1999年09月25日

87.多摩川リバーサイドウォーク3

9月25日(土)午前10時、小田急線和泉多摩川駅に集合したのは38人(含む健康センター応援者)。天気は予想に反して快晴。西武・京王・小田急・東急・京急主催の「多摩川リバーサイドウォーク3」に参加した約4,000人のウォーカーに混じって出発。
木立のない多摩川河川敷をひたすら歩き、東名高速多摩川橋をくぐり、新二子橋をくぐったすぐの兵庫島公園で休憩。
 汗だくの体にはちょっとした木陰がうれしかった。ここで二、三人の方がリタイヤ。残りのメンバーは勇を鼓して出発。二子橋、第三京浜新多摩川大橋の下を通り、多摩川台公園を横目に、無事、東横線多摩川園駅に到着したが、皆さん、若干、熱射病気味。あとで聞くと当日は9月にもかかわらず30度を超えた真夏日。約12㌔を2時間足らずで踏破したGNPの力は相当なものだった。

Posted by taichiro at 15:07

1999年09月20日

四百字随想その48

1.わが家の防災
(一九九九.八.三〇)=自分=
 わが家の防災は水四〇リットルだけである。いざというとき、自分に何が出来るか。何にも出来ないのが実状ではなかろうか。出来ないことをやろうとする努力は、無駄である。とくに自然災害に対して逆らうことの無意味さ、これはつねに言えることではなかろうか。災害そのものに逆らうことより、じーっといかに耐えるか。万一その中に巻き込まれて身動きできなくなったとしても運命とあきらめることにしている。問題はその災害が終わった後だ。自分が動けるなら人を助ける。そのために自分の命が失われてもいい。自分が生きていて動けなければ人が助けに来るまで待つ。待っても駄目な場合はそのままだ。水四〇リットルが命の綱であり、火災を防ぐ最低の量である。他のことは一切考えない。「ありのまま この人生を 愛しゆかむ この心 よしと頷きにけり」。この心境が、平常であろうと異常であろうと持ち続けることがわが家の防災対策である。

2.里山の風景
(一九九九.九.六)=社会=
都会ばかりで生活していた私は里山をよく知らない。しかし、最近ウォーキングを始めてからいわゆる里山歩きなるものを少しは経験している。そこで知る里山、まず、アスファルトやコンクリートの道がない。雑木は生えているが、並木らしきものはない。空気はきれいだが、砂ぼこりは立っている。ほとんどの場合、車道と歩道の区別がなく、それでいて車はよく通る。畑や田圃はあるように見えるが、意外に休耕田畑が多く、荒れ果てている場合が多い。つまり人が少ない。子供たちの姿がほとんど見あたらず、たまに見かける人は年寄りだ。どういう訳か生活の臭いがしてこない。山の木もよく見ると手入れが行き届かず、間伐がされていないように見受ける。想像上の里山とずいぶん違って見えるのは、私が余りにも里山に牧歌調を求めているせいかもしれない。いろいろ歩いてみると、東京の緑道や大きな公園、それに道路の並木の美しさが際だっている。

3.私の介護体験
(一九九九.九.一三)=自分=
 私は残念ながら介護体験がない。介護すべき父親は存在していた。すべてを母親に任せ、妹に任せてしまった。父親が大阪にいて、自分が東京にいるという理由だけである。妹の家族は大変だった。食べること、動くこと、下の世話、入浴、寝ること。私に出来なかったことをすべて世話をしてくれた。そして最後は病院の世話になった。私は何の役にも立たなかった。こういう自分に出来ること。それは自分がポックリ逝くことである。亡くなる瞬間まで元気で長生きすることである。元気で長生きしてポックリと。これを私はGNPと解しているが、そのために歩いている。歩くことで地球温暖化の防止につながり、医療費負担の軽減につながるなら、これが自分に対する介護の軽減につながる。一日を懸命に生きる。一見、命を粗末にしているようだが、父の命をつないだのは私であり、私の命はすでに子供に引き渡し済みだ。余録の命を歩くことで介護している。

