2018年01月20日

◎第1002回[4つの芭蕉像と冨嶽三十六景の地をめぐる千住散歩]

30年1月20日(土)午前10時 =約8.5㌔=
JR北千住駅南改札外(受付10:00~)(集合)→千住街の駅→学びピア21(芭蕉像その1)→勝専寺→千住神社→冨嶽三十六景(隅田川関屋の里)→矢立初の芭蕉像(芭蕉像その2)→冨嶽三十六景(従千住花街眺望の不二)→素戔嗚神社(休憩)→荒川ふるさと文化館(芭蕉像その3)→都電荒川線三ノ輪橋停留所→延命寺・小塚原刑場跡→松尾芭蕉像(芭蕉像その4)→南千住駅(解散)
素戔嗚神社IMG_7435.JPG

 出席40人。素戔嗚神社・天王社の大銀杏脇に置かれた松尾芭蕉が掛けたという設定の道中笠と杖=写真の右下=。一説にはどこかでお昼寝の最中とのこと。そばに立っていた説明板には、次のような文が・・・。

「こんにちは 松尾芭蕉です。
深川を出て、いま千住に着きました。いよいよ前途三千里(奥の細道)へ出発するのですが、最初の一歩がなかなか出せない問題があります。(千住大橋)南詰・北詰。どちらから出発したらいいものか?  些細なことのようですが後世の両岸にとっては矢立初めの地として本家争い・論争の種にもなりかねない問題なのです。
現実的なことでは川の通行の右左・宿場の大小、などですが、詩情豊かな紀行文です。旅は(他の火)で、川は生と死の境界、その向こう岸(彼岸)へ旅立つ訳ですから・・・。
~~わたくし松尾芭蕉、悩み疲れました。~~
少し落ち着きたいと思います。丁度この地には、下野(しもつけ)大関様の下屋敷もあり、旅立ちのご挨拶を兼ね、花のお江戸との御別れの宴でも・・・。
では、七日間ほど逗留することにします、お籠りも兼ねて。
この間、道中笠と杖は使いませんので、ここに掛けておきます。
修験出羽三山とも御縁の深いお天王様ご参拝のこれまた御縁。宜しかったら、かぶってみてください。
元禄2年(1689)弥生も末の七日の私:松尾芭蕉が何処に立っていたか、(千住大橋)手前の南詰か?向こう北詰か? ぼんやりと春がすみの中から見えてきませんか。」

 「学びピア21の芭蕉座像」「足立市場前の矢立て始め」「荒川ふるさと文化館の芭蕉師弟像」を巡り、「南千住駅前の芭蕉立像」で四つの芭蕉像を巡って解散。

Posted by taichiro at 2018年01月20日 22:14