1999年06月28日

四百字随想その45

1.プライバシー
(一九九九.六.二一)=社会=
 この言葉、不思議なイメージがある。「それはプライバシーの問題だ。ほっておいてくれ」、「そんなプライバシー、暴いてどうするんだ」、「今やっていることはプライバシーの侵害だ」、「公人にはプライバシーを保護する必要はない」、「芸能人のプライバシーは宣伝だ」等々。プライバシーという言葉、みんな明らかで絶対的な定義のようだが、果たしてそうなのだろうか。日本語で言えば「私事」だろうか。しかもその私事、いいイメージでなく、何となく悪いイメージがある。もしかすると名前や年齢や男女の区別、住所、電話番号まで入る。結婚していること、親がいるかいないか、生活。学歴は。子供の有無。考え方。思想。支持政党。愛人、恋人。もうあらゆることが入る。ところが本人がしゃべる分には問題がないが信用されない。嘘で固めて本当のことを言われるとプライバシーの侵害。何を信用していいのか自分のことですら分からなくなる実体がプライバシーのようだ。

2.国際化と外国人
(一九九九.五.三一)=社会=
 人間の意識の中で国と国との区別を考え、境界を作り、障壁を横たわらせると外国という言葉が生まれ、この国と国との関係を乗り越えることを国際化と言うようだ。はやり言葉でいうとグローバル化というらしい。この場合、一番の問題は言葉である。言葉が共通でない場合、私たちは自分の言葉を話さない人たちを外国人だと思う。ところが日本語の達者な人たちを見ると必ずしも外国人とは思わず、逆に日本人でも日本語を知らず、外国語を使う人たちは外国人と考えがちである。見た目で判然と区別が付くようで、実際には区別が付かないのが現状である。そうなると同じ人間同士ではないか。少々の言葉の違いや風俗、習慣の違いなどで外国の人と扱うことに問題がある。今や文化も社会も資源も交通も本質的には国と国を区別する理由はないような気がする。国際化という言葉そのものが陳腐化して当たり前のことになる時代になってもおかしくない。 

3.介護と家族
(一九九九.六.一四)=自分=
かつて介護は家族の役割で当たり前のことであった。ところがいつの間にか、そうではなくなってきた。その原因の一つは家族の三世代同居が特殊なことになってきたことだろうか。子供たちが家庭を持つと一緒に暮らさなくなっている。そのため、元気な間は気楽に自由を謳歌しているが、だんだん弱ってきてにっちもさっちもいかなくなって子供たちに頼るとき、それは三世代目の孫たちにとって異人種に見える。何の力もなく、何もできない存在。その老人たちも自分の無力さに耐えられなくなってしまう。威厳のある老人がだんだん衰えていく姿をそのまま見せていれば、それは人間の生き様、それに死に様を直に見せることになり、愛着のある存在として眺めることが出来る。今、私は「元気で長生きしてポックリと(GNP)」などと戯言を言いながら自分の健康を謳歌しているが、実のところ、ポックリ逝かなかった場合の身の処し方は残念ながら決まっていない。

4.お父さんの財布
(一九九九.六.二八)=自分=
先日、財布を無くした。駅の切符を買うのにあわてふためいて、ついカウンターに置いたまま、改札に入り、電車に飛び乗って発車して気が付いた。携帯電話を使い、家内に連絡。駅に問い合わせてみたが、発見できず、警察に遺失届を出し、カード類の停止を各銀行などに手続きした。誰かが拾い、誰かが使ってくれているのだろう。失った金額は若干大きかったが、お父さんの不注意に対する罰則と思えば、あきらめもつく。そこで、タクシーに乗ったつもりで歩く。会合に出たつもりでキャンセルする。ゴルフに行ったつもりで、素振りとパター練習で我慢する。レストランに入ったつもりでパンと牛乳で済ます。そういう努力をしてみると案外、簡単な努力で消費が押さえられた。それだけ経済は停滞したことになるが、その分が誰かに使われたわけだから同じかもしれない。お父さんにとっては無駄を省く努力が出来たこと。これがお父さんが財布を無くした効用である。

Posted by taichiro at 09:36

1999年06月26日

75.浅草を訪ねる水辺の緑道ウォーク

梅雨シーズン、6月26日(土)も小雨降る中午前9時、京成電鉄本社前に集合したのは43人。都営、京成、京急主催のウォーキング大会に便乗、1,000人規模の一員となった。
当日は江東ケーブルテレビの取材もあり、慌ただしい中、大横川親水河川公園、竪川第一公園を経て猿江恩賜公園で暫時、休憩した。このころには雨もすっかり上がり、傘はリュックの中にしまわれた。そのあと、横十間川河川敷、小名木川クローバー橋、横十間川親水公園、仙台堀川公園、木場公園と、通り慣れた江東区内のウォーキングコースをたどり、清澄公園に予定より早く到着して休憩。続いて隅田川テラス、萬年橋、一之橋と通り、隅田公園を眺めながら一路、言問橋を目指して歩く。言問橋を渡り切ると、もう浅草寺は目と鼻の先、瞬く間に到着。
完歩の証としてサンバイザーを全員受け取り、江東ケーブルテレビのカメラに向かって鬨の声をあげ解散した。=約15㌔=
なお、当日のコース案内は要所要所に張り紙がしてあり、ほとんど迷うことなく完歩が出来、主催者の気配りがよく感じられた。

