1998年10月30日

◎第42回【新宿南口・副都心】

 10月31日(土)は、新宿南口から西口にかけての副都心巡り。当日は快晴。午後1時、新宿新南口に集合し、雑踏極める新南口を早々に引き揚げ、タカシマヤタイムズスクエアを通り、小さな公園に到着。久しぶりに参加したU先生の指導のもとストレッチ体操をしたあと、甲州街道を跨ぐ橋を渡り、西口駅前の雑踏をかき分け青梅街道まで直進。そこから左折して、今度は安田ビル、野村ビルなどの高層ビルをかき分け、新宿中央公園で休憩。中央公園から十二社通り、山手通りを越えて東京オペラシティーに到着。新国立劇場とともにその威容に感嘆。その後、甲州街道を通り、途中で左折、都庁へ向かい、都庁45階展望室で解散した。(参加者40名。約7㎞)

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1998年10月24日

◎第41B回【八丁池踊り子歩道吟行紀】

 10月24日早朝7時、参加予定20名全員東京駅集合。こだま東京出発、三島経由修善寺定刻着でウォーキングクラブGNP初めての1泊2日延べ33km山路歩き始まる。初日曇り時々雨のハンディを天が与えたので、計画の2日目分を河津七滝から逆に上がることで決行。25日は、快晴の中、若者が驚く中級ハイキングコースを一団となって助け助けられながらチームワークよろしくなごやかに達成でき、万年アンカーマンの僕は十分すぎる大満足感を味わった。素晴らしい仲間友達との一期一会。スナップを撮ったつもりで15連句で綴り、五十路六十路(失礼、四十路の方も居られました)の花も実もある我等が益々幸多かれと祈念して詠み、報告とする。(T.H記)(参加者20名。約25㎞)

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◎第41A回【永代橋中央大橋めぐり】

 10月24日(土)の第41回は2派に分かれて実施。残留組はウォーキング12週間の第7回に合流。小雨降る中で決行され、健康センターでストレッチをしてから出発。まもなく雨が強くなり、傘を差したり閉じたりしながらの行軍だった。途中、雨模様の隅田川風情を満喫し、無事、解散地点の越中島プールに到着。(Y.U記)(出席者10名。約8㎞)

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1998年10月17日

◎第40回【文京、歴史と文化の道】

 10月17日(土)は台風襲来前の雨の中、午後2時、JRお茶の水聖橋口に27名集合。雨なので直接、文京シビックセンターへ向かう予定で出発。聖橋を渡って階段を下りたところで、せめて湯島聖堂へと正門から入る。境内では書画や太極拳をしている方々を拝見し、脇から出ると目と鼻の先が工事中の神田明神。ついでに神田明神も通り、清水坂下へ。ここまで来たのだからと右折して、だらだらと長い清水坂を上がって、これまた工事中の湯島天神へお参り。裏手の急な石段を降りて春日通へ。雨足が強くなりそうな気配にやっと、一路、文京シビックセンターへ。25階の展望台に上がって、小雨に煙る後楽園遊園地や小石川植物園などを眺め、解散。そのあと、ケーキと飲物を楽しんだ方もいた。傘、合羽での雨中行軍、なかなか大変だった。(参加者27名。歩行距離約3㎞)

Posted by taichiro at 11:30

1998年10月10日

◎第39回【江東マリンウォーク】

 10月10日(土)、体育の日、第39回は「江東マリンウォーキング」に38名が参加した。江東区スポーツ会館に集合し、江東区スポーツフェアの開会式に出席。区長挨拶、ラジオ体操第一、そして明治小学校のマーチングバンドを見て、聞いて出発。Aコースは速さに応じて4班に分かれ、我々は、1~3班に入ってスポーツ会館を後にした。横十間川親水公園を経て健康センターで休憩。暁橋を越えたところで先頭グループを見ると、GNPの旗を先頭にほぼ全員がGNP会員だった。辰巳海浜公園から夢の島マリーナまでウォーキング。夢の島マリンフェスティバル会場で、一応、解散したが、ほとんどが、遊覧船乗船クルーズに参加。辰巳からレインボーブリッジを回り、午後2時過ぎに夢の島に戻った。マリーナ会場では、マリーナを中心会場として、マリンスポーツ、レクリエーションが開催されており、それぞれ楽しんだ。(Y.U記) (参加者38名。約6㎞)

