2000年04月17日

四百字随想その54

1.雪の宿
(二〇〇〇.三.二七)=自分=
 雪はすべてのものを覆い隠す。緑も黄土も、その上、人の心まで隠してしまう。純白の美しさ、たとえその下に廃墟があろうと戦場があろうと太陽にきらめく雪は清楚で眩しい。昭和二十年の冬、中国東北地方、当時満州といわれた場所に孤児として私は存在していた。十歳であった。物心はついていたはずだが、どういう形で生活していたのか、皆目思い出せない。思い出せるのは戦闘である。人の殺し合い、それは大砲であり、機関銃であり、小銃であり、剣であった。目の前に人の生死があった。それがたまたま自分でなかっただけである。何の力もなく抵抗のしようもないのだが、不思議なことに恐怖心はなかった。建物が一瞬のうちに吹っ飛び、赤い血が流れる。ところが一晩経つと雪がすべてを覆い隠し、何事もないように純白の世界に戻ってしまう。そしてうごめくもの、それが生きている証拠であった。凍傷など何の気にもならない私の雪の宿であった。

2.教育改革
(二〇〇〇.四.三)=文化=
 教育の問題はだれでも口に出しやすい。ところが口を出す人間は常に過去の教育を受けた連中である。そういう教育を受けていながらさも自分だけはそういう改革を必要とする教育に影響を受けず、他の人間は教育によって多大な影響を受けてしまうようなことをいう。受験のための勉強、道徳教育、納税義務、大学のあり方等々。すべて自分が受けたものを否定する考え方から成り立ち、それでいて教育の影響力を云々している。不思議な現象である。私自身、教育によって何が変えられたか。何を得たか。素直に考えると読み書き算しかない。社会だ、理科だ、英語だ、体育だ、家庭だ、道徳だ、と言ってみたところで、結果的に会得したことはすべて自分の読み書き算の力でひも解いて自分で確かめた結果である。いいことでも悪いことでも読める力、自分の考えを表現する力、そして計算できる力。この力を百パーセントつけることだけを教育の原点としていただきたい。
(平成一二.四.三東京新聞夕刊掲載)

3.ピンク
(二〇〇〇.四.一〇)=季節=
 陽春四月、桜が似合っている。華やかで美しく力強い。その上、どういうものか、うきうきしてくる。何もかも忘れて花見酒で狂いたくなる。散ることは分かっていてもその瞬間、陽気に騒ぎたくなる。それは真っ赤な花でもなく、黄色い花でもなく、紫でもないから似合ってくる。桜色、言葉を変えればピンクである。枯れ木のような桜の木にいきなり花がついてしかも華やかなピンク。五日間はどんなに風が吹こうが嵐になろうが枝にしがみつき、花びらは散らない。ただし五日を過ぎるとすべて散っていく。散った後に初めて芽吹く緑葉。日本でピンクが流行るのはこの桜を愛する国民性ではなかろうか。憂さ晴らしに近い現象であるが、活力の源泉にはなる。ピンクには一方悪いイメージもある。ピンク産業とか、ピンク映画だとか言われる現象だが、それでも赤の過激さ、青の物悲しさ、そういうものに比べると平和なイメージがある。私はピンクは嫌いではない。

4.ランドセル
(二〇〇〇.四.一七)=社会=
 日本語としてすっかり定着してしまっている「ランドセル」。実はオランダ語でリュックザックと同義であるそうだ。しかし、ランドセルはもう小学新入生の代名詞のようなもので、私は孫の入学祝には絶対に出すことにして、権利を確保している。今までに二個、これからも最低二個は贈れそうだ。ところがこのランドセル、だんだん高学年になると人気がなくなり、六年生になるとほとんど別のものになり、中学生になると完全に消えるようだ。しかし、このランドセルがリュックと同じものだとすれば、これほど便利なカバンはない。まず両手が空けられること。それに均等に肩に重さがかかること。この二つで歩行という人間特有の行動が妨げられなくなる。私は今、ウォーキング愛好者になっているが、普通の場合でもリュック型のカバンにしている。このカバン、だんだん追い求めていくと限りなくランドセルに近づく。大人のランドセルを作っていただきたい。

Posted by taichiro at 2000年04月17日 09:47