2002年03月30日

もう閑散とした花見

◎第212回【桜並木の散歩道】
(JR駅からハイキングNO.37)=約8㌔=
 3月30日(土)午前9時30分、JR目白駅に集合したのは47人。受付を済まして地図とリボンをいただいて早速出発したが、何か物足らない。
原因はうっかりした会長がリュックを取り違えて会報の入っていないほうを担いできたためだ。おかげで会長、何の役にも立たなくて重いだけの重荷を背負って歩くことになった。まるで人生を背負っているような気分。

会報を配布しないまま、目白通りを歩き、明治通りを渡り、宿坂通りに入り、神田川に辿り着く。ここからしばらく神田川遊歩道の桜並木を楽しむが、もうほとんど葉桜になり、新江戸川公園で打合せと体操。園内は完全に新緑の候。瑞々しく若々しい緑が鮮やかだった。
江戸川橋までそぞろ歩きで江戸川公園を縦断し、ここで右折、神田川に別れを告げて地蔵通り商店街に入る。水道町で右折、赤城坂を上り、赤城神社で形だけ拝み、神楽坂上から下まで神楽坂を下り、牛込橋を渡る。
このたもとに古色蒼然とした石垣があったが、これは、江戸城外郭門の一つ、牛込見附の一部とのこと。早稲田通りをしばらく歩き、田安門で右折して靖国神社に入る。例年だとお花見の真っ最中、人込みで動けなくなるような時期のはずだが、今年はもう落ち着いた雰囲気。花見客の姿はほとんどなく、出店の活気はすでに影を潜めていた。外堀公園を少し歩いてゴールの市ヶ谷駅に到着、解散した。ツツジやシャガも咲いて若緑も輝き、初夏のようだった。

Posted by taichiro at 17:47

2002年03月24日

広大な昔の国分寺跡

◎第211回A【お鷹の道と下河原緑道】
(JR駅からハイキングNO.14)=約11キロ=
3月23日午前9時30分、JR国分寺に35人が集合。前日までの温かさに比べいささか寒い朝。午後の予定があるので、皆さんより一足先に出発した。駅からしばらく住宅街を歩いていると、「お鷹の道入口」という案内板がかかっていて、これからいよいよウォーキンク゛本番という感じがしてきた。「お鷹の道」は尾張徳川侯のお鷹場があったために、この名がついたとのこと。脇には奇麗な水が流れ、「蛍のいる川」という看板があった。昔、わたしが幼かった頃は蛍なんかどこにでもいたのになあと、豊かになった現在ではあるけど、失ったものも少なくないことをちょっぴり考えた。それはともかく、小川は両脇が白木の杭で作られている。普通の川がコンクリートで固められているのに比べなかなか風情がある。
「お鷹の道」をしばらく行くと右に入る道があり、これが「真姿の池」に行く道。そこには崖があり、崖下から滾々と水が湧いている。ポリタンクに水を汲んでいる人もいた。飲めるのなら飲んでみようとしたが、「生水は飲まないで下さい」とあった。
「お鷹の道」の終点に現在の国分寺がある。そこから少し行くと国分寺七重塔の遺跡があった。とすると、この間はすべて昔の国分寺の敷地という事になり、在りし日の国分寺はさぞかし広大なものだったろうと思う。
国分寺遺跡から府中市民球場までの間には府中刑務所の高い塀が続く。そんな周辺にもけっこう民家やマンションが建っている。「どんな気持でそういう所に住んでいるのかな」と、少し不思議な気がした。また、球場までの道には満開の桜が続いていた。この辺りでGNPのA班に抜かれた。
球場を過ぎると下河原緑道に入る。「緑道」の説明を読むと、これは昔のJRの線路跡とのこと。普通の緑道は河川を暗渠化した跡だから、この下河原緑道はきわめて珍しい例だ。そのせいか、緑道の両脇に普通の道が並行していた。
緑道が終わると「いこいの森」に着く。11時10分頃だったが、ここを過ぎると食事をするところがなさそうなので、公園の中でお弁当をひろげた。しかし、寒い。雨は降っていないが、天気予報と違って、お天気にはならない。ここで用意のチョッキを着込むことにした。
弁当を終えて、後は終点へ一直線。ゴールはサントリー工場の中にあり、ビールが振る舞われたそうだが、アルコールには関心がないので、サントリー工場前は素通りして、府中本町駅へ向かった。
ところが、終点でちょっと道に迷う。私の前を駅からウォークの目印をつけた人が歩いているので、その人の後をついて行くと、着いたところは予定にない大国魂神社。どうも別のグループらしい。お陰で一つ余分に見たことになる。手近な人に府中本町駅に行く道を聞いて、駅にたどり着いたのはちょうど12時頃だった。
本日を総括すると、桜は見事だったが、意外に寒かったという事になろうか。 (M.S記)