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1998年10月05日

四百字随想その37

1.星  空
(一九九八.九.二八)=自分=
 今から何年前であったろうか。ある月蝕の日、草津から中軽井沢に抜ける山間の道で味わった星空、それは満天下にこうこうと輝く星ばかりの空であった。それこそ「星の数ほどある」と形容されることを現実の光景として眺めた。都会に住んでいると、どんなに快晴の日であっても星は回りの明るさに幻惑されて数えるほどしか見えない。たぶん一等星と言われるものか、よくて二等星ぐらいが見えるのが関の山であろう。それが山の端の隅々まで行き渡るように澄み切った空から見える星の数々。その光は何千年、何万年かかって我が地球に届いている。その事実、生きている自分の小ささと宇宙の広大な広がりとの対比に戦きひれ伏したいような衝動に駆られた覚えがある。この光景を家族全員で眺めた。確かその時、娘は小学校にも上がっていなかったが、二五になる今「星空」と聞いて、「お父さん、あれしかないね」というほど鮮明な印象として残っていた。

2.食品関係の包装
(一九九八.一〇.一二)=経済=
 小さなことであるが、砂糖の小袋がある。喫茶店に入って最近ではほとんど砂糖壺は見当たらず、小袋になっている。一定の量になっているため、好みによって残されることが多いが、残ったものはほとんど捨てられてしまう。 紙は結構上等であるが、これも捨てられてしまう。スプーンですくって入れている限りそういうことは起こらない。今では角砂糖さえ消費量が減ったと聞いている。汚い、非衛生的という名目、それに後始末が要らないという僅かなメリットで最近では家庭でも使われている。弁当も今では家庭で作るものではなく、コンビニで売っているものになってきた。そのおかげで弁当箱はその都度捨てる存在になった。資源の無駄遣いを食品の包装はしている。こういうことで成り立っている経済成長が果たして正しいのであろうか。見せかけの経済成長が食品の包装一つにも表れているが、どういうわけか、中元、歳暮では包装を競い合っている。

3.専業主婦論
(一九九八.一〇.二六)=社会=
わが妻は専業主婦である。主婦の仕事ほど弾力的で切りのないものはないとつくづく思う。場合によっては何もしなくてもいい。やり始めると終わりがない。最近、両方とも万歩計をつけているが、家の中にだけ居ると、こちらは千歩足らずだが、妻はだいたい五千歩を超える。炊事、洗濯、掃除などなど、一日ほとんど動き回っている。こちらは机の前にいるかテレビを見ているか、寝転がっているか、そんなところである。昔、何かで聞いたことがあるが、平和産業とは、この主婦の仕事を取り上げてしまうことで成り立つとのことである。冷蔵庫、炊飯器、湯沸かし器、風呂、トイレ、それにお総菜からご飯まで買うことが出来、レトルト食品、洋服から下着までほとんど主婦の仕事を取り上げたものである。そして出来た余暇をテレビだ、レジャーだ、美容だ、ダイエットだなどといって産業が出来る。これを経済成長というようだが、どこか狂ってはいないか。

4.生涯学習
(一九九八.一〇.五)=文化=
 現在、江東区では「自悠大学」という講座があり、半年間、週二回ないし三回バラエティーに富んだ講義が行われている。私も参加しているが、ここでは最低年齢である。九〇歳を超えた方も数人おられ、最新の知識を吸収している。校歌もあり、入学式、卒業式では元気にみんなで歌う。積極的に生涯学習を続けている一例であるが、場合によっては時間つぶしの一つになってはいないか。学習という意味が受け身の形で行われるとき、知識の吸収には役に立つが、智恵の発露に結びつかない。学習という意味では生活の繰り返しの中で、智恵が生まれる。どんな小さなことでも自分で工夫する。その工夫の中で智恵が生まれる。私の考える生涯学習はそんな生活の知恵を繰り返しながら発揮する過程だと信じている。そういう意味では単に歩くことでも意識を集中して工夫を加えると繰り返しているうちに上達してくる。今、私の生涯学習は歩くことに置いている。

Posted by taichiro at 09:29

1998年10月03日

◎第38回【目黒林試の森公園】

 第38回は目黒・林試の森公園コース。10月3日(土)、晴天の下、午後1時集合。集合場所の日比谷公園大噴水前は「国際協力フェスティバル」の真っ最中。急遽、林の中に変更した。久しぶりに見えたUさん指導で体操し、日比谷公園を出発。日比谷通りをひたすら歩き、芝公園の中にある小高い芝丸山古墳で休憩。地下鉄南北線工事中の桜田通りを慶応大学を越えて右折、清正公前から目黒通りに入った。国立自然教育園前で小休止。今にも降りだしそうな天気に足を速め、目黒不動尊に参拝、すぐ林試の森公園・出合いの広場へ到着。体操して解散。13キロ近く歩いたが、ほとんどの方は疲れた様子もなく、9ヶ月の成果が出てきたようだった。(参加者37名。約11㎞)

Posted by taichiro at 11:24