1999年04月24日

66.岩淵水門と浮間公園

当初4月24日に予定していたが、当日、雨天のため、29日急遽実施し、33名の出席があった。虹の広場は雨は降っていないが、気温が低く、じっとしているとふるえるほどの冷たさ。そそくさと体操を実施してから荒川の河原をただたださかのぼる。千住新橋、西新井橋、扇大橋、江北橋とくぐり抜ける。信号が一つもなく、右左、右左と足を動かすだけの動作が続く。荒川土手停留所の近くで若干止まり、間もなく鹿浜橋をくぐり、岩淵水門に到着。水門公園で休憩する。
荒川と隅田川の交点。もっとももともとの荒川が隅田川で、ここから下流の荒川は作られた荒川とのこと。一寸ややこしいがなかなかの景観である。若干の方がここで解散。水門から浮間公園まで新河岸川と荒川を交互に見ながら、それに赤羽ゴルフの下手なゴルファーの姿を眺めながら浮間公園の桜草圃場に到着。この日までしか開いていない圃場の桜草は見事で、可憐なそれでいて華やかに咲き誇る桜草に心の和みを覚えながら解散した。=約14㌔=

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1999年04月17日

65.春の東京城下町散策

4月17日(土)午後1時、市ヶ谷の東郷公園に集合したのは59人。久しぶりに風もなく薄曇りの好天気。体操の後、靖国神社に向かう。日頃あまり通らない神社の裏を通り正面から東京大神宮へ。そこから飯田橋駅北口の牛込橋を渡り、神楽坂にはいる。神楽坂界隈はまるで迷路で、毘沙門天で折り返し、料亭街の石畳を急ぎ足で通り抜け、行き止まりのような細い道を抜けて白銀公園で休憩。
赤城神社を越えて象の滑り台の公園を通り、神楽坂を逆に戻って光照寺へ。ここで全員が奇しくも合流。今度は一団となって袖摺坂を上り、矢来能楽堂を眺めて牛込中央通りを南下。大日本印刷の歩道を通り、自衛隊市ヶ谷駐屯地の犬の壁画を横目に見て、市ヶ谷八幡宮へ。JRから見える急階段を恐る恐る下り、外堀通りを市ヶ谷田町で左折。グニャグニャと坂を登って逢坂を下り、新見附橋を渡って外濠公園へ。ABC各グループ入り乱れて到着し体操して解散した。=約10㌔=

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1999年04月12日

四百字随想その43

四百字随想その43
1.私の挑戦
(一九九九.四.五)=自分=
 ウォーキングを始めて一年半になる。最初の三ヶ月、健康センターで基礎を学んだ。歩くことに疑問を持っていた従来の私から想像もつかないが、歩くことが生きることの基本であることを知った私は昨年一月「ウォーキングクラブGNP」を結成した。毎週土曜日、みんなで歩くことにした。一年間で五十回、例会を持つことが出来た。約八十人の会員のうち毎回三十人から六十人ぐらい参加する。寒い季節、暑い季節、それに雨天であったり、強風であったりした日があった。何度か中止しようとしたが、それでも続けている。今年に入ってからも三ヶ月で十二回になる。はじめの頃の五㌔前後が今では十㌔を超えないと歩いた気がしない。「元気で(G)長生きして(N)ポックリと(P)」を合い言葉にことしも来年も再来年もポックリ逝くまで続けたい。大それたことに地球温暖化の防止と医療費負担の軽減に役立つウォーキング。これが現在の私の挑戦だ。 

