふうふう言いながら上がったロープウェイ組が宝登山神社奥宮へ着くと、すでに登山組は到着。一緒になって宝登山山頂497メートルを目指す。
 途中の蝋梅園では、蝋梅が八分咲き、見渡す限り2,000本の蝋梅で埋まった景観はまるで黄金の霞がかかっているような素晴らしさ。天候に恵まれ、青空に映えた花弁は作り物ではないかと疑うほど蝋細工そのもの。
 帰り道はコースを頼らず、野上を目指して歩くが、200階段の急坂。下りとはいえ、歩きにくく1歩1段では歩けない。2歩1段では、何時も同じ足が階段を下がる。時たま3歩1段にして調整を取りながらやっとの思いで車道に出る。すぐに獣道のような道に入り、今度は、「氷の池」を目指す。小枝が目の中に入りそうな小路を辿り、足許は谷川に滑りそうな思いに悩まされながら到着した「氷の池」は、コンクリートで固められ、そこに岩清水を引いて池としたもの。15センチ厚さの氷面を四角に切って氷として氷室に貯えていくそうだ。あっけないほど単純な仕組だが、目の前で見るとすごい自然現象を利用した産業と感じた。
 あとはひたすら歩き続け、秩父鉄道の踏切を越え、左折して長瀞渓谷に沿って1キロばかり歩き「史(チカ)」に到着。懐石料理をいただき、野上駅から帰京の途についた。

Posted by taichiro at 09:57

◎第504回A[皇居一周・東御苑]

(第118回再挑戦)
平成20年2月2日(土)午前10時、約10㌔ 
深川公園集合→永代橋→大手門→皇居外苑→桜田門→国会前庭→三宅坂→半蔵門→千鳥が淵→靖国神社(休憩)→田安門→北の丸公園→北桔橋門→皇居東御苑解散
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皇居東御苑では蝋梅の黄色の花が芳香を放っていた。

◎第504回A[皇居一周・東御苑]
(第118回参照)、約10km 
 2月2日(土)午前10時、よく冷え込んだ深川公園に集合したのは、入会、見学者を含めて52人。10周年行事の収支報告、早稲田大学の体力測定の申込用紙の回収、新人の紹介のあと、体操をして出発する。永代橋を渡り、日比谷通りまで直進。和田倉濠でポーズをとっている白鳥を眺め、BC班揃って和田倉噴水公園で休憩する。A班はもう既に休んでいた。

  「大手門 水鳥一羽 冴え返る」   利

 皇居外苑の玉砂利の中にコンクリートの通り道ができていて歩きやすくなっていた。桜田門をくぐり、三宅坂、半蔵門と堀端を通るとき、17日の東京マラソンのためか大勢のランナーが走っていた。ランナーの邪魔になるようなので、千鳥が淵公園へ抜ける。
 田安門を渡り北の丸公園に入ると、蝋梅の花が甘く香っていた。歩道橋を渡って北桔橋門(キタハネバシモン)から皇居東御苑に入る。旧本丸横で体操をして解散し、各自、園内を散策する。紅冬至のピンクの梅花、蝋梅の黄色の花が芳香を放っていた。大手門から出てそれぞれ昼食へと向った。

Posted by taichiro at 09:55

2008年02月02日

ウォーキングの効用と継続の秘訣

[シンポジウム]
[出演者]
宮下充正先生 日本ウォーキング協会名誉会長 東京大学名誉教授         
樋口満先生 早稲田大学スポーツ科学学術院教授
村田太一郎さん ウォーキングクラブGNP会長、税理士
[司会] 南茂もも子さん

世界的になったウォーキングの効用
宮下充正先生発言要旨
 GNPということを言ったかどうか、記憶にないが、棺おけまで歩いていくことは願望でこんな立派な死に方はない。
 効用というと、誰でも知っていることだろうが、30年ほど前、60歳以上の年寄りに運動をさせることを考えた。事前に血圧を測り、心拍数も数えて運動後にも同じ計測をしてみた。たたみ半畳ぐらいをまたぐ歩き方。結果が実際には怖かったのだが、世界大戦を乗り越えて60歳にもなった御老人は強く平気だった。これに気をよくして20年前、江東区でウォーキング12週間を始め、歩幅を広げて歩くことを基本とした。これにより、筋肉や心臓が活動し、代謝を高めることになる。
 日本ウォーキング協会は東京オリンピックの年に発足し、年間300万人ぐらいが参加し、全国的な仲間作りになっている。
 世界的な動向としては40年ぐらい前に、競争をしない国際市民スポーツ連盟が結成され、日本も1992年ごろ参加した。世界的な催しが、各国回り持ちで開かれ、歩いた距離の登録や表彰が行われている。
 日本でも鶴岡市のスポーツ振興ということで、4ヶ月で50万歩達成すると、表彰するというような人参をつけて毎年3000人ぐらい達成し、里山歩きやノルディックウォーク(ストックを使って砂浜を歩く)、カンジキをつけて雪山を歩くことをしたりしている。
 総括的には、ウォーキングによる健康には心臓や血管にとって役に立つことは分かってきたが、それによってころっと死ねるかどうかは、よく分からない。医療費の軽減には役立っているつもりだが、これも単に先延ばししているに過ぎないのかもしれない。この辺がこれからの問題で、反省すべき点もあるが、歩くことで気持ちよくなることは事実である。

