1999年08月28日

83.都区内最高峰箱根山を制覇

8月28日(土)午前10時、鬱蒼とした筑土八幡神社の境内に集合したのは50人。体操をしたあと、一度寄ったことのある白銀公園に入る。ここが御殿山(26㍍)。山としての雰囲気はもうなくなっているが、赤城神社を通って神田川のほとりまで、階段や坂道を下ることで、高台であることはよく分かる。神田川に沿って歩き江戸川公園に入る。江戸川公園の休憩所も階段を上り、約20㍍ぐらいの高さの場所にある。無料で椿山荘に入れることが分かり、椿山(28㍍)で休憩。
庭の手入れは万全。その上、花嫁姿まで拝見。ちょっとした目の保養になる。新江戸川公園の中にはいることは省略して、川筋を上り山吹の里碑を眺め、面影橋を渡り、甘泉園公園に入る。都心らしくない落ち着いたたたずまいを見せる公園を通り抜け、堀部安兵衛の碑を見る。その後、穴八幡神社で小休止。
顔がほとんどすり切れてしまっているお地蔵様をさすり、頭が良くなることを祈ってみる。早稲田大学の前を通り、いよいよ目的地は戸山公園の中だ。道は通じていたが、道なき道を選びよじ登ってみる。箱根山(44.6㍍)に到着。どういうわけか、たどり着いた方々は異口同音。「山だ」と声を発し、頂上でいつまでも佇む。折しも正午のチャイムが鳴り響き、我々の初登頂を祝福してくれる。
ここで解散したが、高田馬場駅までの道案内、明治通りに出るはずが大久保通りに出てしまい、大幅な遠回りになってしまった。=約12㌔=

Posted by taichiro at 14:57

1999年08月23日

四百字随想その47

1.地域社会
(一九九九.八.二)=社会=
 戦後、もっとも希薄になったもの、それは地域社会の存在かも知れない。特に都会の場合、隣近所のことすら知らなくとも生活できる環境になっている。この原因の一つにプライバシーの問題がある。何か話題になるとプライバシーの侵害。もっとも無難な生活態度は地域社会のことには耳をふさぐことになっている。誰かが困っていても知らない顔、人の子がいじめられていても知らない顔、人の喜び、悲しみ、怒り、楽しみに干渉しない。それが人に迷惑をかけない望ましい態度ということになる。つまり「迷惑をかけないで人を助けない」ということであろうか。人間は人に迷惑をかけなければ生きていけない動物である。迷惑をかけないことが美徳ではなく、迷惑をかけることに対する感謝の気持が美徳である。私は今、都会の中でも一番地域社会に対する無関心の多い団地に住んでいるが、その中で、少しでもお節介をしながら、地域社会に関心を持ち続けたい。

2.日本の民族大移動
(一九九九.八.九)=社会=
 先日、娘が夏休み、長崎に遊びに行くということでチケット屋に航空券を探しに行った。流石に大繁盛。割引率も低く、航空券そのものが往復では取れなかった。片道だけ取れて、帰りは福岡からとなった。いずれにしても夏期の民族大移動が影響している。ただこの大移動、我々の頃より中身が変わってきているようだ。我々の頃は故郷に帰ることが目的であったようだが、いつの間にか故郷にはほとんど老親がいなくなり、我々のような根無し草には帰るところがなく、単に遊ぶため、避暑のための動きが多くなり、海外旅行も増えている。こういう意味の動きは中国でもあり、ヨーロッパでもあり、別に不思議なことではない。ただ日本の場合、意外に期間が短く、個人で考えると一週間ぐらいしかない。出来ればこの期間が一ヶ月ぐらいになり、本当の意味のバカンスを楽しむようになれると幸せだ。もっとも私は毎週あちこちを歩き、バカンスを楽しんでいる。