Posted by taichiro at 14:24

1999年06月19日

74.目黒田園調布

うっとうしい梅雨空の中、6月19日(土)午前10時、JR「目黒」駅西口に集合したのは48人。人通りでごった返し、小雨も降っていたので、早々に出発、太鼓橋のたもとで連絡事項を伝達、体操も省略してウォーキングを開始した。傘を差しての歩行は、あまり楽しくないが、それでも風がなく、温度も低いため、意外に歩きやすく、新橋、大鳥神社、林試の森公園、朝日地蔵堂、立会川緑道と、そそくさと通り過ぎ、すずめのお宿公園に到着。保存されている古い農家で休憩した。
約250年は経ているという農家では竈の火が焚かれ、煙が目にしみたが、黒光りのする大黒柱や広い土間の広さに目を見張る。その後、都立大学駅で約半数の方が解散。残りの人たちは、東光寺、太鼓坂、宝来公園、多摩川台公園、多摩川園駅を通り過ぎ、鯉や鮒が泳ぐ六郷用水を眺めながら沼部駅(東急目蒲線)に到着。
簡単な整理体操をして解散した。=約13㌔=

Posted by taichiro at 14:22

1999年06月16日

団体登録、承認される

かねてから江東区教育委員会に社会体育各種団体として登録申請をしておりましたが、私どもの活動が認められ、1999年6月15日付で「ウォーキング・クラブ GNP」が、登録されました。
今後、会場費等について割引が受けられたり、区からの援助が受けられたり出来ます。

Posted by taichiro at 02:50

1999年06月12日

73.隅田川と向島百花園

梅雨中にもかかわらず快晴の6月12日(土)午後1時、臨海公園に60人が集合。
久しぶりに参加したU顧問の指導による準備体操を実施し、出発した。隅田川テラスをとおり、永代橋、隅田川大橋をくぐり、清洲橋で上に出る。
清洲橋から対岸、中央区側のテラスを通り、新大橋をくぐり抜け、両国橋で上に上がり、また墨田区側のテラスを歩く。
真夏に近い日差しの中で、木陰のないテラス道に音を上げ、とうとう蔵前橋から先は木陰の多い一般道を通り、厩橋、駒形橋、吾妻橋を越え、隅田公園に到着して休憩する。
休憩後も日差しの強いテラスは敬遠して木陰の多い墨堤通りを歩き、長命寺から向島百花園に直接向かい、園内を彩る夏の花を堪能して解散した。=約9㌔=

Posted by taichiro at 14:21

1999年06月07日

四百字随想その44

1.旅先での食事
(一九九九.四.二六)=季節=
 どういうものか、私は珍しいものを食べることに欲がない。欲がないというより今までに食べたことのないものに手をなかなか出さない。旅先では珍しいものを腕によりをかけて出してくれるところがあるが、そういうとき、食べないわけにも行かず、おそるおそる食べてみる。しかし、たいていの場合、受け付けないで、あり合わせのもので済ませてしまう。みそ汁とご飯と卵と豆腐があって、それに少々の漬け物があれば十分だ。肉類、魚類は一口もあればいい。最近、旅先でバイキング方式があるが、私はこれが大好きだ。自分の食べられるものだけ食べればいいからだ。これでもかこれでもかとたくさん、お膳に乗ってくる和風料理や西洋料理のコース、何だか半分近く捨てられるようなことは辞めた方がいいと思うが、それでは豪華に見えないのだろうか。そろそろ見せかけの豪華さは、意味のないことに気が付いてもいいのではなかろうか。 

2.金融機関
(一九九九.五.一三)=経済=
 もう四十年前になるだろうか。就職戦線で金融機関は最高の職場であった。安全確実、保守的で絶対潰れない職場。エリート中のエリートしか入れない職場。社会と経済の中心的役割を持ち、間違いを起こさず、産業発展の基礎を築き、個人資産の最も確実安全な運用先。そんな憧れに似た存在であった。ところが不良債権は隠匿し、金利はなきものに等しく、それでいて責任の所在を明らかにせず、損失は税金で補填してしまう存在になっている。エリートはどこに行ってしまったのだろうか。頭取、副頭取は定期預金金利五%を水準とし報酬を比例させること。つまり〇.五%の金利であるなら報酬は一〇分の一になるということだ。次に、役員は半数にし、残った役員の報酬は半額にすべきである。半額になるのがいやな役員は退職していただく。行員の給料も取りあえず普通の企業並にまで水準を落とすこと。そのぐらいの荒治療をしないと今の腐敗は消えない。
(平成一一.五.一三東京新聞朝刊掲載)

