1998年07月25日

◎第29回【等々力渓谷】

 7月25日(土)は「等々力渓谷を歩こう」ということで、早朝の雨にもめげず、九品仏浄真寺に、37名が集合。10時までに境内の九体の仏様やサギソウ園を見学し、Uさんのリードで体操して出発。瀟洒な邸宅を横目にして歩き、等々力駅を越えて、ゴルフ橋から急な螺旋階段を下りて、等々力渓谷に入った。「急がないで!足の裏全面を地に付けて!」とお互いに声を掛け合って、渓谷の濡れて滑りそうな道を歩く。不動滝から石段を登り、等々力不動境内で休憩。今度は一般道に出て大塚古墳の小高い墳墓を見て、五島美術館へ。解散後、有志28名が入館し、五島氏が収集した国宝級の壺と広い庭園を見学した。等々力から東京駅まで1時間余り、200円の都バスの旅をした人も。(参加者37名。約5㎞)

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1998年07月19日

◎第28回【隅田・小名木・大横川】

 7月19日(土)は「隅田川、小名木川、大横川の水辺の散歩道」を歩く会。午前10時、木場公園の木場ミドリアム前に集合。Uさんのリードで体操して出発。葛西橋通りを通り永代橋から佐賀町側の隅田川テラスへ。万年橋を渡ってまたテラスを歩き、新大橋の手前で休憩。新大橋通りに出て右に折れて万年橋北で左折。高橋から小名木川水辺の散歩道を通り、扇橋から大横川水辺の散歩道へ。大栄橋から木場公園へ戻り体操して解散。久しぶりの勝手知ったる江東区という訳でか、各自、自由にショートカットし、ちゃんとコース通り歩いた第1グループが最後に到着した。歩き始めにパラパラッと小雨が降ったが、あとは大丈夫だった。(参加者38名。約9㎞)

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1998年07月17日

◎第27回【仙台堀川、堅川】

 7月11日(土)は梅雨前線の南下で少し過ごしやすくなり、午前10時、江東区役所前の木立の中に集合。井住橋から横十間川ぞいに仙台堀川公園に入り、小名木川べりを右に番所橋を渡ったグループ、左に丸八橋を渡ったグループ、それぞれ、堅川河川敷公園に入って休憩。高速道路の下の日陰を歩いて、横十間川親水公園に出て本村橋から猿江公園に入って解散。一方、堅川河川敷まで出ずに、途中ショートカットして萩橋で解散したグループもあった。(参加者26名。約9㎞)


番外 越後湯沢里山歩き
 7月17日(金)は、雨の中、午前7時49分に上越新幹線東京駅を出るときは、ずぶ濡れ覚悟だったが、トンネルを出ると湯沢は「快晴」。明るい日差しに歓声。宮下先生主催の講座「里山あるき」の最終回に5名が参加し、ガーラ湯沢からゴンドラに乗って標高800mへ。エーデルワイスコースからGALA峠。そこから高低差150mの急なゲレンデを登って標高1,200mの高津倉山頂で昼食。今度はその急坂をジグザグで下降。いろんな野草を見ながらスキーコースを下り、途中から林に入り、立ち並ブナの大木に圧倒されて休憩。ゴンドラ山頂駅から下り、温泉で汗を流し、さっぱりして帰京した。(参加者5名。約15㎞)

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1998年07月08日

四百字随想その34

1.後継者問題
(一九九八.七.一)=社会=
 個人であろうと法人であろうともあらゆる組織で「後継者」は重要な問題である。組織のトップに立った瞬間、本来は後継者の育成を図らなければならないはずだが、実際にはそんなことを考えず、自分の栄達だけを目指し、少しでもその期間を延ばそうとしている。にっちもさっちも行かなくなって自分の足腰が立たなくなってから後継者を捜そうとしても、そうは問屋が卸さない。場合によってはその座にしがみつき、引きずり降ろされるまで分かっていないこともある。これは個人でも言えることで、親子の絆が薄れてしまい、一代限りで事業が終わり、子供は全然別の仕事をしていても親が平気でいる。つまり家業という概念がいつの間にか希薄になってしまい、本当の意味で「後継者」を考えず、刹那的に間際になって探してもうまく行かないのは当たり前である。後継者問題は日頃から意識すべきなのに、間際になって騒ぐことが最大の問題点である。 

