1999年10月30日

92.奥多摩むかしみち

 10月30日(土)JR新宿駅より奥多摩駅まで約1時間半「ホリデー快速おくたま3号」にゆられて到着。駅から西東京バスに乗り込んだ。バスの窓から少し色づき始めた紅葉の木々を眺めながら奥多摩湖に着いた。水と緑のふれあい館を見学し、湖畔で早昼食を摂り、歩き始めた。
 

急な坂道が続いたが、一息ついて多摩湖を眺め降ろしたとき、水と木々と風の清やかさにほっとした。ハイキング気分を満喫しながら足を進めていくと急な斜面に、白菜、大根、ネギが植えられ、ユズや柿が手の届くところにたわわに実り、立派な蔵のある家の前には芋がらや豆が干してあった。途中の美しい吊り橋はスリル満点。小河内ダム建設のための機材運搬用の線路跡や、馬頭観音が未だ微かに残っているなど、歴史を感じた。
途中、青梅街道からバスにしたり、街道を歩いたり、むかし道を最後まで歩き通したり、3グループが駅で合流し、全員同じ快速で帰路についた。参加者はゲストを入れて30人(含む健康センター応援者)。        [N.T 記]

Posted by taichiro at 15:15

1999年10月27日

番外編軽井沢ウォーク始末記

 10月27日(水)午前7時発の新幹線「あさま503号」に乗車したのは男性3人女性18人計21人の有志。車中のにぎやかな会話を楽しむ間に8時18分には軽井沢に到着。軽井沢は雨。雨の中を峰の茶屋まで路線バスに乗り込む。物好きはGNPだけだったのか、貸し切り状態。途中一人だけ乗車したが、この方も峰の茶屋で下車。

雨の中、信濃自然歩道をまず、白糸の滝目指して歩いた。気をつけて歩く足許は落葉が色とりどり。晴れた日ならさぞかし遠目に浅間山の雄姿と鮮やかな紅葉が見られるものと想像して黙々と歩いた。雨のためか白糸の滝の勢いは強く、豪快な景観。その後、竜返しの滝まで、アップダウンをものともせず歩き、パークホテルで昼食。
バス時間をはずしてしまい、一行のうち、13人は旧三笠ホテルに向かって歩く。バス組も到着。三笠ホテルの中をを見学してから雲場池に向かう。途中の道は水路と化し、足の踏み場はほとんど水の中。ことに雲場池の入り口は激流となって道の水が入り込んでいる。その激流を飛び越えて雲場池の畔を歩き、紅葉を偲びながら軽井沢駅に向かい、16時26分の新幹線で帰路についた。
翌日は快晴。雨の予報に本来は思い切って1日順延すべきであったと、辛くも楽しかった一日を反省した。

Posted by taichiro at 15:14

1999年10月25日

四百字随想その49

1.大学生の学力
(一九九九.九.二七)=文化=
 私自身、大学生の学力は信じている。特に私の息子や娘の仲間たちを見ている限り、彼らは頑張っている。それに礼儀も心得ている。ただ気になることは知らないことは知らないと言い切ることだ。知らないことを追求し、自分の力で考えること。私はこれを「知恵」と思っている。もう一つ、議論が下手だ。単に同調するか、それとも何が何でも反対するか、それだけに終始するために調和が生まれない。その上、調和らしきものは単に迎合しているか、面倒くさがっているだけのことがある。ところがこういうことを考えていると、今の社会の風潮がどうもそういうものになっているような気がする。世の有識者、政治家、経済人、評論家、そういう方々もいざとなると逃げ腰になり、問題から逃げてしまう。何か起こるとああでもないこうでもないということはいうが、事前に問題意識を持たない。こうしてみると大学生の学力は世相を反映した姿と言えるようだ。