3.結婚と生活
(一九九九.五.二四)=自分=
結婚してから間もなく三十三回忌ならぬ三十三周年を迎える。この間、子供が三人、嫁が二人、孫が四人。たった一人からの生活が何と十一人の家族になった。夫婦の両親は既に亡くなっている。たった一人で生活していても汲々としていたはずだが、結婚して二人になり三人、四人、五人となっても一人の収入で生活してきた。別に普通に比べて激増したわけでもないのに生活を行い、子供達も学業に励むことが出来た。これは不可思議という他はない。収入というものが、単なる経済的な貨幣価値で計れないものが存在している証拠である。家族内で協業によって生み出されるもの。貨幣価値はないが、喜びと幸せの産物として価値を生み出す。外食を止め、被服を作り、洗濯を自分で行い、塾でなく子供に教え、私立でなく国立に進学させる。そういうことで限りなく生活は豊かになっていく。貨幣価値の無意味さを結婚生活によって熟知した三十三年間である。

4.カジュアル・デー
(一九九九.六.七)=社会=
 ほとんど毎日がカジュアル・デーの私がカジュアル・デーの効用を述べるのはおこがましい気がするが、一番の効用は靴である。通常、堅苦しい革靴を履いて足を締め付け痛めているが、カジュアル・シューズというよりひも付きのウォーキング・シューズを履くことで、足下はしっかりし、大股歩きが出来る。その上、鞄はリュック型にして手に何も持たないことにしている。たったこれだけのことで町歩きが楽しくなる。歩くことが楽しくなると行動が活発になる。どこに出かけるのも苦にならず、むしろ出歩くことに積極的といえる。歩くことによる効用は、まずウェストが細くなる。私の場合、一年少しでおよそ一〇センチ近く縮まった。それに風邪も引かなくなった。その上、ほとんど車にも乗らない。これは地球温暖化の防止、医療費負担の軽減化にも役立っていると自負している。仕事は形でなく中身である。大いにカジュアル・デーを謳歌してほしい。
(平成一一.六.七東京新聞夕刊掲載)

Posted by taichiro at 09:35

1999年06月05日

72A.神田川散策 B.箱根一泊ウォーク

6月5日(土)2組に分かれて実施。
まず、神田川散策組は午後1時、JR・東西線高田馬場駅広場(平和の女神像)に24人が集合。瀧澤橋、新堀橋、せせらぎ橋、久保前橋、小滝橋、亀齢橋、南小滝橋、大東橋、万亀橋、新開橋、柏橋、末広橋、伏見橋、栄橋と神田川沿いに青梅街道近くまで歩く。ここから同じコースを引き返えして集合場所の高田馬場駅広場に戻り、ここで解散した。=約6㌔=

一方、箱根一泊ウォーク組は、小田急線新宿駅午前7時30分発の相模3号に乗車したのは34人。車中でホテルの部屋割りを済ませ、9時に箱根湯本駅に到着。直ちにウォーキング開始、天成園で玉簾の滝を見ながら体操。ここからバス組と歩行組に分かれ、須雲川まで。須雲川から全員畑宿まで石畳の旧街道を歩く。畑宿から見晴茶屋までバス組はバスで、歩行組は195段の階段に音を上げながら歩き、ここで昼食。ここから甘酒茶屋、元箱根まで全員で歩く。元箱根では若干の時間があり、美術館を覗いたり、コーヒーを飲んだりしながら遊ぶ。その後、海賊船に乗り、芦ノ湖を縦断、桃源台に向かい、16時30分、箱根レイクホテルに到着。温泉で疲れをいやした。
二日目は、バイキング形式の朝食を済ませ、9時、出発。湖尻水門から芦ノ湖西岸を歩く。歩行者専用の道は、自動車の通行がなく、信号がなく、しばらくの砂利道を過ぎると木の根が縦横に張り出している細道。左側の芦ノ湖はどこまでも静かで波穏やか。見晴らしの利く場所では湖水を渡って吹くそよ風がさわやか。汗ばんだ体には心地よかった。途中、湖水の浜辺では水を触り、木陰では木の肌を触り、2度ばかり休憩して英気を養う。箱根町には予定通り、12時過ぎに到着。
初日に1人、二日目に2人、ちょっとした転倒事故があったが、いずれもみんなの素早い機転で大事に至らず、無事終了。ベコニア園で珍しい種類に大喜び、温泉で汗を流して、箱根湯本17時13分発のスーパー箱根に乗車、新宿で解散した。=約25㌔=

Posted by taichiro at 14:19