1999年04月12日

四百字随想その43

四百字随想その43
1.私の挑戦
(一九九九.四.五)=自分=
 ウォーキングを始めて一年半になる。最初の三ヶ月、健康センターで基礎を学んだ。歩くことに疑問を持っていた従来の私から想像もつかないが、歩くことが生きることの基本であることを知った私は昨年一月「ウォーキングクラブGNP」を結成した。毎週土曜日、みんなで歩くことにした。一年間で五十回、例会を持つことが出来た。約八十人の会員のうち毎回三十人から六十人ぐらい参加する。寒い季節、暑い季節、それに雨天であったり、強風であったりした日があった。何度か中止しようとしたが、それでも続けている。今年に入ってからも三ヶ月で十二回になる。はじめの頃の五㌔前後が今では十㌔を超えないと歩いた気がしない。「元気で(G)長生きして(N)ポックリと(P)」を合い言葉にことしも来年も再来年もポックリ逝くまで続けたい。大それたことに地球温暖化の防止と医療費負担の軽減に役立つウォーキング。これが現在の私の挑戦だ。 

2.PTA
(一九九九.四.一九)=文化=
私には三人の子供がいた。幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学、大学院とあって、十七回父兄の立場があった。入学式、卒業式にはほとんど出席した。PTAという組織にも加入し、家内はいろんな場面で役員にもなった。そのおかげで教師、教授にも会うことが出来、具体的な教育問題にも触れることが出来た。仕事が忙しいとか、閑がないとかという理由でPTAに実質的に参加しない人が多く、それでいて子供の教育の責任を学校に押しつけたり、学校を頼らずに塾に通わせ、それが子供の教育だと信じたりしている親が多いが、そういう親は教育の放棄をしている。親が信じない教師のいうことを子供が聞くわけがない。もちろん教師にふさわしくない教師もいることは事実だが、そういう教師を教育する場がある面ではPTAである。単なる資金援助機関と成り下がらない真剣なPTA活動に取り組むことが子供の教育には必要なことである。
   
3.米軍基地
(一九九九.五.一〇)=政治=
戦後半世紀を四年も超え、今なお、米軍基地が日本にあるということ、占領下と何ら変わらない治外法権地域が首都にあるということになっている。これは日米安保条約のなせる業であり、最近、極東有事の「極東」の概念についてかしましい議論が続いているが、アメリカから見れば極東とはただ一つ、日本そのものである。太平洋を挟んで隣同士のように見えるが、アメリカから見れば、大西洋を越え、ヨーロッパ、アジアを越え、その果てにある小さくて小生意気な国、それが日本である。日本を何が何でも押さえて置かなくてはならない。沖縄から北海道まで、米軍基地はいつでも極東有事に備えられるようになっている。日本にはまだこの基地を排除する力はない。万一、この力がついたとき、正にアメリカにとって極東有事である。そういう時代が来ないための保険のようなもの。それが米軍基地の存在であり、日米安保条約の役割だと私は考えている。 

4.新首長に望む
(一九九九.四.一二)=政治=
 私は青島幸男さんに一票を投じた一人である。青島さんには与党がなかった。しかしたった一人の力でも都政が変わっていくものと信じたが、そうは行かなかった。それは青島さんが本気になって自分に投じた有権者を組織化しなかったことにある。一七〇万票のプレッシャーを作り、今回、青島党を結成し、自らも首長選挙に立ち、同時に議員選挙に同志を立てはっきりした与党を作るべきであった。政治とはそういう回りくどい年月を経て一つの方向が見えてくるのではなかろうか。今回、青島さんは選挙に出なかったが、青島さんは一体だれを自分の後継者だと思ったのだろうか。その上、青島さんの後継を名乗る立候補者もいなかった。それでいてほとんどの皆さんが、無所属となり、いわゆる無党派に迎合した。新首長さんに望む。旗幟を鮮明にしていただきたい。与党がなければ与党を作っていただきたい。一票を投じた有権者を組織化していただきたい。
(平成一一.四.一二東京新聞夕刊掲載)

Posted by taichiro at 1999年04月12日 09:34