2.PTA
(一九九九.四.一九)=文化=
私には三人の子供がいた。幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学、大学院とあって、十七回父兄の立場があった。入学式、卒業式にはほとんど出席した。PTAという組織にも加入し、家内はいろんな場面で役員にもなった。そのおかげで教師、教授にも会うことが出来、具体的な教育問題にも触れることが出来た。仕事が忙しいとか、閑がないとかという理由でPTAに実質的に参加しない人が多く、それでいて子供の教育の責任を学校に押しつけたり、学校を頼らずに塾に通わせ、それが子供の教育だと信じたりしている親が多いが、そういう親は教育の放棄をしている。親が信じない教師のいうことを子供が聞くわけがない。もちろん教師にふさわしくない教師もいることは事実だが、そういう教師を教育する場がある面ではPTAである。単なる資金援助機関と成り下がらない真剣なPTA活動に取り組むことが子供の教育には必要なことである。
   
3.米軍基地
(一九九九.五.一〇)=政治=
戦後半世紀を四年も超え、今なお、米軍基地が日本にあるということ、占領下と何ら変わらない治外法権地域が首都にあるということになっている。これは日米安保条約のなせる業であり、最近、極東有事の「極東」の概念についてかしましい議論が続いているが、アメリカから見れば極東とはただ一つ、日本そのものである。太平洋を挟んで隣同士のように見えるが、アメリカから見れば、大西洋を越え、ヨーロッパ、アジアを越え、その果てにある小さくて小生意気な国、それが日本である。日本を何が何でも押さえて置かなくてはならない。沖縄から北海道まで、米軍基地はいつでも極東有事に備えられるようになっている。日本にはまだこの基地を排除する力はない。万一、この力がついたとき、正にアメリカにとって極東有事である。そういう時代が来ないための保険のようなもの。それが米軍基地の存在であり、日米安保条約の役割だと私は考えている。 

4.新首長に望む
(一九九九.四.一二)=政治=
 私は青島幸男さんに一票を投じた一人である。青島さんには与党がなかった。しかしたった一人の力でも都政が変わっていくものと信じたが、そうは行かなかった。それは青島さんが本気になって自分に投じた有権者を組織化しなかったことにある。一七〇万票のプレッシャーを作り、今回、青島党を結成し、自らも首長選挙に立ち、同時に議員選挙に同志を立てはっきりした与党を作るべきであった。政治とはそういう回りくどい年月を経て一つの方向が見えてくるのではなかろうか。今回、青島さんは選挙に出なかったが、青島さんは一体だれを自分の後継者だと思ったのだろうか。その上、青島さんの後継を名乗る立候補者もいなかった。それでいてほとんどの皆さんが、無所属となり、いわゆる無党派に迎合した。新首長さんに望む。旗幟を鮮明にしていただきたい。与党がなければ与党を作っていただきたい。一票を投じた有権者を組織化していただきたい。
(平成一一.四.一二東京新聞夕刊掲載)

Posted by taichiro at 09:34

1999年04月10日

64.ガスの科学館見学

今にも雨の降りそうな4月10日(土)午後1時、豊洲公園に集合したのはゲストも含めて46人。体操をした後、ガスの科学館目指して歩く。
この中では2班に分かれて館内見学。ガス器具の安全装置やガスの生成方法、冷熱実験、それに圧力のかけ方などの説明と実験を見せてもらった。最後に展望室に上がり東京湾、江東区などの遠景を楽しむ予定であったが、そのころには雨が降り始めよく見えなかった。
帰りは科学館のバスで豊洲駅まで送ってもらい、本日の例会は終了。残念ながら辰巳の森緑道公園の花見は中止した。=約3㌔=

Posted by taichiro at 14:01

1999年04月03日

63.飯田橋、四谷の花見

花曇りの4月3日(土)午後1時、飯田橋外濠公園に集合したのは何と66人。GNP例会での最多記録となった。多くの花見客でごった返す外濠公園では体操もままならず、M.Oさんの先導でそのまま出発。市ヶ谷駅前から四谷駅前まで満開の桜の下を若葉東公園まで闊歩。ここで休憩。
Cグループは解散。その後千日坂、青山1丁目と赤坂東宮御所の周囲を歩き、サントリー美術館前で解散。=約8㌔=

Posted by taichiro at 13:58