2.ミニボトル
(一九九九.一〇、四)=経済=
 わが家もミニボトルを買っている。ただし、年に一回ぐらいだ。それは容器が軽くて持ちやすいからである。ウォーキングをしていると水分の補給が必要である。魔法瓶に氷を入れて普通は持ち歩いているが、意外に重い。そこでミニボトルに冷茶を入れて凍らせて持ち歩くと軽くて済む。したがって百回ぐらい使うことになるだろうか。ペットボトルもそうだ。水を保存するために使う。使い捨て剃刀がホテルやゴルフ場に置いてあるが、最近の剃刀は三〇回ぐらい使ってもまだ使える。私は一ヶ月間使うことにして、ご用済みとしている。現在、いろんなものがまだ十分な効用があるにもかかわらず、利用して安価だという一点で簡単に捨てて、それで経済成長に役立つようなことを言い、その結果、やれ何とか公害だとかマナーの悪さを問題にするが、使い尽くす経済学を打ち立てる必要がある。ミニボトル一つ今の貨幣経済では解決できない問題を含んでいる。

3.二十一世紀の新聞
(一九九九.一〇.一八)=社会=
 まず第一に「不偏不党」という大義名分はなくなっている。主張のある新聞が残る。何をいっているのか分からない新聞は淘汰される。次に問題点を発掘する新聞。何か事件が起きてからああでもないこうでもないといかにも知ったかぶりをする新聞は人が読まなくなる。臨界事故など起こそうにも起こせない監視の厳しいマスコミの存在。命にかかわる問題、環境にかかわる問題は事故になる前に新聞社は十分にチェックし、無責任な経営者などは追放してしまう。第三に文化の何たるかを新聞社は積極的に取り上げ、文化に反する行動は徹底して糾弾する。たとえば使えるものを捨てる行動。食べ物を粗末にする行動。むやみやたらに旅行することや知的所有権にあぐらをかいて何もしない連中。土地や資本、それに労働を単なる商品と考える行動などを根本的に取り上げる。保険金詐欺だけでなく、二十一世紀の新聞は保険制度そのものの堕落を問題するだろう。
 
4.小さい秋
(一九九九.一〇.二五)=季節=
 都会に住んでいると秋の気配に鈍感になる。冷暖房が完備しているため、服装もほとんど替わらない。旬の存在も忘れ、賞味期限に頼った食生活は稔りの秋も実感できない。ところが歩き始めてから変わった。道ばたにある雑草、並木の存在、直売場の果物や野菜、花のシーズン等々。季節の移り変わりは激しい。それに汗の出具合、水分の補給量と冷たさの調整。それらを季節季節で変化させなくてはならない。今年は紅葉を見よう。まず、二十七日には軽井沢を歩いてみよう。そして三十日には奥多摩に出かける予定。六日には鎌倉から金沢文庫に抜けてみよう。紅葉前線の南下を追いかけて歩く計画である。しかし、自然は計画通り動いてはくれない。紅葉を思うように見られるかどうか保証の限りではないが、見ようとする努力が私にとって今年の「小さい秋」である。これまでは受動的な秋の体感であったが、今年は能動的な体感である。結果を楽しみにしている。

Posted by taichiro at 09:40

1999年10月23日

91.多摩川リバーサイドウォーク4

 10月23日(土)午前10時、東横線多摩川園駅に集合して受付を済ませ、各自屈伸運動をして出発。秋晴れの中、たくさんの人がすでに歩き出している川原では、野球やサッカーに興じる人、釣りをする人、絵を描く人等、様々に休日を楽しんでいた。気温が高く、強い日射しの中でも風は爽やかでススキや背高あわだち草、コスモスなどを眺めながら気持ちよく歩いた。
六郷橋下で休憩。ここからは「私を捜さないで」ということで、各々出発。大師橋を渡ってから川崎市側の土手を上流に戻るように歩き、京急川崎大師駅に到着。スタンプを押してもらい、一緒にゴールした12人ほどで解散した。一部の方はその後、川崎大師に参拝。お土産を買ったり食事をしたりして帰路についた。=約14㌔=
 本日の出席者26人(含む健康センター応援者)。
[M.O記]