面影残る旧取手本陣
◎第211回B【水戸街道 将門伝説を訪ねて】
(JR駅からハイキングNO.35)=約8㌔=
 3月24日(日)午前9時30分、JR取手駅東口に集合したのは4人。のんびりムードで光明寺、金門酒造、取手緑地運動公園、旧取手宿本陣、長禅寺、田中酒造と歩き、取手駅にゴールしたのは11時半。一般道が多く、しかも歩道がないため、自動車が通るたびに小さくなったりして、あまり満足したコースではなかった。わずかに旧取手本陣に昔の面影が残っていた。記念メダルを貰い、食事をして解散した。

Posted by taichiro at 17:44

2002年03月16日

不思議な旧渋谷川道

◎第210回B【原宿青山都心流自然散歩】=約8キロ
3月16日(土)午前10時、千駄ヶ谷駅に集まったのはB班4名、C班3名(他のGNPの方はすでにスタートされたらしい)。
文字通りの春うららのウォーキング日和、スタートも30分遅いせいか混雑もない。国立能楽堂の後側の住宅街を通って、すぐ鳩森八幡神社。ここは枝垂れ桜が見事! この道はGNPで新宿御苑へ行った時の「いつか来た道」を反対に歩いているのだと気づく。

都営霞ヶ丘団地、国学院校舎、青山熊野神社と大きい建物があるのに、狭くて古い落ちついた道である。ブラジル大使館を過ぎたら外苑西通りを歩道橋で渡って、ここもいつか来た道、旧渋谷川遊歩道を歩く。狭い道に面白味が一杯でキョロキョロ!
コンクリートの割れ目に可憐なスミレ。摩訶不思議な面白おかしい変った建物。何故かわからないけど道端にズラーッと並んで座している若者。古い家並の中に突然の高層マンション建設と建設反対の看板etc.
表参道に出てハナエモリビルを右折。骨董通りを通り抜け、左折して岡本太郎記念館へ。庭に多数の巨大な岡本芸術が展示してある。どれも何だか童子の可愛らしさを感じて、庭だけで満足。本日の一番である。青山霊園の桜は残念ながらまだまだ莟が硬い。
青山いちょう並木は緑陰や黄金色の並木とは想像も出来ない風景だった。ただ濃い茶色でゴツゴツと荒々しい巨木が真っ直ぐに鋭く天を突いている様子に息をのんだ。この裸の大木に早く若葉の柔らかい衣をきせたいもの。
外苑を右にまわって、紅枝垂れ桜の下を信濃町駅へ。
ゆっくりと2時間位の楽しいウォーキングだった。  (T.M記)

Posted by taichiro at 17:42

色々な花で春を満喫

◎第210回A【長沼からめじろ台花探し】
(第8回京王沿線ウォーキング)=約11㌔=
3月16日(土)午前9時30分、京王線長沼駅に集合したのは29名。受付でそれぞれコースマップを貰った。前日の初夏のような陽気とは変り、気温がぐーんと下がり、寒いくらいだった。駅の周辺には適当な場所がないため、コースの約1キロ先の長沼公園へ向かった。程なく雑木林の中の登り道に入ったが、何時も平坦な道を歩き慣れている者にとっては、一寸歩き辛くなってきたため、急遽変更し、坂道途中の適当な場所でウォーミングアップをして出発した。

20分程行くと、山道も終わり、野猿街道沿いを歩き、打越弁天を参拝。その後、北野天満宮を通り閑静な住宅街を抜け、八王子医療刑務所前の信号を左折し、片倉城跡公園で小休止。園内にはカタクリの花がいっぱい咲いていた。湯殿川の風原橋を渡り、稲荷神社前を通り、北野街道へ出ると遥か前方に雪を冠った富士山が眺められた。
少し行くと街道沿い右手に入った所に小さな牧場があり、磯沼ミルクファミリーパークと称し、牛乳で創ったアイスクリームやヨーグルト等を販売していた。童心に返り、皆でアイスクリームを食べながら歩いた。最後の名所、五重の塔や全国一の達磨像がある雲龍寺、ここを見学した人達もいた。
12時、解散場所のめじろ台駅に到着。今日のウォーキングは、いきなり山道に入ったが、ウグイスの鳴き声を聞き、水が温んだ湯殿川ではたくさんの鯉が泳ぎ、家々の庭には白い辛夷の花、鮮やかな黄色の連翹等、色とりどりの花が咲き、春を満喫。絶好のウォーキング日和だった。 (H.W記)