2.水の恵み
(一九九八.七.一五)=社会=
 宇宙全体の中で水のある星が地球以外にあるのかないのか、私には分からないが、生物が存在しうる条件の中に水は絶対条件だ。現にあらゆる生物は水を含み、水がないと生きていけない。水の生態を考えると科学的な根拠はいざ知らず、絶対量にはさほど変化がなく、気体か、液体か、固体かであって、気温による変化である。問題は液体である水がそのままであればいいのだが、実際には他のものと混じってしまう。これが有用なものであればいいのだが、そうでないと汚染されたことになる。汚染された水は飲めなくなる。日本という国はもともと水に恵まれ、そのまま自然のものを飲んでも差し支えなかったが、そうは行かなくなった。勝手に汚し、その水をきれいにするためにお金をかけることになって高価なものになってくる。そうなると経済成長が起こる。不思議な現象だ。ただで美味しい自然の水が使える状態、水の恵みを素直に感じる環境を求めたい。

3.遺伝子組み替え食品
(一九九八.八.四)=社会=
 あらゆる動物は生きていくために、生きているものを食べなくてはならない。本来は弱肉強食の摂理の中で食物を求めている。人間も本質的には同列である。ただ人間はいつの間にか食べ物を育てて、それを食糧にすることを知った。育てることが文化である。いろんな条件の中で、より多く、よりいいものを作ることを開発し、実現させてきた。今行き着いた先、それが遺伝子組み替えである。あらゆる生物が生殖を通じて増加し改良が加えられたものが、全く新たな方式で食品になる生物が作られることになった。その結果がどうなるか。今、本質的には分かっていない。そういう風に出来た生物がこれからどういう具合に変化するのか、未知数である。未知のものに対する謙虚さが必要である。と同時に生き物に対する思いやりと自然との調和がどうなるか、そういう哲学の必要性がある。非科学的かも知れないが、大きな禍が人間に降りかかるような気がする。

4.世代間の断絶
(一九九八.七.八)=社会=
 いつの世でも「近頃の若い者は……」という言葉が発せられ、世代間の断絶が云々されるが、現在も同じであろうか。私の感じでは現在の責任ある地位についている人たちの無節操さ、無責任さが目につき、「近頃の年寄りたちは……」と言った方が適切な気がする。自分自身もその世代に所属し、実際には忸怩たるものがあるが、私の場合、むしろ同世代に対する断絶感がある。たとえばほとんどの会社が三月決算になり、しかも株主総会を同じ日時に轡を並べたように実施している。これは総会屋対策だとのことであるが、事なかれ主義の最たるものであり、株主軽視の表れである。そういうことを平気で責任のあるものがやっていて、違う世代のことを云々することは出来ない。むしろ、こういう世代とは断絶してこそ若い世代の存在意義があり、彼らのアイデンティティーを尊重したいのだが、どうも若い世代にもそういう大人に迎合しようとしているのが悲しい。
(平成一〇.七.八東京新聞夕刊掲載)

Posted by taichiro at 09:26

1998年07月04日

◎第26回【潮風公園でバーベキュー】

 第26回は「潮風公園でバーベキュー」。7月4日(土)午前10時、この日、東京は真夏日。炎天下の中にも関わらず、潮風公園バーベキュー広場に参集された会員は32名。U先生はご夫妻で参加された。1月10日に発足して以来、雪道で中止した1月17日以外はどういう訳か天候に恵まれ、毎週実施することが出来、無事半年を経過できたことを記念して、バーベキュー大会を開いたもの。歩く方は会場からお台場海浜公園へ。途中、自由の女神が鎮座する場所で記念撮影、浜辺では水着姿の若者が自由にたむろしているのを、横目でうらやましく眺め、突き当りまで歩く。帰りは車道に沿って歩道を歩いたが、照り返しの強さに辟易して途中から松林へ入り込み、木陰を求めながら歩き、会場へ帰った。約5キロ。今までのうち最短の距離であったが、噴き出した汗の量は最高であった。11時過ぎ、いよいよ大会の開始だ。会員の方々の協力で、お肉類、野菜類、飲物類が持ち込まれ、そのほか炭や手袋、それにイカ、エビなどが有志から差し入れられ、炭火コンロなど4基のグリル、テーブル、包丁、まな板などをレンタル。各自が持参した敷物を敷き、準備万端整ったところで、まず火付け、これがなかなか日常ではやりつけていないので大変だったが、多士済々の我がメンバー、たちまち近くの小枝を集め、難なく火がつき、あとは料理。焼き肉に野菜焼き、それに焼きそば、イカにエビ、野趣豊なものが出来、ビールで乾杯、童心に帰ったような気持ちで舌鼓を打った。ただあまりの暑さにうだるような感覚、長居をすると人間バーベキューの出来上がりでは洒落にもならないので、13時30分、Uさんの発案で小中大の手拍子で中締め。後片付けも手際よく、無事解散した。なお、4月から6月までの3ヶ月間、皆勤された方は、S.KさんとS.Yさんのお二人であった。(参加者32名。約5㎞)

Posted by taichiro at 16:17