Posted by taichiro at 15:13

1999年10月16日

90.都電を歩こう

10月16日(土)午後2時、甘泉園公園へ集合。東西線早稲田駅からの道筋が難しく、若干迷われた方もいた。参加者は53人(健康センター応援者を含む)。体操をしたあと、始点の都電早稲田駅を確かめてから面影橋まで都電に沿って歩き、ここから右折して、旧鎌倉街道を通る。緩やかな坂を上り目白不動尊を眺め、鬼子母神駅へ。参拝は省略して雑司ヶ谷霊園の横をすり抜け、東池袋四丁目で少し膨らみ、向原で都電と合流、大塚駅前まで行く。ここから電車道を離れ、商店街を通り、庚申塚を越えて旧中山道を渡り、西ヶ原四丁目からしばらく住宅街の中。滝野川から飛鳥山までは電車道に沿った細い道を歩く。陸橋を渡り、直接、飛鳥山公園に到着して休憩にする。

王子から帰宅した組。王子駅から都電に乗車して荒川七丁目で下車した組、三ノ輪に向かう組も出た。王子からはほとんど電車道に沿った道を歩き、梶原、荒川遊園地前、町屋駅前まで続く。荒川七丁目から荒川自然公園に入って2度目の休憩。
Aグループの到着時刻が4時40分を越え、5時の閉園時刻ぎりぎりになってしまう。終点三ノ輪駅に到着したのは5時30分近くになった。ここで解散したが、出発時間の判断を誤り、最後まで完歩した人は少なく、乱れてしまった。今後の反省材料としたい。=約15㌔=

Posted by taichiro at 15:11

1999年10月09日

89.武蔵野の道多摩湖コース

10月9日(土)9時57分の東京発青梅特快に次々と乗り合わせて八高線箱根ヶ崎駅下車、狭山池公園に集合したのは38名(含む健康センター応援者)。「火災発生」を報じる有線放送を聞きながらそわそわと体操し、狭山遺跡を出発。

残堀川に沿って歩く。工事中の残堀川は飛び石で対岸に渡れるところも作ってあった。青梅街道、新青梅街道を越え、富士塚大橋を過ぎて、残堀川から野山北公園自転車道にはいる。栗やドングリがいっぱいの山王森公園を通り、第三老人福祉館から左に曲がり、歴史民族資料館で休憩。
室内は暑苦しいため、裏側の広場でお弁当を食べる。そのあと人と自転車だけしか通れない珍しい横田トンネル、赤堀トンネル、御岳トンネルと三つのトンネルを抜け、番太池に到着。この池を回って、くにゃくにゃと急坂の山道を登り、多摩湖自転車道にはいる。村山中央病院の前を過ぎ、鹿島台から村山貯水池へ曲がる。
多摩湖の向こうに取水塔を眺め、西武ライオンズ球場を間近に見上げて、西武山口線の電車を見ながら西武園ゴルフ場の横を通り、西武園遊園地駅で解散した=約15㌔=。

Posted by taichiro at 15:10 | Comments (0)

1999年10月02日

88.区内公園巡り

10月2日(土)正午、久しぶりに健康センターに集合したのは50人(含む健康センター応援者)。当日は来年のコース設定の基本にする「山手・下町散歩」を配布。次に第3四半期の皆勤者8人の方に記念品を差し上げ、体操をしたあと、定番の区内公園巡り。
東陽橋を越え、東陽4丁目交差点を渡り、横十間川親水公園から仙台堀川公園を抜け、豊住公園を省略して木場公園に向かった。木場公園ではこの日、木製品の展示会が催され、ここで休憩。
福富川公園から木場親水公園を通り、古石場親水公園で解散した=約6㌔=。
なお、17人の方が古石場文化センターで開かれた古石場亭で深川噺を中心とした落語鑑賞会に参加し、「ハ、ハ!」と大笑いをして、第88回目を大いに祝福してきた。

Posted by taichiro at 15:08