1999年08月23日

四百字随想その47

1.地域社会
(一九九九.八.二)=社会=
 戦後、もっとも希薄になったもの、それは地域社会の存在かも知れない。特に都会の場合、隣近所のことすら知らなくとも生活できる環境になっている。この原因の一つにプライバシーの問題がある。何か話題になるとプライバシーの侵害。もっとも無難な生活態度は地域社会のことには耳をふさぐことになっている。誰かが困っていても知らない顔、人の子がいじめられていても知らない顔、人の喜び、悲しみ、怒り、楽しみに干渉しない。それが人に迷惑をかけない望ましい態度ということになる。つまり「迷惑をかけないで人を助けない」ということであろうか。人間は人に迷惑をかけなければ生きていけない動物である。迷惑をかけないことが美徳ではなく、迷惑をかけることに対する感謝の気持が美徳である。私は今、都会の中でも一番地域社会に対する無関心の多い団地に住んでいるが、その中で、少しでもお節介をしながら、地域社会に関心を持ち続けたい。

2.日本の民族大移動
(一九九九.八.九)=社会=
 先日、娘が夏休み、長崎に遊びに行くということでチケット屋に航空券を探しに行った。流石に大繁盛。割引率も低く、航空券そのものが往復では取れなかった。片道だけ取れて、帰りは福岡からとなった。いずれにしても夏期の民族大移動が影響している。ただこの大移動、我々の頃より中身が変わってきているようだ。我々の頃は故郷に帰ることが目的であったようだが、いつの間にか故郷にはほとんど老親がいなくなり、我々のような根無し草には帰るところがなく、単に遊ぶため、避暑のための動きが多くなり、海外旅行も増えている。こういう意味の動きは中国でもあり、ヨーロッパでもあり、別に不思議なことではない。ただ日本の場合、意外に期間が短く、個人で考えると一週間ぐらいしかない。出来ればこの期間が一ヶ月ぐらいになり、本当の意味のバカンスを楽しむようになれると幸せだ。もっとも私は毎週あちこちを歩き、バカンスを楽しんでいる。

3.厚底サンダル
(一九九九.八.一七)=社会=
電車に乗っていると、この厚底サンダル、よく目立つ。底上げが十五センチを超えるものもあるようだ。座っているとき、それに立っているとき、結構様になっている。ところが歩いている様は危なっかしくて見ていられない。本人もたぶん歩きにくいのではなかろうか。何かで聞いたが、たいていの人が一度や二度、転んだことがあるそうだ。
昔の花魁もこれに似た高下駄でしゃなりしゃなりと歩いたようだが、必ずお付きのものがいて、手を取ってくれていたように思う。
自分の背丈を大きくする手段の一つであろうが、そのために活発さが失われ、歩き方もよくない。私から見るとスニーカーで闊歩する姿の方が魅力的である。
たぶん一時的な流行で終わるものと思うが、揚げ底で飾り立てることの無意味さを認識し、足の形が悪くなり、しかも腰に負担のかかる厚底サンダルが若い女性のためになくなることを期待している。

4.企業献金
(一九九九.八.二三)=政治=
 政治にとって、政治献金は絶対に必要なものである。ところがどういうものか、政治献金をしたものが政治献金をしたことを隠したがり、政治献金を受けたものも隠すことが多い。ただし、隠していた収入が見つかると今度は献金を受けたと抗弁することがある。日本人は政治に対して、結構ああだこうだと言うことが多いが、だれを支持したのか、だれに政治献金をしているか、はっきりしない。ところが企業の政治献金は、闇の場合はいざ知らず、意外にはっきりした形で公表されていることが多い。企業は、利益を追求することを目的としている存在で、自己の利益のために政治献金をすることは、企業にとって正しいが、それでは政治が公共の利益を追求することには反してくる。このジレンマを果たして解決できるのだろうか。本当の意味で、これから国民が政治意識を持ち、自分の支持を鮮明にすることに誇りを持ち、政治献金を個人で堂々と出来る環境が必要である。
(平成一一、八、二三東京新聞夕刊掲載)  

Posted by taichiro at 1999年08月23日 09:38