1999年07月26日

四百字随想その46

1.贈り物もらい物
(一九九九.七.五)=季節=
 私は中元、お歳暮を贈ることにしている。ただし、中元には一年間、毎週書いたこの発言の原稿をまとめて「四百字随想」と称して知人や友人に送っている。とうとう今年は第四集になった。書いたのはもちろん自分であるが、編集から印刷、製本、発送まですべて手作りである。ささやかなものであるが、気持としては最大限のものと自負している。お歳暮には「カレンダー」を送っている。これは印刷会社に発注しているが、独自のものとして簡素で使い勝手のあるものにしている。同じもので、その年、その年に違うもの、これは送り始めて五年になるが、いつの間にかフアンもでき、辞められない歳暮である。私の場合、贈り物をするということは自分のアイデンティティーの発露をする場と心得、同時に相手に対する感謝の念を込めているつもりである。義務的なものでもなく、儀礼的なものでもない。もらい物の場合も毎年、同じものが来ることがうれしい。

2.高校野球
(一九九九.七.一二)=社会=
 私が高校野球を初めて見たのはいつのことだろう。当時、関西に住んでいたが、今は亡き父の母校、小倉高校が三連覇を達成するかどうかの甲子園に父が連れていってくれたときだ。確かピッチャーは福島。優勝して校歌が歌われたとき、父の目に涙がたまっていたのを不思議な感覚で眺めたのを鮮明に覚えている。成人してからも職場が西宮にあった期間が四年近くあったため、高校野球はよく見た。その上、関東に来てからもどういう訳か因縁のある高校が優勝する。習志野高校の時は津田沼に住んでいた。堀越学園が優勝したときは学校から五分ぐらいの場所に住まいがあった。桐蔭高校に栄冠が輝いた時は地元に職場があり、いろいろ接触した覚えがある。そして、最後の職場となった板橋では帝京高校。そのたびに熱狂したのが自分だったような気がしているが、これは初めて見た父の涙がいつまでも持続して、熱くなる快感を追求しているのかもしれない。
 

3.私の避暑法
(一九九九.七.一九)=季節=
夏、東京を離れなくなって、三年になる。つまり、私の避暑地は東京である。夏、東京は暑いようであるが、案外涼しい。ことに人々が少なくなるお盆のシーズン、東京は車が少なくなり、ビルの冷房も少なくなるせいか、日中、町中を歩いていても暑くない。日差しの強さはなるべく避けるようにはしているが、歩くことにはスピードを落とさずに、汗をいっぱいかくことにしている。その汗を我が家の風呂とシャワーで落とし、昼寝をする。睡眠をよくとると体はいつも元気である。食欲も十分ある。今年は地元に墓地も作った。お盆らしきこともこの東京で出来そうだ。暑いとき、思いっきり暑さに浸りきること。これが私の避暑法である。暑さに負けない体力を付けること。これは暑いときにしかできない。難しいことをしているわけではない。ただ思いっきり歩く。楽しく愉快にそして豊かに。こんな簡単なことで、この東京で、暑さを乗り切ってみるつもりである。

4.花  火
(一九九九.七.二六)=季節=
花火。見ていると気持がいい。音とともに期待していた以上に開く花火の華麗さ。驚き、そういうものに我を忘れる境地。いくつになっても没頭できる。ところが終わった後の空しさ。夜空が黒ければ黒いほど先ほどまで描かれた光の競演がいったい何であったか、考え込んでしまう。今住んでいる東京の近辺だけでも花火大会は毎週実施されている。家にいても音が聞こえてくる。屋上近くまで行くと花火が見える。気持だけでいうと楽しい。しかし、そこで失われていくもの。いったい、何か得られたものがあるのかどうか。確かに私自身、何も失わずにただ喜んでいればいいが、実際には作る人もいれば実行する方もいればお金を出す人もいる。目に見えて、そして瞬く間に消えていくものに熱狂してそして満足する。残るものは燃えかすとゴミの山。人間が空しいものに挑戦して、そして満足して、また同じことをする生き物であることを花火は象徴しているようだ。

Posted by taichiro at 1999年07月26日 09:37