3.厚底サンダル
(一九九九.八.一七)=社会=
電車に乗っていると、この厚底サンダル、よく目立つ。底上げが十五センチを超えるものもあるようだ。座っているとき、それに立っているとき、結構様になっている。ところが歩いている様は危なっかしくて見ていられない。本人もたぶん歩きにくいのではなかろうか。何かで聞いたが、たいていの人が一度や二度、転んだことがあるそうだ。
昔の花魁もこれに似た高下駄でしゃなりしゃなりと歩いたようだが、必ずお付きのものがいて、手を取ってくれていたように思う。
自分の背丈を大きくする手段の一つであろうが、そのために活発さが失われ、歩き方もよくない。私から見るとスニーカーで闊歩する姿の方が魅力的である。
たぶん一時的な流行で終わるものと思うが、揚げ底で飾り立てることの無意味さを認識し、足の形が悪くなり、しかも腰に負担のかかる厚底サンダルが若い女性のためになくなることを期待している。

4.企業献金
(一九九九.八.二三)=政治=
 政治にとって、政治献金は絶対に必要なものである。ところがどういうものか、政治献金をしたものが政治献金をしたことを隠したがり、政治献金を受けたものも隠すことが多い。ただし、隠していた収入が見つかると今度は献金を受けたと抗弁することがある。日本人は政治に対して、結構ああだこうだと言うことが多いが、だれを支持したのか、だれに政治献金をしているか、はっきりしない。ところが企業の政治献金は、闇の場合はいざ知らず、意外にはっきりした形で公表されていることが多い。企業は、利益を追求することを目的としている存在で、自己の利益のために政治献金をすることは、企業にとって正しいが、それでは政治が公共の利益を追求することには反してくる。このジレンマを果たして解決できるのだろうか。本当の意味で、これから国民が政治意識を持ち、自分の支持を鮮明にすることに誇りを持ち、政治献金を個人で堂々と出来る環境が必要である。
(平成一一、八、二三東京新聞夕刊掲載)  

Posted by taichiro at 09:38

1999年08月21日

82.夕涼み有明お台場巡り

8月21日(土)午後5時、有明テニスの森公園クラブハウス前に集合したのは47人。体操をしたあと、テニスコートを囲んでいる木立の下を一周してコロシアムブリッジを渡り、センタープロムナードを歩き、夢の大橋、であい橋を越え、ウエストプロムナードへ。意外に人通りが少なく、風もさわやか。テレコムセンターを正面に見て突き当たって左折。続いて右折。センターの裏手にある青海南埠頭公園に到着して休憩。
続いて巨大なキリン群(クレーン)に感嘆しながら青海北埠頭公園でサンセットを味合う。夕陽の沈む光景、いつ見ても悲しくも美しい。青函連絡船であった羊蹄丸、南極観測で活躍した宗谷を横目に眺め、東八潮緑道公園、昨年のバーベキュー会場、潮風公園を通り抜け、お台場海浜公園に入る。ここはいつの間にかアベックのメッカ。アベックでなく疾風のように歩く我がクラブは正に異邦人の様相。Aグループは明かりのない台場史跡公園を巡ってから、お台場レインボー公園に到着したが、他のグループはほとんど史跡公園を省略して目的地に到着。解散した。=約10㌔=

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1999年08月07日

81.早朝区内緑道巡り

8月7日(土)の早朝6時、木場公園(木場ミドリアム前)に早く集まっていたのは、珍しく男性群がほとんど。結局、39人中12人が男性。5分の1の構成割合に比べ、3分の1近くが集合出来たことは、朝の役割分担が女性に偏っているせいかもしれない。歩き慣れた仙台堀川親水公園を快適に歩き、平成橋を越え、風の広場を通り抜け、中川大橋を渡り、新装なったわんさか広場で休憩。そのあと、これも新しくできたスポーツ広場から建設途中の小松川地区へも二つの橋を使って歩く。新六の橋から竪川河川敷公園に入り、見事甲子園に出場した城東高校の横を通り、清水橋から横十間川に入る。横十間川親水公園を通り抜け、出発地木場公園に到着したときには、汗びっしょり。約9㌔と予測していたが、たっぷり12㌔は歩いたようだ。

Posted by taichiro at 14:54