Posted by taichiro at 00:00

2002年03月09日

目立ってるGNP一行

◎第209回【高円寺・阿佐ヶ谷 うららか春散歩】
 3月9日午前9時30分、JR高円寺駅に集合。余り長い間駅にたむろするのは迷惑なので、蚕糸の森公園で落ち合うことにして、そそくさと高円寺駅を後にする。
 「高円寺」というお寺に突き当たって右折、桃園川緑道に出て左に進む。排気ガス一杯の環7を南下して青梅街道を渡り、蚕糸の森公園に到着。M.Nさんに後着組のため入口で旗を持って待ってもらった。Bグループの到着を待って打合せとY.Tさんの先導で体操を済ませた。そこへCグループの大半が反対側から揃って到着。地下鉄で来たとか。本日の出席者は43人となった。

 再び環7を南下して妙法寺信号を渡り、何度か行ったことがある堀之内斎場を左折。五日市街道に出てまた青梅街道を歩く。ルック商店街を抜けてまた桃園川緑道を通り、旧馬橋で緑道を離れる。ここで女の子に声をかけられ、びっくり。よく聞くと「駅からハイキング」の企画者、「散歩の達人」も発行している交通新聞社の担当者だった。団体で疾風のように歩くGNP一行の姿が前々から気になっていたとのこと。名前だけ名乗り上げ、そそくさと歩き始め、馬橋稲荷神社へ。中央線をくぐり阿佐ヶ谷駅の手前を右に折れ神明宮を左、すぐ中杉通りに出て左折、杉並区役所を過ぎ南阿佐ヶ谷駅前を右折。ごみごみした青梅街道を進む。
 荻窪体育館で休憩中のCグループと会い、お菓子を貰って先を急ぐ。Aグループは横目だけで見て通り過ぎた太田黒公園にBグループのほとんどは立寄ったとのこと。
 杉並区が太田黒元雄氏の遺族から寄付を受け、昭和56年に屋敷跡を日本庭園として開園したもの。立ち寄った人の話によると、イチョウ並木、数奇屋造りの茶室、昭和8年に建てられたレンガ色の洋館の仕事部屋などが保存されており、冬枯れの木立の中に柔かな緑が芽吹き、大きな鯉が泳ぐ池となだらかな芝生。NHKの「話の泉」でしか知らなかったけどすごい家に住んでおられたんだとびっくりしたそうである。
 閑静な住宅地から角を一つ曲がると賑やかな荻窪駅南口に到着。階段を降りてスタンプとバッジを貰って解散。もくれんも桜も咲いていて、4月に入ったような陽気。今日は結構汗をかいた。 

Posted by taichiro at 17:39

2002年03月02日

富士塚残る品川神社

◎第208回【品川宿 旧東海道を歩く】=約8㌔=
 3月2日(土)午前9時30分、JR品川駅中央改札口集合したのは、予定して申し込んだ48人にピッタリ。受付を済まして早速、高輪口から歩き始める。
鉄道を跨ぐ新八つ山橋を渡り、北品川交差点で左折して旧東海道に入り、品川本陣跡といわれる聖跡公園で打合せと体操を実施した。
その後、街道を離れ、富士塚の残っている品川神社に立ち寄り、子供の森公園から目黒川沿いに再び東に向かい荏原神社から旧東海道に入る。ほんのちょっと歩いて再び右折して高村智恵子終焉の地へ。碑には「レモンの詩」が刻まれ、その前にレモンが3篭供えられているのが印象的だった。

大井町駅に向う直前、ゼームス坂上で左折、三度び、旧東海道に入り、品川区内最古の寺院といわれる品川寺を眺めながら歩く。ここでも街道はほんのちょっとだけ歩いただけで三度び右折。仙台坂トンネルの上に出て左折して大井公園で休憩。
ここには土佐藩15代藩主山内容堂の墓があるそうだが、現在閉鎖中で中には入れなかった。休憩の後、そのまま第一京浜を南下するが、車が多く排気ガスをまともに受けながら歩くのは気持よくない。
立会橋で右折。ふれあい通りに入り、南大井4、5で右折。大井水神公園をチラッと眺め、加島神社前で右折、品川歴史館前に出た。品川宿の復元模型などがあるこの歴史館、以前の例会で入った覚えがあるので、省略して池上通りを北進。無事、大井町駅にゴールして、記念バッジとスタンプを貰い解散した。
スタンプ帳、すでに20回に達しそうな会員も出てきて疎かに出来なくなったようだ。

Posted by taichiro at 17:38