1998年06月24日

四百字随想その33

1.日本の食糧自給
(一九九八.六.三)=経済=
食糧を自国で全て賄うことが出来ればそれに越したことはないが、必ずしもそれが正しいとは限らない。何故なら日本はだれが何といおうとも工業立国である。産業の素晴らしさは世界に負けないレベルに達している。そういう生産物を他国が必要としている以上、必然的に輸出によって経済は成り立っている。もちろん原料となる資源も限られているため輸入も必要である。しかし付加価値を付して輸出する以上、これだけでは常に貿易黒字になってしまう。バランスを全世界的に考慮し食糧は農業立国である他国に任せ、自給体制でなく、他給体制にすべきである。これからの全世界経済において自国の利益だけを追求する体制は捨てよう。完全な他給体制にする必要はないが、同時に完全な自給体制を是とするような考えも排除すべきだ。それぞれの国が自国の特色を活かし、他国の役に立ち、他国の持ち味はそのまま採用するような弾力的な国際関係が必要である。

2.若者言葉の乱れ
(一九九八.六.一〇)=文化=
言葉はもともと仲間意識の中で、仲間以外には通用しないように使う習性がある。ところがその仲間から外れたものがその言葉が分からないとか乱れているとかと抗議する野暮ったい現象が起こる。若者が普通の大人に分からない言葉や乱れている言葉を使うことはそれ自体が目的であり、普通の大人に分からないことでアイデンティティーが発揮されていることになる。分からない外国語を聞いて、日本語から見ると明らかに言葉は乱れているが、そんな発想は生まれない。つまり一見乱れた言葉を使う若者は使うこと自体に主張があると考えるべきだ。その中で普遍性のあるもの、普通の大人でも理解し、使わなくては語れないもの、そういう言葉が新しい言葉として存在意義を持ってくる。新語はそうやって生まれるものだ。乱れに目くじらを立てる大人の古色蒼然さにあきれることが多い。「ら抜き言葉」を云々するのが典型的な事例である。言葉は活きている。

3.たんす預金
(一九九八.六.一七)=経済=
預金金利が下がって、その上銀行が信用できなくなると命より大事だと思っている人はお金をどこへ持っていくのだろう。昔から本当にお金を大事にし、お金儲けの達人は決してお金を全部銀行には預けなかったといわれている。つまり、そのまま持っていたわけである。そういえば、敗戦時、外地にいたが、その際、お金は肌身離さず持っていた人が勝ちで、銀行に預けていた人はほとんど価値がなくなった経験を子供心に味わったことがある。これがたんす預金の増える原因である。円高で、止まるところを知らず、瞬間的には七十円台になったこともある円が、いつの間にか百四十円台に下がった。正に異常な金利安の効果が現れたわけだが、それによる銀行不信は並大抵のものではない。もう少し真剣に銀行は経済に対する責任を果たすべきであって、庶民を敵に回す方策をいつまでも続けて平気でいるようでは、ますますたんす預金は増え続けることになる。
(平成一〇.六.一七東京新聞夕刊掲載)

4.参院選の投票率向上策
(一九九八.六.二四)=政治=
不偏不党という言葉がある。世の識者とか、報道陣、それに我々のような投書者、どういうものか何かに偏らないようにしている。批判はするが、では何を支持して何を育成しようとしているのか判然としない。その論調を聞いていると、大義名分は不偏不党。不偏不党の正直な表現は棄権ということになる。ほとんどの人はだれに投票したか公の場で旗幟鮮明にすることに抵抗を感じているのが、今の日本ではなかろうか。そうすると明らかに政党に所属している人以外には自分の考えや支持を明らかにせず、批判だけを明らかにすることになる。この根本的なシステムを変えることが投票率のアップに繋がるはずである。東京新聞は今回何々党支持だ。何々新聞は何々党支持だ。何々テレビは何々党を応援している。俺は東京新聞の考え方が好きだ。じゃー今度の選挙はこれに入れよう。となると爆発的に投票率はアップするはずだが、たぶん夢想の世界である。

Posted by taichiro at 1998年06月24日 09:25