1999年03月01日

四百字随想その41

1.若者の就職難
(一九九九.一.二五)=社会=
 私どもが若者といわれていた時代、公務員試験は五十倍ぐらいだった。大企業といわれる企業も四苦八苦、若者の面倒までみてくれなかった。そういう時代に比べれば、今の時代、本当の就職難といえるであろうか。本気でやる気さえあれば、何でも出来る。これはいやだ。こんな格好の悪いことは出来ない。給料が安すぎる。仕事がきつい。遊ぶ余裕がない。時間に拘束される。等々。こういうことを言って就職難とはなっていないだろうか。ただし、今までのような年功序列的な待遇や退職金制度は崩れていくような気がする。若者は自分の可能性を無限に追求していくような夢を持ってほしい。人間の生き方を真剣に考えて単に楽をしたいとか、金を儲けたいとか、そんな単純でない地球規模の人間の行動規範を確立するような意識を持って就職してもらいたい。どう考えても人間が生きていくためには協業が必要である。必ず君を必要とする働き場がある。   

2.携帯電話
(一九九九.二.八)=社会=
 携帯電話を持ち始めてもう何年になるだろうか。出始めであったので、六年ぐらいになる。その前はポケベルだった。ポケベルも役に立ったが、電話を探すのに往生した。私のように一人企業のようなものにとって、携帯電話は正に事務室の役をしてくれる。事務所にかかってきた電話はこちらが外に出ているときは転送で携帯電話にかかる。電話で済む用件はそれで終わり。後は自分が行動すればいいわけだ。いろんなところへの連絡は歩いていてもできる。それに近ごろパソコンに繋ぐことでメール通信もできる。間もなくメールの所有者が個人でも八割を越えるという予測がある。そういう時代になると、この携帯電話、情報交換の主役になる。マナーの問題が云々されているが、これは本気で使っている場合、自然に解消される。人間はそんなに誰にでも聞かせられる情報を持っているわけではない。むしろ、機密の保持をどう図るかが今後の問題である。 

3.サマータイム
(一九九九.二.一五)=季節=
サマータイム。懐かしい言葉だ。かつて二年か三年、経験した覚えがある。朝の出勤がなぜか眠たく、午後五時以降の時間がベラボーに長かった覚えがある。最近、お午とか、丑三つ時とか、子の刻とかという昔の時間の呼称に興味を持っているが、非常に合理的に出来ているような気がする。冬は夜が長く、夏は昼が長い。日の入りと日の出を基準に六等分する考え方、理に叶っている。時間の長さが異なるのはおかしいというが、昼と夜の長さが違うのだから当たり前だ。昨年末、赤穂浪士帰還の道ということで、両国から泉岳寺まで歩いたが、当時の記録によると二時間で歩いている。それを相当な速さで歩いてみたが、二時間半かかった。しかし、刻限に換算してみるとそんなに変わりはなかった。サマータイムの趣旨からすると刻限の考え方は非常にユニークで、理に叶っており、単に一時間、時間を早めるより、よほど勝っており、地球原理に基づいている。

4.チャイルドシート
(一九九九.三.一)=社会=
 私は運転が好きで、子供が小さい頃から車に乗せてよく運転したものだ。その頃、チャイルドシートなどはなく、妻が抱えて乗っているか、子供が少し大きくなってからは普通のシートに座っていた。一寸したブレーキを掛けるときでも助手席に座っている子供に左手を上げて支える癖がついていた。この癖、横に大人が乗っていても、つい発揮してしまい、横に女性を乗せたとき、ひんしゅくを買った覚えがある。今はシートベルトでしめることが義務づけられているので、そんなお節介をする必要がなくなったが、どうもシートベルトに未だに馴染めない。事故を起こして自分だけでも助かろうとしているような後ろめたさがあっていけない。チャイルドシートに子供を乗せて運転が荒っぽかったり、スピードを出したりするのでは本末転倒もいいところだ。とにかく車は一種の凶器だという前提で、必要最小限に使うようにするのが先決のように思うがどうだろう。
(平成一一.三.一東京新聞夕刊掲載)

Posted by taichiro at 1999年03月01日 09:33