4.食品の表示問題
(一九九九.九.二〇)=社会=
 最近の食品、読むか読まないかは別にして、よく見るといろんなことが書いてあるが、ほとんど読まない。読まないで信用しているといってもいい。万一事故があれば今の時代、ただでは済まないだろうし、第一、会社がつぶれかねない。そんな危険をおかしていい加減なものは作らないはずだという前提である。ところが大量生産のためのコストダウンの手段として紛らわしいものが混在し始めた。やれ、遺伝子組み替え食品とか、クローン何とかという原料を使って本物と同じつもりの表示があると考えてしまう。その結果が本当はだれにも分かっていない。壮大なモルモットに人類が使われていることになるのだろうか。仮にちゃんと表示されたとしてもその本質が分からないもの。こうなると食品に何が適して、何を食べるべきか、モラルか哲学の問題である。政治とか行政とかそういう多数決原理でない方策を考えないと形式的な表示問題でお茶を濁されてしまう。

Posted by taichiro at 09:39

1999年09月18日

86.万葉植物園と自然観察園

 9月18日(土)午前10時、およそ200種の万葉植物を見ることが出来る静かな万葉植物園に集合したのは51人(含む健康センター応援者)。薄曇りで気温も低く絶好のウォーキング日和。園内で簡単にストレッチして早速歩き始める。
 歩道のない少々危険な道をたどり、天満天神宮を横目に、礼林寺の階段を上る。このへんからは車がほとんど通らない道になり歩きやすい。今度は駒形大神社の階段。境内の景色は古びて閑か。ここからは田舎道という感じでたわわに実った梨園や野菜畑を眺め、市川動植物園に着く。
大町自然公園は大きな沼地に作られたもので、歩道が完備。歩き易さにつられて、いつのまにか、自然観察園をすっ飛ばしてしまった先頭グループ。また引き返したため、最後に観賞植物園に到着してしまった。ここで休憩。
園内の見学をしてから出発。大町駅を越えて広大な八柱霊園を通り抜け、新八柱駅で解散した。=約12㌔=

Posted by taichiro at 15:05

1999年09月11日

85.荒川南方台山脈縦走

9月11日(土)午前10時、上野公園西郷銅像前に集合したのはゲストお一人を入れて56人。薄曇りの絶好のウォーキング日和。体操をした後、早速、上野公園内の摺鉢山(22㍍)と大仏山(22㍍)に登る。上野公園を出たあとは芸大横を通り、谷中霊園の中に入って日暮里駅の横に出た。そのあとは線路沿いに高台を歩き、諏方神社で参拝。すぐに西日暮里公園に到着、休憩した。
この公園は、新堀山(21㍍)と道灌山(22㍍、)を合わせたもので、新堀山の名前から日暮里の地名が出来たそうである。西日暮里からもひたすら京浜東北線沿いに歩き、田端、上中里と越える。この間、2駅、密かに乗車したグループもあったが、船山(24㍍)辺りで合流。飛鳥山(24㍍)に入り、西斜面の遊歩道から王子駅の構内を通って音無親水公園に到着。音無川に少しだけ降りて、王子神社から亀山(25㍍)に至る。亀山は王子稲荷の裏手にあって狐の穴跡が今でもあった。この頃になると薄曇りであった天気もカンカン照り。暑さに参りかけたが、名主の滝公園の樹木と滝の流れで、すっかり回復。のんびりと見学して解散した。=約10㌔=

Posted by taichiro at 15:03

1999年09月04日

84.水元公園巡り

9月4日(土)午前10時、みだりにたむろしてはいけない公団金町駅前団地広場に集合したのは40人。早速、体操をしてから葛西神社に向かう。その後、江戸川堤防の上を歩き、東金町5丁目から水産試験場跡にはいり、オニバス見学。このハスの花は朝早く開花するだけで9時頃には閉花。大変な恥ずかしがり屋のようだ。それでも他の蓮の花は咲きそろい、大輪のはすは正に仏様の座り場所という感じ。それに金魚の養殖も見学でき、その品種の多さに驚いた。水元大橋を渡り、伝五郎の松のほとりで若干の休憩。
ここから広大な水元公園巡りが始まる。メタセコイアの森、水生植物園、水元かわせみの里と、一気に歩き、明治43年建造の大場川閘門橋にたどり着く。煉瓦造りの堅牢な橋のたたずまい、90年の時空を感じさせない美しさである。帰途はポプラ並木に沿って自由広場、冒険広場と通り、再び伝五郎の松へ。ここで持参したおにぎりなどで食事。
珍しく涼しいウォーキングを楽しみ、香取神社を横目に見て南蔵院でしばられ地蔵を拝み、東水元公園を通り、集合場所の公団金町駅前団地広場で解散した。=約14㌔=

Posted by taichiro at 15:01