1998年07月08日

四百字随想その34

1.後継者問題
(一九九八.七.一)=社会=
 個人であろうと法人であろうともあらゆる組織で「後継者」は重要な問題である。組織のトップに立った瞬間、本来は後継者の育成を図らなければならないはずだが、実際にはそんなことを考えず、自分の栄達だけを目指し、少しでもその期間を延ばそうとしている。にっちもさっちも行かなくなって自分の足腰が立たなくなってから後継者を捜そうとしても、そうは問屋が卸さない。場合によってはその座にしがみつき、引きずり降ろされるまで分かっていないこともある。これは個人でも言えることで、親子の絆が薄れてしまい、一代限りで事業が終わり、子供は全然別の仕事をしていても親が平気でいる。つまり家業という概念がいつの間にか希薄になってしまい、本当の意味で「後継者」を考えず、刹那的に間際になって探してもうまく行かないのは当たり前である。後継者問題は日頃から意識すべきなのに、間際になって騒ぐことが最大の問題点である。 

2.水の恵み
(一九九八.七.一五)=社会=
 宇宙全体の中で水のある星が地球以外にあるのかないのか、私には分からないが、生物が存在しうる条件の中に水は絶対条件だ。現にあらゆる生物は水を含み、水がないと生きていけない。水の生態を考えると科学的な根拠はいざ知らず、絶対量にはさほど変化がなく、気体か、液体か、固体かであって、気温による変化である。問題は液体である水がそのままであればいいのだが、実際には他のものと混じってしまう。これが有用なものであればいいのだが、そうでないと汚染されたことになる。汚染された水は飲めなくなる。日本という国はもともと水に恵まれ、そのまま自然のものを飲んでも差し支えなかったが、そうは行かなくなった。勝手に汚し、その水をきれいにするためにお金をかけることになって高価なものになってくる。そうなると経済成長が起こる。不思議な現象だ。ただで美味しい自然の水が使える状態、水の恵みを素直に感じる環境を求めたい。

3.遺伝子組み替え食品
(一九九八.八.四)=社会=
 あらゆる動物は生きていくために、生きているものを食べなくてはならない。本来は弱肉強食の摂理の中で食物を求めている。人間も本質的には同列である。ただ人間はいつの間にか食べ物を育てて、それを食糧にすることを知った。育てることが文化である。いろんな条件の中で、より多く、よりいいものを作ることを開発し、実現させてきた。今行き着いた先、それが遺伝子組み替えである。あらゆる生物が生殖を通じて増加し改良が加えられたものが、全く新たな方式で食品になる生物が作られることになった。その結果がどうなるか。今、本質的には分かっていない。そういう風に出来た生物がこれからどういう具合に変化するのか、未知数である。未知のものに対する謙虚さが必要である。と同時に生き物に対する思いやりと自然との調和がどうなるか、そういう哲学の必要性がある。非科学的かも知れないが、大きな禍が人間に降りかかるような気がする。

4.世代間の断絶
(一九九八.七.八)=社会=
 いつの世でも「近頃の若い者は……」という言葉が発せられ、世代間の断絶が云々されるが、現在も同じであろうか。私の感じでは現在の責任ある地位についている人たちの無節操さ、無責任さが目につき、「近頃の年寄りたちは……」と言った方が適切な気がする。自分自身もその世代に所属し、実際には忸怩たるものがあるが、私の場合、むしろ同世代に対する断絶感がある。たとえばほとんどの会社が三月決算になり、しかも株主総会を同じ日時に轡を並べたように実施している。これは総会屋対策だとのことであるが、事なかれ主義の最たるものであり、株主軽視の表れである。そういうことを平気で責任のあるものがやっていて、違う世代のことを云々することは出来ない。むしろ、こういう世代とは断絶してこそ若い世代の存在意義があり、彼らのアイデンティティーを尊重したいのだが、どうも若い世代にもそういう大人に迎合しようとしているのが悲しい。
(平成一〇.七.八東京新聞夕刊掲載)

Posted by taichiro at 1998年07月08日 09:26