肥満は今では疫病ともいえる現象
樋口満先生発言要旨。
 早稲田大学には、卓球の愛ちゃんや野球のハンカチ王子が在籍しているが会ったことはない。早稲田大学に来て5年になるが、その前は25年間、国立健康栄養研究所に在籍し、その当時、GNPさんとはいろんな意味で接触があった。
 最近では所沢キャンバスまで来てくれたことがあるが、所沢は起伏が激しく、トトロの森などがあり、歩く環境としては絶好だ。今年、箱根駅伝で早稲田が往路優勝、全体でも2位になったことの一因はこの環境にあったとも言える。それに健康栄養研究所時代、体力測定のデータ作りに協力していただき、研究論文発表に大いに役立っていただいた。
 歩くということは1歳からやっているとも言えるので、50年以上経験があり、そのほかではボートをたしなんでいる。
 健康寿命という言葉があるが、どうも体をよく動かしている方が、ポックリする確立が高く、くよくよして生きているとだらだらと生きるような感じになる。
 私はそのほか健康栄養の分野で諸外国に行くことが多いが、アメリカの油の備蓄は少々危険状態だ。油といってもそれは皮下脂肪のこと。つまり、肥満のことで、今や疫病と言ってもいい。車社会の欠陥とも言えるが、最近では田舎の方が問題が多く、都会に住むもののほうが歩いている。その点、ヨーロッパの方が、よく歩き、ヘルシーな感じである。
 山歩きのような場合、上りが苦しく、下りが楽に見えるが、実際には逆だ。箱根駅伝でも上りが苦しいように見えるが、回復は早い。下りを走った人は、1週間は歩けない状態になる。つまり筋肉のダメージが大変大きい。
 ウォーキングはポックリというより、健康のプレゼントと考えた方がいいかもしれない。ウォーキングクラブGNPの活動はウォーキングの一次機能、二次機能を超えた文化論にまで発展した高次機能を果たし、これからも1000回を目指して発展していただきたい。

足を使い頭を使い五感全体を使う
村田太一郎会長発言要旨
 GNPは本来、国民総生産ということ。宮下先生から「元気で長生きしてポックリと」と聞き、これをクラブ名にして、平成10年1月10日、ウォーキング12週間を終了したものが集まり、ウォーキングクラブGNPを立ち上げた。折角、毎週実施した12週間を継続するためには、毎週実施することにして、年50回。最初から高邁な目的を掲げ、「地球温暖化の防止」と「医療費負担の軽減化」とした。つまり、石油の消費をささやかでも減らすこと。それに病気にならないこと。の二つである。
 活動状況そのものは、この10年間で6,000キロを歩き、出席人員は延で22,000人を超え、会員一人ひとりが歩いた距離の合計は225,000キロ、地球1週を40,000キロとすると五周半歩いたことになる。
 海外ウォークのメーンは北京、上海、西安だった。
 他に有志で実行したスイス、九塞溝、プラハ、ニュージーランド、韓国、ポルトガル等々。
 国内では、最近では奈良に行った。宿泊ウォークを最初から並べてみると、天城、箱根、塩原、沖縄、函館、鳴門、上高地、軽井沢、志賀高原、奥能登、奥入瀬、京都、尾瀬ヶ原、葛城古道、善光寺と多岐に亘る。宿泊ウォークでは旅費が大変。航空運賃やツアー料金の格安を狙い、その上、バスや電車も回数券が使える時は、なるべく使うようにする。私鉄の土休券は重宝している。
 現在、四半期に1度、皆勤の方にささやかな記念品を差し上げているが、だんだん増えている。かつては10人以下が殆どだったが、今では殆ど10人以上。それに年間で25回以上出席された方にも気持だけの記念品を差し上げて、今では殆どの方が該当者。
 少し、偏った考え方かもしれないが、原則として合議制にしなかったこと。その上で、情報の伝達は少しも包み隠さず全員に伝達した。つまり、年間計画を当初に立て、具体的なものは、最低3週分はわかるようにし、かつ実施した内容は、必ず報告した。それから、下見を必要とする例会は必ず下見を実施し、一週前にコース図を会報に掲載したことも役に立った。それに海外に出たり、宿泊の伴う行事があるときには、行けない会員のために代替コースを必ず作った。これは、家庭の事情で遠出ができない方でも参加できるGNPとしての考えであり、かつ遠出をされたい方も参加できるというGNP独自の考え方かもしれない。
 中止したことは殆どない。10/1/17、13/1/27、15/4/5、18/1/21の4回だけ。この中止はいずれも日曜日ないし祭日に実施して取り返した。雨の日がなかったというわけではなく、ただ少々の雨では実施している。昨年のウォーキング12週間では12回のうち、雨で2回中止になったとのこと。同じ土曜日に実施しているGNPでは中止していない。
 この10年、何とか乗り切ったのは、たくさんの方の支援と会員のご協力の賜物。
 今の時代、IT時代といわれ、パソコンで何でも出来る時代になっているが、人間そのものはどんどん退化しているような気がしている。作り出せないものを使って物を作る。その物の効用を発揮させないで捨てる。灰になるまで使うなら値打ちがあるが、使い尽くせないうちに捨てること。これが公害を生んでいる。人間の体も同じだ。右手のない人は左手が自由に使える。手のない人は足が使える。つまり、健常者などといわれる人は、使えるものを使わないで一生を終えることともいえる。
 その内のせめて足だけでも使おうというのがウォーキング。それでいて、足を使うためには頭も使う。五感全体を使う。使っても使っても使い減りのしないこのウォーキングを通じて、ポックリ出来るなら、それが最高の幸せというもの。ウォーキングGNPは、ささやかではあるが、その先駆者として邁進していくつもり。今後、皆様の絶大なご支援とご協力を賜りたくお願い申し上げ、私の決意とします。
 本日は、誠にありがとうございます。
 [2008.1.19 江東区砂町文化センター]

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